ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

一人では苦痛だという人と一人だと快適だという人の越えられない壁

かれこれ2013年頃から、独身男を10万人以上調査してわかったことは、ソロ生活耐性というのは、環境などで後天的に養われるものというより、ある意味先天的に備わっている特性のようなもので、たとえば、誰かと一緒にいないと寂しいと思う男は、無理してでも若いうちに結婚しておいた方がいいと思う。

中年男で寂しいを連発してるのも大抵離婚男だったりする。

 

ソロ生活耐性がある男にとって、独身だろうが一人だろうが快適以外の何者でもない。

 

この手の話になると、必ずソロ耐性無者が「今はいいけど老人になったら孤独になるよ」と脅してくるわけだが、それこそ耐性無者特有の思考なんだよね。

あと耐性無者は、耐性有者を社会生活不適合者のように見るけどそれも違う。孤独=悪ではない。

孤独を怖がるのが耐性無者で楽しめるのが耐性有者なだけ。

 

「孤独は悪だ」と騒ぎ立てる人がいるんだけれど、そういう人達がなぜそこまで孤独を「万人の絶対的な悪」だとしたいのか?という話を考察したコラムはこちらです。

人が寂しいと感じるメカニズムもこんな部分にあります。あなたが寂しいのは「あなたの中のあなたが足りない」からです。

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但し、ソロ耐性がなくても人生一度も「寂しい」と感じたことないのも多い。恋愛強者だったりコミュ力がある人間は常に誰かに囲まれているし、何より飲み会とか遊びの誘いを自分からする。寂しいと感じる前に行動してるから寂しさ感じない。

ソロ耐性の有無と行動力のギャップが寂しいという感情を生む。

 

あ、あと、男だけじゃなく女もそうかもしれないね。

 

 

 

知らぬ間に進行していた格差社会が、子の結婚と出産を阻む

少子化少子化」とメディアで叫ばれているので、我々はどうしても、一人っ子が増えているかのような錯覚に陥ってしまいます。しかし、事実は違います。それほど増えてはいません。子を産んだお母さんは大体2人以上産んでいます。

それでも、一人っ子で、いつまでも結婚しない子を持つ親御さんもいることでしょう。一人っ子、特に、男子は将来なかなか結婚ではないかもしれない?と聞いたらどう思いますか?実際、彼らの生涯未婚率は35%に達します。全国平均の23.4%と比べても異常に高い人がわかります。

どうして、「一人っ子」の未婚率が高いのでしょうか?親の育て方の問題でしょうか?

答えは、意外なところにあります。東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」更新しました。ぜひお読みください。

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ちゃんと記事読めばわかりますが、別に「一人っ子」がいいとか悪いとの話を書いているわけではありません。子どもの数が多いのがいいとか悪いとか、結婚するのがいいとか悪いとか、そういうことは一言も書いてません。そもそも「そんなの個人の自由にしろよ」というスタンスで僕はやっているので。

にも関わらず、どこをどう読めばそういう感情が湧いてくるのか、相変わらず、ヤフコメでは読解力のないコメントが今回もまた100件以上届きました。

中でも、意味不明なのが、「一人っ子に対するステレオタイプの見方で、わがままで協調性のない子というものがありますが、決してそうではありません」と書いているのに、なぜか、「一人っ子はわがままでも協調性がないわけでもない! 」と怒ってくる人がいます。いや、だからそう書いているでしょ。

1人っ子だから我がままとか、協調性がないという話は、血液型占いや星座占いと同じように、本人には如何ともし難い特徴をとらえて、それで一括りにしている点で、論外。ちなみに俺は、一応1人っ子だけど、人生経験により、空気を読む・協調性は凄く高いといわれるけどね。

なるほどですね~。空気を読む前に、文脈読んでくださいwww

今回も100件以上ものコメントありがとうございます! 

