いつまでも若い子が好きなおっさんという生き物
日経COMEMOで記事を書いているKOL(キー・オピニオン・リーダー)の中で、ダントツに人気のある荒川です。アクセス数が毎回他の方とはケタ違いです。ありがとうございます。
4月は、みなさんがあまりご存じない、いろんなデータをご紹介していこうかと思います。1回目は「結婚相手に希望する年齢差」について。
出生動向調査のふたつのデータをクロス集計して独自に出したオリジナルデータです。
40過ぎても未婚のままのおじさんは、「いつまでも若い子を追いかけているからだ」とも言われたりします。
果たして、本当でしょうか?
ぜひご一読ください。
記事を読めばおわかりの通り、実際結婚しているのはほぼ同年齢が多いのに、結婚希望年齢では微妙に食い違いがあります。これは、食い違っていた人たちが妥協せず、未婚のままというパターンが多いんじゃないかと。
まあ、別に年齢差だけで結婚が決まるわけではないですが、こうしたデータを深堀りしていくと、見えてこなかった未婚や非婚の課題も出てきたりします。
以前、東洋経済オンラインの連載でも、40代のおっさんの若い子好きについては書きました。こちらもおもしろいです。合わせてお読みいただけるとうれしいです。
結婚したい男子諸君。高校時代に勉強を頑張らないと、できないかもよ
こんなツイートを見た。
「学力が高くて金持ちになる自分ら」と公の場で堂々と自称した東大生がいたという話、3年前のことらしいがそれなら「学生証を見せて女の子をナンパする東大生男子」なるものが近年出現していると聞くのも納得ではある
— TJO (@TJO_datasci) 2018年4月5日
その昔、昭和時代は、東大生といえば、牛乳瓶の底メガネをかけたガリ勉タイプの男子がイメージされており、キモオタと並んで「ザ・モテない男」の左大臣右大臣なかんじでした(まあ、今でもさんまの番組とかでは、そういう東大生をあえてピックアップしてイメージを保持していますが)。
ところが、最近では随分とイケメンというか、身なりに気を使う東大生も多いらしく、モテないってことはないようですね。←人による。
このツイートで言っているのは、東大生は将来国家キャリアだったり、いい企業に就職する確率が高いから、「女たちよ、おれたち有望だぜ」と言ってナンパしてるってことなんだけども…。
東大生よ、さすがだわ。それは正しい!
基本的に女は「上方婚志向」で、自分より学歴や収入が高い男を結婚相手として選びたがります。結婚相手ね。恋愛相手ではないよ。
女性がそういう志向なのは当たり前。以前、こちらの記事にも書きましたが、結婚とは経済生活であって「愛とかそんなもんは二の次」なんです。「結婚は愛だよね」なんて言ってるのは大体男の方が多い。メルヘン脳なのは男の方。
とはいえ、別に東大生だからとか、頭がいいから、すべてが高収入の将来が約束されているわけじゃない。
それはその通りです。
高卒だって、起業して年間何億も稼ぐ人になった人もたくさんいる。頭の良さとか、勉強の出来が将来の年収を決めるわけじゃない! そう言いたい気持ちもわかります。
では、こんな調査を引っ張り出して検討してみました。
独立行政法人の国立青少年教育振興機構ところが継続的に実施している「青少年の体験活動等に関する実態調査 」というのがあります。それの平成24年度版から、高校2年(N5211)を抽出して、「勉強が得意」と「自分が好き」のクロス集計を出してみました。
まずは実数分布。
まあ、そうでしょうねえ。勉強得意じゃない高校生が多すぎのようにも見えますが、みなさんもそんなもんだったのではないですか?
