ソロで生きる力@荒川和久

来年1月に新刊「超ソロ社会-独身大国日本の衝撃」が出ます。「結婚しない男たち」とあわせてよろしくお願いします。独身研究の第一人者としてテレビ・ラジオたまに出ます。東洋経済オンライン、読売新聞オンライン他コラム等執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

「男らしさ」とか「女らしさ」とかで区別することの無意味さと偏見に気付きましょう。

僕は、結婚しない女=ソロ女のことを研究して、もはや本になるくらいいろいろ書きためていることがあるのですが、ある偉い女性からこう言われました。

 

「男が女のことを語るんじゃない!」

 

 

 

はあ?

彼女曰く、「男が女を語ると、大体において偏見に満ちたものになる」んだとよ。

 

 

はあ?

それこそ偏見じゃん。

 

 

言いたいことは山ほどあるが、そういう「男が女を語るな」とか偏見に満ちた人とは話が合わないので、無視するとして、そもそもフェミの人とかも意味がわかんないんですよ、正直。

いや、別にどんな活動しようと自由だからいいんですけど、彼女たちの言うことを聞けば聞くほど、むしろ男と女を区別して差別しようとしているのは自分たちじゃないのか?と。

 

男と女に違いなんてそもそもあるのか?と。

 

いや、バカじゃないんで、生物学的な男女の違いとかはわかっていますが、そもそも考え方に男女の違いなんて明確にあるんだろうかって話です。

よく男脳とか女脳とかいうじゃないですか。あれって、脳研究者に言わせれば「そんなものはない」らしいですよ。

よく「女は感情で動く」「男は理屈で動く」とかいうじゃないですか。こんなのも女が理屈で動く場合もあるし、感情に流される男だってたくさんいる。

ベストセラーになった、「話を聞かない男、地図が読めない女」って本ありますが、あれも「ふむふむ」って読む人って、多分血液型占いに納得しちゃう人と変わらない。

血液型で性格なんて変わらないから!

話を聞く男もいるし、地図を読める女もいる。

 

同様に、安倍政権の「女性活躍社会」っていうのも違和感がある。そうやって、前提から男女を分けること自体がもはやダメでしょ、って話。

「そうは言っても歴史的に男尊女卑だったんだから」って言われるんですけど、人類有史以来ずっとそうだったわけじゃないですよ。

歴史上女性の偉人も芸術家もいないじゃないか、と指摘する人もいるんですが、そういう人は歴史を勉強してもらいたいですわ。世界史はクレオパトラくらいしかよう知らんが、日本史なんて女性はたくさんいましたよ。

政治面で言えば、そもそも卑弥呼がいた。飛鳥時代とかの天皇推古天皇はじめ女帝が多かった。源平合戦の時、木曽義仲の相方だった巴御前なんかは、男勝りの武将でした。続く鎌倉時代北条政子なんてすごい政治家です。室町時代日野富子もそうです。秀吉の側室淀の方も政治家といえば政治家です。大体において、「古事記」などの神話を紐解いても、天照大神(あまてらすおおみかみ)からして女性です。

推測ですけど、人類はそもそもミチバチと同じように女王によって集団の規律を統治されていたような気もするんですよ。狩猟していた男たちは働きバチ。もともと人類は女性に支配されていたと考える方が合点がいく。

政治家だけじゃないですよ。芸術家だってたくさんいる。小野小町清少納言紫式部和泉式部…みんな女性。源義経と付き合っていた白拍子静御前も今でいえばダンスアーティスト。戦国時代に歌舞伎踊りの創始者といわれた出雲の阿国もそうでしょう。

江戸時代に入っても、女流浮世絵師がたくさんいたことをご存知ですか?歌麿の門人であり妻といわれる喜多川千代女北斎の三女である葛飾応為北斎の門人の女流浮世絵師は他に葛飾北明がいる。MOA美術館に飾られている「傘持ち美人図」も女流浮世絵師の山崎龍の作品。菱川師房の娘の菱川さんという人もいた。

女流浮世絵師はもっといて、寛政年間の窪はつ安政年間には木村幾年。浮世絵師以外にも、歌人として知られる祇園梶子がいるし、彼女の孫は、画家である池大雅と結婚し自らも画家として知られる池玉蘭です。『宇津保物語考』で知られる国文学者の桑原やよ子もいる。その孫が国文学者の藤あや子(只野真葛)である。

あげはじめたらきりが無い。

認知度がないだけで、日本には歴史上多くの女性が、政治上も芸術面でも活躍してきたんです。

以前にも書きましたが、むしろ江戸時代までの日本人は、特に町人は男女平等でした。時代劇とか見て、武家しか見ていないからそういう誤解が生まれるんです。

 

話がそれましたが、要は、男と女に考え方の違いなんてないし、もっと言ったら「男らしさ」「女らしさ」だってない。それはいわば後付けの理屈であって、そういうものに縛られて合わせているだけなんですよ。

ちなみに、今に続く「女らしさ」や「良妻賢母」のバイブルともなり、後の男尊女卑の走りとなったのが江戸時代の寺子屋で女子に習わせた「女大学」という書物です。その内容はまたあとで書きますが、なぜそんなものを女子に習わせなきゃいけなかったかというと、それくらい女の力が強くて押さえないといけなかったからです。だけど、その「女らしさ」を規定したのは男の作者ですからね。

可笑しいと思いません?

「女について男が語るな」って言うけど、そもそもその「女としての女らしさ」を規定したのは男なんですよ。 

もともと女性はそうじゃなかった。

というか、男らしさとか女らしさというもの自体が無意味なんです。

 

大体、最大のクリエイティビティって女性しか発揮できない。そう子どもを産むこと、育てることですよ。それに勝る創造性なんて存在しない。

 

とはいえ、現代社会は男社会だ?

 

はあ?

 

呆れかえります。政治家でも会社で出世する奴を見ても、大体がいわゆる「女らしさ」のある男が上に行くんです。周囲の空気を読めて、周りに配慮ができて、やさしさと厳しさを備えて、自分で動くより人を動かせる奴。それは決して「男らしさ」とは違う。

男らしさとは、一匹狼で、孤高で、人との関係性がぎくしゃくしちゃう奴です。そして過度な男らしさによって、男は自殺に追い込まれるんです。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

この世を支配しているのは、まぎれもなく「女(らしさ)」なんです。

 

だから、生物学的な男と女で二項対立を論じるのはアホ。男も女もふたつの要素を抱えて生きている。それが人間なんです。男が女を語ってもいいし、女が男を語ってもいい。だって、それは自分のことを語るのと大差ないんだから。

糞みたいな偏見はやめましょう。