ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

教師が人間であるべき理由。人間だから学べること。それはAIには無理。

ロボットには「学ぶ喜びを教えること」はできないと言う記事を読んで。

diamond.jp

この記事は、藤原和博氏の最新刊『10年後、君に仕事はあるのか?』の内容をもとに、AIの台頭や一層のグローバル化、就活の地殻変動などの影響で消滅する仕事とは何か?について書かれたものです。AIの登場でなくなる職業というのが一時話題になりましたよね。

この記事で取り上げられたのは、「教員」という仕事です。

藤原氏はこう問題提起します。

僕はすべての学校で、当事者である先生たちがこの問題を議論してくれたらいいなと考えています。ネット上にほぼすべての知識が載るのは、時間の問題だからです。有史以来、人類のすべての知恵に匹敵する膨大なデータの複雑な分析が可能になって、あらゆる質問に瞬時に答えられるシステムがスマホの向こうに用意されたら、君の前に立っている先生は、何をすればいいんでしょうか?

確かに、膨大なデータの中から最適解を導き出してくれるAIなら、知識や受験のためのテクニックなんて、生身の先生より上手でしょう。

では、教師という仕事は将来なくなる?

でも、藤原氏は「そうはならない!」と断言しています。

教えるマシンとしていかにロボットが完璧になったとしても、学ぶ喜びを教えることはできないだろうと考えるからです。君もそうだと思いますが、子どもって、教えてる大人というよりも、学んでる大人から多くを学ぶものなんです。

 

その通りだなあ。

個人的な話ですが、今でも覚えている先生って一人しかいません。
中学時代の担任、身体の大きなクマのような先生でした。

その先生からは毎日のようにげんこつで殴られていました。
それは、僕が悪さをしたからでもあるんだけど、そうではない時もあって、先生の早合点で殴られたこともあります。ええ、そうです。冤罪です。
当時は、「ふざけんな」と憎んだ先生ですが、今では一番懐かしい先生です。


というのも、僕はその先生から「人間らしさ」をたくさん教えてもらったからなんですね。先生に殴られることで、怒りや悔しさという感情もそうだけど、先生だって感情的になるし、ミスもするし、泣くし…みたいなことも。

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基本的に悪ガキ扱いだったんですが、何かの拍子に、テストでいい成績を取った時があったんてぜす。その時、先生が自分のことのように喜んでくれたシーンが、今でも頭の中に残っています。

めちゃくちゃ嫌いな先生だったのになぜかうれしかった。

褒められて恥ずかしかったけど、とてもうれしかった。

…ま、次の日にはまた殴られてんですがwww

 

毎日顔を突き合わせている中で、教える人、教えられる人という関係であるよりも、先生と相対したことで自分の中に生まれた自分というものがあるんだと思います。そして、それは先生の中にも生まれている。

お互い様です。


だから人間の関係性はおもしろいんです。

 

 

この話をした時に「体罰は許せないな」という感想を言った人がいるんですが、僕はそうは思わない。体罰って本当に悪いことなの?

言うまでもなく、暴力行為は犯罪です。そんなのは当たり前ですが、全ての体罰を暴力と結び付けられるとは言えないと思う。逆にいえば、体罰を一切しなくたって、言葉の暴力で生徒を追い詰める先生だっているだろうし、はたまたクラスのいじめを「見て見ぬふり」するという無行動という暴力だってある。むしろ僕は、こうした「無視」とか「無関心」という形の方が先生の行為としては最悪だと思っている。

繰り返しますが、体罰を受けるだけの悪さをしていたから受けていた。そういう自覚は自分自身にありますので、それはそれとしてうけ止めていた。

ただ、毎日殴られるもんだから、「どうしたら悪さしても殴られないようになるか」を考えてたな~。ああでもない、こうでもないって。先生からの体罰逃れは、当時ゲーム化していた。あ、ちなみに、悪さをしないという選択肢は鼻っからありませんでした。

あの先生が「生徒(僕)のためを思って」体罰をしていた、なんてきれいごとは言いません。多分、僕のこと「憎ったらしいクソガキ」だと思ってたはずです。間違いない。自分が先生の立場でもそう思う。だって、言うことまったく聞かないんだから。

でも、憎いからとか、怒ったから殴ったっていいじゃん。そういう本音を知ることもまた学校というものの役割です。

ちなみに、そんなことが言えるのは今だからです。当時は、めちゃくちゃ腹立って「絶対、お礼参りしてやる」と思ってました。

でもなんか思うんですよ。そうやって、そういう感情も含めて、毎日僕は先生と向き合っていたと思うし、先生もまた問題児の僕(だけではなくクラス全員)と向き合っていたんだろうって。問題児なんか放っぽっておいた方が先生だって楽。見て見ぬふりしている方が楽なだったはず。

だからこそ、柄にもなく僕はその先生が今でも好きなんです。

そうそう、その先生の毎日のげんこつのおかげ(せい?)で、僕の頭はごつごつしている気がするんですよね~(笑)。

 

こういうクソみたいな所業を堂々とする教授とかの方が、数億倍クズです。