ソロで生きる力@荒川和久

来年1月に新刊「超ソロ社会-独身大国日本の衝撃」が出ます。「結婚しない男たち」とあわせてよろしくお願いします。独身研究の第一人者としてテレビ・ラジオたまに出ます。東洋経済オンライン、読売新聞オンライン他コラム等執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

「あなたのためだから」と寄ってくる奴にロクな奴はいない

以前にこういう記事を書きました。

「ギブ&ギブ」の精神を他人に押し付けるやつはロクなもんじゃねー! という話です。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

これに共感してくれる人もいるけど、「まったく賛成できない」と異論を唱える人もいるわけで、それは人それぞれ自由だからいいんですけど、この話って人類の長い歴史の中でいろんな賢い人たちがずーっと喧々諤々やってきて、いまだに結論がでてない問題なので当然です。

 

人にギブするという行為は、利他的なものなのか?利己的なものなのか?

 

利他的であるとする代表選手が、心理学者ダニエル・バトソン。

彼は、「相手が困っているときに何かしら共感を覚えると、人は無私無欲になる」と唱えています。相手の困り具合がひどければひどいほど、より一層相手への愛着が増すんだそうです。そうなると、相手を助けるエネルギーがどんどん強くなる。それは、相手を助けると自分がいい気分になれるからではなく、心から相手を思いやっているからだ、と説く。

 

なるほど。

 

それに対して、真っ向から異を唱えるのは同じ心理学者のロバート・チャルディーニ。

彼は、「人間に純粋な利他主義など存在しない」と言い切る。「困っている人を見ると、私たちは苦しみや悲しみ、うしろめたさを感じる。こうした自分のネガティブな気持ちを和らげるために人助けをする」と主張した。

 

それに対するバトソンの反論。

「ネガティブな気持ちを和らげるために、というが、人はそういう場合その状況から逃れるようになるだけだ」。要するに、見て見ぬふりをするということです。相手に共感が少なければそうするだろう、とバトソンも認めている。

彼は、それを裏付ける実験をした。被験者に女性が電気ショックを受けて苦しむ様を見せた。すると8割近くがその実験室を出ていってしまった。しかし、被験者がその女性に共感を覚えると、出ていく率は14%に減った。それどころか、残った86%はその女性の身代わりに自分が電気ショックを受けると申し出たそうだ。

バトソンは「自分が痛い目を見ても相手を助けようとする、自己犠牲の精神だ、これが利他だ」と胸を張る。

しかし、チャルディーニも負けない。

「だからといってそれは利他主義によるものではない」

チャルディーニも共感によって人が他人を助ける行為をすることは認めている。彼が主張するのは、以下だ。

困っている人に強い共感を覚えてしまうと、相手に強い愛着感情を持ちそのうちその感情は相手との一体感に変わっていく。困っている相手を自己意識に同化させ、相手の中に自分自身を見出すようになるとチャルディーニはいう。

 

これこそが人助けのメカニズムであり、実際には他人助けではなく、自分自身を助けているのだ。

 

人は想像力によって、他人の境遇に自分自身を置き、同じ苦痛を耐えていると心に思い描く。いわば、相手の体の中に入り込み、ある程度相手と同化するようになる。だから、助けているのは自分そのものなのです、と。

この後も二人の論争は続く。

 

 

僕は完全にチャルディーニを支持しています。

バトソンが何をいおうが一向に心に響きません。だってそれって理屈でしかないら。思うのは、結局感情というものは主観なんです。どんなに客観視しようがロジカルに分析しようが、感情というものはすべて主観。共感とは感情です。そして感情によって行動は喚起される。

だとすれば、「相手のために」という理屈は、すべて主観に基づく自己の行動を客観的に正義化したいがための理屈でしかなくて、「利他的に行動しているという自分自身を愛でたいがためにそういっている」に過ぎないんです。だから僕にしてみりゃ、バトソンの理屈こそがもはや「非利他的」なんです。

 

よくいるよね。「あなたのためだから」と前置きして、どうでもいいことを押し付けてくるやつ。バトソンはまさにそういう輩と同類。

こういうのが始末悪いのは、言ってる方は「本気であなたのためだから」と勘違いしている場合もあるってこと。最悪。

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「あなたのためだから」というセリフのすべては「あなたのためだからという理屈で自分の利己的な心を消滅させて自分のために行動している」あらわれだと思うよ。

 

自分のためでいいんですよ。それの何が悪いの?

 

自分のために行動することで結果として相手の助けになるなら、それが一番ないいじゃない。

チャルディーニの言説は、僕が拙著「超ソロ社会」で言っている「自分の中の多様性」の話ともリンクしています。

人は他者と会ったり、話したり、交流したりすることで、その他者によって自分の中に「他者と接続したことで生成された自分」が誕生します。それはAさんによってできた自分、Bさんによってできた自分、全部違うけど全部本当の自分です。

 

唯一無二のアイデンティティという幻想が人を窮屈にする。

誰かを助けたという結果としての行動のきっかけは、そうして誰かと接触してできた「自分の中の自分」を助けたいという動機なんです。自分を助けたいのだから、そこに「私だけが犠牲になって」なんて感情は生まれない。「なんで私だけいつも割食って」なんてことも思わない。

 

利己的な感情こそが、結果的に人を助け、自分をも満足させるんですよ。

 

「情けは人のためならず」はまさにそういうこと。

 

だから、利他、利他、うるさいやつは本当に信用ならないんだよ。そういう奴に限って、自分の意見に賛同しないやつを敵扱いして、排除したり攻撃したりするよね。そんなのたくさん見た。新興宗教の創世記でよくあるある。

 

本当に利他的行動する奴は、言葉で利他なんて言わない。先に行動している。

 

※参考図書 アダム・グラント「ギブ&テイク」