 

記事の中にも書きましたが、「貧乏子沢山」なんていうのは現代社会ではなかなか無理な話です。子ども一人を育てるのにも相応のお金がかかります。2人目、3人目を産みたくても、経済的な理由で断念せざるを得ない人もいるでしょう。

夫婦と子世帯の世帯所得別子どもの数分布を見れば、それは一目瞭然です。1000万以上の世帯所得のある世帯は263万世帯、構成比約19%です。一方、世帯所得400万未満の世帯は212万世帯、構成比16%。上下約2割の格差が大きいわけで、倍以上家の所得が違う子が同じような教育環境で育つわけがありません。

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こうした親の所得格差は、15~20年後、未婚者の増加という形で顕在化します、間違いなく。

親の経済格差が結婚や出産をはばむのです。

人は、貧しい時から発展する途上においては、たくさんの子を産みます。実施さに、高い収入がなくてもいいのてぜす。そこに未来への期待がありさえすれば。日本の高度経済成長期の高い出生率は、まさにその賜物だったでしょう。しかし、未来に期待がもてない時、人は子を産めなくなります。リスクある世界に、どうしてわが子を放り出すことができるでしょうか。

結婚も同じです。今は貧しくても右肩上がりに給料は増えると皆が信じていましたし、事実そうでした。恋愛下手でも、伝統的なお見合いや職場縁が結婚をお膳立てしてくれました。今はそれすらなくなりつつあります。そもそも、結婚できる収入があっても、いつ失業するかわからない不安の中で、未来への継続的な安心がないのなら、結婚するふんぎりはつかないでしょう。

日本は決してもう豊かな国ではありません。経済的に豊かな国ではないということではないです。未来への希望が貧困な国だからです。

それをふまえて、もう一度記事を確認してみてください。

 

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男は自ら作り上げた「男らしさの鎧」によって笑い、絶叫するのだ。

配偶者や恋人が返済不可能なほどの借金を抱えたらどうしますか?別れますか?一緒にがんばりますか?

そんな質問されたらどう答えますか?

 

実は、この質問と調査結果を5/12にツイッターにあげたところ、2293のいいねと1434のRTをいただきました。

 

未婚男女は、やや女性の方が上とはいえ、どちらもドライです。まだ結婚しているわけではないのですから当然かもしれません。しかし、既婚者では男女で大きく違う傾向になりました。

要するに「妻の借金をなんとかしようとする夫、夫が借金したら見捨てる妻」という構図になります。

「そんなの、夫や妻の年収や貯金、子どもの有無という前提条件によっても異なるだろう」というツッコミがあるかもしれませんが、そのあたりの比較を含めて、なぜ男は妻の借金を抱えようとするのか?について検証しました。それは「なぜ男らしさ規範が強い男ほど幸福感が高いのか?」「なぜ男だけが借金などの経済的理由で自殺が多いのか?」「離婚した男はなぜ自殺が多いのか?」など今までたくさん検証してきたことの辻褄が合ったような気がします。

 

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」。非常に興味深い結果が出ています。ぜひお読みください。そして、もしご既婚者であれば、「相手が借金抱えたらどうするのか?」について自問自答していただければ幸いです。

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毎度ネタをいただくコメントですが、ヤフコメに以下のようなものを頂戴しました。

筆者が男性であることを強く感じさせる記事だと思います。特に前半の既婚女性の結果が予想に反していたとのくだりや、「金の切れ目が縁の切れ目」が切ないの部分は正にそうです。女性の読者なら、「当たり前ではないか」と嗤い、呆れるでしょう。もう一つ、この記事の主題と思われる「男らしさの呪縛」については男性筆者でなければ、書けないでしょう。いわゆる「男の生きづらさ」の本質ではないでしょうか。然し、多くのメディアや女性からは共感や同意は得られないでしょうね。

>筆者が男性であることを強く感じさせる

→まあ、僕は男性ですから当たり前ですね。しかも、この記事は、無意識に「男らしさ」に縛られているだろう世の男性読者に対して書いたものなので、そう言われても「それが何か?」としか言いようがありません。

