ひとりで生きることが強さではないし、誰かを頼ることも弱さではない。
ハフポストのインタビュー記事公開されました!
ものすご~く長いですが、ものすご~く濃い内容となっています。久しぶりにマーケター的なお話もしていますwww
ぜひお時間ある時にご一読ください!
ハフポストでは、先週から
という特集シリーズが始まっています。 すでにたくさんの記事があがっていますので、そちらも是非ご覧ください。
少子化や出生率のニュースがでるたびに、未婚や独身は肩身が狭い思いをしている人も多いでしょう。
「なぜ結婚しないんだ?」「なぜ子どもを産まないんだ?」
ソロと家族とを「状態」で分断して「どっちが正しい」論争はホント不毛です。
ひとりで生きることが強さではないし、誰かを頼ることも弱さではない。
多分、この「#だからひとりが好き」という特集は、ひとりでいることの良さを提示したいというコンセプトだと思います。だから、記者さんからもこういう質問を受けました。
「『ソロ』の良さ」というのは何かありますか?
それに対して、僕の答えはこう。
ソロは、単なる状態です。ソロがいいとか悪いとか、ソロでいることのメリットとか、ソロはこんなに楽しいとかって言うことは、結婚はいいよって押し付けてくる人と全く一緒。人間の本質は独身とか既婚とかの状態で左右されるもんじゃありません。
そもそも、結婚している人と結婚していない人とがお互いにそれぞれの生き方を受容できないで、分断していることの方が不健全なのです。互いに相手の義務や自己責任を押し付け合っても何も解決しませんから。そうした「状態」に依存した分断はなくすべきだと思います。
地域・職場・家族という今まで絶対的安全地帯だった共同体が失われていく中で、新しい未来のコミュニティを作っていくには、精神的に自立したひとりひとりがつながることによってこそ可能になるのではないでしょうか。
こうした特集によって「ひとりが好き」という人たちが集まって、いろいろな記事に共感したり、納得したりすることはとても大事です。ただ、ひとつだけ言いたいことは、記事を読んだだけではなく、ぜひ「行動」してもらいたいと思います。行動とは、人とつながり、人と対話するということです。
「ひとりが好き」ということと「ひとりで生きていく」ことはイコールではありませんから。
120キロまでデブったやつが、たった1キロ減っただけで「死ぬ~!」って言ってるような少子化の話
1人の女性が産む子どもの数の指標となる去年の出生率は1.44となり、前の年よりわずかに低下したことが厚生労働省の調査でわかりました。また、出生数はおよそ97万7000人と初めて100万人を下回って、少子化が進んでいる現状が浮き彫りとなっています。
要するに、「子どもが生まれね~」って話です。
ですが、そんなことは、もう何十年も前からわかってたし、マスコミも報道してきたことで、「今更感満載」なわけですよ。1970年代から合計特殊出生率は2.0を切っていたんですから。
もっと言うと、国立社会保障・人口問題研究所が出している将来人口推計だって、ずっと前からそう推計してます。つなみに、人口予測は一番確度の高い予測です。まあ、はずれません。
こういうニュースが出ると、毎度のように「少子化は国難です。放置すれば国が滅びます」なんてことを、コピペのように言うガラパゴスな学者がいるが、あなたがどんなに叫んだって、少子化で人口減少という事実の流れは変わらない。嘆きや愚痴は、いたずらに皆の不安を煽るだけでそれこそ害でしかない。
同じように、こういうニュースが出るたびに、「国が悪い」「政府が悪い」「官僚が悪い」ととにかく他人のせいにしたくてしょうがない人たちもたくさんいる。
何度もいうけど、合計特殊出生率が2を切り続けるきっかけの年は、1975年です。その年生まれた人は今や42歳になっています。もう一巡以上しているんですよ。何も最近始まった異常事態じゃない。
それから、この合計特殊出生率ですが、何も今年最低値を出したわけじゃないですからね。最低値は2005年の1.26です。むしろ、そこから毎年のようにじわじわ上がって、昨年の1.45に次ぐ1.44という最近20年間では二番目に高い数字なわけです。
だから、ニュースの見出しとしてはこうも言えるわけです。
「出生率この20年間で2位の好成績!」
どうです?こう言われればイメージも違うでしょ?実数として100万人切ったのは、そもそも夫婦の人口が減っているからであって仕方ない。
いずれにしても、出生数が減るのは不可避だし、人口は減るんです。それを、ガタガタ言う時点でおかしい。
大体、人口減少の何が問題なわけ?
