ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

「生産性」をあげると、本当に人は幸せになるのか?

 

「生産性」って言葉、流行ってますね~。

人口減少が不可避で、借金だらけの日本は、この「生産性」をあげないと立ち行かなくなると警鐘を鳴らす人が多いわけです。

要するに、「金と時間の無駄をなくせ」ってことですね。

こちらの本もベストセラーになってますし、みなさんの関心は高いのかもしれません。 

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの
生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの 伊賀 泰代

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まさに、その「生産性」という本をお書きになった伊賀泰代さんことちきりんさんがこんなブログを書いています。

d.hatena.ne.jp

 

ま、僕みたいな雑魚と違って、さすがにぺストセラー作家のいうことですから、納得性高いこと書いています。内容は、そちらを読んでいただくとして、この「生産性をあげる=無駄をなくす」ことが、果たして本質的に是なのか?について考えてみたいと思います。

生産性もそうなんだけど、効率化や合理化については、人類は長い歴史の中でそれを解決し続けていると思うんですよ。農業革命しかり、産業革命しかり、いま進行している情報革命もそう。

にも関わらず、無駄なモノや時間ってなくなりましたか?

なくなってないですよね。

効率化や合理化が失敗したわけじゃないんです。課題は一旦は解決されたと思うんです。でも、俯瞰して見たら、無駄はなくなっていない。

これをキチンと認識すべきでは?

これって、無駄がなくならないというより、効率化されると、それまでになかった無駄が新たに創出されるという構造になっているからなんです。

 

例えば、かつて、文書は手書きでした。一文字間違ったら下手すれば全部やり直しとか、今から考えたら相当な無駄でしたよね。それがワープロやパソコンにより、文字校正とかは随分効率化されたはずなんです。だけど、だからといって仕事面の生産性があがったかというと意外にそうでもない。むしろ、いつでも、直前になっても直せるということから、ぎりぎりまで仕事をするっていう弊害も生んだことてじょう。

昔、会議資料とかプレゼン資料の作成なんて、その日の2日前くらいには完成していないといけなかった。なぜなら、コピー機だって普及していない時代は、それを外部に依頼しなきゃいけないし、その作業日分1日は必ずあけておく必要があった。だから、大事な会議の前の日は、案外早く帰れたわけです。

ところが、パワポなりで資料を自前で作成することができるようになると、前の日徹夜して作ることも可能になった。そうなると、結果、人間とはぎりぎりまで作業してしまったりするもんなんですよ。だって物理的にいつまでも修正できてしまうから。

単純に比較はできないけれど、テクノロジーで便利になったからといって、無駄がすべて排除されるなんて簡単な問題じゃない。むしろ、効率化・合理化を図ったがゆえに、新たな作業時間増という無駄を生んでしまった、とも言えるんです。

コンビニの24時間営業だってそうです。なまじ24時間開いているからこそ、実は時間当たりの生産性は悪くなっているんじゃないですか?限られた時間の中で売る、限られた時間の中で配送する。そういう制限があった方が、無駄が少なかったのかもしれない。

 

無駄をなくす

一見、よさげに見えるんですけど、これって実は人間の生き方に対して逆らっていることなんじゃないの?

無駄をなくそうとしても、どこかに新たな無駄が生まれる。いたちごっこです。それは、無駄をなくせない人間の限界のせいじゃなくて、無駄をなくすことそのものが人間として向いていないんですよ。

大体において、「無駄をなくす」っていう言い方自体が上から目線だよな。資本家の論理。労働者に対して「無駄なく働きやがれ」ってことでしょ?

そうなんです。無駄をなくすってことには、無理があるんです。

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要するに、人間が生きるには無駄が必要なんです。

無駄という言い方が悪いなら、「余白」ね。余白のない絵、余白のない音楽、余白のない会話…。それってつまらなくない?そして、疲れない?

特に、「時間の無駄」ってやつ。あれこそ実は人が人らしく生きて行く上で必要なもんじゃないのかな、って思いますよ。

ドラえもんの「どこでもドア」があったら、一瞬便利かなって思うけど、あれによって、人は旅をするという喜びを喪失します。旅なんて壮大な時間の無駄使いですから。でも、その無駄な時間が心を豊かにしてくれているんじゃないですか?