ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

NewsPicksで2018年の未来を予測する智者100人に選ばれました!

NewsPicksの年末年始特集「2018年:100人が描く未来」の一人に選ばれ、寄稿させていただきました。非常に光栄です。

 

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しかも、石破茂さん、野田聖子さん、落合陽一さん、佐藤航陽さんなど錚々たるメンバーが居並ぶ中、100人のトップバッターとして登場しました。

これ何気にすごくないですか?

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ぜひご一読ください。newspicks.com

※とはいえ、これは有料会員登録が必要のようなので、一部書いたポイントをご紹介します。

 

「超ソロ社会」は絶望の未来ではない

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一番重要なのは3番目です。

「多様性」というものを「いろんな人がいるよね」と思っている人が多いですが、そうではなく「多様性」とは「自分の中の多様性を育てること」と考えてください。人は誰かと出会い交流することで、相対性として新たな自分の一面が自分自身の中に芽生えます。
つまり、人とつながることは、自分の中に「新しい自分」を生みだすことなのです。外的なつながりの拡充こそが、自己の内面の多様性を育むのです。
これからのコミュニティとは、安心や安定のための快適な居場所ではなく、人と知り合い、知的好奇心を満足させ、自己を活性化するためのフィールド(練習場)になっていくでしょう。
コミュニティを活用し、自分の中の多様性をいかにアップデートし続けられるかどうか。それこそが未来の個人化する社会を生き抜く「ソロで生きる力」の育成であり、精神的自立につながります。

これは拙著「超ソロ社会」にも書きましたが、唯一無二の「本当の自分」がいるってことを考えることが幻想なんです。

「本当の自分」とか「ありのままの自分」とかたった一人のわけがないんです。人の人格がたったひとつだと思うから、人を「好き/嫌い」の二者択一で判断してしまうんです。

ある人がいて、「ここの考え方は好きだけど、こういう言動は嫌い」でいいんです。だけど、たいていの人は「ここが嫌い」がひとつ見つかると全部嫌いになろうとしますね。「そんな人だとは思わなかった」とかいって。

そんな人…ってただひとつのポイントでその人の全人格を決められるわけがない。

翻って自分自身を見つめてください。いろんな考え方をする自分がいるはずなんです。Aさんに影響受けた自分、Bさんに刺激を受けた自分、Cさんみたいにはならないでおこうと感じた自分。人間だけではないです。書物や映画でも影響は受けるし、そうしたつながりの中で「自分の中の多様性が育てられている」はずなんです。

口では「多様性を認めよう」と言いながら、頑固に自分の考えだけにこだわり、ちっとも多様性を認めない人がいます。多分、彼は自分の中の多様性を育てられていないんです。自分のことを愛せない人が他者のことを愛せるはずがありません。同様に自己の多様性を育成できない人間が、他者の多様性を理解できるはずがありません。

「多様性を認めよう」ではなく「多様性を育てよう」なんです。

 

人口減少や非婚化は不可避です。だからと言って未来を絶望するのではなく、みんなが「自分の中の多様性を育てる」ことで、個人はもとより社会もまた変わるのではないかと思います。

興味がありましたら是非ご一読ください。

 

もしくは「超ソロ社会」を買ってください!

 

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50代未婚のおっさんが結婚詐欺で騙し取られた3000万円があれば、こんなことができる!

