ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

ソロを無視したら商売が成り立たなくなる時代が来ましたよ!

本日発売の日経ヴェリタスにて、1面から4面にかけての大型特集「孤客をつかめ~超ソロ社会、商機探る企業」に僕のインタビュー記事が掲載されています。

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インタビューというよりこの特集そのものが僕の論説の解説みたいなものですがwww。

 

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少々お高いですがコンビニで売っています。マーケターは必読かもです。

 

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それにしても、最近は日経をはじめとする新聞からの取材が多い。

僕が独身研究をはじめた4年前は、新聞はほとんど無視でしたからね。これも、国内より海外のメディア、中国・韓国・台湾だけではなく、フランスのル・モンド紙やカナダのナショナルポスト紙が注目したことが逆輸入されているんですよ。

海外が日本のソロ社会化に注目しているのは、それが決して対岸の火事てではないからです。そして、特に欧米の記者が注目しているポイントを聞いて「なるほど」とおもったりもしました。その話は別に記事にします。日本では普通でも海外ではそこが興味のポイントなのだというところがあります。

いずれにしても、遅いなりにメディアの食いつきが最近活発化していますので、世の中のサービス的にも今後より活性化していくと思います。

今やソロを無視した企業こそ勝てない。

 

記事内にも書きましたが、100万人が1回だけ買うという大量生産・大量消費型の時代は終わりました。これからは、1万人のコアなファンを獲得した企業や商品が支持される時代です。1万人のコア層が100回買い続けてくれる仕組みが構築できれば、100回は1000回、1万回になる可能性がありりますが、1回しか買わない層は、未来永劫1回しか買わない。

これから人口減少が不可避なのに、そんな人口に頼った商売が通用しないとことは小学生でもできる計算です。

客の数を増やすなんて手法はオワコンです。モノやコトを売るなんて発想も時代遅れです。モノ・コトは所詮道具でしかなくて、道具を使って得られる自己肯定感や社会的役割があれば、消費者はお金や時間を提供してくれるのです。

それが僕の提唱している「エモ消費」ですから。

「エモ消費」というのは精神的充足のために、(主に独身が)刹那の自己肯定感を得るための消費であると以前この記事でも書きました。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

「刹那の自己肯定感を買うなんて、なんて不幸せな人たちなんでしょう」というコメントもいただきました。でもね、所詮すべての幸福感は刹那的なんです。永続的だと考えていることも「永続的であってほしい」という生存バイアスでしかない。

100万人に1回ずつ買わせるマーケティングをずっと繰り返してきたのも、刹那的です。マス広告による大量消費というのもそもそも刹那的なものなんです。もっというと、人生そのものも刹那の連続でできている。

だから、これは独身だけの話では実はない。

こうした記事を「独身者の数が増えているからそこを刈り取るべきだ」としか読み取れないのだとしたら、それも間違いです(記事も一部そういうふうに誤解されて書かれているけど)。

結婚しようが、子どもができて家族になろうが、全体的な「社会が個人化」していく流れは止まらない。

そういう家族の孤立を一番感じているのは、まさに標準家族の「小さい子がいる夫婦」じゃないんですか?

家族が家族しか頼れない。隣近所の他人は、警戒すべき赤の他人で信用ならない。育児に際して行政は頼りにならない。遠方の親や義理の親には頼れない、頼りたくない。そもそも人に頼れなくなっている。そのくせ、夫は協力的でないと妻は文句わいい、妻がイライラしていると夫はストレスを溜める。その夫婦の軋轢を子どもが敏感に感じ取っていないとでも思っていますか?

家族が家族という単位で孤立していく。それが一番の孤立なんです。少なくとも子育てをしている最中は、それ自体で自己の社会的役割を感じられる。だからまだ救われるけど、子どもが独立した瞬間に、その夫婦は突然虚無感に襲われてしまうのはそういうことだったりします。特に、妻側の方がされを感じやすい。

いずれ、家族にもそうした欠落感に苛まれる時代がきます。それは決して絶望や暗黒の未来ではなく、そうした欠落感を日々感じるからこそ、それを埋めた時の幸福感を感じられる。不自由じゃないと自由を感じられないのと同様、不幸があるから幸福を感じられるのが人間なんですから。