ソロで生きる力@荒川和久

来年1月に新刊「超ソロ社会-独身大国日本の衝撃」が出ます。「結婚しない男たち」とあわせてよろしくお願いします。独身研究の第一人者としてテレビ・ラジオたまに出ます。東洋経済オンライン、読売新聞オンライン他コラム等執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

特攻なんてクソったれ!特攻を拒否したパイロットもこれだけいたという事実

んなが当然や常識や歴史的事実だと思っていることは、必ずしも正解とは言えません。例えば、僕は今までも「若者の9割は結婚したがっている」という報道の嘘や、「男性の草食化が進んでいる」という誤解についても解き明かしてきました。

人は、それが正解かどうかではなく信じたいものを信じる生き物。

それはそれでいい場合もあるんですが、やはり事実は知っておくべきだと思うんです。

 

本日は終戦記念日

いつも暑く蝉の鳴き声のイメージがある日ですが、今日は一日中雨。せっかくなので戦争についての「みんなが勘違いしている事実」について書こうと思います。

太平洋戦争の末期、日本には特攻という愚かな戦術がありました。戦闘機に爆弾積んで飛行機もろとも敵艦に突っ込むアレです。

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撃墜王として有名な坂井三郎少尉は、特攻作戦を愚策と批判しており、後にこう述懐している。

「特攻で士気があがったと大本営は発表したが大嘘。『絶対死ぬ』作戦で士気があがるわけがなく、士気は大きく下がった

 

ちなみに、戦争中の軍隊なんて「命令は絶対」だと思っていませんか?

「命令違反なんてとんでもない」と。特に、映画で描かれる日本軍はそういうイメージだと思います。

 

そんなことはないんです。特攻に対しては、誰もがあんな作戦「クソくらえ」と思っていた。特攻命令を拒否し続けたパイロットたちもたくさんいます。その事実をご紹介します。

 

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志賀淑雄少佐<第343海軍航空隊飛行長>
部隊に打診のあった特攻作戦を撥ね付けて、これが黙認された。

美濃部正少佐<芙蓉部隊隊長>
熟練者による夜間通常襲撃の有効性を主張し、特攻を指示する上層部を論破して、終戦まで沖縄に夜間襲撃を続け、決して部下に特攻をさせなかった。

岡嶋清熊少佐<第203海軍航空隊戦闘第303飛行隊長>
特攻には断固反対であり、国賊と言われても自らの部隊からは特攻隊を出さなかった。

石橋輝志少佐<陸軍飛行第62戦隊戦隊長>
大本営作戦課で第62戦隊を特攻部隊に編成訓練するよう要請されると「部下を犬死にさせたくないし、私も犬死にしたくない」と拒否し、罷免される。

岩本徹三少尉<エース・パイロットのひとり>
戦闘機搭乗員の立場から、「死んでは戦争は負けだ。戦闘機乗りは何度も戦って相手を多く落すのが仕事だ。一回の体当たりで死んでたまるか。俺は否だ。」と特攻拒否を公言して憚らなかった。

岩本益臣大尉<陸軍の最初の特攻隊とされる万朶隊>
出撃を待つ間に爆弾を投下できるよう改造を命じて、部下に「爆弾を命中させて帰ってこい」と言ったという。

 

そして何より痛快なのは、この万朶隊唯一の生き残りである佐々木友治伍長

彼は幾度も出撃しては、何度も帰還。参謀から「体当たりせよ」と強く命じられても、こう答えて生還し続けた。

「必中攻撃で死ななくてもいいと思います。そのかわりに死ぬまで何度も行って爆弾を命中させます」

これこそパイロットの矜持。

 

それでも無念にも特攻で散った多くの命があったこともまた事実。

日本で最初の特攻攻撃で散った関行男大尉が、特攻の命令を受けて基地の報道班にもらした言葉。

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「僕には体当たりしなくても敵空母に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。日本もおしまいだよ、僕のような優秀なパイロットを殺すなんてね。僕は天皇陛下のためとか日本帝国のためとかで行くんじゃないよ。KA(妻)を護るために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう!」

偽らざる彼の本音だろうし、さぞ無念だったことだろう。

 

 

そして、そんな技量も経験もなく、ひたすら忠実に軍の命令に従って(本心は違うはずだが)特攻で死んでいった若い人たちもたくさんいます。

 

陸軍特攻第七十七振武隊相花信夫少尉(18歳)の遺書

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母上様御元気ですか。永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の母にある如き不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母 有難い母 尊い

俺は幸福であった 
ついに最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい、さぞ淋しかったでしょう

今こそ大声で呼ばして頂きます

お母さん お母さん お母さんと・・・