3.11に思うこと。大川小学校の悲劇から。
今日は3月11日。あの未曽有の大災害となった東日本大震災の日からちょうど6年目です。
テレビでもネットでもいろいろな形で、あの日を忘れないという主旨でこの話題が取り上げられていました。
個人的に、取り上げたいのは以下の記事です。
あの石巻市立大川小学校で亡くなった鈴木真衣ちゃん(当時小学6年、12歳)のお父さん鈴木典行さん(52歳)が、娘にあてて書いた手紙です。
真衣、いまどこにいるの?もう5年半も帰って来ないから心配しています。真衣のところに行きたいけど、簡単には行けそうも無いので手紙書きます。たまにさ〜、真衣が夢に出てくるんだけど、六年生のままなんだよね。ちっちゃくて、丸顔で、ちょっと出っ歯で。もう18才だよねー。あと半年で高校卒業なのに見た目は小学生かい。
こんな書き出しで始まる彼の手紙は、涙なくしては読めません。
ぜひ、多くの人に見ていただきたいと思います。
手紙ってなんだろう?と考えました。
もちろん、電話やメールがなかった時代、手紙は「伝える」ための重要なツールでした。でも、手紙って「伝える」だけのものじゃない。
現代だって、電話やメールで済ませられることを、わざわざ手紙にする場合だって存在する。
「伝える」以外の、手紙を書くという、もうひとつの役割。それは、手紙を書く作業を通して自分と向き合うこと。
この場合、もう真衣ちゃんは亡くなってしまっている。でも、真衣ちゃんにあてた手紙を書くということで、お父さんは真衣ちゃんと対話ができたってことです。
拙著「超ソロ社会」にも書きましたが、人は人と相対することで、その人ごとの自分自身が生まれます。Aさんと相対すれれば、Aさんと自分との関係性から生まれた「自分」が生まれる。Aさんが好きだな~って思うのは、Aさん本人が好きというより、Aさんと一緒にいることで生まれた「自分自身」が好きっていう感覚なんです。
このお父さんも、手紙を書く作業で自分と向き合えば、自分の中に存在する真衣ちゃんと相対した自分が出てきたんだと思います。
現実の世界で、真衣ちゃんと向き合うことはもうできないけれど、お父さんの中にはずっと真衣ちゃんと向き合った自分自身が生き続けるのだと思います。
だからこそ、インタビューでは出てこない言葉が書けたのでしょう。
それから、大川小学校の先生たちの行動を非難する声がネット上に見られますが、先生たちを非難しても、亡くなった人たちが戻ってくるわけじゃない。大切なのは、あの日集団行動をとったことが犠牲者を生んだ原因であることを認め、ああいう場合は、ひとりひとりがバラバラに逃げるという教訓としてもっとたくさんの人たちに知ってもらうことだと思います。
実際、グラウンドに並ぼうとする小学生たちの点呼も取らずに「バラバラに逃げろ!」と高台へ走らせた岩手県釜石市内の小中学校は、99.8%という生存率だした。
南三陸の人たちは、「津波てんでんこ」というようです。「津波が来たら、各々、一人で逃げてください」という意味です。
震災の悲惨さや犠牲者を悲しむことだけではなく、こうした「教訓」を未来に残すということ。それこそが、震災を忘れないということの意義のひとつではないでしょうか。
40代未婚おっさんが、若い子が好きっていうのは気持ち悪いですか?
