ゲンロン謝恩会参加で感じた、自分自身ネットワーク化の重要性
先日、東浩紀さんが主宰するゲンロンの謝恩会にご招待いただき、参加してまいりました。
東さんはもとより、宮台真司さん、津田大介さん、大森望さん、速水健朗さん、市川真人さん、長谷敏司さんなど凄いメンバー!
朝まで盛り上がりました。楽しかった。
ありがとうございました。
当然、完璧に二日酔いです…。
それにしても、最近特に思うのが、人と会い、会話することで、自分自身の中に新たな自分がどんどん生まれていく感覚。
本を読んだりすることでも、知識が広がり、考え方の幅も拡充することはできますが、このリアルな人温度の体感ってやっぱりすごいものです。
会社の中での上司・部下や先輩・後輩という関係だったり、ビジネス上の主従である発注者・受注者の関係の中では、どうしても生まれてくる自分というものがある程度固定化されてしまう。いわゆる空気を読むということだったり、立場をわきまえるというインビジブルな縛りの中で、どうしても人は無意識に「その場に最適な自分自身を演じる」ようになりがち。
よくキャラを演じるというけれど、あれは自分にないキャラを無理やり演じているわけではなく、数ある自分自身の中からその場に最適な自分像をいろんな組み合わせでアウトプットしているにすぎない。
それ自体は決して悪いことではないんですが、人間関係が固定化されていくと、どうしてもその組み合わせパターンのバリエーションがなくなってくる。年を取ったおっさんが頑固になるっていうのは、まさにそういう人間関係の広がりのなさに起因しているんじゃないかと思います。
こうした幅広いネットワークを持ち、たくさんの人と会話している人との出会いは、そういう多様な価値観や考え方との遭遇でもあるんですが、その人の価値観や考え方に触れることで(それが納得できなかったり、理解できないことであっても)何かが自分の中で化学反応するんですよね。
それは主義主張だけの部分じゃなく、その人との会話の中で感じられるその人自身の性格や話し方から伝わってくる人柄も大事で、いい影響も悪い影響も基本的にはリアルな人間との接点から受ける比重が非常に高い。
こういう場で、今まで接点のなかった人たちと、フラットな立場同士で会話できるということは、互いに自分の中になかった自分を作り出せるとてもいい機会だと思います。
よく人脈=人とのネットワークといいますが、人とのネットワークを通して実は自分自身の中にあるたくさんの自分をネットワークして組み合わせ、新たな自分を創造している「自分自身のネットワーク」作りでもあるのだ、とそう感じます。