ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

自ら斃すべき壁となってくれる老人こそ素晴らしい

若者に対して高齢者たちが、「選挙に投票しないように」と呼びかけるムービーが、とてもいい! 

 

www.youtube.com

 

英語がわからない人でも、こちらの記事でわかりやすく解説されています。 

 

gigazine.net

 

これの何がいいって、おじいちゃんの役割ってまさにこういうことだよ! って思うからです。おばあちゃんは違うかもしれないけど…。

世代間対立なんてものはいつの時代もあるわけで、若者は常に老人が気に食わないし、老人は若者が気に食わないんです。それが当たり前。

むしろ大事なのは、そうした世代間対立がなぜいつも存在するのかという問いの方なんです。

老人が、常に分からず屋でやかましくて保守的であり続けるのは、そうした老人が若者に嫌われることで、若者の内なる動機を喚起してきたからではないか、と。僕はそう思います。

嫌われて、対抗心を育成するために老人は老人としての存在意義がある。そして、それが長い間の人類の新陳代謝を促してきた。

自ら斃すべき壁となってくれる老人こそ素晴らしいのだと思う。若者に好かれる老人なんて、尊敬に値しないのですよ。

逆に言うと、斃されることを恐れて、若者たちに好かれようとして、物分りのいい爺さんが増えることの方がむしろ害悪かもしれないし、老人やおっさんをダシに使って、若者に「わかるよ~」なんて言いながら、寄り添って(そういう風を装って)うまいこと騙そうとする大人(年齢関係なく)の方こそ、実は真の害悪です。

 

アメリカでは18歳~34歳の投票率が46%と高くないことが問題らしいのですが、日本は10代0.49%、20代33.85%なのでさらに深刻(2017年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙)。

僕自身も政治とかには全く興味ないので他人の事はとやかく言えませんが、選挙だけはがんばって行こうとしています。

このムービーの意図は、基本的に「選挙へ行こう」というものですが、ムービー内には、老人からの素敵なメッセージが込められていますよ。

「不平ばかりを言うな!行動しろ! 」と。

ツイッターなど何万字の不平不満を毎日のようにつぶやくのもいいですが、そうした不平不満があるのなら、何か行動したほうがいいってことです。別に選挙じゃなくてもいい。政治的なことじゃなくてもいい。

例えば、「金がないから結婚できない」とか「女性は男の年収しか見てない」とか、そういうことをツイートしている非モテ男もいるんですが、そういう奴に限って何の行動もしていない。まず、街へ出ろよ、美容室行けよ、新しい服買えよ。本当に誰かとお付き合いしたいなら。

出会いなんていくらだって転がっている、マジで。

Peatix見れば、毎日のようにどこかでパーティーあるし、オフ飲み会もたくさんある。声かけられない?7割の男は声なんか掛けられないんだから問題ない。

お膳立てがほしいなら、婚活パーティーとか行けばいいじゃん。多少年収くらい低くたって、案外会って話すと関係ないことがわかるから。

今ならアプリもあるし、歩いているだけで勝手にスマホが相手とのマッチングを教えてくれるんですよ。なんなら良心的な結婚相談所なら親身になって相談に乗ってくれるぞ(但し、年収足切りのある酷いところもあるからご注意)。

でも、やんないんだよ、何言っても。

安全な自分の部屋の中で不平不満だけを言っている、その状況から抜けたくないから。「非モテは金がないから」を言い訳にしたいから。「結婚できないのは非正規だから」を心の鎧にしたいだけなんだよ。

言っちゃなんだが、年収200万以下で結婚している男なんてたくさんいる。非正規で結婚したている奴もたくさんいる。いや、なんなら正規で未婚男の方が絶対数多いから。

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行動しなきゃわからない。行動しないで老人になった人間は、若者から嫌われもせず、ただ透明な存在になるだけだぞ。

無傷の評論家なんかより、泥だらけの馬鹿になった方が笑える人生になると思いますよ。

貴乃花引退会見を見て、まだ傍観者でいられるのか?