続いて、これを実数ではなく構成比で見てみましょう。
おもしろいです。
圧倒的に「勉強が得意」な方が「自分が好き」=自己肯定感が高いという結果が出ました。この自己肯定感が高いって、進学就職だけじゃなく結婚に対しても有効で、ほぼ未婚者より既婚者の方が自己肯定感が高いのです。
続いて、さっきのクロス集計の実数グラフと2012年就業構造基本調査20-50代男性有業者の年収分布を合体して作ったグラフがこれです。
素晴らしいほどに、「勉強が得意」という数と20-50代男性の年収分布が一致しているではありませんか。
これが日本の働く男たちの現実なのかもしれません。勉強が得意な奴が高収入になる。そういう相関のある社会なんです。婚活女子がこのデータを知っていたとは思えませんが、学歴と将来の収入は関係があるんです。高学歴を選ぶ女子は賢かったんですね。
お金を稼ぎたいなら、とりあえず勉強頑張りましょう、高校生諸君。そして、結婚したい男も、勉強頑張った方がいいかもしれません。
※このグラフはあくまで疑似相関があるだけで因果はありません。勉強が得意じゃないからといって、低収入が決定していることを意味しません。あしからず。
ソロ社会だった江戸の市場と経済活動話には、未来のコミュニティに通ずるヒントがある
リアルな僕と親交のある方なら、薄々感付いていらっしゃると思いますが、僕は極度の歴史オタです。その辺の歴史学者レベルに負けないくらいの蔵書と知識持っていると自負しています。但し、中世だけは弱いです。古代と戦国時代以降太平洋戦争まで。
世の中の頭の固いオヤジたちは、学者じゃなければ信用できないとかいう奴もいるんですが、いつまで肩書とかに支配されてんだ?って思う。歴史は原著あっての話であり、学者だろうが素人だろうが知識があれば語れるものですからね。
極論すれば…どんだけ深堀りするかは個人のこだわりでしかなくって
オタが学者を凌駕する場合もある。
というわけで、本日公開した東洋経済オンライン連載の31回目は、「江戸時代にもあったソロ社会」について書きました。
男余り現象、それゆえの食文化・食サービスの充実化、単身世帯が多いがゆえのシェア経済、アイドルやコスプレ文化に至るまで、実に現代と共通点の多い江戸の市場について書きました。
今回もものすごく読まれています。ぜひご一読ください。
何よりうれしかったのはも今回堀江貴文さんがこんなツイートをしてくれとこと。
こういうのも漫画にしたいなー
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2018年4月1日
独身が5割超、江戸男子に学ぶシングルライフ (東洋経済オンライン) - https://t.co/6Wxzw6kEOL
ぜひ漫画化してほしいですね~。
まさに「ソロモンの江戸」ですよ。
原作者じゃなくても、ネタ提供者としてでも活躍できると思います。
今回書いたネタ以外に、山ほどネタは収集しています。今回のみなさんの反応を見ると、確実にウケると思います。武士とか政治の話より、「今と変わらない人々の生活」の方がインパクトありますからね。あと東洋経済には載せられなかったセックス系の話もとてもたくさんある。忘れちゃいけないのは「男色」の話や「男芸者」の話です。
というか、実は江戸時代をベースにした「個人化社会の経済」の本について出したいんですよね。どこか話を聞いてくれないかな?
テクノロジーが急速に進化する今を明治維新になぞらえる人が多いんですが、僕からすれば全然違っていて、むしろ江戸中期に今がそっくりなんですよね。
特に、江戸のマーケットと経済は、個人化する社会、リキッド社会と言われている現在にものすごく通じるところがあります。さらに、恋愛や結婚もすべて経済活動と結びついている部分があり、とってもおもしろいと思います。
意外に思うかもしれませんが、江戸期以前までの日本人は、徹底的な損得主義とゆるやかな個人主義で成り立っています。ここでいう個人主義は西欧の個人主義とは若干ニュアンス違うのですが、みなさんが想像しているような「日本人はすべて集団主義だった」というのは幻想だというのがいろんな史料から読み取れます。
そして、僕個人は、江戸期の庶民の文化の中にこそ、未来のコミュニティ作りのヒントが隠されていると考えるに至り、今そこを深堀りしています。
興味がある方が多数いらっしゃったら、FBのメッセで直接ご連絡ください。ま、来なくても自分で売り込みますが。
ちなみに、本文の補足でいうと、江戸の初期の握り寿司と現在の寿司の大きさを比べるとこんな感じです。
ご覧のとおり、おにぎりサイズ。一個で十分な大きさなんですよ。
江戸のアイドル鍵屋のお仙のもう一枚の錦絵がこれです。
左側で男に手を引っ張られているのがお仙だと思うんですが、こういうのを見ると、のちの水茶屋(性サービスあり)の匂いも感じられて、本文ではウエイトレスという言い方しましたけど、限りなくキャバ嬢に近かったのかもしれません。
それから、歌川広重の「東都名所 高輪二十六夜 待遊興之図」はこれです。
左下の方にご注目ください。江戸時代のコスプレヤーが確認できます。
見づらいので拡大しますね。
全身タコのコスプレしてます。
もっとすごいのが「蝶々踊り図屏風」のみなさんです。これについては僕が去年のハロウィンの時にツイートしたんですが、1万以上のRT頂きました。
こちらです。
本日ハロウィン。渋谷は凄いことになっているんでしょうか?実は、こんなの江戸時代からあった。天保十年-1840年、京都で大流行した仮装踊りを表した『蝶々踊図屏風』にも、タコやすっぽん、なまずのコスプレをして踊る人達が描かれています。今の渋谷のスクランブル交差点と変わらんがな。 pic.twitter.com/FlXM8s1fhH
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) 2017年10月31日
クオリティ高すぎですwww
ちなみに、note上でも「知っているようで知らない歴史シリーズ」を気の向いた時に書いていたりします。こんなの↓wildriverpeace.hatenablog.jp
結婚とは共同体を維持するために、共同体がお膳立てしてくれたもの
よく取材で受ける質問にこんなのがあります。
「最近の未婚化の原因をひとつあげるとしたらなんですか?」
ひとつ?
