ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

罰則付きの休業要請は、誠実で真面目な方だけを追い詰める暴挙

緊急事態宣言延長が取沙汰される中で痛ましい事件が起きました。

 

mainichi.jp

 

4月30日夜、東京都練馬区とんかつ店で火災があり、店主の男性(54)が全身やけどで死亡した。男性は東京オリンピック聖火ランナーに選ばれていた。新型コロナウイルスの感染拡大で大会は延期されたうえ、店も営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観するような言葉を周囲に漏らしていた。遺体にはとんかつ油を浴びたような形跡があり、警視庁光が丘署は出火の経緯を慎重に調べている。

亡くなった彼はフェイスブックで投稿をしていました。時系列にそれをご紹介します。

3月末頃「店で今日も明日もお客様を迎えられることに感謝しながら、料理を作り続けたい」

4/13緊急事態宣言を受けて自分の店を休業「働くのが大好きで、定休日も設けず家族旅行に行くのも数年に1度で、30年弱働いてきた。自問自答しているが、感染予防に徹したい」

4/28最後の投稿「必要な消毒液が手に入らない。また振り出しに戻った」「あなたの命を、家族を、大切な人を、社会を守るため、感染拡大を食い止める。その言葉を改めて心に刻みました」

4/29「店をやめたい」と知人に漏らした。

4/30夜自死…。

 

このとんかつ屋のご主人が一体何をしたというのでしょう?仕事が好きで、料理が好きで、とんかつを作ってお客さんの笑顔を見たかっただけなのに。

投稿から見られるお人柄からは、とても誠実で真面目な方だったんだろうなと思われます。

でもね…どうかお願いです。誰かを守るために生きなくていいんです。自分を犠牲にして誰かを救おうなんてしなくていいんです。そんなことで自分を追い込まないでください。利他なんてクソ喰らえ。ご自分が笑って過ごすこと、毎日働いて生活すること、それが周りの人のためになるのですよ。自分を大切にしてください。

にも関わらず、国は、さらにこうした誠実で真面目な方を追い詰めるべく、罰則付きの休業要請をするなどという暴挙へ出るようです。地獄だ。

www.nikkei.com

 

 

 

 

もうひとつこんなニュースもありました。

www3.nhk.or.jp

これは、心温まる話であるという前提の上で。

この豆腐屋の店主も、辞めたくないのに辞めざるを得なかったわけです。こういう人達の無念を思えば、本来するべきは廃業後に感謝の言葉を掛けることではない。無念の廃業をしなくてもいいように、今何ができるかということを考えるべき時ら来ていると思います。

「殿、利息でござる」という映画があります。

村のために全財産をなげうって投資し、造り酒屋を廃業せざるを得ない状況に追い込まれた浅野屋という商人がいます(妻夫木聡が演じた)。しかし、それは本人としては「村人を救ったから満足」という納得の廃業ではありましたが、一緒に協力した他の村人も商人もそれではあんまりだと、金を集めて再起を促しますが、浅野屋は金を受け取らず首を縦に振りません。

そんな中~

 

この続きは日経COMEMOにて。

comemo.nikkei.com

川の流れに身をまかせたら、大抵の人は流れに飲み込まれて溺死する

www.nikkei.com

この文章自体に特に異論はないのですが、これを読むと、なんとなく日本の「透明だけど必ずそこにある所得カーストの分断」を感じざるを得ない気持ちになる。


「コントロールできないことについてはジタバタしないに限る」はその通りです。言い換えれば、それこそ適応力ということでもある。

でもそれって、所詮「心に余裕がある」という前提の話。余裕のない人間に、たとえば、今眼前に火事の炎や津波が差し迫っている人に「ジタバタするな」と言って意味があるのだろうか?