 “世界一の美女大国”――ウクライナ女性「結婚斡旋」に被害続出という記事を見た。

www.dailyshincho.jp

 

大阪に本部のある一般社団法人「日本ウクライナ結婚支援協会」を相手取り、東京地裁民事訴訟を起こしているのが、茨城県在住の自営業の男性(57)だ。訴状によれば、彼は一昨年2月に入会。2年間に亘り会費や諸経費等で3275万325円もの大金を払ったが協会に騙された、として代表を名乗る日本人男性(51)に返還を求めている。

要するに、ウクライナ美人女性を餌にした結婚詐欺です。

あ、まだ裁判されているわけじゃないので、これが詐欺かどうかは断定できません。騙されたっていうお客の男が訴えたということだけです。

まあ、でも、よくある話です。

サイトを見てみるとこんな感じ。

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成約事例とかも載っていますが…なんとも、いろんな意味でどうなの?これ。

 

 

信じるも信じないもあなた次第です。

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ところで、この男性は3275万円騙し取られたそうですが、3000万円もあれば日本でもモテただろうに、と思うんですよ。いやいや、それ以前にもっと有益なお金の使い道があっただろうに、とも思う。

というわけで3000万円あったら何ができたかを検証してみましょう。

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まずは車です。

ランボルギーニ・ムルシエラゴっていう舌を噛みそうなやつが買えます!

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これ乗ってた方がモテるんじゃないですか?

 

次は、家です。

とはいえ、このご時世3000万円では都内に家を買うのは難しいでしょう。でも熱海あたりならこんな素敵な別荘が買えます。2980万円也。

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次は体験です。

一生に一度は東京ドームでライブをやりたい!という方もいるでしょう(いねえか…)。

東京ドームでライブをやる時の費用は、コンサート開催時 1700万、
設営・撤去時利用 650万、その他施工関連(内容によるが)500万円として合計2850万円です。3000万円でなんとかできますね!

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名古屋ドームはもっと安いですよ。

 

ちなみに、老後に必要なお金は、2015年放送のNHKスペシャルによれば3000万円が最低必要だと言われています。

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仮に独身一人暮らしで月15万でやっていけるとすると、年間180万(12か月x15万円)です。10年(75歳まで)で1800万、20年(85歳まで)で3600万かかります。男の場合の2016年時点の平均寿命は80.98歳ですから、まあ81歳として16年分2880万円が必要ということになります。ほぼ3000万円です。

 

子育て費用はどうでしょう?こちらの記事を参考にしました。

未就園児4年間で337万円、保育所・幼稚園児2年間で243万円、小学生6年間で692万円、中学生3年間466万円となり、これらの合計は約1740万円。

さらに、高校は公立高校では123万円、私立高校では299万円程度。高校と大学の費用合わせると、公立高校・国立大学と進むと約365万円で私立高校、私立理系大学となると合計 820万円。公立と私立では結構違います。

合算すると大体、子育てで2420万円~2875万円かかります。これも3000万円で賄えます。

 

要は、3000万円あれば老後一人でも十分暮らせるし、子どもを大学まで一人育て上げることも可能なわけです。

 

使い道によってはそれだけ有益に使えるお金を、意味もなく詐欺で巻き上げられるなんてそりゃアホですわ。

「ギブ&ギブで行こうではありませんか?」と人に言う奴は胡散臭い。

ギブ&テイクではなくギブ&ギブで行こうではありませんか?

とかいう人いますよね?

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「俺はギブ&ギブでいく」と、そう思ったり行動することは個人の自由なので勝手にすればいいと思うんでいすが、「みなさん!テイクしちゃだめだすよ。ギブオンリーでいきましょうね。裏切りはなしですよー!」って人に呼び掛けるのは

違うだろ!

と思うわけですよ。

 

『人を動かす(こうすれば必ず人は動く,How to Win Friends and Influence People)』という本で、日本で430万部、世界で1500万部以上を売り上げたデール・カーネギーという作家の言葉があります。

幸福になりたければ、やれ恩を返せだの恩知らずだのと言わないで、人に尽くす喜びだけを生き甲斐にしようではないか

なるほど。

そうやって人を納得させたからこそ、1500万部も本が売れたのですね。

 

わかりますwww

 

 

この人はこんなことも言っています。

人生はまさにブーメランだ。人に与えたものは手元に返ってくる

 

ほら!

