ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

誰かの安心のために誰かが危険にさらされる共同体の罠

ツイッターとかで「挑戦しなければ何も始まらない」とかいう言葉が沢山RTされたりするこの「ポジこそ正義社会」「前向きこそ善」みたいな脅迫観念はいかがなものか?と思っているわけです。

もちろん、ポジティブであること、前向きであることは否定しません。挑戦する気持ちも大事だし、行動する力はむしろ賛成します。だけど、なんだろう、気持ち悪い。

いつもこういう言葉を発信して、「明るさ第一」「キラキラこそ幸せ」みたいなオーラを振りまいている人たちとそれを「うんうん! 」と強くうなずく人たちの集団を客観的に見ていて、本当に気持ち悪さを感じる。

大抵、こういうことを言う人は決まって自分の言葉を否定する人を敵視する。「どうせうまくいかない」とか「やめとけ」という奴を例にして「そうやって人を批判して行動を起こせない奴は成長しない」とか「なんでも反対する老害だ」とか。

そうした言葉にさらに周辺は「そうだ、そうだ! 」の大合唱になる。

 

気持ち悪い。いかがわしい詐欺的新興宗教みたいだ。

 

「お前が気持ち悪いかどうかなんて知ったことじゃない」

はい、その通りです。

「お前に迷惑かけてるわけじゃないんだから、外野はだまっとけ」

おっしゃる通りです。

 

けどね、僕が気持ち悪さを感じているのは、こうした前向きな言葉それ自体ではなくて、そういう言葉を操って、集団心理によって人を支配しようとする発信者の本心が透けて見えるからなんですよ。

 

もっとはっきり言えば、

「そういう言葉で誰かをけしかける人間が一番クソ」だってこと。

 

忘れないでほしいのは、最初に毒キノコやフグに挑戦した奴等は真っ先に死んでいるからね。人類の歴史上、偉大な挑戦者たちなんてものはことこどく死に絶えている。当たり前です。利己的な遺伝子というものは、自分の遺伝子をずっと残すことこそ目的であり、途中で滅亡してはいけないからです。リスクを考えない奴の遺伝子は絶えるんだよ。

逆に言えば、今生存している人たちは、ほぼ「挑戦しない、臆病者」だから生きているという証明なんです。遺伝子からしたら、「挑戦して死んでいく奴」こそ「愚か者」になります。

それでも、誰かがリスクを取って、有体に言えば死んでくれないと困るわけですね。安全なのかどうかがわからないから。するとどうするかというと、誰かをけしかけて生贄にするんですよ。

 

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「挑戦しない奴に成功はない! 」「失敗しても死ぬわけじゃない! 」

そんな言葉を操り、共感した人間が出てくるのを待つ。誰かが挙手すると「勇者よ」と褒めたたえる。そして彼の背中を後ろからみんなで押すように仕向ける。一見、がんばろうとしている人の支援や応援をしているようにも見える。事実、「がんばれ! 」と言っている人たちには悪意も欺瞞もないことでしょう。

でも、そうした応援が、本人の意思とは関係ない行動を喚起させてしまうこともあり得るわけです。

太平洋戦争時の特攻の志願なんてのも同じようなものかもしれません。

 

前向きであることと無謀であることは別です。行動しないという行動もまた行動的なことです。リスクを考えて、ネガティブな可能性を考えることは、とてもポジティブな行動のひとです。

なのに、自分の頭で考えず、人から言われた通りに、それを正義として盲信して行動してしまう人間を生み出すのも、コミュニティという機能の罪だと思っています。

 

人を信用するな、とは言いません。

けど、その人のある部分や行動を信用することと、その人の全部を信用することとは別モノであるとなぜ考えないのでしょう。その人の行動や言動は、その人のすべてではないし、言葉ひとつで全部信じ切ることの愚かさになぜ気付かないのでしょう。

いや、私だってちゃんとそんなことくらい考えてますよ。

そういう人に限って、部屋の中に得体のしれない壺がいっぱいあったりするんですよ。

 

人を信用するなとは言わないが、一部を見て全部を類推しないでほしい。

 

「ワンピース」的な仲間意識だと、一旦仲間になったら、そいつがどんな行動をしようとも信じぬくみたいなことが美徳とされていますが、いやいや、それこそそれって仲間なのか?友達なのか?って思うけどね。

あなたにとって有益なのは、「いいね~」「わかるよ~」「すてき」「がんばれ」なんて前向きな共感応援言葉じゃなくて、「それ違うんじゃない」「俺はこう考えるけどな」というあなたの中にまだない考え方じゃないの?

大事にしてほしいんですよ、そういう違和感のある考え方を。

誰だって自分の意見と違うことを言われたら気分悪いし、ムカつくでしょうけど、そこは瞬間湯沸かし器にならず「こいつはなんでこういう意見を言うんだろう」と一旦考えてほしい。考えた挙句、「やっぱお前の言うことは賛成できない」ならいい。

往々にして、人はその前に自分と違う意見を言われたという事実に対する不快感と嫌悪感で、まず先にそいつのことを否定してしまう。一部の発言だけで、そいつの全人格を否定です。

さっき一度信用したら全部信用するの反対ですね。

どうして、こう白か黒かしかないの?って思うよ。

 

コミュニティの維持や結束強化のために「共通の敵を作る」というのは古来からの常道ですが、この常道が戦争や差別を生み出してきたことも事実です。

帰属意識は人を安心させる。そういう意味でコミュニティの役割は重要ですが、これだけ情報があふれる世の中だからこそ、安心できるからといって唯一のコミュニティや人間に唯一依存することは避けた方がいいと思います。

 

最後に、自分ではリスクを冒さず、誰かをけしかけて生贄とし、自分だけはのうのうと生き残るタイプの遺伝子がまさにいつでもマジョリティであることを忘れないでほしい。そういうタイプが得意なのが、ふたつの選択肢を提示することです。

Aにするか、Bにするか?

人はこう言われると、不思議とどっちかを選ばないといけないという気持ちになります。これが「選択肢の罠」です。本当は、AでもBでもない道もあるんです。でもそれを考えさせないよう、あえて最初にふたつの選択肢を用意するのです。AかB、どっちを選んでも提示者に損はない。どっちを選んでもあなたは生贄にされる。

どうか騙されないでほしい。「挑戦しろ」「行動しろ」「前向きにいけ」「がんばれ」…そんな上っ面だけのポジ言葉にごまかされず、あなたはあなたの選択肢を自分の中から生み出してほしいと思います。

 

あ、ちなみに僕は宗教それ自体は否定しないです。信じる心は大事です。僕が否定しているのは、そうした心を操って騙す詐欺師ね。