余裕とは金である。

コロナ禍の中にあっても、給料が保証されている公務員や大企業の人達や、一定数の貯金がある人ならそれでいいだろう。しかし、びっくりすると思うが、30-40代現役世代のうちの半数は貯金なんてゼロもしくは50万円にも満たない人達で占められています。

こちらのSMBCコンシューマーファイナンスが30歳~49歳の男女を対象に実施した、「30代・40代の金銭感覚についての意識調査2019」によれば、貯金ゼロは23%、50万以下は25%、あわせて48%というほぼ半数が50万以下の貯金しかないのだ。

 

moneyzine.jp

 

一部の数%の貧困層だけが「食うに困っている」わけじゃない。ある意味、国を支えている30-40代の現役世代の半分が、もらった給料をその月の内に消費せざるを得ない生活をしているってことです。

それでもまだ勤務先が継続し、給料があればいい。しかし、今のこの状況では、いつ、コロナによって仕事がなくなるかわからない。「物理的に金のなくなる不安」と「将来、もう生活していけないんじゃないかという恐怖」に、心が支配されてしまっている人だって大勢いることだろう。

そんな人達に「ジタバタするな」なんて言葉に何の意味があるというのだろう。ジタバタしようという意志でしているのではない。せざるを得ないからそうしているだけだ。

川の流れに身をまかせて生きていける人はいい。しかし、大抵の人は川の流れに飲み込まれて溺死するのだ、2011年のあの時のように。

 

毎日のようにコロナの感染者が何人だ、とか、死亡者が何人だとかのニュースでテレビはじめ報道は占められています。しかし、その影で一切報道されない自殺者の数をご存じでしょうか?

この続きは日経COMEMOにて。

 

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「好きな人がいない」と嘆く男女の共通点

「写真に写った自分の顔」好きですか?

この質問を20-50代の未既婚男女に行いました。写真の中の自分を嫌いだと思うかどうかは、自己肯定感と密接に相関があります(ただ、写真の自分は嫌いでも、そんな小さいことは超越して自己肯定感の高い人もいます)。一般に、自己肯定感は女性>男性です。なので、てっきり写真嫌いは男の方かと思っていたんですよ。

そしたら、意外や意外、最も嫌いと答えたのは未婚女性でした。しかもすべての年代でトップです。次に既婚女性。男の方が自分の写真、好きなんですね。

そんな調査結果をベースに、では「自分の写真が嫌い」と思ってしまう未婚女性の原因と対策について記事を書きました。

マイナビウーマン連載「知らないと困る“結婚と恋愛の数字”」更新です。まずは、こちらをお読みください。

記事の中で「主人公」という言葉の真の意味についても書いています。ドラマなどての主役という意味で使われていますが、起源を辿れば禅語であり、さらに大元の起源は荘子に至ります。そのあたりもぜひ合わせてお楽しみ下さい。

woman.mynavi.jp

 

 

その上で先日ツイッターで次のようなことを書きました。

 

 

 

「世の中の男性はほんと無条件にありのままで愛されたい」とかう言説を見たが、「ありのままでいい」と思える男は大抵モテるし、自己肯定感あるし、恥かくのを怖れないし、仕事好きだし、友達多い。いわゆる3割しかいない恋愛強者です。残りの7割の男は「ありのままなんてとんでもない」と思ってる。「ありのままの自分」に自信がない男は、周りの目を気にして、無意識にその場に応じてキャラを演じようとする。そして、学歴・年収・会社・屁理屈などの鎧を人一倍身に着けようとする。しかし、鎧集めに固執するあまり、いつしか自分が単なる鎧だけの存在になっていることに気付くのである。ツイッター内に生息する金のないモテないおっさんとは、屁理屈だけの存在になっているということでもある。「ありのままの自分」に自信がないのは、自己の容姿や能力の問題ではなく、自分を主観でしか見れてないだけ。自分が一番自分を知らないし、知ろうともしてない。自分を見慣れていないということ。

女性が、「男はみんなありのままの自分を愛してくれ、って言うんだよね」と思うのは、実は、そう思う男は恋愛強者で、だからこそ二股、三股当たり前、要するに、女性と付き合える男性というのは、そういう「ありのままの俺」が好きな男だからということなんですよ。世の中の男が全員そうではない。むしろ「ありのまま男」なんてマイノリティです。