これこそ「情けは人のためならず」と一緒で、結局自分のためになるのだから人に親切にしたり恩を売りましょう、ってことなんですよ。

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これ自体は否定しないし、むしろ大賛成。

純粋な利他ではなく、自分のために、自分のメリットとして帰ってくるからこそ、人になんかしてあげるっていうのが人間として自然なことなんです。

「相手を選んだうえで、ギブ&ギブするけどまったく何も返す気のない
くれくれ根性の人には何も与える必要はない」と人がいるんだが、それってちっともギブ&ギブじゃなくて、むしろテイク&ギブなんですよ。そうした矛盾に気付いていないところが痛いと思う。

そもそも、ギブ&テイクでもギブ&ギブでもテイク&テイクでもいいんですが、この論はあくまで「自分主体論」なんですよね。

でも、自分主体でどう動こうが、それで相手がどう動くかはあまり関係ない。もっと言うと、自分が自分の意思で主体的に動いているようでいても、実は相手や環境によって無意識に動かされている場合も多々ある。洗脳とかそういうことです。それなのに、自分主体でどう動くかだけを考えているから噛み合わなくなるわけです。

「ギブ&ギブってすばらしい!」なんてすぐ共感しちゃう人は危険。だって、相手のために奉仕して尽くすだけの人なんて、詐欺師にとってはこの上ない獲物じゃないですか。

ギブするかどうかは当然相手にもよるんです。

つまりはすべては相対性だから。だとすると、無償のギブなんて実は存在しえないという結論に行きつくわけです。信用できる人にしかギブしないなら、それは最初に相手の信用をテイクしてんだから、テイク&ギブなんですよ。

こういうこと書くと、「親が子に対するのは無償の愛だ」とか噛みついてくる人いるんですが、そうじゃない親だっていますからね。虐待して殺してしまう親だっている。いろいろです。

ちなみに、ここでの論点は別に肉親の情という話ではなく、他人同士の関係性の中でどうするの?って話だと思うから、親子の絆とか言われるのは筋違い。

 

言いたいことは、「見返りを求めるギブは本当の意味のギブじゃないから価値がない」とか、とかく「無償の愛こそすべて」みたいなことを言っている偽善者が世界で一番嫌いですってことです。

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自分の損得のためだろうが、欲のためだろうが、見返りを求めようがなんだろうが、結果として相手や周りになんらかのメリットや喜びが提供できるなら、そっちの方がよっぽど価値があります。

 

要するに…

無償で済まそうってやつにロクなやつはいないんですよ!

人の時間や能力を借りるのであれば、相応の対価を払うのは当たり前だと思いますが、おかしいですか?

「男ならおごるのが当たり前だ」と主張しない女性が結婚している

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」#26公開しました。

toyokeizai.net

 

今回のテーマは、ネットでもよく話題になる「デートでは男がおごるのが当たり前か?」論争についてです。

女性は「男がおごるべき」とみんなが考えていると思いますか?

 

ソロもんラボによる2万人調査の結果、決してそうではないことがわかりました。むしろ「男がおごるべき」にとらわれているのは男の方なんです。

今回は30代のソロ女の座談会での生声をベースに、ソロもんラボの新キャラクター「ソロくん」と「もんちゃん」の漫画でお送りします。

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続きは本文でどうぞ!

toyokeizai.net

 

好評のようでしたら漫画のシリーズ化も検討しますので、ぜひ東洋経済の記事の方にたくさんの「いいね」をお願いします。作画された"くるくる天国"さんも喜ぶと思います。よろしくお願いします!

