ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

統計は事実への道しるべ。「誰かの価値観を傷付けたり、生活を否定する」ためにあるのではない

「数字は嘘をつかないが嘘つきは数字を使う」とは、政治アナリストの伊藤惇夫さんがテレビ番組の中で発した言葉だと言われています。

数字を使って作為的に嘘をつく人もいますが、数字がわからずに、数字そのものを見誤って、結果として悪意なき大嘘をつく人もいます。

最悪なのは、自己の論を正当化するために、あえて都合のいい部分だけを切り取って、それでマウントしようとする輩だと思っています。

 

こんな記事を見かけました。

president.jp

 

結論から言えば、これは正しい事実を伝えたものとは言えません。それについてご説明します。

そもそも「女性の社会進出だけが少子化の元凶」なんて言説を一体誰が流しているんでしょう?仮に、誰かがそんなたわごとを流しているとするならば、その人もまた無知といわざるを得ません。

少子化の原因は決してひとつの要因に帰結するような簡単な問題ではありません。複数ある要因の中には「女性の社会進出」も当然含まれます。データ的には90年代以降の女性就業率の大幅な上昇は確かですし、それに伴って未婚率が正の相関にあることも確かです。しかし、だからといって、それを「女性がは働くと子どもを産まなくなる」という因果に結びつけるから間違うのです。相関と因果は別です。

さて、この記事で主張しているのは、2015年国勢調査における世帯の同居児数のデータをベースに、専業主婦世帯と共働き夫婦世帯とでの子どもの数を比較して、「共働き世帯の方が子どもの数が多い! 共働きの方が子ども産んでいるんだ! 」と結論づけているのですが、正直茫然としました。

案の定、ヤフコメやツイッターではこの記事に対して「共働きが子どもを産んでいるんじゃなくて、子どもができたから働かざるを得なくなったのでは?」という指摘が数多く寄せられていますが、まさにそっちの方が正しい統計の読み取り方です。

記事の中でも使われているこのグラフですが

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これを見て、「日本は専業主婦の2倍以上共働き夫婦が多い」と思ってしまうかもしれませんが、労働力調査の詳細をちゃんと見ている人ならそんな読み方はしません。

第一、ここでいう共働き世帯とは、妻が週一回たった2-3時間だけ働くパートやアルバイトも含む数字です。このグラフ通りなら、共働き世帯は全体の67%を占めることになりますが、労働力調査にてフルタイムで働く妻の割合を見ると、子どものいる夫婦25-34歳では18%、35-44歳でも25%しかありません。つまり、共働きといっても、子育て期間中の場合、全体の2割しかフルタイム働く妻は存在しないということになります。

さて、その上で、専業主婦世帯と共働き世帯とで、子どもの数がどっちが多いかという話になりますが、

続きは日経COMEMOにて。

comemo.nikkei.com

自由のメリットを享受できるのは強者だけ。それは恋愛でも仕事でも同じ。

 

自由は必ず格差を生みます。恋愛もまた然り。

恋愛強者3割の法則通りいつの時代も男女共3割しか恋人いないのですが、男女で若干人数の差があります。

恋愛とは男女1対1でやるものと勝手に考えがちですが、必ずしもそうではありません。恋人がいる率女性の方が多い理由は、未婚男の二股と既婚男の浮気ではないか、という検証をしました。

見えて来たのは恋愛格差の現実です。

恋愛強者男によって弱者男は割りを食うし、恋愛強者男によって、婚活女子たちはその貴重な20代の時間を無駄にします。

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」の記事を公開しました。朝からずつとアクセスランキング1位です。まずは是非お読み下さい。

toyokeizai.net

 

「恋愛強者3割の法則」については、おかげさまで徐々に認知が広まってきましたが、今回は既婚者の浮気率というのもグラフ化しました。3割の既婚男性が浮気をしているという事実に「多すぎる」というご指摘もいただきましたが、2013年コンドームメーカーの相模ゴムが調査した浮気率(未既婚一緒)でも大体各年代3割程度なので、そんなものだと考えていいでしょう。

勿論、既婚男の3割が常に浮気をしているわけではないです。浮気をしたことがあるというだけですから。

いずれにしても、婚活アプリとか恋活アプリとか、ああいうツールは、結婚したい男女にとって一見救いのツールのように思えますが、独身者だけが使っているわけではないし(そんな証明はできない)、結婚したい人だけが使っているわけではありません。