むしろ、戦後高度経済成長期の皆婚とベビーブーム自体が異常値なんです。下のグラフを見てください。
明治維新以降の人口増加のカーブ!
これこそ異常値ですよ。てか、これを体重のグラフだと思ってくださいよ。こんなに急激に太るなんて病気か力士でしょ?
むしろ今は、正常な状態に補正されているという見方をしたっていいんですよ。
これをね、「国が滅びる~!」とかうるさい爺さんは、体重で言ったら、こういうことです。120キロまでデブった自分の体重が、たった1キロ減っただけで「死ぬ~!」って言ってるようなもんです。
死なねえから!
その前に120キロにまでデブったこと自体を問題にしろ、と言いたい。
とにかく、誰が何と言ったって、日本の人口は7000万とか8000万まで減るんです。もうね、ジタバタしたって意味ないの。
よく考えてくだいよ。
少子化対策で「子育て支援するから今から制度作ります」とかいって、万一それが奏功したとして、子どもを産もうと決めて妊娠して、その子が成人するまで21年(妊娠期間込み)もかかるんです。2038年の話ですよ。
もっとおかしいのは、少子化の原因は未婚化だから婚活支援しようっていって、カップルを作る支援なんかしている。23億だかいくらか使って成約したカップルが7000組?それはいいてじょう。めでたいことです。でも、そのカップル全員が子どもを生むわけじゃないし(結婚しても子無夫婦が全体人口の10%いる)、それもまた最短で21年後の話なんですよ。
国の政策とは中長期的に見なければいけない、だぁ?
だったら、1970年代からやっとけっつーんだよ。
あ、なんか国や政府を批判したかったわけじゃないです。こんなもの、政府の施策だけでなんとかできる問題じゃないんですよ。
やれ、フランスの施策に学べとかうるさいこと言う人いますが、フランスの税金は日本のほぼ2倍ですけど、払いますか?
少子化対策を一生懸命考えている人たちは頑張ってください。岡山県のどこかの村では出生率が2.8にもなったという話もあります。それは素晴らしいことです。しかし、一番出生率が低いのは日本の人口の1割以上占める東京なんです。地方がどんだけ頑張ってもそれは賄いきれない。
だけど、本当に今注目しなければいけないことは、出生率をあげることじゃない。
日本でもっとも出生率の高いのは沖縄です。いっぱい子ども産んでますよ。そんな沖縄で、今何が起きているのかご存知ですか?
離婚率とシングルマザーの増加と子ども貧困率の上昇です。
生めばいいなんて短絡的な話じゃありませんよ。
今いる子どもたちをちゃんと育てる。話はそこからだ。と、僕は思います。
そうでなくとも、児童虐待の件数はすごい上昇しています。
とても残念なことですが、産んだ子どもをちゃんと育てられない親が大勢いることも事実です。それはいろいろな要因があるでしょう。しかし、どんな理由があるにせよ、生まれてきた子どもには罪はありません。
産みの親が育てられないなら、育てられる経済基盤と人格を持つ、子どものない夫婦が親になるべきです。養子縁組や里親制度をちゃんと見直すべきです。
産んだらそれですべてハッピーエンドじゃないんだから。
産むことより、今生きている子どもたちをちゃんと育てること。もはや、そっちに舵を切るべきじゃないでしょうか?
