川の流れに身をまかせたら、大抵の人は流れに飲み込まれて溺死する
この文章自体に特に異論はないのですが、これを読むと、なんとなく日本の「透明だけど必ずそこにある所得カーストの分断」を感じざるを得ない気持ちになる。
「コントロールできないことについてはジタバタしないに限る」はその通りです。言い換えれば、それこそ適応力ということでもある。
でもそれって、所詮「心に余裕がある」という前提の話。余裕のない人間に、たとえば、今眼前に火事の炎や津波が差し迫っている人に「ジタバタするな」と言って意味があるのだろうか?
余裕とは金である。
コロナ禍の中にあっても、給料が保証されている公務員や大企業の人達や、一定数の貯金がある人ならそれでいいだろう。しかし、びっくりすると思うが、30-40代現役世代のうちの半数は貯金なんてゼロもしくは50万円にも満たない人達で占められています。
こちらのSMBCコンシューマーファイナンスが30歳~49歳の男女を対象に実施した、「30代・40代の金銭感覚についての意識調査2019」によれば、貯金ゼロは23%、50万以下は25%、あわせて48%というほぼ半数が50万以下の貯金しかないのだ。
一部の数%の貧困層だけが「食うに困っている」わけじゃない。ある意味、国を支えている30-40代の現役世代の半分が、もらった給料をその月の内に消費せざるを得ない生活をしているってことです。
それでもまだ勤務先が継続し、給料があればいい。しかし、今のこの状況では、いつ、コロナによって仕事がなくなるかわからない。「物理的に金のなくなる不安」と「将来、もう生活していけないんじゃないかという恐怖」に、心が支配されてしまっている人だって大勢いることだろう。
そんな人達に「ジタバタするな」なんて言葉に何の意味があるというのだろう。ジタバタしようという意志でしているのではない。せざるを得ないからそうしているだけだ。
川の流れに身をまかせて生きていける人はいい。しかし、大抵の人は川の流れに飲み込まれて溺死するのだ、2011年のあの時のように。
毎日のようにコロナの感染者が何人だ、とか、死亡者が何人だとかのニュースでテレビはじめ報道は占められています。しかし、その影で一切報道されない自殺者の数をご存じでしょうか?
この続きは日経COMEMOにて。