貴乃花親方の突然の引退の報。びっくりしました。

こちらに貴乃花親方会見の全文が載っていますのでご覧ください。

 

www.sankei.com

 

簡単に説明すると、例の貴ノ岩傷害事件の真実に関する告発状を貴乃花親方が提出。その後部屋の弟子の暴力問題があり3月28日付で取り下げた。親方は降格処分を受け、一兵卒としてゼロからスタートするとした。しかし、8月、協会が依頼した外部弁護士から「告発状は事実無根」という書面が届く。親方は書面で告発状の内容は事実無根でないと説明したが、その後、認めないと親方を廃業せざるを得ないと有形、無形の要請を受けた。さらに協会理事会において、すべての親方は一門のどこかに所属しないといけない、しないと部屋を持つことができないとの決定がなされた。いずれかの一門に入る条件として、告発の理由は事実無根の内容に基づくものと認めるよう、言われ続けた。

…ということです。

貴乃花親方は言葉を選んで説明していましたが、要するに、「言う通りにしねえとお前廃業させるぞ」という協会の脅迫です。明らかに。

「告発状は事実無根」と認め、そのまま親方として残る道もあったでしょうが、親方の生き方がそれを許さなかった。弟子やスタッフの人生を最優先に考えたあげくの今回の引退の決断だったんでしょう。

これは、もう完全に、組織による個人に対する悪質かつ陰湿ないじめに他ならない。

集団に迎合しない個人を、集団の力で脅し、精神的に追い詰め、最終的にその心まで殺してトドメを刺す。相撲協会がやったことはそういうことです。それが、公益法人のやることでしょうか?

こんなものが許される団体や伝統など今すぐ消えてなくなれと思う。

相撲協会に限らず、こうした事例は一般社会にも横行している。こうした集団に反する単独行動を許さずに排除する行動はひとつのソロハラです。ソロハラとは、独身男女に対する「結婚しなのい?」という配偶関係に関するものだけではなく、組織における単独行動を許さないという部分も含みます。そのあたりについてはこちらの記事に書きました。

toyokeizai.net

 

組織としてのリスク管理のために、個人の身勝手な行動は許さないというのはわかります。そうじゃないと組織は機能しませんから。だけど、それと今回の一連の貴乃花のやったことは違うもの。むしろ隠ぺいしようとしたのは協会側であって、貴乃花は正義の内部告発者だ。

そして、組織を守るための行動と「いじめ」とも大きく違うはずだ。大の大人が、なんでその区別がつかないのか?子どものいじめがなくならないのはそういうところだ。

 

今まで貴乃花親方と行動を共にしてきた寺尾とかの親方衆はこれでいいの?あなたたちは傍観者ツラしているかもしれないけど、いじめにおいて傍観者は加害者と同罪だ。

貴乃花親方の精神状態が心配です。

 

割と真面目に思いますが、貴乃花親方は相撲協会とは別に、新相撲連盟でも作ったらどうかと思います。

それも女相撲で。

変な話「相撲である必要もなくて「SUMOw」でいいじゃない。最後のWはWomanのw。ワールドワイドに展開して、世界的な競技にしましょうよ。

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そういえば、「相撲の土俵に女性をあげるな」とかで一時問題になってましたね。「女相撲は江戸時代から明治の初期にかけてあった」という話が出ると、「あれは見世物としての興業。サーカスみたいなものであって神事としての相撲とは違う」と反論するジジイもいました。

神事ねえ。

あのね…、そもそも、日本の歴史上、最初の相撲というのは、女相撲だったんですよ。

日本書紀によると、当時決して刃先を誤らない工匠の木工にして黒縄職人の猪名部真根が「あっしはどんなことがあってもミスしません」という言葉にむかついた雄略天皇が、采女を呼び集めて、服を脱いで褌にさせ相撲を取らせたことがはじめ。それを見た猪名部真根が思わず刃先を誤ってしまう。雄略天皇はそれを見て、「でかい口叩きやがって、死ね」と猪名部真根を死罪にしようとしてったいう…なんともゲスい話です(結局、いろんな人が取り持ってくれて職人は赦免された)。

ちなみに、雄略天皇とは、政軍共に優れた能力を発揮してヤマト王権の力を拡大した英雄ではあるが、気性の激しい暴君的な所業も多く見られた。肉親すら容赦なく殺害し、反抗的な豪族を徹底的に誅伐するなど、自らの権勢のためには苛烈な行いも躊躇しない暴君だったと言われています。

イノシシも自ら狩ってしまう肉体派。

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神事とか堅苦しいことはどうでもよくて、そもそも相撲なんてそんなもんでいいんじゃないの?