海外ではアプリで結婚している人が多いという出羽守の話もよく聞きますが、結論から言えば、現状のシステムのままでは、単に3割の恋愛強者だけが便利に使えるツールでしかなく、この婚活アプリが結婚数を押し上げるなんてことは100%ないと言っていいでしょう。結婚数を押し上げるには、恋愛弱者で受け身の7割の男女が出会えるだけではなく、その先のお節介までやってくれなければ大多数が結婚なんてできません、残念ながら。

「結婚滅亡」という本を出しましたが、決してこの本のタイトルが煽りでもなんでもないことがお分かりいただけると思います。記事の最後にも書きましたが、結婚する・しないという各個人の意思の問題以前に、もうすでに、構造的に男女のマッチング不全を起こしているのです。

 

僕の記事には毎度おもしろい反応がきますが、今回もひとつご紹介しましをう。

この記事は恋愛・結婚するつもりがない人の存在を無視している。この記事の何に腹が立つのかというと、未婚で恋人がいない人を一律全て"恋愛弱者"などとレッテル貼りをした議論をやっているところ。まるで恋人がいない人は全員恋愛したくても出来ない人であるかのように扱っているが、生涯独身を貫く人、二次専の人も一定数いるのではないか?単純に恋人がいる人の男女差を分析するだけなら、"恋愛弱者"という言葉を雑に使う必要はない訳なんですよね。どうも「男女がよりマッチングすべきだ」=「誰もが恋愛すべき」という主張が前提で、そのためにデータを集めて自由恋愛を批判的に見ているような気がして目眩がします

3000文字の中なので、さすがに「結婚する気も恋愛する気もない人」についてまで網羅はできません。が、記事の中では別に「全員恋愛したくても出来ない人」なんて言ってないし、「男女がよりマッチングすべきだ」=「誰もが恋愛すべき」という主張もしていません。結婚したいと思っていても、それは恋愛力が大きな比重を占めるという話をしているだけで、何も決めつけてないし、レッテル貼りしているわけではないのにね。恋愛弱者という言葉も、弱いからダメだなんて一言も言ってないのに、どうしてそう敏感に反応するかね?恋愛力の強弱は確実に存在するし、そんなファクトを不都合な真実化してないものにしたって一体何がどうなるっていうんだ?

「生涯独身を貫く人、二次専の人も一定数いるのではないか?」って疑問形で書いてますかけど、そりゃいますよ。そういうことを調べて専門家として活動してんだから。そして、まさにソロ男・ソロ女という言葉自体が、そういう「結婚するのが当たり前だと思っていない人」の代名詞として命名したもんなんだから。文句を言うりき構わないが、だったら、僕の他の記事なり本を読んでから言えっていう話だ

今回の記事は、独身でもいい、一人でも生きていけるかって人は対象にしてないんです。単純な男女未婚人口比では、20-50代で300万人の男余りですが、こと結婚の意思の有無を加味すると、逆に女余りになってしまうという記事を以前書いてます。

今回の記事と合わせて読んでいただければ、こと「結婚はしたいけど、恋愛力が乏しい人」にとって、マッチングはほぼ無理だということがわかると思います。toyokeizai.net

一部わけのわからない界隈の人が「女性の上方婚志向の意識を変えれば、マッチングされる」とか、「いやいや、男の方の意識改革だ」とか言うのがいますが、意識とか意思とか関係ないから。そんなもんで何かが変えられるならとっくの昔に未婚化も少子化も解消されてます。個人の意思を作るのは個人の問題ではなく、環境の問題です。

だから、先進諸国が全部少子化に向かうのは必然であり、人間の意思で変えられるものではありません。いい加減、学習してほしいものです。

詳しくはこちらの記事参照。

toyokeizai.net

 

 

人を動かすのは、利益か?恐怖か?

「ナッジ理論」というものがあります。

もともとは英語の「NUDGE」で、直訳すると「ひじで優しく押したり、軽くつついたりする」という意味。それが転じて、ちょっとしたきっかけを与えて、消費者に行動を促すための方法として注目されているものです。商売やマーケティングをしている人、これから広告業界などに行きたいと考えている人なら必須で知っておかないといけない理論だと思います。

このナッジ理論は、ノーベル経済学賞受賞のリチャード・セイラー教授が提唱したもので、僕も講演ではよくお話していますし、拙著「ソロエコノミーの襲来」の中で詳しく書いています。

さて、そんなナッジが災害時にも有効活用できるのでは、というNHKのニュースがありました。

www3.nhk.or.jp

これは非常に興味深い結果です。

地震や台風などの災害が起きた時、以下のふたつの放送、どちらを言われた方があたなは動きますか?