 >「金の切れ目が縁の切れ目」が切ないの部分は正にそうです。女性の読者なら、「当たり前ではないか」と嗤い、呆れるでしょう。

→記事内では男女差を明確にするために、「別れる」と「一緒にがんばる」の差分しか提示していませんが、当然既婚女性の中にも「一緒にがんばる」と答える女性は2割程度います(「別れる」が3~4割なので)。2割は決して少ない数字ではありません。女性の読者が全員「当たり前だ」と嗤い、呆れるとは到底断言できませんし、この2割の既婚女性に対しても失礼です。このコメントした方個人が勝手に「嗤い、呆れる」のは自由です。が、それを世の中の女性がさも自分と同じような意見だと断ずるのはわけがわかりません。

>多くのメディアや女性からは共感や同意は得られないでしょうね。

→ これも上の話と同じですが、こういう神目線の言い回し、よくあります。本当は「私は共感も同意もできない」なんですが、なぜか「私」を主語にして発言しないんですよね、こういう人達。「私の意見」であったものを、どういうわけが「世界の総意」にすり替えます。「みんなが言ってるよ」と言い換える。

「私の意見」でいいじゃないですか。僕としても個人が共感できないことをいちいち批判したりしない。そんなのどう思おうが、自由だから。でもこういう人達って、自分が不快に感じたことを、何のエビデンスもなく「私が不快なことは世の中の大多数も不快なはずだ」と盲信するクセがあります。勝手な妄想なんですが、一度そう思い込むとそれが事実だと信じて疑わなくなる。これって実は相当怖いことです。個人の妄想が事実化・社会化されるわけだから。

この方、コメントされた方がどこの部分を不快に感じたかは想像に難くないですが、それを述べることは僕自身も「個人の妄想の社会化」になってしまうのでやめておきましょう。

とにかく言いたいのは、記事にも書きましたが、男にとって「男らしさ」とは、自己肯定感や幸せを感じる原動力でもあるってことです。「男らしさ規範」強ければ強い男ほど幸福度が高いというのは紛れもない事実なんですから。

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「だったら、そんなつらい男らしさ規範からさっさと降りればいいのに」という女性がいますが、簡単にそういうことを言わないでほしい。男らしさに依存する男にとってそれはできない相談なのです。それこそが自己の存在理由でもあり、既婚男性にとっては、誰かを養っているという事実が生きがいでもあり、そのための経済力なのです。そして皮肉なことに、自己の生きがいであるそうした「男らしさ」を遵守しようとするあまり、男たちは生きることを捨てててしまうことになるのです。

男は、自己の幸せのために一生懸命「男らしさ」の鎧を作ります。その鎧が立派になればなるほど、重量が増え辛くなりますが、辛いのは鎧のせいではなく、自分の体力がないすせいだと追い込みます。そうしていつしか、男は「男らしさ」という鎧だけの存在になっている。鎧を脱いだら、そこにはもう誰もいないのです。

記事の文末に書いた言葉をそのまま引用します。

「笑いと叫びはよく似ている」これは、岡崎京子さんの描いた漫画『ヘルタースケルター』での冒頭の一節です。男たちに至福の笑顔をもたらすのも「男らしさ」であり、同時に、男性たちを苦しい戦いの場へと駆り立て、絶叫のなか死へと誘うのもまた、この「男らしさ」なのです。

その上で元記事を冒頭からお読みいただければ幸いです。

toyokeizai.net

 

岡崎京子「ヘルタースケルター」

 

命を守るための行動~新橋一揆を支持します。

明日5月25日には、首都圏と北海道の宣言解除がようやく実現しそうです。しかし、東京都は、独自のロードマップなるものを出して、段階的な解除を行うとして、引き続きダラダラと休業要請を継続するという。これでは一体なんのための解除なのかわからない。

そもそも、休業要請とは、あくまで、要請であって、店を開けることは違法行為ではない。現行の特措法45条のどこにも、要請や指示に従わなかったとしても罰則規定はない。それでも緊急宣言以降ほぼほとんどの店はそれに素直に従い、歯を食いしばって耐えてきたではないか。それもこれも、こうして我慢していれば、「5月末には再びお店を開くことができるから」と信じていたからだ。