東洋経済オンライン連載#9が公開されました。
今回のタイトルは…
実は、40代以上の初婚率が、1947年時点と比較して、2015年には12倍以上に増加しています。40代になったからといって、決して結婚できないわけではないのです。
そうした中、自分の年齢があがっているにも関わらず、付き合う相手の年齢がいつまでも変わらない。そんな未婚中年男性、周りにいませんでしょうか。
本当に付き合えていればまだマシですが、「女は若い子がいいんだよね~」なんて言っているオヤジは、大抵キモイおっさんだったりします。たまに、不釣り合いなカップル(おっさんと派手な格好した若い女性)が腕組んで歩いてる姿を、新宿歌舞伎町界隈で見かけますが、ほぼ100%キャバ嬢との同伴です。
おっさんは若い子が好き。
なんとなく言われてきたことではありますが、ちゃんと検証されたことはありませんでした。
男女のマッチングもひとつのマーケティングだとするなら、若い子を追い求める中年ソロ男のインサイトはどこにあるのでしょうか?実際に20代妻と結婚した40代以上の男性の比率(20代妻婚率)も出しています。本当は、これに男性の年収をクロス集計して、歳の差婚と金との相関関係も出したかったんですが、残念ながら資料がありませんでした。
ポイントは「期待報酬」という心理です。脳科学の実験結果などもふまえ、説明していますので
それから、一見「夢がある」タイトルですが、本文を最後までじっくりお読みください。
案の定、今回の記事に関しても、「若い女性を追い求めるおっさんがキモイ」とか予想通りのコメントがたくさん。
中には「この手の記事を鵜呑みにして、勘違いするおじさん増えるからやめた方がいい」 という意見も。こういう人はタイトルだけで、最後まで記事読んでないんだよな~。いつものことです。
まあ、しかし、辛辣なコメントもある。
女性からしたらいい年した加齢臭くさいおっさんが若い女性にアプローチしている姿はすごく気持ち悪いし不快です。だいたいなんで相手にされると思っているのか・・女性だって清潔感ある若い男性の方がいいです。ただし、自分の方が見た目では勝っていたいので結果的に同じ年齢層か少し上くらいの相手を選びますけど。キャバクラでも若い子に相手にしてもらえるので勘違いしてるだけですよね。ホントきもい。
すごい言われようだwww
この記事書いた主旨は、「40以上のソロ男たちよ、現実を知れ」という意味合いだったのでいいんですが、なぜか先ほどからコメント欄(本記事の方)に「20代で40代以上と結婚しました」 という女性の支持コメが増えてて「おっ!」ってなってる自分がいます…。
以下に紹介します。
私も25歳で43歳の主人と結婚し、子供もいます(^^)コメにおじさん気持ち悪いという方いらっしゃいますが、全然気持ち悪くなんてないし、大好きですよ(*^^*)優しくて、包容力あるし、浮気の心配もないので逆に安心です☆
私は20代で40代の今の旦那と結婚しました。なんの後悔もないし、3人の子供にも恵まれ幸せを感じる毎日です。一度結婚を考えた同年代の男性がいましたが、今考えると若い者どうしと言うだけで動物的に冷静な判断力なく、本能だけであの時結婚していたら絶対に幸せにはなってなかったと思います。
27女子ですが43のおっさんと付き合って1年がたちました。これからどうなるか不安もありますが、落ち着いてて、自分よりいろんな経験を積んでいる彼を尊敬します。ていうか、大好きです笑 年の差がなんだ!
おっさんたちよ、世の中捨てたもんじゃないぞ!
「結婚という状態への依存」から脱却しましょう!
「女の転職@type」サイトの「働く女のワーク&ライフマガジン~Woman type」から取材いただきまして、その記事が公開されました。
「女の人生100年時代」未来を豊かに生きるためには?というテーマで組まれている特集の第二弾です。
「相手いないけど結婚したい」とよく言う女性がいますが、それは「結婚という状態への依存」です。一方、「結婚なんかしなくていい」と仕事に熱中してばかりの女性もまた「仕事への依存」。どうして二者択一になってしまうんでしょう?
ひとつしか依存先がない状態こそ危険なんです。
それから、よく『本当の自分』なんて言う人がいますが、そんなものはどこにもない。唯一無二の『本当の自分』という幻想に縛られるのは、依存先がひとつしかないのと同じです。
要するに、「結婚していない」「結婚できない」女性たちが、潜在的に持っている自己否定感みたいなもんの正体なんて、「状態への依存」にすぎないってことです。そんなものに縛られて、あげく不幸感を抱えるのはアホらしいと思います。
そんな話をしています。
ところで、人生100年時代が来ます。
ベストセラー本「LIFE SHIFT」にもあったように、60歳なんてまだまだ人生の半分でしかない時代がやってくるんです。
どうしますか?
特に、女性ですよ。
ちなみに、2015年の国勢調査でも、60歳以上の独身高齢女性人口は1000万人を突破しています。片や独身高齢男性はたったの370万人しかいない。男はすぐ死ぬんです。
どうしますか?