話はそれからだ。
ちなみに、将来人口推計によると、2065年には14歳以下の子どもの人口は約800万人、15歳以上のいわゆる大人の人口が8000万人です。つまり、大人10人に対して子どもが一人という社会になるんです。
それは、逆に考えれば、大人10人が協力して1人の子どもを育てる社会にならなければいけないんです。これと同じような提言は、先日話題になった経産省若手のペーパーにも書いてありましたが、まったく同感です。
血縁だけが家族とか言ってる場合じゃないんです。誰の子であろうと、我々大人は子どもたちを育てる義務がある。家族だけに自己責任を負わせるような社会は破綻します。
つまり、もう「今までの家族」という概念に縛られてちゃいけないんです。
家族の概念を拡張しましょう。
独身だろうと子無夫婦だろうと、引退したおじいちゃんやおばあちゃんだろうと、大人はみんな子どもたちの親にならなきゃいけないんです。
唯一依存は危険。選択できる複数の依存先を持てる力が必要。
という記事から。
5/27に発売された堀江貴文さんの についての記事です。まあ、いってしまえば、本の宣伝記事ですが、とても勉強になります。
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「多動力」とは、いくつもの異なることを同時にこなす力のことを言う。しかし、「それって器用貧乏じゃん?」「飽きっぽいってことじゃん?」と、今まではあまりいいイメージのない人を指す。ひとつのことをコツコツとやり続ける人の方が称賛されていたはずです。
しかし、堀江さんはこう言い放ちます。
一つのことをコツコツとやる時代は終わった。これからは、全てのモノがインターネットに繋がり、全産業の〝タテの壁〟が溶ける。このかつてない時代の必須スキルが、あらゆる業界の壁を軽やかに飛び越える「多動力」だ。
Iotという言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットとつながっていくことを意味する。すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果〝タテの壁〟が溶けていく。この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。そして、「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる「多動力」なのだ。
これ、本当に大事なこと。
かつて堀江氏は、「寿司職人が何年も修業するのはバカ」とツイートして大炎上したことがあるが、大阪の「鮨 千陽」の事例を引き合いに説明する。「鮨 千陽」の土田秀信店長は、専門学校で3カ月寿司作りを学んだだけだ。その「鮨 千陽」が開店からたった11カ月目で、『ミシュランガイド京都・大阪2016』で「ビブグルマン」部門に選ばれたそうだ。
そう言えば、全国の豆腐コンテストでグランプリをとった豆腐は、豆腐づくりが本職ではなく、素人が作った豆腐だったという話も聞いた。
世の中は動いている!
匠の技を身に付けるために長い間の修行をすることを当たり前だという常識にとらわれている人は、どんなに説明したって理解できないことかもしれない。情報の取得経路が何もなかった昔は、師匠に教わるしかなかった。だから修行が必要だった。しかし、今は違う。情報や知識なんていつだって誰だって取り出せる時代。実務だって、効率的に伝授すれば何年もかけずに本当は伝えられるものだったのかもしれない。
それを徒弟制度の悪い部分で、「勿体ぶってなかなか教えない」ということがなかったとは言えないだろうか。それこそ、弊害だったタテの壁がなくなるってことです。
いやいや、そもそもテクニック的なことは、もはやロボットが代替えしてくれるかもしれない。
これは、他のことにも言えることだと思う。
例えば、禅の修行とか。お坊さんになるためには、きつい修行を何年もやらないといけないと言われているけど、本当にそれって必要なものなのか?っていう話です。お坊さんに特殊能力があるわでも、掌から気が出せるようになるわけじゃない。単に、辛い思いを乗り越えればいいという精神論って、実は師匠側の立場を守るためだけのものだったりする。
そうして、ひとつのことをある程度まで習得する時間が大幅に削減されることによって、さらに別のことをやる余裕が出てくる。そこが大事なわけです。今までは「ひとつのことを極める」のに時間がかかりすぎて、他に余裕がなかった。だから、ひとつのひとだけでもできるようになることに価値があった。
しかし、これからはそうじゃない。
ひとつを極めたくらいじゃ価値にならない。繰り返すが、一流の寿司職人の技は多分ロボットで再現可能になる。
ひとつの肩書きや技術だけでは立ち行かない時代になる。
これは、僕が拙著固執してしまうことのリスクのことと同義だと思います。