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もちろん、感染の第二波を心配する気持ちはわかる。とはいえ、いつまでも引きこもってばかりいたら、それはそれで死活問題であることも明らかだ。

そんな中、「もうもたない」と深夜営業再開した店もある。

www.nikkei.com

感染症対策は十分にやっており、夜10時も11時も変わらない。これ以上、自粛を続けていたら、従業員を守れない」。宣言解除で街の経済が回り出さない限り、厳しい状態は続くと覚悟する。都は休業や時短営業など要請に応じた事業者に今月から協力金50万~100万円の支給を始めたが、「家賃分にもならない」とこぼす経営者は少なくない。(中略)「(協力金を受け取れなくても)少しでも営業時間を延ばす方がまし」と話す。

こういうニュースに触れると、コロナ脳に侵された自粛警察は、馬鹿げた行動をするのだろう。しかし、自粛警察がやっていることは、明らかに犯罪行為で、許されることではない。自粛警察が正義ヅラすることにも、個人的にほとほと嫌気がさしている。

TBSの「あさチャン」によれば、「東京都は、休業要請に応じた中小事業者に対して最大100万円の協力金を支給するとしていたが、これまでに協力金の支給完了したのは、申請が8万8千件中わずか1700件(約2%)にとどまる」と報じた。

新橋のある店の店主は、先月22日に申請したが、未だに協力金が振り込まれておらず、都内3店舗の約120万円を大家に頼み込み滞納中だが、従業員の人件費250万円は払わざるを得ないため、1か月で貯金が300万円から30万円へと減ったという。

約束を守ったのに、2週間ぐらい経っても振り込んでこないのは誠意に欠けている。通常営業をしたい。儲けるとかじゃなくて、生き残ることで精一杯」

店主は、顔出しでテレビのインタビューにそう答えていた。偽らざる本音だろう。営業を再開しなければ、従業員もろとも生きていけなくなるのだから。そして、続いて出た言葉がこれだ。

「新橋一揆を起こそうと言ってる」

 

一揆というと、一向一揆などのように、武力を持って体制に対するクーデターを起こすという意味でとらえられているが、それは、ドイツ語「Putsch」を日本語訳する際に使われたことによる誤用で、本来「一揆」という言葉には、「反乱」という意味はなく、「心をひとつにする」という意味である。

彼らは、議事堂前に行って無意味なデモなんかするわけではない。反政府キャンペーン的にSNS上で運動を起こすわけでもない。彼らがやることとは、「心をひとつにして」ただただ、通常の営業を行いたいだけなのだ。お客さんが来て、酒とツマミを出して、笑顔で喜んでほしいだけなのだ。それが、結果、店の利益にもなるし、従業員の給料にもなる。家賃も払えるから大家さんのためにもなる。納入するお酒メーカーのためにもなる。店を営業するというそのひとつのことは、決して店や店主だけの利益にとどまらない。それが経済というものだからだ。

こういうことを言うと、自粛警察どもはこういうだろう。

「何が一揆だ、ふざけんな。みんなの命を守れないっていうのか」と。

みんなって誰の事?彼らの一揆もまた、みんなの命を守るための行動です。

 

「自粛は強制ではありません。要請です。お願いです」などと最初は下手に出ながら、約束した休業補償も実施せず(遅れていることは、実施していないこととイコール)、挙句の果てに、いつまで続くかわからない終わりなき不毛なロードマップを提示して、「要請」といいながら事実上の強制の上から目線の指示に誰が従うというのだろう。

勘違いしていないだろうか。都民は小池都知事の奴隷ではないし召使いではない。ましてや再選のための道具であるはずがない。

 

新橋一揆、支持します。新橋に限らず、もう限界にきているお店もたくさんあると思います。もう無理に我慢する必要はないのではないですか?当然、感染防止に対する対策を何もしないで開店するわけにはいかないと思いますが、なんでもかんでも「できない」「やらない」理由ばかり探し出す作業より、「どうしたらできるか」を考えて実行に移す。それこそが今必要な力なんだと思います。

