ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

誰かのギブが誰かの救いになり、救われた人がまた誰かにギブを与えるやさしさが連鎖する社会へ

こんな記事を見かけた。

風俗からこども食堂へ 貧困の連鎖を断ち切ろうと苦闘する夫婦 宮崎・プレミアム親子食堂

bylines.news.yahoo.co.jp

 

宮崎で、貧困の親子のために無償で食事を提供するというサービスを展開している夫婦の話です。彼ら夫婦の生い立ちとか風俗で働いていた話とかが本当にこの記事に必要だったのかはさておき、この夫婦の行動は素晴らしいし、本当に頭が下がります。

この「親子食堂」については、2016年3月にこちらの記事で紹介されたものが最初と思われます。

毎月1回は無料でランチが楽しめる!「プレミアム親子食堂」がOPEN!−宮崎市

visit.miyazaki.jp

 

支援の連絡先も明記されているので、ぜひ!

 

f:id:wildriverpeace:20170201200651j:plain

 

ところで、これの元になった「こども食堂」というのをご存知でしょうか?

発祥は、2012年、東京都大田区東急池上線蓮沼駅近くの「気まぐれ八百屋だんだん」の店主近藤博子さんです。

近藤さんはもともと「こども食堂とは、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂」としてはじめた。このこどもに関しても、貧困という条件はない。貧困だろうと普通の収入だろうと、親の何らかの事情により、一人で食事をせざるを得ない子どもがいる。そんな子どもが、一人でお店に来ても、周りにおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんがいて、一緒に温かい食事のできる居場所を提供する。それが近藤さんの理念だった。

いうなれば「食事」自体は目的ではなく、子どもがぼっちでも安心できる居場所を作ったわけです。

それは、今では消滅してしまったかつての地域コミュニティのようです。僕が子どもの頃には、まだそういう文化が残っていた。共働きの親の子どもは、隣近所の友達の家で夜ご飯をご馳走になったり、親が帰るまでテレビを見せてくれたものだった。

ところが、その後ブームと呼べるほどになった「こども食堂」は何百店にも拡大し、言い方は悪いが、「食事を無償または安く提供する場」でしかなくなっているところも多い。恒常的な場所ではなく、どこかマンションの一室で軽々しくはじめて、すぐらやめてしまうところも多いとか。

そもそもの理念である、「居場所」の提供ではなく、単なる「食事」の配給になりさがっている場合もある。貧困のこどもを救うという名目で補助金目当てだったりとか、自分の単なる利他的行動をアウトプットすることでの自己満足だったりとか、そういう事態も招く。もちろん、全部が全部ではないです。

こども食堂の問題点については以下が参考になります。

「子ども食堂」は、「おとな食堂」になっていないか?-大人の理想と都合で開店して閉店!子どもの声なき声に耳を傾けて!

children.publishers.fm

 

こうした支援活動は、賛同者が増えて、規模が大きくなればなるほど、当初の理念とは乖離していってしまうということは、往々にしてあります。だからダメだということではない。

 

最初の宮崎の例は、近藤さんとは違って、あくまで目的は、貧困の連鎖を断ち切るためであり、その手段としての「食堂を介した親子の対話の場作り」です。どっちがいいか悪いかではなく、ふたつともその目的が違うわけです。

ふたつの例ともリスペクトしたいのは言うまでもありません。自分のできることからはじめる、ということの尊さは誰も否定できないでしょう。

ただ、いずれにしても、こうした行動ボランティア的に動き出したとしても、所詮個人でできることには限界があって…。そもそもこんな素敵な活動自体を認知していない人だって多いわけだから。

これは子どもの食事だけではなく、高齢者の介護も、共働き夫婦の育児の問題も皆然りなんです。育児の問題に関して言えば、イクメンとかを礼賛する風潮には真っ向から反対です。家族で閉じたらダメなんですよ。妻は夫が手伝ってくれないと不満を言い、夫は妻から押し付けられるとストレスを抱える。そんな夫婦、不幸でしかない。家族で閉じない。家族しか頼れないっていう依存先の選択肢のなさが問題なんです。

外注すりゃあいいんですよ。そのためのサービス事業がどんどん作られるべきなんですよ。NGOでもなく営利企業でいいんです。

よく利益目的でやったらダメだとか非難する人がいるんですが、やかましいって話です。利益目的だろうがなんだろうが、それで救われる子どもや親子がいるんならいいじゃないか。ボランティアで100人しか救えないより、利益目的でやって幅広い支援を獲得すれば、1万人救えるかもしれない。経済を回すとはそういうことです。

 

拙著「超ソロ社会」に書いた「ソロで生きる力」とは、こうした人と人がつながり、誰かのギブが誰かの救いになり、救われた人がまた誰かにギブを与えるやさしさの連鎖を生みだすものと信じています。

生涯独身を覚悟した男女でも、自分が一品分多く金を支払うことで、それが巡り巡って子どもたちのご飯になるとか、それを地域限定やリアル限定にするのではなく、ネットを介して全国的に足りないところに瞬時に提供される仕組みなんて、今ならすぐ作れるんですよね。支援した人には、ちゃんとマイレージで支援実績が蓄積されて、何らかの達成感を得られる。

そういうことでいいんじゃないかと思っています。

こう言うデジタルなこと言うと、またガラパゴスなおっさんたちから「リアルに対面しているから温かみがあるのであってだな…」とか説教食らうんですけど、知るかって話ですよ。

お前らの説教じゃ誰ひとり子どもは笑顔にならないんだよ」って言いたい。

これからの消費は、モノもコトもいらない。ほしいのはココロの満足なんです。動かすのは承認感と達成感。

これは、1月に日経MJにも書きましたが、そういうことこのトークイベントではお話します。是非来てください。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

また、そんなことを書いている拙著「超ソロ社会」をよろしくお願いします。

 

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