そりゃあ文字数や時間の制限とかあるのでしょうから事情はわかるんだけど、未婚化の原因を一言で語るのは無理です。いろんな要因が複層的に絡み合っているものですから。
しかし、あえて言うとするなら、コレです。
社会的マッチングシステムの消滅。
つまり「見合い結婚」と「職場結婚」の大減少です。
ソースが脳内のエッセイを書いているわけじゃないので、納得のエビデンス付きです。ぜひご一読ください。
この記事単体ではなく、ぜひ末尾につけた過去記事ともあわせてお読みいただけるとうれしいです。
特に、おっさんとかに多いんですが、とにかく自分は何も調べてもいないくせに、新聞やテレビなどの表層的なニュースだけに影響されて「未婚化けしからん! 」「若い男の草食化はだらしない! 」とかいう人、いい加減事実というものを正確に把握する努力をした方がいいです。無知は恥です。
未婚化について、非正規雇用の増加と若者の貧困化が最大の要因だという人も相変わらず多いですね。それ自体間違ってはいないですが、皆婚時代には決して裕福ではない若者同士が結婚していたわけです。金があったから、裕福だから結婚したわけではなく、むしろ逆。若いうちは貧困だからこそ結婚する必要があったんですよ。
「一人口は食えねど二人口なら食える」
そんな言葉があるように、特にに食費などはは一人より二人、二人より三人で暮らした方が安上がりになるわけです。
「金がないから結婚できない」人もいるでしょう。しかし、だからといって「金があれば結婚できるか?」という話です。
結論からいうと…「できない」。
結婚するしないというのは、実は個人の意思のレベルではないんですよ。すべては社会システムの中で回っていくもの。かつて、若者が貧乏だったのに結婚できたのは、今は貧乏でも終身雇用を約束された会社があったからです。安心を会社という共同体が保障してくれたんです。お見合い結婚が盛んだった農村部は会社の代替を地域の村が保障した。
強固な共同体の保障があればこそ、みんな安心して結婚したんですよ。しかも相手も用意してくれる至れり尽くせりの周到ぶり。
いうなれば、結婚とは、共同体維持装置でもあっわけで、結婚してくれないと共同体が困るわけです。だからお見合いだのおせっかいおばさんだのが活躍した。
共同体を維持するための共同体によるお膳立て、それが結婚です。
決して個人の努力とか魅力とかじゃねえんですよ、旦那。
今はどうです?ええ?
たとえ、いまこの瞬間年収が高くても10年後も稼げる保障はない。今正規社員でもずっとそうだとは限らない。正規だろうが非正規だろうが不安だらけなんです。不安は人から行動する気持ちを奪います。
つまり「金がないから結婚できない」のではなく「安心がないから結婚できない」んです。
僕が言う社会的お膳立てシステムの復活というのは、決してお見合いや職場結婚の復活ではない。それに代わる、社会としての安心を提供する仕組みなんですよ。
未婚問題について、こういう視点の人は残念ながら学者とかにはほとんどいない。けど、リアルにビジネスをしている現場からすると、そういう方向にシフトしていくのは間違いないです。
その詳細は次回、本に書きます!