がんばりましょう! 動きましょう! 微力ながら僕も久しぶりに立ち飲みで一杯やりに行きたいと思います。これに反対される方はご自由にしてください。誰一人誘いもしないし、ソロで僕は行くだけです。会話もなく、黙って酒を飲み、メシを食う。それだけでいい。

 

国を救うのは国会議員でも首長でもない。ひとりひとりが自分の頭で考え、どう行動したかでしか、誰一人救うことはできない。行動をしないという行動こそ最大の害悪である。

 

前々回の記事で、無法な「自粛警察」に対する批判記事を書きましたが、それに対して、自粛警察を名乗る人間から反論めいたコメントが来ています。是非ご覧ください。彼らとコミュニケーションすること自体大いなる無駄であることがわかります。

comemo.nikkei.com

「恋愛は10代のうちにしておいたほうがいい」という不都合な事実

毎度、知らなくてもいい「不都合な事実」をお知らせしておりますが、今回は知ったところで「もう遅い」と言われるかもしれない内容です。

全体的な未婚化・晩婚化の中で、ひんな記事を発見しました。この記事によれば、「10代後半~20代前半の男女の間で、25歳前後での結婚を希望する人が増えている」とあります。しかし、内容を読んだ上でも、どこにもその根拠となるエビデンスは書いてありませんでした。数名の定性調査による聞き取り結果はエビデンスにはなりえないことは言うまでもありません。

www.nikkei.com

これを読むと、若者だけは結婚意欲があがっているかの印象を与えてしまいがちですが、「結婚願望」と「結婚」とは違います。

出生動向基本調査から、20-24歳を抽出して、「1年以内に結婚したい」「 理想の相手ならしてもよい」という結婚に前向きな比率推移を見ても、男性は2002年を底にして若干あがっていますが、それでも全体として大きく上昇しているわけでもなければ、30年前の1987年の水準にも達していません。女性に至っては、むしろ近年下降気味です。

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対象を、18~34歳に拡大しても同様で、いわば「30年前も今も若者の結婚意欲は変わっていない」のです。草食化も肉食化もしていない。結婚に前のめりなのは、いつの時代も男の4割、女の5割程度なのです。

それでも、「20-24歳の男性の結婚願望は増えているじゃないか」と食い下がる人もいるかもしれません。なるほどですね。では、もっと身も蓋もない話をすれば、20-30代の未婚男女の人口差は男の方が約150万人も多い「男余り」です。結婚願望のある男が数%増えようが、マクロでみれば、150万人の男には相手がいないので不可能です。ご愁傷様です。

願望や意思だけで結婚ができるはずがありません。現実は現実です。

結果として1980年代まで皆婚だったのは、そうした個人の意思の問題ではなく、お見合いや職場婚という社会的お膳立てシステムのおかけであって、社会環境の変化の問題なのです。

要するに「若者が早婚を希望しはじめた」などという論説は出鱈目です。そしてそう言う専門家がいるとすれば、それは非常に無知であると言わざるを得ません。

 

さて、その上で、本題に入りたいのですが、結婚の社会的お膳立てシステムが崩壊した現代、未婚と既婚を分ける分岐点とは、なんでしょうか?

もはやお見合い結婚が2%程度まで激減し、職場恋愛もセクハラ扱いを受けるリスクから激減しています。社会人になってから、結婚相手と出会い、恋愛し、結婚するという「昭和の結婚すごろく」はとうの昔に消滅しました。

 

しかし、たとえば、女性に限っていえば、平均初婚年齢がほぼ30歳に近いといっても、実は初婚性の62%が20代で占められています。主に、東京以外の地域ですが。

20代で結婚する6割と、未婚のまま30歳を迎える4割との違いはなんだと思いますか?