 

まあ、でもこの「デートでは男がおごるべき論争」はいつも男女ともに意見がかみ合わないものです。

かつてトイアンナさんが、サイゼや吉野家にデートに誘われたら即効切るというツイートをして話題になりました。

 

フォロワーの多いこういう方のこういう意見が女性の大多数だと思うのは間違いです。別にトイアンナさんの価値観は否定しないし、こういう女性数多く見てきたし、「ご自由にどうぞ」なんですが、調査すると「絶対に男におごられたくない」という女性や「チェーンの居酒屋だろうがファミレスだろうが全然問題ない」という女性もいます。

どっちが正しいという問題じゃないんです。むしろ噛み合わなくて当然くらいに思っておけばいい。

ただし、そもそも素朴な疑問なんですが、「誰と行くか」が重要であって、「どこに行くか」とか「何を食べるか」ってそんなに重要なんですかね?高級なフランス料理が食べたいなら女子会でもいいのでは?自分で金を払いたくないというだけなら、そもそもそれってただ飯狙いでしかないからデートですらないとも思う。

案の定、ヤフーの記事のコメントは340件以上もきました。ほとんどが「おごり」「おごられ」についての反応です。

 

たとえば、こんなコメント。

わかってないね。
意識と感情が一致しないのは女性も同じ。座談会のような場で意見として割り勘を主張しても、それは彼女の「意識」。いざ実際に割り勘にされると胸の奥から急にモヤモヤした「感情」が湧き出てしまう。これが女心の難しいところです。それがわかっている男は「絶対に割り勘にしてください」と言われても絶対に真に受けない。女は「私は本当に払いたいんだけれど彼が払わせてくれないの♪」で満足。これで一見落着。

なかなかのポジティブ思考で素敵です。感情と意識が本音と建前のように違うというのもその通りでしょう。

しかし、この男性はそそもそもデート時に女性の方が「絶対に割り勘にしてください」という本質をご理解されているんでしょうか?「お前なんかにおごられて借りを作りたくないんだよ(2度と会うつもりないからな)」と考えているとは露も疑わない純粋な人なんでしょう。仮にこの方のいうように無理やりおごったとしても、それはそれとして、彼女はおごってもらったことすらすぐ忘れています。

 

こんなコメントもきました。

私も旦那と結婚するまでは割り勘派だったなー。
ラブホ代すら。。^^;
たぶん別れる時にこちら側がアッサリサッパリ別れたかったからだと思う。
化粧代や服代とか言う人いるけど、化粧や服ってあくまで自分好みで自己満の世界だし、男子も車出してくれたり送ってくれたりあるしね。ちなみに奢ってくれると分かってる人とゴハンする時は、その人が一人暮らしなら美味しいパン、実家暮らしなら母受け姉妹受けしそうなお菓子を「おもたせ」的な感じで用意してデートに行ってた。勘がハズレて奢ってくれなかった時は持って帰って自分で食べた。笑

いいですね。ほっこりします。

この方は既婚者です。こういう性格の方だから結婚できたとまで断言しませんが、「お互い様」という意識や「思いやり」意識があるかないかは重要です。

 

そんな中、とても主旨を理解してくれているコメントもきました。

コメント欄は奢りと割り勘の話で一杯ですが、記事の主旨は「男らしさ規範」が男性を息苦しくさせている、と言う事ですよね。男性が女性より上位であろうと無理をする必要はなく、男女が対等に相手を思いやる関係を築けば、お付き合いや結婚はもっと身近で手が届くものになる、ということですね。

その通りです。わかっていただきありがとうございます。でもいいんです、こうやってコメントが賑わうということ自体が、「問いとしての記事」の価値があるという証明ですから。

 

 

よくよくわかったのは、この「おごり」vs「おごられ」論争でわかるのは、それぞれの「他人に対する思いやり意識」の有無だったということ。

 

そのほかにも、今回突っ込みどころのあるコメント多いので、この「おごり」「おごられ」論争についてまた書くかもしれません。

ノージタバタ ノーライフ!

