ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

パパとママへ。生まれ変わっても、私のことを見つけてね。

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小児科医の先生がご自身の経験の中で出会った18個の物語を記した「君がここにいるということ」という本があります。その中のひとつ、白血病と戦った少女とその母親とのお話を抜粋して紹介します。 

 

君がここにいるということ:小児科医と子どもたちの18の物語
君がここにいるということ:小児科医と子どもたちの18の物語 緒方 高司

草思社 2015-07-16
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その先生と4歳の由香子ちゃんとの出会いは、彼女が白血病の疑いありと診断されて検査のため大学病院に来院したときだった。由香子ちゃんは、目がくりくりとした、運動が大好きな女の子だった。

検査といっても、骨髄を抜き取るために背骨に太い針を刺さなければならない。大人でも痛い。当然、由香子ちゃんも泣いて暴れて、激しく嫌がった。

その時、由香子ちゃんのお母さんが彼女を説得したのだが、それは、自分も同じ検査をするからがんばって、というものだった。

お母さんは先生にこう言った。

「由香子にする骨髄穿刺検査を私にもしてください。そして、私がその検査をがんばる姿を見たら、由香子も検査をがんばる、と約束させました。お願いします」

そう言われても病人でない人に針を刺すことは傷害罪になるからできないという医者に対して、お母さんも頑として譲らない。

「私は、由香子がこれから病気と長い闘いをしていかなければならないと覚悟しています。私も、由香子と一緒に、病気と闘いたいのです。そのためには、由香子が引き受けなければならない痛みや辛さを私もできるだけ共有したいのです。気持ちだけでなくて、五感すべてを使って、共有したいのです。由香子が苦しくてご飯を食べられないときは、私も食べません。由香子が足を切らなければならないときは、私も足を切り落とします。そして、神様に由香子を助けてもらうのです。神様に頼んで、私の寿命を由香子に分け与えてもらうのです」

このお母さんの覚悟の言葉に医者たちは言葉を失ったという。そのやりとりを聞いていた由香子ちゃんは、こういいます。

「ママ、大丈夫だよ! 由香子、検査がんばるよ! ひとりでがんばれるよ!だから、ママはそんなことをしなくていいよ」

検査の間、由香子ちゃんは痛みに涙を流していたが、廊下で待っている母親に泣き声を聞かれないように、と必死で声を嚙み殺していたそうだ。

 

検査の結果、悪性ではないことがわかり、数年かけて入退院を繰り返しながら抗がん剤治療をすることになった。それでも当時は順調に治癒に向かっていた。

しかし、3年後、由香子ちゃんが7歳の時、また白血病が再発した。

再入院してきた彼女は、相変わらず明るくて楽しい子であった。それどころか、お姉さんになった由香子ちゃんは、痛い検査の後で泣いている5歳の男の子を慰めるなど自分よりも小さな子のお世話を自ら進んでしてくれた。

病院内での七夕の願い事。普通の子は「早く退院できますように」とか「早く病気が治りますように」という願いを書くものだ。しかし、由香子ちゃんの願いは「パパとママとチコちゃん(飼っている犬の名前)が病気になりませんように」というものだった。

抗がん剤で治療すると髪の毛が抜けるが、その時も「由香子の髪の毛がなくなったら、ママも髪の毛を切って『ぼうず』にしちゃうんじゃないか心配なの。ママの長いきれいな髪の毛、由香子は大好きだから」と自分のことより母親のことを心配する、そんな子だった。

それから三度目の入院。由香子ちゃんは9歳、小学校3年生になっていた。病状は芳しくなく、50%の確率だが骨髄移植の手術に賭けることになった。

10月由香子ちゃんは入院してきた。骨髄移植の準備のために無菌室に入れられ、お母さんともガラス越しにしか会話ができない。そんな時、由香子ちゃんはこんなことを母親に告げた。

「ママ、私がいなくなっても、ひな祭りの日には、おひな様を飾ってね」

まだ10月なのに、である。当然母親は慌てる。まるで自分の死期を悟ったかのような娘の言葉だったからだ。

「由香子、おかしなこと言わないで! 来年のひな祭りは、おうちで一緒にひな祭りしましょ!」

「そうだね。でも、ママ。約束だよ」

 

その後由香子ちゃんは、一度も退院することなく、3ヵ月後に遂に力尽きてしまいます。

 

母親はしばらく喪失感で何もする気が起きなかった。けれど3月になって、母親は由香子ちゃんとの約束をふと思い出した。

「私がいなくなっても、ひな祭りの日には、おひな様を飾ってね」

由香子ちゃんは確かにそう言っていた。正直、亡くなった我が子のためにひな人形を飾るのは気が重い。しかし、由香子ちゃんとの最後の約束である。母親はひな人形を飾るため、人形の入った箱を開けた。

お内裏様の人形の胸に、「パパ」という文字を刺繡した布が巻かれてあった。同じく、おひな様には「ママ」と刺繡した布。そして、三人官女のうちのひとりに、「由香子」と刺繡した布が巻きつけてあった。

 

そして、箱の中には手紙が入っていた。こんな文だった。

 

 

パパとママへ

今までありがとう
パパとママの子に生まれてこられて、しあわせでした
わたしはいなくなっちゃったけど、しんぱいしないで
このおひなさまみたいに、おおぜいのお友だちにかこまれて
楽しくすごしています
だから、悲しまないでね
こんど生まれ変わったら、お医者さんになりたいな
そのときは、パパ、ママ
わたしを見つけてね

 

 

 

僕は、これをそば屋でソバをすすりながら読んでいたのですが、人目気にすることなく、ボロボロ涙を落として号泣してしまいました。

僕らは毎日当たり前のように生きているつもりになっていますが、由香子ちゃんが生きた9年間のような密度の濃い人生を送っているだろうか、由香子ちゃんのように他人を思いやれる気持ちと行動をしているだろうか。そんなことを考えました。

もっといえば、「生きるとはどういうことか」。そういうことをこの本のこの物語を読んで考えさせられたし、由香子ちゃんから「今この時の一日、一瞬を大事に生きることの意味」を教えてもらったような気がします。

 

 

ぜひご一読ください。

君がここにいるということ:小児科医と子どもたちの18の物語