勿論、その要因はひとつではありません。多岐にわたりますが、ひとつ大きい要素として、「17歳まで(高校生まで)の恋愛経験値の違い」があげられます。

恋愛経験しは「誰かを好きになる」「告白する」「デートする」「キスする」「セックスする」という恋愛における一連のイベント経験を指します素。未婚と既婚とでその経験値レベルがどれくらい違うかというと、たとえば、20代既婚女子は17歳までに63%がキス経験済みですが、同じ20代未婚女子は34%しか経験していません。

10代の頃の恋愛経験値の差が、将来「結婚できるか・できないか」を分けるポイントではないかとも思うのです。

そんな考察をした記事がこちらです。20代のうちに結婚したいと考えている婚活女子はもちろん、まだ小さな娘さんをお持ちの親御さんにもぜひ読んでいただきたいと思います。おもしろいと思います。

woman.mynavi.jp

自粛警察活動している人ほどコロナにかかりやすいという皮肉

今年の流行語大賞は「新型コロナウイルス」だと思いますが、それと匹敵して流行語と言えるのが「自粛警察」という言葉。

自粛警察とは?こちらの定義がわかりやすい。

 

自粛警察 営業している飲食店などを一般の人が監視する。そして貼り紙、電話、インターネットで「緊急事態なのになぜ店を開けるのか」と休業を迫る行いのこと

 

営業自粛はあくまで要請であって義務でもなければ、もちろん違法でもない。にも関わらず、緊急事態宣言下で営業している店には、貼り紙や苦情電話などが押し寄せた。

都内の居酒屋には、「この様な非常事態でまだ営業しますか?バカ」という貼り紙、千葉県の駄菓子店には、「コドモ アツメルナ オミセ シメロ」という貼り紙、自粛要請に従って昼の営業だけ続けていた横浜の飲食店には、「バカ、死ね、潰れろ」という貼り紙が…。

 

店だけではない。県外ナンバーの車に対して、貼り紙だけではなく、車体に傷をつけるという事例まである。もはや犯罪である。

さらには、バイクのタイヤにはさみを突き刺し、貼り紙をされた人もいるらしい。

news.nicovideo.jp

 

パチンコ店に対しては爆破予告まであったとか。

捜査関係者によると、初めて店名が公表された24日夕、インターネット掲示板「5ちゃんねる」に、休業要請に応じないパチンコ店に対して「ガソリンを持ち込み爆破する」などの書き込みがあったという。別のネット掲示板にも、公表されたうち4店を名指しして「北から順に爆破する」などと書き込まれていた。

www.jiji.com

 

当然これも犯罪です。

ウイルスへの恐怖の余り、人間らしさを喪失してる人があまりにも多い。ウイルスの毒性より恐怖による人間らしさの喪失の方が怖い。人間らしさの喪失とは刹那の恐怖感情に支配され、冷静な判断と客観的な視点の欠如。恐怖の感情は、いとも簡単に人間を残酷行動へ誘います。恐怖や不快の度合いが高ければ高いほど、人間の攻撃性は残酷さを増すのです。

こういう人たちに「よく考えてから行動してほしい」とか説教垂れる人がいるのだが、そんなの全く意味ない。ゴキブリが嫌いな人に、「ゴキブリに遭遇した際には、叫び声をあげる前によくよく考えてからにしてほしい」というくらいアホな言葉だ。

 

自粛警察の犯罪に等しい行き過ぎた行為は、ほぼ反射的に行われる。考えているようで何も考えてなどいない。

 

むしろ彼らに言いたいのは、そんなことばっかりやってると、自身の免疫力が下がって、それこそ自分が感染して死ぬよ、ということだ。そうした行為は中毒性が高いため、無意識に彼らは自分の不快になる情報を収集しようとする。不快にならないとそれを懲らしめることでの快感を得られないからだ。

つまり、自粛警察の連中は、自ら不快でストレスになる情報と常に接触しようとしているわけだ。そんなのに囲まれていたら、不健康になるに決まっている。不快感やストレスは免疫力を確実に低下させます。免疫力が低下すればそれだけウイルスに感染しやすくなるし、治癒しなくなります。

コロナにかからないようにって自粛警察活動している側が、その行動によって、逆にコロナにかかりやすい体質になっているんじゃありませんか?

