「最強の西野流マーケティング」は達成感の連鎖を生みだす。
キングコング西野さんについて書きたい。
彼が提供しているものは何か?っていう話。
先ごろ発売された彼のビジネス書
が5刷の10万部を突破したそうです。うちの会社でも急に周りがざわついています。「キングコング西野が書いた本?」
「ただのタレント本なんじゃないの」
「どうせ中身のないエッセイみたいなもんでしょ?」
と思った方は、まあとにかくご一読くださいな。
ここに書かれていることは、学生やビジネスマン、主婦関わらず、老若男女を超えて、刺激になることが満載です。50過ぎのおっさんだって何かを感じました。
何かってなんでしょう。
動かす力です。
本を読んで納得したり、共感することは多々あると思います。ですが、大体その気持ちは時間とともに消滅し、やがて、その本を読んだことすら忘れてしまうのが普通です。
西野さんのこの本は、それを許さないムズムズ感を心に呼び起こします。
行動しよう、実行しよう、とにかく進もう、前でも後ろでも斜めでもいいから。
そんな動機を喚起してくれる。動機の喚起だけじゃなく、実際に動かしてもいる。こうして僕がこれを書いていることも行動のひとつです。
この本は、巷にあふれる「薄っぺらい理屈だけの自己啓発本」なんかじゃない。読んだ人が行動するためのオリエンシートなんです。読んで終わりじゃない。その先に「あなたが行動する余白」が用意されていることが秀逸。
それは、この本も含めて西野亮廣という存在自体が未完成だからこそ為せる技。完結なんかしていない。そして、本人自身が全然完結させようとも思っていない。なぜなら未来は完結していないものだから。
この本を読んだひとりひとりがどう動くか、それによってどんどん変わっていく。
西野さんが提示しているのは、読んで終わりの本ではなく、これから始まる未来へのスタートラインだ。
もうひとつ。
4年半をかけた彼の
という絵本がいよいよ発売されます。これも試みとしてはとても新しくて、そもそも制作費をクラウドファンディングで集めたこと、映画のような協業による制作体制をとったこと、主題歌もあることなど本当に面白い。発売前にネットですべてを見せてしまうとかいろいろと話題にも事欠かないのですが、さらにすごいのはこれ。
「えんとつ町のプペル展」を無料で開催するというクラウドファンディングを開催して、すでに1600万円を超える資金を調達しています。莫大な金額を集めたこともすごいのですが、本当のすごさはそこじゃありません。そこにも、西野さん流の新たな未来へのスタートラインが用意されているわけです。
リターンの中にこんなものがあります。
「【あなたの町で『えんとつ町のプペル展』を開催できる権利(西野のトークショー付き)】 LED照明で光る41枚の絵を、あなたの町に。貸し出し期間は最大1ヶ月」
つまり、自分で個展を開催することができるわけです。
支援金額は30万円という個人からしたら高額(でも西野さん的にこれ完全にノーギャラ)にも関わらず、すでに10人がエントリーしています。
そして、全国各地で個展が開催されるのですが、これ、本来ならばお客さんの立場の人間が主催者としてがんばるってことなんですよね。ここが大事なポイントなんです。
クラウドファンディングにお金を払ったからって、個展が自動的に無事開催されるわけじゃない。会場の準備、運営その他もろもろやらなきゃいけないことは山ほどある。
でも、そういう大変な作業をお金を払ってまでやる意味はなんでしょうか?
作り手、売り手が提供したものを、お客さんはお金を払って受け取る。それが従来の構図でした。ところが、西野さんは、お金を払ったお客さん自身が、二次的な作り手・売り手となって動く機会を用意しています。
よく言われる、お客さん参加型とかそんな生易しいもんじゃない。作り手が用意したフィールドの中でお客さんがお客さんとしての立場を崩さずに参加しているレベルは、正確にはまだお客さんのままだ。
そうじゃなく、お客さんという立場を超えて、もはや作り手側のスタッフと同じ立場にしてしまうこと。
これがすごい。
なんと、個展とは別のトークショーを開催したいという人が、この支援用の30万円のためのクラウドファンディングを自分で立ち上げたりとかしている。これもまた予期せぬ行動喚起でしょう。
でも、それってさ…
本来金を払っているお客さんに、金を払わせてなおかつ働かせるってことでしょ。酷くない?