で書いたように、ひとつの職場、会社、技能だけに唯一依存するな、選択できる複数の依存先を持て、ということ。
ひとつしか頼れるものがないと、それが消滅したらもうお手上げだから。一流の寿司職人の技をそのまま真似るロボットが出現したら、技しかない寿司職人は用無しです。
メディアアーティストの落合陽一さんも、
でこう言っています。現代のテクノロジーはものすごい速度で進展しているので、ある個人が何年もかけて技術を習得しても、その間にコンピューターの進歩に追い抜かれてしまう可能性が極めて高いんです。だから、テクノロジーと人間の間に落ちてくる即時的な偶発性を拾って、キャリアを組むしかない。「とにかく何かやり始めて、それを積み上げる」という形しか、リアリティのあるストーリーにならないんです。
これは、能書きの話ではなく、行動力の話です。この「多動力」を既に行動してしまっている人がいます。
それがキングコングの西野さんです。
彼はこう言います。
すべての職業には寿命があるし、ここからかなりのスピードでいろんな職業ごとなくなっていくから。
その通りです。だからこそ、彼は、「芸人」という肩書きにこだわらず、水平分業で「今までにない絵本」を作り、本を売ることとイベントと音楽とを関連付け、何より客との壁も越境してみせた。肩書きも職業も越境した先にあるのは、それこそ「人間と人間の関係性からしか生まれない」喜びのある世界だったわけです。
これからは、ひとつの能力だけではなく、複数のスキルを身に付け、しかも、それを同時進行的にマルチアクションできる人たちが廻して行く時代。というより、そうじゃない人たちの仕事はすべてAIとロボットに取ってかわられるんです。
わかりやすく言うと、ひとつの会社や職場だけで完結させる生き方が通用しなくなるってこと。別に、転職を繰り返せという話ではない。幹となるひとつの職業はあっていいんだけど、それだけじゃなく、別のネットワークや別の場所にも自分の立ち位置を作らないといけないってこと。
どうやっていいかわからない?
案外、実は簡単です。職場とかとは違う人間と会いに行くことです。人とつながることで、自分の中に新しい自分が生まれます。そのことについては
に書いてあるのでよろしくお願いします。以上、堀江さんの本をダシにしたステマ、失礼しました。
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時間差一夫多妻と時間差一妻多夫は、もしかしたら未婚化の解消に貢献するかも?
生涯未婚率上昇の話とか、未婚・非婚の話の際に、いつも抜け落ちているのが「男余り」という現象。
未婚男性と未婚女性の人口差は300万人以上もあるんです。この事実、本当にみんな知らない。それについてはかつて、
でも書いてます。
その記事は、がマツコデラックスさんの「月曜から夜ふかし」でも取り上げられました。
ですが、取り上げるのが深夜のバラエティしかないのが不思議です。なぜ、ニュースで取り上げられないのか、と。
で、その「男余り現象」の要因は何かといいますと…
ひとつは、そもそも男の方が多く生まれるからです。出生男女比で言うと男の方が5%ほど多く生まれます。これは、統計が残っている明治時代からほぼ変わりません。
え?たかが5%でしょ?と思いますか?毎年5%も多く生まれるのだから、積算すると大変です。1956~1995年の出生数の男女差を見ると、男子3389万人、女子3197万人となり、差し引き192万人男が多く生まれています。結構な違いです。
そして、もうひとつが再婚です。
再婚男性は初婚女性と結婚したがる傾向があります。
生涯未婚のまま一生を終える男性がいる反面、何回も離婚再婚を繰り返す「バツあり男」がいるわけです。これは、「時間差一夫多妻」といってもいいかもしれません。
そんなことを、東洋経済オンラインの連載「ソロモンの時代」で記事にしました。
ぜひご一読くだい。
実は、いろいろ調べていて、自分でも意外な事実がわかりました。1980年から2015年の累計の再婚数を見ると、確かに「再婚男×初婚女」の組み合わせは約200万組で多いのですか、「初婚男×再婚女」の組み合わせも152万組もあるんです。時系列でみると、確かに再婚女性と結婚する初婚男性の数は増えています。
増えているとはいえ、まだまだその分は8%もあるわけで、再婚男によって未婚女が奪われているという状況には開きがあるままです。
よくよく考えれば、男余りといっても、初婚同士しか結婚できないわけじゃない。再婚女が初婚男ともっと結婚するようになれば、それこそ未婚率は改善されるんじゃないでしょうか。沖縄県などで深刻なシングルマザーへ世帯の増加という部分についても、再婚女性が増えることで解消もするでしょう。もともと、江戸時代の庶民は、 でした。
そんな「時間差一夫多妻」の上昇率、都道府県別ランキングも掲出しています。あなたのお住まいの県は何位でしょうか?
