ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

未婚や子無しを自分勝手と言い放つ親の自分勝手について

みなさんもご覧になったと思いますが、このニュース。

this.kiji.is

「3人以上子どもを産み育てていただきたい」と結婚式で発言したことが物議をかもしていまして、ネット上ではそれぞれの立場や価値観でいろんな意見が出ていて、個人的には興味深い。セクハラ扱いや安部倒しのネタにして非難する人、人口減少問題に照らして擁護する人、景気問題にまでは波及させる人…いろいろいていいと思います、別に。

どうでもいいけど、この人子供6人・孫8人いるんですよね。そりゃあ言いたくもなるんでしょう。

まあ個人の価値観は別にして、今のご時世、本当に普通の家庭で3人も子どもを産めるのか?たとえ産めたとしても、ちゃんと育て上げられるのか?って話があると思うんですよ。

そんなことを、いつものように事実を提示して日経COMEMOにコラム書きました。ぜひご一読ください。

comemo.io

 

コラムの末尾に書いたことが本音なんですが、この政治家の発言がどうのこうのというより、この発言に対して、ネットで「未婚者叩き」「子無し叩き」が湧いて出ているのがどうにも気に食わない。

「あなたが結婚しなければ、子どもが生まれないわけですから、人さまの子どもの税金で老人ホームに行くことになります」

これがこの政治家の発言なんですが、それに対して…

その通りで何も間違っていない。結婚もせず自分のためだけに金を使い、遊び歩いてる未婚者は、俺らの子が年金で支える羽目になるんだ。

と。要は、子どもも産まない自分勝手な奴のために自分の子が苦労するのが許せないらしい。

僕から言わせれば、

あんたも十分自分勝手だよ! 

 

自分の子がよそ様のために貢献することは彼の社会的役割を褒めるべきことじゃないのかよ。他人のために自分の子が金を使うのが許せないだけなんじゃないの?自分のために子を尽くすべきだという狭い考え方なんじゃないの?そっちの方がよっぽど自分勝手だよ。

いや、自分勝手でもいい。僕自身は「利他」なんて言葉は大嫌いだし、基本的に人間は自分のために行動することでいいと思っている。自分のためであうが外的に行動することは。巡り巡って誰かの役に立っている。役に立たない行動は犯罪と言われて牢獄に送られるだけだから。

たとえば、消費。このコメント主は、自分が子育てに使っている金を未婚男とかがアイドルだ、アニメだ、フェスだ、ウェーイだ、に使うのがうらやましいのかな?でもね、消費こそ大きな社会貢献なんですよ。資本主義の国家ならね。

消費してお金を使えば、どこかの会社の売上があがるわけ。売上があがって利益が出れば、従業員の給料もあがるわけ。もしかしたら顧客のための還元施策がされるかもしれない。

一事が万事。そういうのが積み重なって、消費が活性化することが景気がいいということなんですよ。経済の基本。金は天下の周りモノっていうでしょ?

高齢者たちが将来の不安で消費もせず、年金を貯蓄ばかりしてどうなりました?貯蓄額が右肩上がりになるのと相関して、景気が悪くなったのが90年代から2000年にかけての不景気ですよ。

金は使ってなんぼ。廻してなんぼです。

 

ため込むなんて、むしろ利己主義の権化だし、世の中の何の役にも立っていないことを貯金オタクの高齢者は知るべきだ。

そう考えれば、自分の自己肯定感のためにエモ消費しているソロ男やソロ女たちは、手段こそ自分たちの自己満足のための消費だけど、十分社会の役に立っているわけですよ。

エモ消費についてはこちらの記事参照

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

自分の子の将来を親が心配するのは当然だし、そこは非難していない。ただ、あんたらの子が労働人口になる時代にはもう年金なんかねえから!消えてなくなっているよ。 つか、いつまで子が親世代の高齢者を支えるなんて昭和脳でいるんだよ。逆ですよ。

昭和の社会保障というのは、人口増加の波によって、いわゆる労働人口が引退した高齢者を年金で支えるというシステムです。高齢酒人口が少ないから機能した。でも、もはや高齢者の人口が増えまくった今、破たんしていのはご存じのとおり。

でもね、なんで発想を転換できないの?

 

子どもたちが年寄を支えるだけがモデルじゃない。逆に、高齢者含めた人数の多い大人たちが束になって少子化で少ない子どもたちを支えればいいんですよ。

子がいようがいまいが、結婚していようがいまいが、全ての大人は子を支える責任があるんです。僕の試算によれば、1人の子ども(未成年)を7人の大人(20歳以上)で支えられる計算になります。両親+赤の他人5人の大人が一人の子どもをサポートできるんです。それでいいじゃねえか。つべこべ言うな。と思います。

拙著「超ソロ社会」にも書いて、海外メディアにもいろいろ取材されましたが、それこそが「拡張家族」という概念です。

この7人のうちの赤の他人5人は互いに面識もないし、どの子どもをサポートしているか不明です。もっと言えば、子どもをサポートしているなんて自覚すらなくなてもいいんです。そんな自覚なしに、アイドルの尻を追っかけまわして、アニメ見まくっていれば、結果として子どもたちが学校に行けるサポートになっている。

それでいいんですよ。

利他のためにあからさまに誰かを助けて、それで承認や賞賛されたいような奴等なんかいらないから。

てめえのために動けば、誰かが助かる。それが社会っつーもんなんですよ。「情けは人のためならず」っていうのもまさにそう。

道徳心や偽善や見栄なんかじゃ誰一人救えないよ。そんな屁の役にも立たない能書きなんかより、たとえ自分のためだろうが「行動というアウトプット」の方が価値がある。貯金するより、金使って消費してくれた方が価値がある。子どもを産まなくても、そうやった行動が間接的に子ども育てることに役立つ場合だってある。

家族が家族だけしはか頼れないような唯一依存は破綻します。どこの誰べえか知らんけど、いや、むしろ、知らなくていいけど、誰かの消費が誰かのためになっている社会こそ、ネットワークでつながった「ゆるいつながりの強さ」であり、これからのコミュニティの形なんです。