いや~それにしても、日経コラムの連載。2か月間で怒涛の10回連載。文字にして3万字以上です。書籍なら3分の1を書いたようなもんです。
つか、どこかの出版社、これ書籍化してくんないかな?
別にこれ日経さんの著作権なにひとつないので。数字でも出ていますが、僕の記事だけが桁違いに読まれていますよ! よろしくお願いします!
「ソロ社会をどう生きるか?」日本の行く末を世界が注目している。
歴史人口学者の鬼頭宏さん(現静岡県立大学学長)との対談記事・後編です。
鬼頭先生から、とても興味深いデータをたくさん提示していただきました。
たとえば「江戸時代の出産は命がけだった」
忘れてしまいがちだけど、昔はこんなに医療が発達していたわけではなく、当然出産だって自分たちでなんとかしないといけなかった。だから、現代なら帝王切開とかで助かった命も簡単に亡くなっていたりする。女性にとって、子どもを産むということは命がけだったことがわかります。
他には、「江戸時代からアラフォー女子は再婚が厳しかった! 」など…。年齢別の再婚率を見ると、今とすごく似ている感じがします。
そして、特におもしろかったのがコレ!
縄文時代からの補遺金寿命と出生数の相関図です。
女性が長寿になればなるほど、一人当たりのお母さんが産む子どもの数が減るんです。見事な相関関係です!
少子化や人口減少についても鬼頭先生の言葉を多くの人にかみしめてもらいたいものです。
鬼頭:政府や自治体は出生率を上げて人口が9000万人くらいを維持できるようにしよう、と言っています。私が問題だと思うのは、そのときにどんな社会になっているかということについてはまったく触れられていないことです。長寿になった後どうやって快適に、豊かに過ごせるかということと、地方の人口減少をどう食い止められるかということで躍起になっていて、どんなコミュニティを形成し、どういう風に人生を送り、どんな社会にしていきたいかという議論がなされていない。今必要なのはそこだと思うんです。
さらには、僕の方では、最近新聞やテレビで特に取材されることが多い「孤独」についても語っています。
荒川 孤独の問題に関しても、孤独が即悪いわけではなく、むしろ物理的に孤独な状態であったとしても社会的に孤立しない仕組みを整えるべきであって、それは決して無理やり集団生活を強制する話ではないと思うんです。単身世帯が4割だとしてもそれぞれが孤立していない社会こそ未来のあるべき姿なんじゃないかと。そのためにも、みんなが意識を変えていかないといけない気がしますね。
日本の課題は、日本だけの課題ではない。中国も韓国も台湾も東アジア諸国にとっては「間近に迫った危機」だし、ヨーロッパの国々も実は注目しているんです。だからこそ、有名作家でない僕が書いた本が全世界的にニュースになるんです。
ぜひご一読ください。
前編はコチラです。
下野新聞「未来予想図」にインタビュー出ました!
栃木県の下野新聞〈3/19付〉の特集「未来予想図」に「2035年半数ソロ社会」というタイトルでインタビュー記事が掲載されていました。
見開き全面使った特集です!
「ソロで生きる力とは、人とつながる力である」ということを語っています。
僕の地元の新聞なので、故郷に錦を飾れてよかったです!