そして、意外な県が1位になっています。
滋賀県です。
今回のランキングはあくまで、再婚男女率の上昇率です。再婚男女数が多いという絶対数ではないので誤解しないでください。
それにしても…滋賀県?なぜなんでしょう。ちょっと前まで、人口増加していた希少な県でもあります。正直、滋賀県で再婚率が増えている理由は個人的にわかりません。
滋賀県の方、ご存知でしたら教えてくださいw
追記
この記事、おかげさまでたくさんの方に読んでいただきました。金曜公開からたった3日で週刊ランキング5位、週刊いいねランキングも5位です。ありがとうございます!
教師が人間であるべき理由。人間だから学べること。それはAIには無理。
と言う記事を読んで。
この記事は、藤原和博氏の最新刊『10年後、君に仕事はあるのか?』の内容をもとに、AIの台頭や一層のグローバル化、就活の地殻変動などの影響で消滅する仕事とは何か?について書かれたものです。AIの登場でなくなる職業というのが一時話題になりましたよね。
この記事で取り上げられたのは、「教員」という仕事です。
藤原氏はこう問題提起します。
僕はすべての学校で、当事者である先生たちがこの問題を議論してくれたらいいなと考えています。ネット上にほぼすべての知識が載るのは、時間の問題だからです。有史以来、人類のすべての知恵に匹敵する膨大なデータの複雑な分析が可能になって、あらゆる質問に瞬時に答えられるシステムがスマホの向こうに用意されたら、君の前に立っている先生は、何をすればいいんでしょうか?
確かに、膨大なデータの中から最適解を導き出してくれるAIなら、知識や受験のためのテクニックなんて、生身の先生より上手でしょう。
では、教師という仕事は将来なくなる?
でも、藤原氏は「そうはならない!」と断言しています。
教えるマシンとしていかにロボットが完璧になったとしても、学ぶ喜びを教えることはできないだろうと考えるからです。君もそうだと思いますが、子どもって、教えてる大人というよりも、学んでる大人から多くを学ぶものなんです。
その通りだなあ。
個人的な話ですが、今でも覚えている先生って一人しかいません。
中学時代の担任、身体の大きなクマのような先生でした。
その先生からは毎日のようにげんこつで殴られていました。
それは、僕が悪さをしたからでもあるんだけど、そうではない時もあって、先生の早合点で殴られたこともあります。ええ、そうです。冤罪です。
当時は、「ふざけんな」と憎んだ先生ですが、今では一番懐かしい先生です。
というのも、僕はその先生から「人間らしさ」をたくさん教えてもらったからなんですね。先生に殴られることで、怒りや悔しさという感情もそうだけど、先生だって感情的になるし、ミスもするし、泣くし…みたいなことも。
基本的に悪ガキ扱いだったんですが、何かの拍子に、テストでいい成績を取った時があったんてぜす。その時、先生が自分のことのように喜んでくれたシーンが、今でも頭の中に残っています。
めちゃくちゃ嫌いな先生だったのになぜかうれしかった。
褒められて恥ずかしかったけど、とてもうれしかった。
…ま、次の日にはまた殴られてんですがwww
毎日顔を突き合わせている中で、教える人、教えられる人という関係であるよりも、先生と相対したことで自分の中に生まれた自分というものがあるんだと思います。そして、それは先生の中にも生まれている。
お互い様です。
だから人間の関係性はおもしろいんです。
この話をした時に「体罰は許せないな」という感想を言った人がいるんですが、僕はそうは思わない。体罰って本当に悪いことなの?