伝統とか言いながら、こんな非人道的なことをやるくらいなら、雄略天皇のした女相撲の方がよっぽど人間味がある。

まあ、女相撲はともかくとして、もし貴乃花新相撲連盟をクラファンで立ち上げたら、応援する人間でありたい。そうなった時に、雪崩をうつように、親方衆が一斉に相撲協会に退職届を出し、心ある力士も共感する日本人であってほしい。このままの相撲協会なんて消えてなくなればいい。

 

咲くとは笑うこと。咲かせるとは笑顔を作ること。

「花咲か爺さん」って昔話、知らない人はいないと思いますが、詳細なストーリーまで覚えていない人も多いんじゃないかと思います。

ある山里に2組の老夫婦がいた。1組は心優しい老夫婦で、その隣人は欲張りで乱暴な老夫婦であった。
優しい夫婦が傷ついた子犬を見つけて飼うことにし、わが子のように大切に育てる。
あるとき犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始める。
驚いた老人が鍬で畑を掘ったところ、金貨(大判・小判)が掘り出され、老夫婦は喜んで近所にも振る舞い物をする。
それをねたんだ隣の老夫婦は、無理やり犬を連れ去り、財宝を探させようと虐待する。
しかし、指し示した場所から出てきたのは、期待はずれのガラクタ(ゲテモノ・妖怪・欠けた瀬戸物)だったため、隣の老夫婦は激怒して犬を殺害し、飼い主夫婦にも悪態をついた。
わが子同然の犬を失って悲しみにくれる夫婦は、死んだ犬を引き取って庭に墓を作って埋め、雨風から犬の墓を守るため、傍らに木を植えた。
植えられた木は短い年月で大木に成長し、やがて夢に犬が現れてその木を伐り倒して臼を作るように助言する。
夫婦が助言どおりに臼を作り、それで餅を搗くと、財宝があふれ出た。
それを知った老夫婦は再び難癖をつけて臼を借り受けるが、出てくるのは汚物ばかりだったため、激怒して斧で臼を打ち割って薪にして燃やしてしまう。
優しい老夫婦は灰を返してもらって大事に供養しようとするが、再び犬が夢に出てきて桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼む。
その言葉に従ったところ花が満開になり、たまたま通りがかった大名が感動し、老爺をほめて褒美を与えた(このときの台詞が「枯れ木に花を咲かせましょう」である)。
羨ましく思った隣の老夫婦がまねをするが、花が咲くどころか大名の目に灰が入ってしまい、隣の老夫婦は無礼をとがめられて罰を受ける(捕縛・投獄されるなど)。wikiより引用。

このお話で悪役の爺さんは、犬を虐殺したり、臼を叩き壊したり、まあ酷いことをするわけですが、案外この外道なジジイと同じようなことをやっている人も多いと思うんですよ。

結局、この悪い爺さんというのは、他人と自分とを比較して、いい思いをしている他人を妬み、自分もあやかろうと、ずるい行動をするってこと。しかし、それが実現できないとわかると、その他人の足を引っ張り、なんとか悲しい目や苦しい目にあわせて、それで溜飲を下げようとするシャーデンフロイデ(ざまあ、めしうまの心理)の気持ち。

そういうのでいくら刹那の満足感を味わったところで、いつまでたっても本当の精神的充足感は得られないのですよ。それどころか、そうやって行動すればするほど、自分の心の中に欠落感を生み出してしまう。むしろ、大きな不幸感を生み出す行動に過ぎない。

自分も得をしようと努力することは、別に悪くない。

ただし、人の物を横取りしたりして(現代でいえば、パクッたりすること)、何かを得ようとしたって、そんなもので周囲に承認されるはずもないし、自分の中で達成感も感じられない。あまっさえ、気に入らないからと他人の大事なものを壊したり(現代で言えば、他人の大切にしている価値観をけなしたりすること)して、「ざまあみろ」とほくそ笑んだところで、それで心が満足したと思うのは錯覚にすぎない。

みんな、この悪い爺さんほど酷くないにしても、似たようなことをやっていたりするわけです。

 

僕は、このストーリーの後半部分に注目したい。

枯れ木に花を咲かせましょう。といって良い方の爺さんは、灰を巻いてきれいな花を咲かせます。灰というのは、誰かに意地悪によって生み出された、苦しみや悲しみです。傷ついた心といってもいいかもしれません。