プレジデントオンラインにあった以下の記事を読んだ。

大阿闍梨が勧める"不幸を遠ざける生き方"
"しょうがない精神"が心を強くする

president.jp

 

このお坊さんは、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)さん。慈眼寺のご住職で大阿闍梨(あじゃり/サンスクリットで「軌範」を意味し、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のこと)というとてもとても偉い人らしいです。

プロフィールを見ると、99年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行したとかで、よくわかりませんがすごい人らしいです。

 

不安や心配、不平不満といった心の動きは、自分の外側からもたらされることに対する反応です。外的環境は、自分ではコントロールすることができません。そんな人生の「どうにもならなさ」を、どうにかしようと思わないことが実は意外と重要です。自分の思いどおりにならないことに対して、どうにかしたいと思う心のとらわれを今すぐ手放しましょう。

なるほど。どうにもならないことをどうにかしようとすることが間違いだと。

それはわかります。その通りです。

 

実は人生の「幸せ」や「不幸」というのはすべて自分の心の持ち方次第で決まるものなのです。

まあ、そうだよね。

 

そして最後に日々継続したい4つの心として以下をあげています。

嫌なことはさっぱり忘れる。
取り越し苦労はしない。
置かれた状況を受け入れてベストを尽くす。
そして、結果がどうあっても、それをいつまでも心に残さない。

 

(´・ω・`)

 

 

まあ、その通りだけどさ、それができたら苦労はしないよね。

 

人間だもの!

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嫌なことがあればイライラするし、なかなか頭の中から離れてくれないし、ふと突然思い出してはまたイライラするし…。

あーでもない、こーでもないって心配することだってあるし、むしろ、何も心配しないで突き進むと大けがすることだってあるし…。

置かれた状況を受け入れるっていうけれど、そもそもスタートラインからして公平じゃないことなんて世の中にはたくさんあるし…。

結果がどうあっても…っていうけど、どんな結果でも関係ないっていうんならそれって…

生きてるって言えるの?

 

「ありのままを受け入れる」とかいえば良さげな言葉に聞こえるけどさ、それって本当に楽しいの?

 

だったら、生きるって何さ?

 

生きるって、人生の瞬間瞬間に感情を生み出すことじゃないの?

 

すべてを「しょうがない」で片づけてしまわれたらそれこそ「しょうがない」のでは?

生きていれば、いろいろ「しょうがなくない」こともたくさんあって、そうした時にジタバタしてしまうのも泣き叫ぶことだって生きている証だし、結果それによって心を強くすることもある。何よりそうやってジタバタした方が人生を面白くするんじゃないのかな?

 

ノージタバタ ノーライフ!

 

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ペリー来航だけで幕府が開国したわけじゃない「知られざる物語」

学校で学ぶ歴史って本当の話じゃなかったり、はしょられているから事実関係が曖昧になったりしますね。

「幕末、黒船がやってきて日本が大騒ぎになる」というシーンは、僕たちは今までテレビや映画などで何回も見たからそれが事実だと勘違いしてしまう。案外、中学くらいまでの社会科の先生でさえそれが真実だと信じている人多いかもしれませんね。

朝日新聞デジタルに以下のような記事があがって、ちょっと話題になりました。

「黒船」という言葉には、日本人が初めて見た蒸気軍艦への恐れと強い関心が伝わってくる。日本を開国させた歴史的事件として 語られる米国ペリー艦隊の来航。だが、知られていない事実も数ある。1853年7月、ペリー艦隊が姿を現した江戸湾では、 黒煙を吐いて走る異国船をひと目みようと、「黒船」見物ブームが起きたという。艦隊は突然やってきたと多くの人が受け取ったが、実は幕府は1年前に来航を予告されていた。 (2016/11/6 朝日新聞デジタル

そうです。これは事実。幕府は黒船が来ることを前もって知っていました。

チクったのはこいつ。長崎出島のオランダ商館長のヤン・ドンケル・クルティウス

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アメリカが来る、しかも砲艦外交(軍事力の威嚇的な行使を背景として圧力をかけながらも外交交渉で合法的に政治的目的を達成しようとするという強制外交)で来るってんで、ヤンさん焦った。先に日本とオランダとで通商条約を締結して開国すべきと提案したんですけど、それは拒否されるんですね。結局、ペリーが来て日米和親条約を結んだあとに「おれも、おれも」と言って条約を締結するわけです。

だとしても、ペリーが来て開国したのは間違いないんだから、「来ることを知っていた」くらい些細なことじゃない?そう思いますか?