マイナビウーマンの記事では女性向けっぽく書きましたが、自己肯定できない点では、未婚男性も同じです。上に書いたように、自己肯定できないから、いい学校に入ろうとする、いい会社に入ろうとする、高い年収を稼ごうとするわけです。

それが実現できた人は、なんとなくその達成感で「自己肯定感高まった」と勘違いしがちですが、それこそが状態依存の最たるもので、その状態にある自分しか肯定できていないので、たとえば会社が倒産したり、解雇されたりしただけで、自己が崩壊してしまいます。

同様に、「家族のいる自分」「父親・母親で家族の役に立っている自分」というだけで自己肯定感を得ている人も、離婚や死別という家族の状態を喪失しただけで自殺してしまったりするんです(男性の自殺率と離婚率とは強い正の相関があります)。

toyokeizai.net

 

もちろん、喪失経験は悲しいものです。大切な人が死んでしまったとしたら、絶望的な気持ちになるのも当然です。

しかし、一方で何も喪失しない人生などというものはありません。人は必ず死ぬし、形あるものはいつかは朽ちる。「獲得したら勝ち」みたいな西洋的マッチョ思想に縛られていればいるほど、その喪失感を怖れ、臆病になりがちです。

怖れたってしょうがないものは、自分の関心から捨て去るほうがいい。

喪失感に苛まれた人がよく「自分の心に穴があいたようだ」と言いますが、それは「喪失してしまったものを、いつまでもそこにあるものだと思っているから」そう思ってしまうだけです。

ないものはしゃーない。そう考えれば喪失感は消えます。心の穴なんかなかったことに気づきます。穴がふさがったのではなく、最初からなかったのです。

そう。実は、逆説的ですが、喪失するからこそ得られるものがあるのです。獲得したから勝ちではないし、失ったから負けでもない。そう思えると、自分自身というものが、とても満ち足りたものに思えてくるのではないでしょうか。

 

 

 

「亭主元気で留守がいい」は、実は夫婦円満のための秘訣だった?

コロナは人の生命を脅かします。
コロナは経済も崩壊させます。
さらに、夫婦の絆もまたコロナは破壊していきます。
その恐るべき毒性について書きました。

「コロナ離婚」という言葉が話題にもなっていますが、外出自粛・在宅勤務などで終日夫婦や家族が一緒にいることで顕在化してきた問題のひとつかもしれません。

一般的に「1人になりたい」欲求が強いのは男性だと思われてますが、実はむしろ女性のほうがより多く「1人になれる時間を欲する」のです。

かつて「亭主元気で留守がいい」というCMがありました。あれは、まさに女性の「1人になりたい」欲求を表したものだったのでしょう。

にも関わらず、多くの夫婦が、ある意味強制的に「一緒の時間」という檻に閉じ込められました。「ソロ時間」を喪失した人間が陥ってしまう落とし穴とは?

人間は「1人では生きていけない」とよく言われますが、同時に「1人になる時間がないと生きていけない」ものでもあります。

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」更新です。まずはぜひご一読ください。

toyokeizai.net

 

「コロナ離婚」がもし増えるのだとしたら、その予兆は既にはじまっていました。

記事の中にも掲出しましたが、離婚申し立て理由を見ると、明らかに2010年と2018年とで大きなな変化があることがわかります。(夫婦ともに1位の「性格の不一致」は除いています)

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DVやモラハラというと夫の専売特許のように思われがちですか、近年急増しているのが「妻による精神的虐待」なのです。もちろん、この精神的虐待は夫によるものも増えています。つまり、お互いに精神的に相手を追いつめる夫婦が増えているということを示唆します。

驚くのは、「夫の妻への身体的暴力」による離婚は減っているのに、「妻の夫への身体的暴力」は増えているということ。

平時においてもこうした夫婦の関係性の変化があるのですから、非常事態といわれるコロナ禍環境下において、いろいろな問題が顕在化するのは仕方ないことです。

こうした記事に対して、「そんなことくらいで破壊される夫婦なら、遅かれ早かれ離婚するんだから、別にいいんじゃない?」という声もあります。

「酒が人をアカンようにするのではなくその人が元々アカン人だということを酒が暴く 」という名言があるように、「コロナ禍が夫婦を壊すのではなく、元々アカン夫婦だということをコロナ禍が暴く」ということかもとれませんね。