でも、この爺さんは、そうした痛みにちゃんと向き合って(灰だから何の役にも立たないと捨て去るのではなく)、この灰もまた人生の経験だと大事に使おうとするわけです。

灰を撒くって行動は一見無駄なわけです。生産性とかいいたがる意識高い系の横文字コンサルのジジイとかババアにすれば「全く意味のない行為」かもしれませんね。

 

でもね…

灰を撒いて花を咲かせる

 

これってどういうことかというと、失敗したことをネガにとらえずに、笑い話にしてみんなに聞かせて、みんなの笑顔を作ったってことじゃないかと思うんですよ。

花を咲かせる=誰かの笑顔を作ること。

 

「咲」という字は、もともと「笑」という字と同じ意味の漢字なんです。だから咲ふと書いて「わらう」と読み、咲みと書いて「えみ」と読む。そもそも口偏ですから。女優の武井咲さんの読み方もそうです。

 

花って笑っているように咲くって思いませんか?花が咲いている様(春の桜とか)を見るとみんな笑顔になるしね。

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咲くとは笑うこと。咲かせるとは笑顔を作ること。

 

一日中ツイッターに張り付いて、自分の価値観と違う連中を無理やり探し出してきて、屁理屈でこねて相手を詰めて「やってやったぜ! 」と一人部屋で笑う暇があるなら、外に出て誰かを笑顔にしたれよ。金を使ってもいいからさ。

人生なんてどんだけ多くの人の笑顔を作ったかで決まる。人を論破するだけの論理力と語彙があるなら、その力で誰かの「花を咲かせて」みなよ。

どうせ笑うなら、誰かを泣かして笑うより、自分の行動や言動によって生まれた誰かの笑顔を見て笑えよ。

そういう意味では、アイドルを応援するオタクとか立派。ちゃんと笑顔という花を咲かせている。

 

ちなみに、そうした本来の意味で「花が咲ふ」という表現が、万葉集にあります。

"道の辺の 草深百合の 花咲みに 咲まししからに 妻といふべしや"

意味は「道のほとりの繁みに咲く百合の花のように、私がちょっと微笑みかけたからって、舞い上がっちゃってなれなれしいんだけど、旦那。笑いかけただけであって、それで自分の女だと思うんじゃねえぞ。ゴルア! 」。

 

今でも通用する男あるある。女性からちょっと笑いかけられたりすると「俺に気があるんじゃねえか」と勘違いしがち。笑いかけられただけで、男はその気になってしまうもの。

この歌からもわかるが、つくづく昔から男は受け身だった。男はいつも女によって「花を咲かせてもらった」のかもしれません。日本最初のプロポーズは、女神のイザナミノミコトの方から言い出したことっていうのは拙著「超ソロ社会」にも書きました。ご興味あればぜひ! 

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樹木希林さんが教えてくれた「人の役目」

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女優の樹木希林さんが15日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

ツイッターでは、たくさんの彼女の名言が並びました。何個かご紹介します。

あのね、年をとるっていうのは本当におもしろいもの。年をとるっていうのは絶対におもしろい現象がいっぱいあるのよ。だから、若い時には当たり前にできていたものが、できなくなること、ひとつずつをおもしろがってほしいのよ
どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。そうすると成熟していくような気がするのよね。それで死に向かっていくのだろうと思う。でも人間ってだらしないから、あんまりいい奥さん、あんまりいい旦那さん、いい子供で楽だと、成熟する暇がないっていうか
日本は八百万(やおよろず)の国なので幸せです。無宗教さえも1つの平和な状況で幸せです。この神が絶対というのも幸せかもしれないですが、それによって争いという不幸が出てくる。日本はそういう意味で、争いはない。宗教に関してとても幸せでそれは非常にいいことだと思っています。
靴下でもシャツでも最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということだと思う。自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末することが最終目標
病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ

晩年の樹木希林さんは、常に死と向き合いながら、自分の役割というものを最期の最期まで全うしようとされていたのだと思います。彼女の人となりを示すエピソードにはこんなのもあります。

 

樹木希林さんは、事務所にも所属せず、マネージャーも雇わず、すべて一人で対応していました。にも関わらず、多分ですが、ひとつひとつの依頼に対して全部お返事していたんじゃないかと思います。