いやいや、なぜペリーが来た時に日本が折れたのか?はそれまでに至る経緯を知らないといけないんですよ。黒船に腰を抜かして条約締結するほど幕府の人たちはアホじゃありません。

そもそも、ペリーが日本に来た最初のアメリカ人ではないんですよ。

 

その前にアメリカ人は何人も何回も日本を訪れています。ペリーが浦賀に来たのは1853年ですが、1797年にアメリカ船がオランダ国旗を掲げて(アメリカだと入れないから)出島に来航、そこで貿易を開始しています。しかも、1809年(文化6年)までに13回も。

 

そして、一番重要なのは、ペリーが来航以前にロシアがやってきて、ペリーと同じような要求をし、そして戦争になりかけた事実があることはあまり知られていません。

鎌倉時代にモンゴルが攻めてきたことを「元寇」といいますね?この時期ロシアによって日本も襲撃されていて、それを「露寇事件」といいます。

 

1792年(ペリー来航の60年以上も前!) ロシアのラクスマン根室に来航。通商を求める。

ラクスマン「ねえねえ、僕、江戸に行きたいんだけど」

当時の幕府の老中は松平定信寛政の改革真っ最中。そして当然困惑します。

「やべーどうするよ」

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結局、定信はラクスマンの通商要求を拒絶するんですね。その代わりに、長崎への入港許可証付与します。要は、時間稼ぎみたいなもんです。当然、ラクスマンは怒るかと思いきや、満足して帰国しちゃいます。

ひれには定信もびっくり。

定信「え?マジ?帰ったの?ラッキー!改革続けようっと!」。

しかし、そんな喜びもつかの間、翌年1793年 松平定信は失脚してしまいます。

 

そして1804年 その入港許可証持って、ロシアのレザノフというやつが長崎へ来航します。

レザノフ「約束通り、通商しに来たよ(わくわく)」

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しかし、幕府はここでも半年もぐじぐじと返事しません。レザノフはほぼ拘束状態です。最終的に、通商拒絶とレザノフたちに国外退去を命じるんです。強気です。

しかし、レザノフはラクスマンと違い、激怒します。

レザノフ「話が違うじゃん!お仕置きだ!」

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報復を決意したレザノフは、1806年 ロシア軍艦に指示を出し、樺太を襲撃します。これが、文化露寇事件というやつです。

続いて翌1807年 ロシア軍艦、択捉島も襲撃します。日本の守備隊はただ敗走するのみ。

その報せは江戸にも届きます。幕府は当然うろたえます。当時読まれた歌があります。

蝦夷の浦に 打出でてみれば うろたへの 武士のたわけの わけもしれつつ」

有名な「田子の浦に」の歌のパロディですね。

 

しかし、当時の幕府はまだまだ力も意地もありました。即効でロシア船打払令を出すんですね。次、ロシア船が来たらやってしまいなさいという命令です。

「マジ、戦争だ!」

 

幕府は本気でした。幕府の命令で、津軽、南部、秋田、庄内藩の兵3000名が蝦夷地に派遣されます。次、ロシア軍艦が襲撃してきたら、本当に日露戦争が起きていたはずです。