言うまでもなく、暴力行為は犯罪です。そんなのは当たり前ですが、全ての体罰を暴力と結び付けられるとは言えないと思う。逆にいえば、体罰を一切しなくたって、言葉の暴力で生徒を追い詰める先生だっているだろうし、はたまたクラスのいじめを「見て見ぬふり」するという無行動という暴力だってある。むしろ僕は、こうした「無視」とか「無関心」という形の方が先生の行為としては最悪だと思っている。
繰り返しますが、体罰を受けるだけの悪さをしていたから受けていた。そういう自覚は自分自身にありますので、それはそれとしてうけ止めていた。
ただ、毎日殴られるもんだから、「どうしたら悪さしても殴られないようになるか」を考えてたな~。ああでもない、こうでもないって。先生からの体罰逃れは、当時ゲーム化していた。あ、ちなみに、悪さをしないという選択肢は鼻っからありませんでした。
あの先生が「生徒(僕)のためを思って」体罰をしていた、なんてきれいごとは言いません。多分、僕のこと「憎ったらしいクソガキ」だと思ってたはずです。間違いない。自分が先生の立場でもそう思う。だって、言うことまったく聞かないんだから。
でも、憎いからとか、怒ったから殴ったっていいじゃん。そういう本音を知ることもまた学校というものの役割です。
ちなみに、そんなことが言えるのは今だからです。当時は、めちゃくちゃ腹立って「絶対、お礼参りしてやる」と思ってました。
でもなんか思うんですよ。そうやって、そういう感情も含めて、毎日僕は先生と向き合っていたと思うし、先生もまた問題児の僕(だけではなくクラス全員)と向き合っていたんだろうって。問題児なんか放っぽっておいた方が先生だって楽。見て見ぬふりしている方が楽なだったはず。
だからこそ、柄にもなく僕はその先生が今でも好きなんです。
そうそう、その先生の毎日のげんこつのおかげ(せい?)で、僕の頭はごつごつしている気がするんですよね~(笑)。
こういうクソみたいな所業を堂々とする教授とかの方が、数億倍クズです。
我らが教授が、弊研究室から他大学院に進学する意思を示した学生について、研究室全体に送ったメールです。
— 水無月@アカハラ告発中 (@giugno_june) 2017年5月22日
学部からの移籍は一切許さないという意思のもと、教授からの指導は受けられないこと、行き先の研究室に当該学生を切り捨てたというメールをおくったことなどが延べてあります。
返信に続く。 pic.twitter.com/rpPqUWVJzd
「俺が幸せにしてやる」とか言う男は、大抵相手を不幸にしますけど…
という記事を読んでの感じたこと。
彼女とは付き合い始めてから1年ちょっと。現在は同棲をしている。彼女の事は好きだし、ずっと一緒にいたいとも思っているし、幸せにしたい。でも結婚したいかと聞かれると、どっちでも良い。彼女が望むのであれば、幸せにしてあげたいので結婚してあげたい。手続きをしたいと彼女が望むならそれを一緒にやっていこうと思っている。という考えなのだけど、これを結婚を仄めかしてきた彼女に伝えたらめっちゃ泣きわめく。
要は、彼女からすると「結婚してもいいよ」じゃ嫌で、「結婚したい」と言え、ということらしい。
彼女の言い分は…
「結婚しても良い」じゃなくて「結婚したい」じゃないと嫌だ。私は「結婚したい」なのにあなたが「結婚したい」じゃないという溝が凄く辛い。あなたは私が「結婚したくない」「どっちでも良い」なら結婚をしない事を選ぶ。2人が「結婚したい」じゃないのに結婚するなんておかしい。そんな人とは結婚したく無い。
そんな人とは結婚したく無いと言いながら、でも結婚はしたいと彼女は言うらしいです。
これに対して、投稿者の彼を批判するコメントが殺到したらしい。
「『君がそうしたいならする』てのは相手に実行の責任を全部丸投げすることなのを理解してんのかな。相手に選択権を与えてるつもりだろうがただの責任の放棄だ」
この人の上から目線の物言いが嫌ですね。私なら結婚してもしなくてもどっちでもいい人とは結婚しないです。
言い方の問題なのか?特に、女性はこの言い方の問題にこだわる人が多いみたいですね。