対抗面には、以前NHKの「ニュース深読み」で共演させていただいたみずほ情報総研の藤森さんとご一緒です。
ソロ社会といっても絶望の未来なんかじゃない。人生100年時代、個人化する社会は不可避であって、むしろ結婚した人たちのこそ「いつかはソロに戻る」という意識を意識していくべきだと思います。
ぜひご一読いただければと思います。
…といっても、栃木県にお住まいでもなければ下野新聞なんて手に取ることもできないでしょうから、以下、私のインタビュー部分を全文公開します。
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2035年に人口の半分が「ソロ(独り)」になる要因には、未婚率の上昇に加え離婚の増加、結婚しても子どもを持たない夫婦が増えていくことがある。
独身者の増加は個人の資質の問題ではなく、社会環境の変化によると考えている。昔の見合い結婚や職場結婚は、ある意味結婚への社会的な「お膳立て」システムだった。お膳立てがなくなれば、個人の努力と関係なく、結婚しない人や離婚してそのままの人といった独身者が増えるのは当然の帰結だろう。
給料は安く1人で生きていくのが精いっぱいで、妻子を養えないといった非正規労働者など、結婚したくてもできない男性は、一定数いる。一方で結婚にメリットがない、とする女性もいる。仕事にやりがいを感じ、経済的に自立している女性は結婚する必要性を感じない場合も多い。女性が生きる手段として結婚していた昔とは事情が変わっている。
低所得の男性と高所得の女性の未婚率が高いのはまさにそうした状況を反映しているものだ。
こうして進む人口減少を危機的に語る向きもあるが、異常だったのはこれまでの急激な増え方であって、人口減は自然な流れ。私たちは、これを受け入れた上で、何をすべきか考えるべきだ。
忘れてはいけないことは、結婚したとしても、離別や死別によって誰もがソロに戻ること。地域・家族・職場といったコミュニティーが消えゆく未来、拠り所となるのは人とのつながり、ネットワークである。それをそれぞれ個人がつくっていかなくてはならない。もちろんすべて個人の自己責任には押し付けられないだろう。一人暮らしでも人とつながれるような行政やテクロノジーの支援も必要だ。
配偶者だけ、家族だけ、職場だけという唯一依存は危険だ。ソロで生きる力とは誰にも頼らないということではなく、むしろ、人とのつながりによって複数の頼れる依存先を用意できる力のことだ。それこそが、精神的自立につながる。一人一人の意識改革が必要なのだ。独身の増加を、独身だけの問題だと思わないでほしい。
我々は「人口減少の危機をただ騒ぐだけ」の恐竜になってはいけない!
久しぶりに対談連載の記事をアップしました。
今回対談したのは歴史人口学者の大御所でもある鬼頭宏先生です。現在は静岡県立大学の学長をされています。
拙著「超ソロ社会」の執筆においても先生の御本
は参考にさせていただきましたし、今回は聞きたいこともたくさんあり、始まる前からわくわくしっぱなしでした!ぜひご一読ください!
鬼頭:実は1974年、人口問題審議会が当時の厚生大臣に対して出した人口白書において、日本は出生率をとにかく低くすべきだという内容を報告したんですね。それを受けて、これは国策と言ってもいいと思いますが、日本は人口が増えもしなければ減りもしない静止人口国を目指すべきだという構想を当時の政府が打ち出したんです。
これは1974年7月に実施された「第1回日本人口会議」において、増えすぎる人口を問題視し「子どもは二人まで」という宣言を出しことを指しています。この件については以前、こちらで書きました。
鬼頭先生曰く、あの当時の計画では2010年までに人口増加をストップさせるという計画で、実はその計画通りに2010年人口が減り始めたということです。
そう! 国の計画通りに進んでいるんですよ。
穿った見方をすれば、政府の少子化対策とか全然本気じゃなくて(政治家はバカだからわかんないかもしれないけど、官僚の意向としては)人口減少社会に向けて40年前からやってきたのかもしれないのです。
これが良いとか悪いとかの議論ではなく、過去政府において少子化推進の国策が行わけていたという事実をちゃんとみんな知っておくべきなんです。その上で、これから40-50年かけてやってくる高齢化や人口減少はその過渡期の話なのであって、今この時点でピーピーギャーギャー騒ぎ立てても意味はないということ。
もうひとつ今回の対談では、ぜひとも聞きたかった江戸時代の未婚化についてもお伺いしています。特に、現在の女性の社会進出によって未婚化が進んだように、かつて江戸時代も女性の労働機会の拡大によって未婚化が進んだという話がとても興味深いです。
以下、鬼頭先生の言葉。
18世紀、農家が糸をつむいだり布を売るといった手仕事による副業として産業が発展するんですね。そうした副業は主に女性が担っていたので、親も労働力として手放したくなくて、結婚年齢が遅れたのではないかと。それから江戸時代は乳児の死亡率も改善したので、結婚年齢を遅らせても大丈夫となり、その分を貴重な働き手として労働時間に充てようというということもあったと思う。そういう意味での社会進出だった。
当時は、本人の意思とは関係なく労働に駆り出されていたのすもしれませんが、仕事をすることと結婚して子育てをすることとは江戸時代であってもトレードオフの関係にあったのだなと感慨深いわけです。
とにかく今まで当たり前だと思っていたことを当たり前として守ろうとする生き方や考え方は、滅亡した恐竜と同様「適応力のない愚かな態度」なんです。
今ある状況を正確に把握して、どう適応すべきか。
私たちが考えるのはそのことだけだと思います。
ぜひご一読ください。
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