 

反対にいつも笑っている人は免疫力があがります。免疫力をつかさどる抗体は笑いによって活性化されるからです。なんて言われると、「またまた~」となる人も多いだろう。しかし、実はこれ本当らしいのだ。

ガン患者らに吉本新喜劇を見せ、その前後でガン細胞を直接攻撃するナチュラル・キラー細胞(以下、NK細胞)の活性化を調べるというという実験(1991年、吉本興業の「なんばグランド花月」で、がん患者を含む19人(20~62歳)に漫才、漫談、吉本新喜劇(計3時間)を鑑賞してもらい、その前後で血液採取を行い、血中のNK細胞の活性度や免疫システムのバランス力(CD4/8比)の変化を調べた)があったのですが、それによれば、参加者の7割以上でNK細胞の活性上昇が認められたそうです。同様に落語を聞いて、リウマチの痛みがなくなり、鎮痛剤の使用頻度を減少させたとか、漫才によって糖尿病患者の血糖値が改善されたという事例もあるそうだ。

驚くべきは、「老衰で亡くなった人を解剖すると8割以上ががん死であることがわかっている。がんは下手にいじらなければ、共生できる」という点です。ウイルスに感染しないようにということが重要なのではなく、感染しても発症しないことの方が大事なのです。

 

「わらう」とは、漢字で「咲ふ」とも書きます。「咲み」と書いて「えみ」とも読む。女優の武井咲さんの読み方もそうです。笑いとは「花が咲く」ということでもあるんです。

いちいち不快な情報ばかり集めて、誰かを懲らしめて満足している日常とは、畑の草木を「邪魔だ! 」と片っ端から刈り取っていくようなものですよ。一見、きれいになって、清々するかもしれない。けれど、そんなことばっかりやっている人は、そこに本来咲くはずだった花の美しさを知らないまま一生を終えるのだろう。それどころか、花が咲かなければ、次の世代に種が拡散しない。やがてその場所は荒れ果てた砂漠となるだけです。

 

 

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参考WEB

https://www.tyojyu.or.jp/net/topics/tokushu/warai-genki/warai-menekikinou.html

 

非モテ男に足りないのは「金」でも「容姿」でもない。

32歳の素人童貞という男性が、マッチングアプリで彼女及び結婚相手を見つけるべき奮闘したブログがあります。素人童貞ということは、今まで風俗系のプロの方としか性体験がないということ。そんな彼のスペックは以下の通りですが、それほどレベルが低いとも思いません。そもそも「顔立ちを褒められた」男なんてほとんどいないんですから(「恋愛強者3割の法則」により)。

32歳男性
171cm 61kg
中肉中背
国公立院卒
平均以下の年収
顔立ちを褒められたことはない

まずは、こちらの記事をお読みください。

anond.hatelabo.jp

 

 

身もふたもない話ですが、マッチングアプリとは「恋愛強者の道具」であって、恋愛弱者が使って良いことなどほぼありません。マッチングアプリが今後の婚活のメインツールになるとか騒いでいる人もいますが、今のシステムのままなら、決してそうはならないでしょう。どうしても「勝者総取り」になってしまう。

言い方変えれば、マッチングアプリというスクリーンを通して見ちゃうと、人間の判断は熱量とか五感ではなく、数値によって左右されます。

男の場合なら、年収の高さ、職業の安定性、それに顔です。

「男は顔じゃない」と思いますか?

