デモクラシー(民主政治)からエモクラシー(感情政治)の時代へ?
デモクラシーから、エモクラシーへ。
「もはやデモクラシー(民主政治)の時代ではない。多数派よりも感
情が、理性よりも感覚が重視されるエモクラシー(感情政治)の時代を生きている」
これは、英国出身の歴史学者ニーアル・ファーガソン氏が、1 月 27 日に The Times 紙に寄稿した記事("Feeling beats truth in our indignant ‘emocracy’)にあった言葉です。
非常に正鵠を得ている表現だと思います。
移民排斥などの動きが広がる欧州諸国の動きも、選挙戦から就任後のトランプ大統領など一連の政策も、こうしてエモクラシーの流れと言っていいかもしれません。ここでの感情とは、主に「怒り・憤慨」であることもポイントです。
しかし、そもそも政治とはいつの時代も「怒りを中心としたエモクラシー」だったのではないかとも思うわけです。
日本においては、2009年民主党政権が誕生した時もそうだったでしょう。ベルリンの壁崩壊もソ連崩壊も、チャウシェスク大統領の最期も、怒りという感情のうねりによって引き起こされたのではないでしょうか?
そして、こうした感情重視のエモクラシー的な流れは、商いの領域でも見られます。「広告表現が気に食わない」という声によって広告が取り下げられて謝罪をすることになったり、「違法行為をした俳優を使うのは許されない」という指摘によって、公開直前の映画やドラマが延期または中止になったりという例があります。当然、たくさんある事例のうち、その指摘自体正当性の高いものであるものもありますが、中には「そこまで問題視するべきものなのかどうか」というものも含まれている場合もあります。
こうした現象の是非はともかく、怒りや嫌いなどのネガティブな感情は好きというポジティブな感情を凌駕してしまう力があるということがポイントです。
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「デモクラシー(民主政治)からエモクラシー(感情政治)の時代へ」と言ったのは、歴史学者ニーアル・ファーガソンです。しかし、果たしてエモクラシーというのは最近始まった傾向なんでしょうか?人間の感情と理屈と行動の関連について書いています。日経COMEMO更新! https://t.co/y35HxX1IW6
— 荒川和久@「ソロエコノミーの襲来」著者 (@wildriverpeace) May 19, 2019