これはそもそもマッチングされない価値観同士のような気がしますけど。
僕はこの彼氏の気持ちがものすごくわかる。
上から目線とかそういうことではないし、彼にしてみたら誠意の表現でもあったのではないか。
彼女は「私が思い描いている結婚の形」を相手に押し付けているようにしか見えず、この一方通行感は埋まらないんじゃないか、
この彼が言うように"『気が変わった。結婚したくなった。結婚しよう』と言えば済む問題"なんだと思う。でも、それって、本心とは違う言葉を言えば満足なんだろうか。
こんなこと書くと「だからお前は女心がわからないんだよ」と説教されそうですが…。
経験則で申し訳ないんだけど、20代で結婚した知り合いのうち離婚したカップルが結構いるんですが、そういう奴って男が自信満々に「俺が幸せにしてやる」といって結婚したタイプなんですよね~。
幸せにしてやる!ってお前は神様かと思うわ。
そういう言葉みたいなものを求めて安心してしまうのも「ひとつの状態依存」だと思うんだよな~。
「結婚したい」って言う今の言葉より、10年後の「結婚してよかった」って言葉を目指せばいいのに。
「お客様は神様なんかじゃない!」理不尽な怒りや、差別的な要望に対しては店もキレていい。
久しぶりにスカッとする話を聞いた気がします。
とある店に「お客様の声」として寄せられたクレームに、「同性愛者は店に入れないでくれ」というものがあった。言うに事書いて「対策してくれないなら、二度と来ません。そういうお店ってこともインターネットに流します」という脅し付ときたもんだ。
これに対する、この店の「本部・個性輝く生き方推進室長」からの答えがこれです。
いつも、お客さまの声にはクレームとか要望が書かれて、それに店長が返答して掲示板に掲示するんだけど、今回は本部の人が返答して、しかも結構怒ってた。
— ゆーと (@Yuto_yumi_) 2017年5月16日
言い方とかはちょっとあれかもしれないけど、この会社で働いててよかった。
いまから掲示してきます。 pic.twitter.com/wo7SYCsl18
結論から申し上げます。二度と来ないでください。
当社では、皆さま同じお客様として接しています。皆さま大切なお客様です。お客様を侮辱する方を当社ではお客様としてお迎えすることができません。あなたさまの考え方や感じ方を否定するつもりはございませんが、LGBTの方々の生き方を真っ向から踏みにじるような言動はおやめください。
最高だね!
ぐうの音も出ないと思います。
客の、理不尽な怒りに対して「お客様は神様論」をかざしてくる人とかいるけど、本当そんなもん犬に食わせろですよ。理不尽な客なんて客じゃないだからいいんですよ、それで。僕自身、物販店やレストランをやってました。客商売は知っているつもりです。
こちらに非がある理由のある怒りにはもちろん対応します。謝りますし、こっち側も謝る理由があるから、それは接客のうちです。
ただ、理不尽な怒りやクレーム、こうした差別的な要望に関しては店もキレていい。
経験上、割と効果的なのは、こっちも「丁寧語でロジカルにキレまくる」です。この本部の室長さんも、見事に「丁寧語でロジカルにキレまくってます」。最高です。そして、何より素晴らしいのは、このクレームしてきた客とキチンと面と向き合って対話しているってこと。
これこそが客商売の本質なんです。
表面上「謝っておけばいい」とか見せかけの対応する奴が商売人としても人間としても最低。向こうに非があるなら。堂々とキレればいいんですよ。
ダメな事例をひとつ。この事例とは違うが、理不尽なクレームをつける客に対して悩む店員に、こういうアドバイスはだめ。
これに対してのアドバイスが↓
「謝るのも仕事の一部、キレる人は本当にかわいそうな人と感情労働でやり過ごす。そんな時代だと思って頑張ってみませんか」
一見、穏便な大人の対応を言っているように見えて、ものすごく冷たい、非人間的な行動をしろと言っているようなもんです。
時代なんて関係ないから。人と人との付き合いは本質的なものであり、何時代だろうと同じ。時代のせいなんかにしちゃいけないと思います。