しかし、その頃、幕府の知らないところで、レザノフ、勝手に病死してた。同時に、襲撃したロシア兵は、ロシア皇帝によって投獄されてた。

「お前ら勝手なことすんな」と。ロシアもただの無法者ではなかった。

そんなことで、もう、いくら待ってもロシア軍艦は来ないんです。でも、そんなこと知らない幕府は来ない敵をずっと待ってた。

そうこうするうちに、悲劇が起きます。津軽藩士殉難事件といわれます。警備の津軽藩の兵たちが厳しい寒さの冬を越えせず死亡してしまうんですね。可哀想に。

明治の日露戦争前にも八甲田山で対ロシア戦に備えた雪中行軍をやって多くの兵隊が死にましたが、あれと同じようなことがすでに起きていたんです。高倉健主演で「八甲田山」という映画にもなっています。

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この映画は名作なのでぜひご覧になってください。

 

江戸時代に戻ります。

そんな事件があっても警備は解除されません。津軽藩だけじやありません。他藩も疲弊します。そりゃあ辛いです。いくら待ったって敵なんか来ないのに、寒いところで耐え忍ぶんですから。

1808年 たまりかねた松前奉行が幕府に上申します。

「もう、つらいっす。やめていいすか?」

これ普通に書いてますけど、今でいえば、青森の市役所の課長さんが直接総理大臣に直訴するようなもので、当時の幕藩体制からいったらあり得ないことなんです。

幕府も簡単に許します。「好きにしてよし」

まあその後1811年にロシア人ゴローニン捕縛事件があったりもしたので、警備自体は続いていたようですが…。

その後ペリーが1853年に浦賀に来るまでに、1808年にはフェートン号事件、1824年の大津浜事件宝島事件が起きイギリスと揉めます。遂には、1825年には異国船打払令が出さるんですが、1837年に起きたアメリカ船を砲撃してしまったモリソン号事件をきっかけに異国船打払令は廃止されることになります。なぜなら、モリソン号は日本人の遭難者を日本に送り届けるために来た船だとわかったから。人道的に「異国船打払令ってどうなの?」と思ったわけでしょう。かわりに遭難した船に限り補給を認めるという薪水給与令を出してます。

当時の幕府は老中阿部正弘政権でしたが、それでも外国船の出没が頻繁になったために、打払令の復活の可否も議論されていました。結局、沿岸警備の不十分さを理由に、打払令の復活はなしと決めます。あきらめちゃったわけです。

そんなときにオランダから「来年アメリカが脅しにくるよ」と伝えられてのペリー来航なんです。

いきなりじゃなくて、こういうたくさんの経路を踏んだうえでのペリー来航なので、幕府の本音としては「もう開国しないとおさまらないかもね」と思っていたと思うんですよ。

 

そんな事実を知った上で、改めて「黒船来航」という事実を見ると違った歴史の一面が見えてきたりしませんか?

 

 

 

 

正しいと思っていた歴史の真実「ちょっと違うよ」シリーズ

 

特攻は拒否できなかったはウソ

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大坂夏の陣真田幸村だけが無双だったというのはウソ

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未来を作る奇跡のコミュニティの形

先週末京都に行きました。

打ち合わせなどいろいろ用事はありましたが、メインはNewsPicksのオフ会に参加するためです。といっても非公式なオフ会なんですが、参加者がなんと140人という大規模なもの。

会場は京都ロイヤルホテル&スパ。

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NPでおなじみの牧野正幸さんの講演や、佐山展生さんとムーギーキムさんのトークセッションもありという、もはやオフ会とはいえないレベルの立派な内容です。

ムーギーキムさんの話術は超絶勉強になった。いや、僕自身プレゼンや講演は結構やっているのでトークには自信ありましたが、まだまだ修行が必要です。

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また、普段コメント上でしか知らない方と直接交流とお話しすることができて楽しかったです。「いつもコメント見てます」とか言ってくれた人もいて、うれしいもんです。


4次会まで行きました…汗。
へろへろです。


京都のオフ会はこれで3回目?ということで定番化しているようですし、東京、札幌、名古屋、新潟など各地でたくさん開催されているようですね。


こういったオンラインでのつながりが、オフ会を通じて「温もりのあるつながり」に昇華していくのはとっても大切なこと。

 