「あなたの避難がみんなの命を救う」
「あなたが避難しないとみんなが死ぬ」

一見すると、前者「あなたの避難がみんなの命を救う」っていわれた方が動きそうなものですが、実際は後者なんです。

キレイごとでは人は動かないということ。もっとはっきり言えば、リスクを提示しないと人は動かないということです。これは命に関わる案件においてとても大事な視点。避難を促す行政の放送だけではなく、テレビなどの放送においてもそうかもしれません。最近、台風などでは「命を守る行動をとってください」という言葉が使われていますが、本当はそんなキレイこどの言葉ではなく「逃げろ! 死ぬぞ! 」の方が効果あるんですよね。

お金で考えてもそうです。

「〇〇したら1万円あげます」より「〇〇しないと1万円取られます」と言われた方が人は動く。

ナポレオンはこう言いました。「人を動かす2つのテコがある。それは恐怖と利益である」と。

そして、利益より恐怖の方が人は直観的に動いてしまうものです。

 

とはいえ、これはいわゆる政治では恐怖政治だし、マーケティングにおいては脅迫マーケティングといわれているもので邪道なんです。

 

本来「ナッジ」というものは、人の行動をよりよくするための選択肢を提示することであり、こちら側の意のママに誰かを動かす手法ではありません。

 

今日、訃報が届きました。野村克也さんがお亡くなりになりました。生前、ぼやきと言いながら、ノムさんは多くの名言を残してくれました。そのひとつが前述したナポレオンの言葉に付け足しをしたものです。

ナポレオンは「人を動かす2つのテコがある。それは恐怖と利益である」と言ったが、私はこの2つに「尊敬」を加えたい。リーダーは「利益と尊敬と、少しの恐怖」で組織を動かしていくべきで、その潤滑油が「笑い(ユーモア)」だ。

非常に含蓄のある言葉です。

この「笑い」というか「ユーモア」は非常に大事です。

ナッジの好例として、よく使われるのが「ハエの絵」の話です。いつも利用者によって汚くなってしまう公衆トイレですが、男性の方はよくわかると思いますが、小便器の周りっていつも飛び散った小便で汚れています。それを「キレイに使いましょう」なんて貼り紙しても効果はないわけです。「もう一歩前へ」とかも同様です。

それを飛び散らないようにする仕組みが…

 

この続きは日経COMEMOにて。

 

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そして、公園から人が消え、看板だけが残された

最近の公園は何もできなくなっているようです。

 

www3.nhk.or.jp

 

「騒がないで」
「犬連れ込まないで」
「猫に餌をあげないで」
「キャッチボール禁止」
「ボール遊び禁止」
「花火禁止」
スケートボード禁止」
「大縄跳び禁止」
「合唱はお控えください」
「団体でのランニングなどのトレーニングは許可していません」
「ベンチの長時間利用はご遠慮ください」

もう何もできない…。

そもそも論として、公園で法的に違法でもないことを「するな」という禁止行為自体がおかしい。誰かからクレーム入れられたからと禁止看板する行政もどうかと思います。

以下は、記事にもあった豊島区の人の話。

「苦情を寄せる住民は、今すぐ対処してほしいと思っています。行政として迅速に対応するには、看板を立てるしかないんです。禁止看板ばかりだと景観がよくないですし、利用者が少なくなっているところもあります」。

要するに、「クレーマーがうるさくて面倒くせえから、とりあえず禁止看板だけおいておけ」という話なんですよ。景観がよくないとかそこじゃないだろって話。なんでそんな他人事なの?

一部の声のでかいクレーマーの要求だけが通る世界なんて異常です。

記事内の足立区の取り組みはまだマシだと思います。禁止看板ではなく、「できる看板」を置くっていうもの。

でも、本質的には、「何をしていい」とか「何をしちゃだめだ」とか規定すること自体違うよねと思います。今も各地にはびこる学校の理解しがたい「校則」なんてのもそれに似たようなものでしょ。

人間が快適に過ごすためにこそルールはあるべきなのに、ルールに支配されて人間が苦痛を感じるようになってどうするよ?って話。

以前、公園にあった遊具がとりはずされたりもしましたが、あれはクレーマーからの「子どもの声がうるさい」以外に、親から「遊具で怪我したらどうするんだ」という声も反映したものだけど、そういう理由とは違った部分で僕は遊具なしの公園には賛成なんです。

用意された遊具で遊ぶというより、学校も公園ももっとクリエイティブな場所であるべき。何もないところでも、子どもたちは遊びを創造し、大人たちは憩いの場を創造し、高齢者たちは穏やかな時間を創造すればいい。

昭和の広場なんて「ドラえもん」のシーンにもあるように土管しかなかったよね。

 

ちなみに、うちの近くの公園は、遊具は何もありませんが、子どもたちが走り回り、ボール遊びも大縄飛びもバドミントンもキャッチボールもなんでもやっています。誰かがシャボン玉をしていれば、多分初対面の子どもたちがその周りで騒いでいたりする。ジョギングする若者や高齢者もいます。ギター弾き語っている外国人もいる。夏には日焼けしている若者もいる。ピクニックバッグを持って、デートしているカップルもいる。それぞれがそれぞれの楽しみ方をしている。それが公園というものでしょ?