時間がないのにちゃんとお断りの連絡をするって本当に素晴らしいことだと思う。世の中には、樹木希林さんより全然忙しくないくせに、可否の回答をよこさないまま平気でいられる失礼な人間は多い。

彼女がどれだけ人と向き合うことを大切にしていたかがわかります。

 

 

樹木希林さんが、2015年には、不登校のイベントに参加して、子どもたちに贈った以下の言葉が素敵でした。とてもいい言葉なので全文ご紹介します。

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新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。

 だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。

 私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。

 それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。

 「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。

 ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。

 ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。

 私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。

 だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。

 私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。

 無理して、いま死ななくていいじゃない。

 だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。

出典:2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口/基調講演「私の中の当り前」から

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晩年の樹木希林さんの行動や言葉というものは、すべての老いゆく大人たちが踏襲していくべきことじゃないかと思います。死に行く者だからこそ、若く生きゆく者を生かす責任がある。

そう思います。

 

そして、僕がもっとも印象に残った彼女の言葉はこれです。

人も物も、置き場所を変えると生き返るものよ

 

まさにその通りで、ある場所で活躍できなかったからといって自責する必要はないのです。場所が悪いだけ、周りの人が合わないだけ、ということが多い。あのイチローでさえ、入団当初の土井監督の下では全く不遇でした。

逆に言えば、人は人とのつながりでどうにでも変わることができるということです。

 

 

2年前に、「徹子の部屋」に樹木希林さんと内田裕也さんが夫婦そろって出演された時に書いた記事がこちらです。

二人の愛の形というか、結婚というものの形について書いています。

note.mu

 

内田裕也さんのコメントです。

「最期は穏やかで綺麗な顔でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」

安室奈美恵が生み出してくれたものは歌だけじゃない

明日、9/16に平成の歌姫こと安室奈美恵さんが、平成最後の秋に引退します。

歌に疎い人でも「アムラー」という社会現象が起きたことはご存じでしょう。全身を安室奈美恵ファッションにした女性が街にあふれていた現象です。1996年をピークに大流行しました。ミニスカート・厚底ブーツ・ロングヘアに茶髪・極端な細眉が特徴で、日焼けサロンなどで焼いた浅黒い肌も好まれました。

それから20年以上、14歳で沖縄から出てきた少女が、明日、その沖縄へ最後のライブのために帰っていきます。

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安室奈美恵さんのファンの方達の言葉をいろいろ聞くにつけ、これから日本が直面する「超ソロ社会」における「人のつながり」の重要性を再確認しました。「人のつながり」というものを誤解している人が多いのですが、友達になることだけが「つながり」ではないんです。近頃「孤独=悪」とか「孤独は死に至る病」とか、未婚や一人ぼっちであることがやり玉にあげられていますが、今回は安室さんとファンとのつながりを通して「人とのつながり」とは何か?を書きたいと思います。

※以前書いた"NHK「つながり孤独」は「つながってもいない」し「孤独」でもない"という記事と多少ダブる部分もありますが、再整理して書き直しました。

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 7/29、日本テレビ系番組『世界の果てまでイッテQ!』の中で、イモトアヤコさんが、長年ファンだった安室奈美恵さんと初対面した模様が放送されました。

アーティストとファンとの間には、AKBグループは別にして、原則直接の交流(直接話し合ったり、どこかに出かけたり)はありません。友達ではないのですから。ファンクラブという場に所属したって、安室さんとは直接はつながらない。そもそも、自分がファンでいること自体、本人には知られていないだろうし、自分の顔も認識してもらえてはいません。にも関わらず、ファンの心の中にはアーティスト自身が、さも一番仲のいい親友のように存在していることがあります。

それは、安室さんが心の中にいるのではなく、彼女の歌やステージを見ることで「安室奈美恵とつながったことで別の新しいあなたが生まれた」のです。

人には自分の外側にあるアウトサイドコミュニティとは別に、自分の内面にインサイドコミュニティがあります。アウトサイドコミュニティとは、文字通り外の世界にいる他人とのつながりです。インサイドコミュニティとは、自分の内面にある、多数の自分自身が存在しているコミュニティを指します。人は誰かとつながることで、無意識に「その人によって生まれた新しい自分」を生み出しています。たくさんの人とつながれば、それだけ多くの新しい自分が自分の中に芽生えるんです。それを僕は「自分の中の多様性」といっています(拙著「超ソロ社会」に詳しく書きました)。