とはいえ、全部の夫婦はコロナによって破壊されるものではありません。

ヤフコメに以下のようなコメントが寄せられました。

主人(53歳)が定年退職した時をシミュレーションしてます。私は1人で朝と夕方犬の散歩に1時間ずつ、午後からは1人で自宅でトレーニング1時間、後は一緒にテレビ見たり、別の部屋で過ごしたりしています。主人は元々全く家事をしないですが私は逆に手伝われるよりも楽なのでそのへんは苦になりません。元々子供がいない家庭なのでとりわけなにか変わったこともないですが定年退職後の練習と思っていろいろ工夫を考えています。

とても素敵な考え方だと思います。

また、ちよっとギクシャクしてきたな、と感じるご夫婦は、物理的に「一人の時間」を作ることも検討した方がいいと思います。

以下の記事は、もう壊れかけて稲夫婦の「一時避難所」的位置づけ(離婚相談も無料で受け付けているなどある種、駆け込み寺のようなもの)ですが、できれば壊れる前にこういう場所を活用するという視点も必要ではないでしょうか?

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いつも一緒にいるのが夫婦や家族というものではありません。夫婦だから、家族だから、何より誰より大切なものだから、常に助け合っていかないといけないと無理に窮屈な考え方に囚われていると、かえってその一番大切なものを壊してしまいます。

家族も夫婦も個人によって成り立っています。個人が健やかであることこそが、家族や夫婦の幸せにつながります。「自分を犠牲にして」とか「自分さえ我慢すれば」という考え方は、結局家族や夫婦そのもの内側から蝕んでいくのです。

本当に利己的な人間は、決して蜘蛛の糸を昇ったりはしない

今日はこちらの記事から。

 

 

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「新型コロナのような感染症への耐性の強い社会をつくるために、市民一人ひとりの行動変容がカギを握る」という記事に主旨には賛成だし、「社会の免疫力を高める」というのはいいキーワードだと思います。

しかし、タイトルにあるように「利他性が行動変化を促す」とか、記事の中で出てくる「自分だけでなく他人のためにもなるという利他性」を称賛するような「利他至上主義」的な話には、賛同できないし大いに反論したい。

ちなみに、先日の4/4土曜日、晴天にも関わらず渋谷のスクランブル交差点はほとんど人出がありませんでした。

 

これ、若者はみんな利他性で動いたんでしょうか?だとすると、通常の渋谷来場者から考えると、600万人以上も利他な人がいるということですね。そんなわけはないのです。

 

日経の記事の中では、以前僕が以下の「人を動かすのは、利益か?恐怖か?」という記事でも引用した大阪大学大竹教授が説明した「ナッジ理論」を引用しています。

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ナッジとは、直訳すると「ひじで優しく押したり、軽くつついたりする」という意味で、ちょっとしたきっかけを与えて、消費者に行動を促すための行動経済学の理論です。

感染症を例にすれば、

A あなたが不要不急の外出を控えれば、多くの人の命を救います

B あなたが不要不急の外出をすると、多くの人の命を奪います

AとBのどちらがより人の行動を抑制する効果があったか?というと、結果はBの方です。記事では、AもBも利他性と一括りにしていますが、それは大きな間違いでしょう。

少なくとも、Bは完全なる利己性です。

拙著「結婚滅亡」の中にも書きましたが、日本人は他人は全員集団主義と思いながら、自分だけは個人主義だと思っている人の集まりです。日本人が客観的に集団主義的行動をしているように見えるのは、「集団で行動した方が自分の得になるから」であり「損をしないから」です。基軸は自己の損得にあります。

なぜ、多くの日本人がBを選ぶかというと、Bの場合に「自分が外出したことで誰かが死んでしまったら、自分の責任にされてしまうことが損だから」です。恐怖だからです。Aで「誰かを救う喜び」より、Bで「誰からも責められない」というリスク回避を優先するわけです。