誰も何もしていない、笑い声さえ聞こえない、バカなクレーマーと事なかれ主義の役所の人間によって作られた、人間ではなく「看板だらけの公園」に何の意味があるというのでしょう?

公園とは「交園」だと思います。

人が交わり、笑い声が交わり、ある人の喜びもある人の哀しみも、いろんな人の感情が交わる場所です。

かつて強固だった地域コミュニティは崩壊し、現在は隣に誰が住んでいるかさえわからない状態です。そんな中、少なくとも近所の人達が集い、それぞれに楽しむ場である公園というのは、貴重な場であり、ある種の「接続するコミュニティ」だと思うのです。

僕は、その公園を通るたび、別に何の血縁もないですが、元気に走り回る子どもたちを見て、とても満ち足りた気分にさせていただいています。来週も再来週もまた元気に笑って遊んでいられますように、と。

 

禁止看板をどうしても置くというなら、僕は1枚だけ以下の禁止看板を置きます。

 

「公園にクレーム言うの禁止! 」

好きなことを仕事にしたら幸せ?好きな人と結婚したら幸せ?

「好きなことを仕事にしよう」というムーブメントが一時もてはやされた時期がありましたね。今でもそうなのかもしれませんが。

「好きなことを仕事にする」は、一見幸せそうに思えますが、本当にそうでしょうか?

そんな中、それを真っ向から打ち消すような「好きなことを仕事にしない方が幸福度だけではなく、年収も継続率も高い」という記事を見つけました。

blog.tinect.jp

 

概ねこの記事には賛同します。

そもそも好きな仕事なんて20代前半そこそこでわかるわけもないし、ましてや自分が活躍できる「合っている仕事」なんてわからないものです。好きばかりを追いかけていると、この「自分に合っている仕事」というものを見逃してしまう場合があります。

そして、こと仕事に関して言えば、「自分に合っている好きな仕事をしている」人というのは実にマレな存在で、大抵の人は、「好きじゃないけど、生活や家族や自己の趣味のためにお金を稼ぐ手段として仕事をしている」人が多いんじゃないかと思います。

ただ、「好きじゃない(と本人が思っている)仕事」でもやり出したら自分に向いているな~、会っているな~、自然と成果出しているな~、という経験をした人もいるでしょう。

例えば、他者とコミュ力がないという人でも職人的に持ち場を与えられて、黙々と製品製造などに向き合う仕事なら没頭できたりしますよね。

この「合っている」という中には、人間関係も含みます。逆に言えば、ものすごく「好きな仕事」でも、人間関係的にぎくしゃくした環境や嫌いな人達の中で仕事をさせられていたら苦痛じゃないですか。

「自分に合っている仕事」って大事なんですよ。「好き」とか「嫌い」なんて尺度よりよっぽど大事です。

図式化するとこんな感じです。

この続きは日経COMEMOにて無料でお読みになれます。

 

comemo.nikkei.com

「イマドキの若者は…」とつい言ってしまうおじさんたちへ

「新入社員が定時になると即帰る、アイツはだめだ」

相変わらず定期的に出ますね。この手の「イマドキの若者」論。

こちらの記事では、新入社員には会社に対する帰属意識が希薄だから、会社も自分たちの居場所であるように意識づけしてあげるべきだ、的なことが書かれています。

diamond.jp

 

居場所ねえ。

何度も同じこと申し上げて恐縮ですが、会社が居場所であった時代は、会社は35年後も自分たちの安定した収入と立場を約束してくれていた時代です。そうした未来に渡る恩義があるから忠誠を尽くしていただけであって、今のように何年働こうが給料なんかあがりやしない状況下で忠誠心だけ求めても意味ありません。

居場所論については「所属するコミュニティ」の枠組みで考えていたらもう終わりです。それについては、2018年にこちらの記事に書きました。お時間ある時にどうぞ。

note.com

さて、今回一番申し上げたいことはそこではなく、この「イマドキの若者」論がいかに馬鹿げたものであるかをご説明します。

例えば、こんな上司の愚痴。

「今の新入社員は、残業を命じれば断るし、週休二日制は断固守ろうとする。だから、残って仕事するのは我々上司なんですよ」

あ~、わかるわ。と思う管理職の方多いんじゃないですか?