何もわかってない。
そもそも消費者が対価を払う意味ってなんですか?対価を払うだけの価値があると感じたからです。では、この支援をした人は、どんな価値をそこに見出したんでしょうか。
西野さんのファンだから?西野信者だから?
勿論、彼のことが嫌いならこんなことしないはずですが、決してそれだけではない。
支援者は、西野さんが常々言っている彼のビジョンに共感して、動くことを決め、本当に動いた人たちです。彼が提示した未来のスタートラインに立って、自分で走りだしたんです。対価に見合う価値は、彼らが実行した瞬間「やりがい」と形を変え、成し遂げた後には、「達成感」という形で彼らの心に刻まれるでしょう。
メーカーをはじめとして、とかく作り手側は、完成したモノをお客様に提供しようと考えがちです。決して間違いではありません。ですが、モノを所有する価値が薄まり、世の中に類似のモノが溢れる中、完成した(一生懸命作った)モノというだけの価値はもはや選択すべき価値と呼べなくなっています。
欲しいのはもはやモノではないから。
体験価値という言葉も言われますが、単なる受け身の体験でももう満足されなくなっています。能動的に動く力、それを喚起し、その先にある個々人の精神価値まで高められなければ、もはや対価を払う意味が無いとみなされない時代へ。
精神価値というと難しいですが、要は人間として根源的な「承認欲求」や「達成欲求」への満足ということです。幸福感と言い換えてもいい。
勘違いしないでほしいのは、西野さんは自分自身及び作りだしたモノ・コンテンツ(ライブ、絵本など)それ自体に、精神価値を付与したのではない。それらのモノ・コンテンツを個々人の精神価値へ通じる道への、ひとつの道具として使っている。みんなに対する未来へのスタートラインとして提示している。
しかも、彼の用意するスタートラインは直線じゃなくて、方向もバラバラで、ゴールだって定まっていない。用意しているのは選択肢。どこに向かって走ってもいい。大事なのは動き出すこと。
全員が動き出さなくてもいい。でも、動き出した人は可視化されるから、それもまたそれを見た人には新たなスタートラインの提示になるという好循環が生まれる。動き出した人たちがミニ西野となってその周辺の人たちを動かして行く。
最終的に能動的に動き出した人には、(成功しようが失敗しようが)やり遂げたという達成感が待っている。みんながお客さんでありながら、作り手側としての達成感も共有できる。
こんな幸せのサイクルってない。達成感の連鎖だもん。
これは、もはや新しいマーケティング手法と言ってもいい。
モノが売れない時代と言われますが、それは決してモノが悪いのではなく、買い方・届け方含めた「お客さんの幸福感」まで考えられていないから。
いいモノを完成形として提示すれば売れる。そんな時代もありました。しかし、もはやモノ所有価値時代は終わりました。
未完成だからこそワクワクするんです。モノはあくまで、未来の喜びを獲得するための道具。その道具を使ってどう行動するかはお客さん自身の問題。でも、動き出した分だけそこには大きな達成感という幸福が待っているはず。一度達成感を知った人は繰り返し参加するでしょう。
マス型消費、つまり100万人に1回買ってもらうマーケティングではなく、100個買い続けてくれる1万人を味方につける。それこそが、コモディティ化した市場と情報過多の時代における最強のロイヤルティマーケティングだと思うし、結果的にお客さんの笑顔が続く。
西野さんは、それを知ってか知らずが、実際に自分の活動の中で具現化してしまっている。マーケティングを本業としている我々からすると、それは驚きでもあり、妬ましくもあり、尊敬すべき点だと思います。
「最強の西野流マーケティング」という本書かせてもらえないかしら。
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