とんでもない。逆に聞きますが、年収や顔以外のどこを基準にして、会う会わないを決めればいいんですか?年収が多少低くても、容姿が良ければ会う理由にはなるでしょう。容姿が難ありでも、高収入ならそれも会う理由になるでしょう。

でも、容姿も年収もない男が選ばれる理由なんてどこにもないです。

それがわかっているから、マッチングアプリを活用しまくっている男は年収のある既婚男性だったり、結婚する気などさらさらないヤリモクのイケメン男子だったりするわけです。中には、水や風のスカウト系もいます。自己肯定感低い女性を目当てにした詐欺師もいます。

一方で、女子の方もパパ活狙いや、キャバ嬢の裏引きに活用している子もいるわけで、所詮タヌキとキツネの化かし合いの場のようなものかもしれません。

 

とはいえ、中には、真面目に結婚相手を探そうとしている男女もいますし、マッチングアプリで結果結婚までいった例も最近では増えていることも確かです。アニヴェルセル総研の2019年4月の調査では、20~30代既婚者の13.2%がネット婚活サービスによるものだったそうです。結婚相談所の5.5%、伝統的なお見合い2%より多い。

でも、これに過度な期待を寄せてしまうと大体うまくいかないと思うんですよ。過度の期待をする人は大抵受け身体質で、アプリを利用しすさえすれば結婚できると思い込みがち。

そんなわけはないんです。

マッチングアプリは彼女や結婚相手を見つけるツールではありません。所詮、そうした間柄に将来なるかもしれない相手と出会えるだけのツールだからです。出会って以降の話まで、アプリは責任持ってくれません。

では、恋愛弱者にとってマッチングアプリは無意味なのか?というとそうでもありません。

この記事を書いた彼も、「彼女を作る」という目的は達成できませんでしたが、それ以上に、彼にとってこの経験は非常に意味のあったことだと思います。特に、自分自身でも収穫ポイントとしてあげていますが、「1回や2回のデートで振られても気落ちしないようになった。需要と供給が一致しなかったのだと開き直ることを覚えた」とか、この経験を本当にご自分のいい糧にしていると思います。彼の事は全く知らないし、何もしていないですが「成長したな~」と先生のような気分になってしまい、読みながら微笑んでしまいました。

「自分の他愛ない話で笑ってくれる女性がいるとわかった。これだけでも大収穫」のところなんか、「よかったね~」と思わず泣きそうになりましたよ。

そうなんです。今まで恋愛経験のない男たちは、マッチングアプリを、決して彼女や恋愛相手を見つけるために使うのではなく、むしろ、出会う女性を通じて「新しい自分を生み出す」ために使えばいいのです。

ずっと恋愛経験がない人にありがちなのは、自己を主観でしか見れなくなってしまうこと。その証拠に、スマホで自撮りするのが嫌いな人が多いです。自己を客観視できなくなればなるほど、恋愛に限らず人間関係はうまくいかない。逆に言えば、客観視ができれば、おのずと行動が変わり、コミュニケーション力も変わるのです。

主観でしか物を考えられないから、「ああでもない、こうでもない」と脳内で考えを反芻して、言葉にできなくなったり、やめてしまったりします。言葉なんて考えて出さなくていい。出した言葉を自分で客観的に聞いて、それによって自分の考え方はこうなんだな、と後付けで納得すればいいんです。勿論、相手の言葉をちゃんと聞くのは当然。コミュニケ―ションなんてそんなものです。

もちろん、だからこそ「あんなこと言わなければよかった」と後悔することもあるでしょうけど、それを怖れていたら人との会話なんてできない。

前も書いたと思いますが、恋愛なんて摩擦です。痛いものなんです。片思いで、相手が振り向いてくれないと傷つくことも含めて、多少の痛さがあって当然です。

付き合ったからといって痛みがなくなるわけじゃありません。お互い、相手を思いやっての言動や行動なのに、結果として相手を傷付け、傷付けられることなんて茶飯事です。

でもそうした摩擦の連続こそが「人と付き合う」ってことなんじゃないでしょうか。

摩擦は痛いかもしれません。でも摩擦があるからこそ温かくもなるんです。

※勿論、痛みにも限度があるので心や身体がズタズタになる摩擦なら、その相手からはすばやく離れた方がいい。

 

最後に、ツイッターで、「こういう彼みたいな恋愛弱者はどうすればいいんですか」的な嘆きが投稿されました。偉そうなことを言える立場ではないですが、ひとつ言いますと…。

 

この続きはこちらでお読みいただけます。

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