では、Aは利他性なのか?と言えばそれも違います。

「誰かを助ける」という目的のために俺は動いた。というのは一見、利他的な動機が先で、目的でもあるように思えますが、「誰かを助けるため」とはまだ「誰も助けてはいません」。「誰がを助けた」というのは、すべて結果でしか判断できないものです。にも関わらず、まだ誰も助けてもいないのに(行動すれば確実に助けられるなんて予測してしまう人間は、神かバカです)助けるために動いたというのは矛盾する。それは、自分の行動が正しいものであった(あってほしい)という後付けの理屈によってもたらされているに過ぎません。

つまり、極論すれば、こう動けば「俺は誰かを助けるために動いた良い奴としてみんなからの称賛されるかも」という利己的期待を込めた動機が主であり、利己のために利他の理屈を活用したに過ぎないんです。

「いや、俺は違う」とい言いたい人もいるでしょう、。勿論、純粋に利他的に行動していると信じている人もいるでしょう。勿論、ご本人が何を信じようと自由なのでそれは否定しません。

しかし、残念ながら、

 

この続きは日経COMEMOにて。無料です。

 

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ポストコロナ時代に必ず世界に到来する「ケ」としてのソロ飯文化

「日本だけではなく、世界がソロ社会化する」

2017年頃から僕はそう言い続けていますが、当初は誰も聞く耳持ってくれませんでした。どんなにデータを提示しても、聞く耳を持たない人間にとって、事実は彼の真実になりません。信じようとしない事実は、彼にとって事実ではなくなるからです。

ところが、信じようと信じまいと、そんな主観なんかを超えて、事実が積み重なると、見たくなくても、聞きたくなくても、信じたくなくても、事実は事実として誰しもの脳内に入り込みます。

アメリカやイギリスなとのカップル文化の国では、一人でご飯を食べるなんてありえないよ」と言っていたのは、誰か特定の人たちの信じたい真実であり、決して事実ではありませんでした。

アメリカでもイギリスでも「ソロ飯」が席巻し始めています。

forbesjapan.com

 

記事によれば、アメリカではレストラン全来店者のなかで占める「ソロ客」の割合が、過去5年間で35%増と記録的に伸び、人数別の客層のなかで最大となった。続いて2位になったのが「2人連れの客」で、全来店者の27%を占めた。とのこと。

そうしたソロ客の需要増に伴い、スマホ検索で「solo dining(ひとりで外食)」と検索する回数も激増しているようです。

あわせて、イギリスでも、2019年、デリバリーを含むおひとりさまの「外食」が44億回に上った。これは、イギリスにおけるレストランでの外食総数116億回の40%近くを占めます。

 

実は、2017年に拙著「超ソロ社会」を上梓した時は、韓国、台湾、中国という東アジア諸国で注目され、各国で翻訳本も出版されました。その後、ドイツ、フランス、カナダなどのメディアからもぽつぽつ取材はありましたが、米英など英語圏の国からはあまり興味を持たれなかったのです。

ところが、それが2019年以降大きく変わります。

アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、スペイン、ブラジルなどといった国のメディアから急激に取材依頼が増えました。中には、いわゆる「結婚をしないソロ人生」をメインとした取材もありましたが、中心は、拙著「ソロエコノミーの襲来」にも書いたように、「ソロ化する経済」という部分に各社とも興味があるようでした。

全部はご紹介しませんが、一部、フランスの「ル・ソレイユ紙」の記事はこちらです。

www.lesoleil.com

 

イギリスBBCからの取材の記事はこちらです。

 

www.bbc.com

 

もちろん、日本でもこのソロ活市場について取り上げてくれるところも多く、2019年春にNHKや、つい先日はBSテレ東「日経プラス10」にも出演させていただきました。その時の話はこちらの記事に書きました。

 

comemo.nikkei.com

 

そして、重要なことは、今後です。

今まさに世界中が新型コロナによって外出禁止や自粛によって、はからずも毎日の食事を部屋の中で食べることを余儀なくされています。一人暮らしであれば、毎食一人で食べているわけです。寂しいとかそんなものは通用しません。問答無用で一人で食べざるを得ないわけですね。