みんな普通に暮らしていたら一生会えなかったかもしれない人たちです。

 

年齢も職業もバラバラだし、学歴も育ってきた環境も違います。だから、考え方や価値観もそれぞれ違うでしょう。ですが、NPという場でコメントやいいねで交流をしているという一点だけで、そういった垣根を一瞬にしてなくしてしまう力があります。それこそが従来のコミュニティとは違う新しいつながりの形なんだと思います。

キンコン西野さんの作った「おとぎ町」というコミュニティもそうですが、さっきまで赤の他人だった者同士が、瞬時に打ち解けられるというのはある意味奇跡のコミュニティだと思います。

それからおとぎ町もそうですが、NPのオフ会もぼっち参加の方が多かった。それでいいんです。ぼっちで参加しても友達になって帰れる場所。それが奇跡のコミュニティたる由縁です。

 

ちなみに、従来のコミュニティとは、地域・家族・職場による共同体でした。地の縁、血の縁、職の縁によって作られたコミュニティ自体、人々の安定と安心を約束してくれたものでした。しかし、社会学者バウマンは、それらは溶けてなくなると言います。

 

地域・職場はともかく家族はなくならないだろう?

甘いです。

 

もちろん家族という単位自体はなくならないでしょう。しかし、家族の単位がどんどん縮小され、子の数も減れば、一単位としては弱いものになっていきます。かつては大家族だったり、地域の結びつきがそれをサポートしてくれたり、戦後日本の高度経済成長期は会社がある意味「家族」のような役割を果たしてくれました。

 

でもそんな時代は過ぎ去りました。

家族が家族だけを頼りにしていては立ち行かなくなるんです。

ちなみに、安倍政権は憲法の条文を改正してまで、「家族のことは家族の自己責任」にしたがっていますが、あれはとんでもないことです。一部の高所得夫婦による家族は別にそれでもいいでしょうけどね。家族の大半は世帯年収300-400万で切り盛りしている人たちてです。その所得で子ども1~2人を育て上げているんです。無理じゃないけど大変です。

独身税だとか子無し税だとか、やたらと批判にさらされる独身者や子無し夫婦ですが、そういった人たちと家族が分断してしまってはいけない。

ご近所付き合いだけじゃなく、職場の仲間だけじゃなく、もって広い範囲でゆるいつながりの拡充が必要になります。個人個人で。

米国の社会学者マーク・グラノヴェッターは弱い紐帯の強さ」を提言しています。

弱い紐帯の強み」とは、社会的つながりが緊密な人より、弱い社会的つながりを持つ人のほうが、有益で新規性の高い情報をもたらしてくれる可能性が高い。

弱い紐帯」に対する「強い紐帯」とは、従来の家族や職場という強い絆のコミュニティのことです。それ自体を否定しませんが、「弱い紐帯」は従来の強い絆を結び付ける役割を果たし、結果自分自身や自分の家族にもメリットをもたらすことになるのです。

これからのコミュニティとは、安心や安定のための居場所ではなく、自己を活性化するためのフィールドになっていくのだと考えます。コミュニティを活用し、自分の中の多様性をいかに活性化できるか。それこそが未来にとっての個人の力になると考えています。手前味噌ですが、それは拙著「超ソロ社会」で提言して「人とつながることで自立をする=ソロで生きる力」と通じるものがあります。

絆が強くなくていいんです。しょっちゅう会える間柄でなくてもいいんです。こうした、ゆるくつながる形がどんどん広がっていけばいいと思います。

 

※一筆書きなので後で見なおして加筆修正するかもしれません…



あと、せっかく紅葉の時期に京都に来たので、南禅寺永観堂、東寺などの紅葉も楽しみました!さすが京都の紅葉はやばい。道理で普段5000円のビジネスホテルが250000円にも高騰するわけです。

東寺↓

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