女性は、旦那が70歳で死んだとしても30年以上一人で生きて行かなきゃいけないわけですよ。同い年夫婦ばかりじゃないわけで、下手すれば40年以上ソロで生きなきゃいけないかも。
拙著「超ソロ社会」の中では、「人生三分の計」ということを書きました。生まれて、子どもから結婚するまでの30年を第一期、結婚し子どもを生み育て、自立させるまでの30年を第二期。60歳を過ぎ、旦那も定年した後の30年~40年を第三期と考えた場合、この第三期こそ、男女関係なく経済的にも精神的にも「ソロで生きる力」が必要。
必要というよりなければ死ぬんです。
大体、男なんてものは、そもそも「依存」しがちな生き物なんで、だから先に死ぬんですよ。
もともと女性は精神的には強い。大体の夫婦は先に夫が死にます。が、残された妻はその後も一人で元気に生きています。しかし、それも経済的自立があってこそ。年金が破綻したらそうはいきません。ある試算によれば、75歳くらいまで働いて収入を得ないと生きていけないそうですよ。
問題は、働く意欲があっても職があるかどうか、なんです。ただでさえ高齢女性の就業率は15%程度しかありません。
おばあちゃんにしかできないこと。おばあちゃんだからできること。
そんなことは実はいっぱいあるはずなのに、今までそれらは無償労働として始末されてきました。
これからはそうしたおばあちゃんの知恵や技術は、課金すべきだと思うんですよ。言ってみれば、昭和の専業主婦の力ですよ。
料理、家事、裁縫、育児など、かつて主婦が当たり前のように無償でやってきたことをちゃんと報酬をつけてやってもらう社会にならないと。それでなくても共働きで家事や育児ができなないとか、保育園が足りないとか言っているんだったら、そういうおばあちゃんたちに働いてもらう。働いてもらうというと、労働力として使うように思う人いますが、とんでもない。働いて、誰かの役に立つということは、彼女たちにとっても社会的役割という代えがたい達成感を提供することになるんです。
そして、それが実現するためには、地域のコンビニというものがものすごい重要な役割を占めていると思っています。
長くなりそうなので今日はここまで。
シリアスな話なのに、読んでいてなぜか心が満たされました。
この記事は、男女問わず、未既婚問わず、たくさんの人に読んでほしい。
原発性無月経…
そんな病気があることをはじめて知りました。
ご本人自らが書いたこの記事には、力強さがあり、でも、読んでいてなぜか心が満たされる感がありました。ご本人の中には、ここには記せない辛さ、悲しさ、やるせなさも当然あったでしょうに…。とても感銘を受けました。
何も言いません。とにかく読んでください。
生涯未婚率ばかり注目されていますが、僕は生涯無子率というものも考えるべきと思っています。結婚しても無子のまま生涯を終える人たちが、男女とも10%程度存在するんです。
もちろん山口智子さんのような自発的選択の人もいますが、多くは「望んでもできなかった人たち」です。そうした人たちが自己否定に陥ることなく、誰かと比較することなく、幸せを感じられる社会となることを望みます。
そして、男だとか女だとか、そういった性別でいがみあったり、「男にはわからない」「女にはわからない」という無意味な分断もなくなってほしいと思います。
私たちは、互いに違うからこそ、協力しあえるものだと思います。
所詮、他人だからわかりあえない。
そうかもしれません。
ですが、他人だからこそ、相手のことをわかろうとして、気遣いややさしさが芽生えるのではないでしょうか。
少なくともこの記事の筆者の夫である男性はそうだと思います。
いつまでも続くもの
いつまでも続くものなんてどこにもない。
感動も喜びも幸せも命さえも…。
確かにその通りだ。
続かせることが大事なのではない。
瞬間瞬間で感じることが大事。
結果、それが続いたというのは結果論。
ただひとつ
いつまでも続くものがひとつだけある。
それは、自分自身との付き合い。
これは死ぬまで、ずっと続くものだ。
だからこそ、自分自身を一番大事にしよう。
NewsPicksの3月マンスリー・プロピッカーを拝命しました。
NewsPicksの3月マンスリー・プロピッカーを拝命しました。光栄です。ありがとうございます。