安室奈美恵というアーティストに出会い、その曲を聴き、そのパフォーマンスに酔いしれ、そのファッションを真似すること。それもまた、人とのつながりのひとつの形態です。例えば、「安室ちゃんを好きだって気持ちの自分」が新しく生まれると、その自分が自分本体をものすごく楽しくさせてしまうんですね。誰かを好きになった時、毎日が楽しくワクワクするのはそういうことです。

特に、音楽アーティストの場合は、歌によって元気づけられたという経験をした人は多いんじゃないでしょうか?人それぞれ、好きなポイントは違うかもしれませんが、僕自身は、『必ず誰かはやさしい』(a walk in the park)という言葉や『誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない』(SWEET 19 BLUES)などが好きです。今でも結婚式では(CAN YOU CELEBRATE?)は定番ですからね。 

news.nifty.com

 

 

この続きは、拙著「ソロエコノミーの襲来」に書きました。ぜひよろしくお願いします。

 

Amazon CAPTCHA

 

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名刺交換でしか人とのつながり持てない人はヤバいという話

 

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イベントの交流会などで、よく束になった名刺を片手に、誰彼構わず名刺交換だけを延々と続けている名刺デリバーを見かけます。名刺を交換すると安心するのか、ロクに話もせずに、また違う誰かと名刺交換へ。それ本当に意味ないよなあと思っています。

名刺交換というビジネス文化は、いい面もありますが、それはあくまでビジネスマナー上のことであって機能的にそれが意味あるのかな?と疑問なんですよ。

eightとかのサービスの人たちをdisるつもりも毛頭ありませんが、所詮名刺というものは、その人の情報の一部でしかなくて、そんなものに支配されていること人が多いこと自体、これからの世の中大丈夫なのかなと余計な心配をします。

そんなことを書きました。ぜひ読んでください! 

comemo.io

 

名刺交換したおっさん同士が、相手の名刺を手に持ちながら会話している内容を聞くと、どうも名刺同士の会話にしか聞こえない。そこに本人の情報なんてなにひとつない。そんな会話って、人とのつながりもつくれていないし、真の意味の交流にもなっていない。

そんな中身のない会話をしたあとで「では、なにかありましたから…」なんつって別れるわけですが、大体一生二度と何もないわな。

 

じゃあ、どうすればいいか、って話ですけど。

名刺なんか出さずに「5秒以内で自己紹介」してほしいんですよね。その時に出てくる内容が、今の自分を一番よく表す記号なんですよ。仕事の話である必要もなくて、「マラソンやってます」とかで全然いい。それなのにその5秒で会社名しか出てこないのは辛くないですか?

それはあなたの所属の紹介であってあなたの紹介じゃない。ちなみに僕の場合、「独身研究家です」って言えばそれで済みます。

「なんですか、それ?」ってなるから、そこから話を広げられる。話の流れから、ご本人の配偶関係なんかも聞いても失礼にならないし。会話がはずんだら、一緒に写メ撮って「あとでSNSに送ります」と連絡先交換できれば、大抵必ず次どこか飲みに行ったり、つながりが継続します。名刺なんか必要ないし、そもそもその人がどんな会社か知らないまま友達になる場合も多い。

人とのつながりのきっかけなんて、そんなもんです。

韓国のテレビ番組に出演しました!

韓国のテレビ番組tvN「外界通信」に出演しました。拙著「超ソロ社会」の韓国語翻訳版も出版された関係で、取材を受けました。

8月末頃放送されたようです。

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 インタビューに加え、ソロたちが飲んでいる様も撮りたいとのことだったので、それも放映されました。

 

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別途、東大卒47歳独身のバイト生活男性(年収100万以下)の取材もしていたらしい。自発的に結婚しないソロもいる反面、したくても経済的に無理な男も多いこと、女性が経済的自立をすると男たちは結婚できなくなること、などかなり本に沿った内容で真面目に伝えてくれています。

 

韓国も結婚しない問題は深刻らしく、「未婚」ではなく「非婚」という言い方をするそうです。

この番組が、韓国のネットニュースにもなっていました。

www.topstarnews.net

 

 

 

「超ソロ社会」韓国版が出た時の記事はこちらです。

 

wildriverpeace.hatenablog.jp