 

もうひとつ。

会社の金で海外留学させたのに、帰国したとたん会社をやめてしまうんだよ。一体あいつはなんなんだ?


いるいる、そういうやつ。と思いますか?

でも、これ、いつの時代の話だと思います?

1986年の読売新聞に書かれた上司の新入社員に対する愚痴です。今55歳以上のおっさんの若者時代。変わらないんですよ。

こちらの話をツイートしたところ、なんと4000以上のRTと7000以上のいいねを頂きました。ありがとうございます。

 

 

 

ちなみに、1986年には週休2日はなかったという変なリプも頂きましたが、週休2日制は1965年に松下電器(現在のパナソニック)が導入し、1980年頃から他の企業も導入し出したものです。官公庁が週休2日になったのは1992年ですが、一般企業ではそれよりも前に始まっていました。

 

いやいや、1986年はバブル絶頂期で、彼らは「新人類」と呼ばれた世代。だから、その世代だけ異質なんだよ、と反論する人もいます。

果たしてそうでしょうか。

 

この続きは日経COMEMOにて。

 

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受け身の恋愛弱者は、結婚相手を選択することができない

結婚したいけど出会いがない…。

これは、婚活男女に共通する悩みのひとつです。

 

それもそのはずで、かつては、職場での出会いが圧倒的に多かったのですが、昨今のセクハラなどの締め付けで、たとえセクハラにならなかったとしても、社内で異性をデートに誘う行為は控えるという方向にいっています。

そもそも、男も女も7割が受け身なので、お見合いもなければ、職場での出会いもないと八方ふさがりです。詰みます。

未婚化・非婚化の流れは、「結婚するつもりがない人」にとっては何の問題でもありませんが、「結婚したくてたまらないのにできない人」にとってはいたたまれないことでしょう。

マッチングアプリなどがあるじゃないかという声もありますが、あれを使いこなせるのは3割の恋愛強者だけです。恋愛強者に限れば、アプリがなくても友達の紹介でも飲み会でも路上でも出会いなんて作れます。

皆婚時代は、社会的な結婚のお膳立てシステムとしてのお見合いが機能していました。恋愛に受け身体質であっても、おせっかいなおばさんなとぜがどんどんと相手を紹介してくれました。出会いは向こうからやってきたわけです。

お見合いというと、親同士が勝手に決めて、当事者同士にはその決定権はなかったと勘違いしている人もいますが、昭和・大正・明治もそれこそ江戸時代であっても、お見合いに関して当事者の意思は尊重されたのです。嫌だったら断ることもできました。

とはいえ、断るにも限度というものがあります。

年末に、テレビで『明石家さんまの爆笑!ご長寿グランプリ2019』という番組を見まして、その中の「ご長寿ビデオレター」というコーナーで、28回お見合いした83歳のおじいさんの話がとても面白いものでした。

27回断り続けたおじいさんの精神力もすごいですが、それにめげず、最終的に28人もの見合い相手をアテンドした仲人さんにも凄まじい意地と執念を感じます。

このおじいさんが、28人目と結婚した理由とは何か?

マイナビウーマン連載「知らないと困る結婚の数字」。今回はこの話にインスパイアされて書いた記事です。

おつきあいした何人目の人と結婚するのがベストな選択なんでしょう?実はこれには正解があります。マーティン・ガードナーの法則と言われるものです。とてもおもしろい内容となっていますので、ぜひご一読くだい。

woman.mynavi.jp

 

ところで、同じような選択の法則に、コロンビア大学の教授シーナ・アイエンガー氏によるジャムの法則というものがあります。マーケティングにおいてよく参照される有名な法則です。

24種類と6種類のジャムでどちらがより売れるのかという実験をしたところ、6種類の方が購買率が高かったという話である。品揃えが豊富で、たくさん種類があると、自由に選べて楽しそうですが、選択肢が多すぎると人は決断することができなくなります。選択肢が多すぎると選択それ自体を放棄してしまうのです。

人間はせいぜい4~6種類くらいの中からしか選択ができないものなんです。それはジャムであっても、車であっても、住宅であっても、結婚相手であっても変わりません。

特に男性諸君。日々のランチのメニューなど、ついついいつもと同じ店に行って、いつもと同じメニューを頼んだりしていませんか?

受け身の男性は選択が嫌いなのです。