ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

よく考えればわかる。全員結婚する時代ってかなり異常。

プレジデントオンラインに「ソロエコノミーの襲来」著者としてのインタビュー記事が掲載されました。

 

president.jp

 

僕をご存じの方は、毎度おなじみのことをお話していますが、まだまだこうした事実の認知はそれほど大きくはなく、「はじめて知った」という方も多いようです。

インタビューでもお話していますが、1980年代までのほぼ全員が結婚していた皆婚時代は、決して日本の伝統じゃありません。むしろ、明治民法施行後、庶民に家父長制度が導入(強制)されて以降の、たがたが100年の歴史しかないんです。

拙著「ソロエコノミーの襲来」では、そのあたり江戸時代の町人も農民も未婚率が高かったというデータを提示し、事細かく解説しています。

相変わらず、自分の信じているものと違う言説に触れると、自分の無知を棚に上げて「これはフェイクニュースだ! 」とか騒ぎ立てる素人が大勢いるんですが、そんなくだらない書き込みする暇があるなら、ちゃんとした本の一冊や二冊読んでください。

厄介者という言葉があります。

「面倒な世話ばかりかけるヤツ」という意味合いでに使われることが多いですが(まあ、そういう意味なんですが)、家に居候する傍系親族の独身男女のことも指します。

だからといって、いつまでも結婚しない独身男女が「厄介」な人間と疎まれていたということではありません。

そもそも、語源としては「家居」と書いて「やかい」と読みます。「家に居る人=同居人」のことを「やかいもの」と呼んだのです。よって、親族など血縁がなくても同居人はすべて厄介者なのです。

そもそも、江戸時代は長男の一子相続(または、長女の婿取り相続)であったため、次男以降はあくまで長男に何かがあったときのためのサブ扱いです。なので、農作業の仕事は当然させられますが、結婚して子を産む必要はなかったのです。

よくあるのが、長男が戦争や病気で死亡した際、長男の嫁と次男がそのまま結婚するというパターンです。スペアなんですね、完全に。

そういう中では、傍系親族は勿論、隷属農民といわれた土地を持たない農民などは結婚をする必要がなかったため、江戸時代の農民の未婚率は高かったのです。

勘違いしてはいけないのは、未婚者が多かったとしても性体験がなかった者が多かったわけではありません。結婚と性は別物です。性についても夜這い文化や祭りの夜の無礼講などいろいろ対処がされていました。

江戸時代の話をし始めると、多分それだけで一冊の本ができるくらい情報量がありますので、ご興味ある方は拙著をぜひご覧ください。

 

今回もヤフコメにはいろいろきていますが、相変わらず既婚とソロの分断対立の根は深いようです。

「既婚者の言い分は、独身者が自由な生活を謳歌するのは自由だけど、彼らの老後を支えるのが自分たちの子供世代というのが許せないということ」と記事にも書きましたが、互いに自分たちが損していることを主張しあってても不毛なだけなんですけどね。

既婚者が独身に独身税を課せというのも論外だし(というか、控除のない独身者はすでに見えない独身税を払っている)、独身が既婚者に対してお前らのガキのことなんか知らねえというのも大人げないのです。

直接助け合う必要なんてないのだが、互いが自分たちの幸せを追求し、仕事と消費を楽しめばいいだけなんです。それが結果として、巡り巡って双方の得につながるのだから。

社会学的な見地もいいんですが、経済的視点でソロ社会にどう対応していくかを真剣に考えていくステージにきていることは確かです。人口構成比時に、ソロがマジョリティになります。今後の商売においてソロ市場は無視できない。夫婦と子などという世帯はたった2割しかいなくなるんですから。

 

日本は、「少子化・高齢化・人口減少・歪な人口年齢構造」という先進国がこれんら抱える諸問題の世界に先駆けて直面する「諸問題先進国」です。特に欧米や東アジア諸国は、今後20年の日本の動向を注視しています。

少子化対策への議論も別に軽んじようとは思いませんが、もう何をやっても無理なことは薄々みんな気付いていますよね。それならば、ソロ社会対策をどうするかという視点へと舵を切るべき時に来ているんではないでしょうか。