人口減少社会の生き方というテーマです。NPやられている方は、フォローお願いしますwww
【人口減少社会の生き方】少子高齢化の進行により、日本の生産年齢人口と総人口は減少に転じています。子育てや働き方など、個人の生き方にも注目が集まる中で、日本の未来はどうなるのでしょうか。このテーマには、村上由美子氏、藤波匠氏、荒川和久氏、髙崎順子氏の4人が就任します。
もはや、迂闊なことは書けなくなりました。
所信表明といいますか、意気込みみたいなものを書いた記事がこちらにあがっています。
ざっくり、以下のようなことを書いてます。
ソロ社会と言うと、家族と独身とが分断される社会だと勘違いされますが、それらは決して対立項ではありません。家族とは血縁ではなく、“考え方の家族”となるべきです。
子どもを産むことだけが人間としての価値ではありません。ソロの人たちが、自分のために働き、趣味のために消費することが、意識としても結果としても、子どもたちを育てることにつながる社会になってほしいと願います。そうした社会が新しい未来のしなやかなコミュニティを創造することにつながるのではないでしょうか。
ソロ社会で必要になるのは、逆説的ですが、人とつながる力です。家族であろうと独身であろうと、それは同じです。人は誰かと関わりながら生きるものです。自立とは、他の誰の力も一切頼らないことではなく、頼れる依存先を複数用意できることで生まれるもので、依存先がひとつしかない状況の方こそ危険です。
そして、なんか早速コメントランキング入りしました。ますます迂闊なことが書けなくなります。
家族が家族しか頼れない社会は最悪だ!
毎日新聞のこの記事。
http://mainichi.jp/articles/20170301/dde/012/010/003000c
まるで指揮者のような安倍総理。
戦後日本は「伝統的家族」が壊れ、家族の絆が弱まって家庭の教育力が低下した--。そんな理由から、安倍晋三首相及び自民党は今国会に家庭教育支援法案を出すらしい。
安倍首相らが目指す家族像とはどのようなものか?
第1次政権時の07年5月17日、衆院教育再生特別委で彼はこう答弁しています。
「かつては大家族、2世代、3世代同居という家族がたくさんあった。その中で親から子に受け継がれた知恵や工夫、地域の規律やモラル、そういうものが家族や地域の中で、教育に対する支援がなされたと言っていい」
ま、要するに「サザエさん一家」になれってことです。「家族の絆を大切にしろ」ってことです。
そういえば、自民党の改憲草案も「家族の相互扶助」を義務づけようとしていて気持ち悪かった。
法案提出するのは自由ですが、そんなの法律や憲法で規定することなのか?
大体、安倍さんの言っている古き良き家庭像というのは、実は戦後の高度経済成長期のものであり、日本人の原型ではありません。
家族が家族だけを唯一の拠り所として分断される社会こそ最悪の社会になります。
家族だけが最後のセイフティネットになってしまうと、家族同士の共依存を高め、結果共倒れになる危険性があります。
個人的に「絆」という言葉も嫌いです。「絆」なんて言葉はもともと「家畜や犬などをしばりつける」という意味で、「しがらみ、呪縛、束縛」の意味に使われていたものです。政府はそうまでして国民を縛りつけたいのか?
家族だけの絆じゃダメなんですよ。もっと人とのつながりは外部化すべき。そうすることで社会全体がゆるくつながる。その方がいいんです。
記事にあった京大落合教授の以下の言葉を引用します。これは、家族の人たちこそ肝に銘じてほしい。
世界では『家族主義は家族を壊す』が定説です。家族の相互依存を必然とする制度を作ると、家族が互いの負担になり、家族は壊れる。柔軟性こそが日本家族の伝統なんです。
ちなみに、拙著「超ソロ社会」の中に、家族だけに依存し、家族という自己責任の中で起きた悲劇について書いています。2006年2月に起きた、いわゆる「京都認知症母殺害心中未遂事件」です。決して他人事ではありません。
こういうこと(安倍政権批判的なこと)書くと、すぐ「左だ」とか言ってくる人いるんですが、いまどきまだイデオロギーとか言っている人って恥ずかしくないのかな?右とか左とかいつの時代だよ!イデオロギーの時代はもう終わったよ。