そうすると、

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真実は人の数だけある。よって絶対的な真実なんてどこにもない。

男女の恋愛観の違いについてはいろいろ本や記事があふれていますが、結婚できた女性と未婚女性の恋愛観の違いについて考察したものはあまり見かけません。調べてみると、両者の間には男女差以上に大きな違いがあります。

特に、専業主婦志向や男女性別規範(男は男らしく・女は女らしく)は、なんとなく既婚女性の方が高いイメージありますが、案外そうではありません。

マイナビウーマン連載「知らないと困る 結婚の数字」更新しました。まずはぜひお読みください。

woman.mynavi.jp

 

さて、僕は、「結婚したいけどできない」というアラサー年代のソロ女の座談会を定期的に実施していて、かれこれ延べ100人以上のソロ女のお話を聞いてきました。

「結婚したいけどできない」というのはあくまでご本人の自己申告なので、もしかしたら本心では「別に結婚したい思わない」という方も紛れ込んでいたと思いますが、「結婚したいけどできない」女性と聞くと、どういうイメージをお持ちになるでしょうか?

実は、みなさん、ルックスも良く、大部分は聞けば誰もが知っているような企業にお勤めだったり、手に職を持って自立していたりします。年収は下手な男より稼いでいます。自分の意見を持ち、コミュ力も高いし、決して友達が少ないどころか多いくらいです。

多分、合コンにいらっしゃれば、必ず皆さん声を掛けられるタイプだと思います。

それなのに「結婚できない」と言います。

なぜでしょう?

実は、皆さんに共通している特長があります。それは「男らしい」のです。

ここでいう「男らしさ」とは、「自立すべきである」「仕事などで社会的役割を果たすべきである」「プロセスより結果にこだわる」「負けず嫌いである」などのような一般的には男性が高いといわれる項目が、男性同様高いという傾向があります。

一方で、既婚女性に高い「社会や周りの人との調和を大切にしたい」「他人の気持ちを察することができる」という項目は、男性同様低いことがわかりました。

ある意味では、バリバリ仕事をこなし、男性に負けないように対等に仕事する中で、無意識のうちに、自己を強く律してしまう性質を身に着けてしまったのかもしれません。それを「男らしい」と定義しました。

※勿論、全員がそうだということではなく、そういう傾向の人が多いということです。

「男らしい」ソロ女は、さぞ「男らしい」価値観で「男らしい」行動をすると考えがちですが、逆です。自分自身が「男らしい」を身に着けているがゆえに、男に対しては「お前に男らしさがあるのか?」という目が非常に厳しくなります。

ソロ女ほど「男はデートで奢るべき」と考えています。それは、決して自分が奢られたいのではなく、自分が認識している「男らしさ」とは「女性を行動面でも経済面でもリードするもの」という定義に縛られているからです。

女に奢れないような男は、男ではないのです。

同様に年収が低いのも「男らしく」ないという判断になります。

実は、これは自分が勝手に定めてしまった絶対的指標の呪いにかかっていて、そもそも見ているのは指標だけで相手を一切見ようとしない。これでは、男の側からすると品定めをされているようでちっとも落ち着きません。なんだか仕事上のパートナー選びや就職の面接をされている気分になります。

もちろんこれだけが理由ではないですが、結婚相手を「選択する」という概念で考えているうちは、多分結婚なんてできないのだろうと思うわけです。誰かとの比較や基準や指標をクリヤしているかどうかを考えているうちは、それは数字を見ているのであり、相手の人間をまったく見ようとしていないし、ひいては人間としての自分をもまったく晒していないことになります。

こういうことを言うと「それの何がいけないの?」と言われてしまうので、それ以上話は続かないのですが、厳しいことは言わせてもらうと、他者を人間として見られないということは、とても怖いことです。そして、それは、自分自身とも向き合えていないことに等しいのです。

あなたの中だけの真実で世の中が動いているわけじゃありません。真実は人の数だけある。だから絶対的な真実なんて存在しない。

それに気付けないと、いつまでも変わらないのだと思います。