ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

人口減少が不可避な中での適応力ってなんだろ?

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人口減少は不可避です。避けられません。

誰が首相になろうとも、どんな施策を打ったとしても変わりません。その前提で、未来をどうしていくかを考えるべきステージに来ていると、何度も僕は言い続けているのですが、相変わらず「人口減少が問題だ。国難だ。結婚しろ。子どもを産め」と興奮する人がたくさんいます。

人口減少で問題になるひとつに労働力不足が言われます。昨今の人手不足は深刻ですし、それを移民によって賄うべしという言説も盛んです。ですが、そもそもそれはあくまで高齢者をすべて支えられる側としてしまう昭和的な発想から脱却できていないからなんですよね。

所謂、15-64歳の現役世代が65歳以上の高齢者を支えないといけないとすると、1人で〇人の老人を背負わなきゃいけない。だからその負担を少なくするために人口を増やせという理屈です。

でもね、あの指標は本当に意味ない。だって年齢で区切ったところで本当に現役世代全員が働いているのか?って言ったらそうじゃない。もちろん、物理的な理由や健康上の理由で働けない人もいるけど、働けるのに働いていない人もたくさんいます。逆に70歳でも元気に働いている高齢者もたくさんいます。

視点を変える。働く人が働いていない人を支える社会という視点でみれば、何もそれほど悲観する話ではないんです。というか、この問題を悲観とか楽刊とかで語るべきじゃないし、粛々と現実を受け止めて対応できるかという問題なんです。

ひとつだけ言うと、人口総数が減ることは何の問題もない。総数の問題ではなく、要はバランス(均衡)の問題なんです。にも関わらず、単純に数だけであーだこーだ考えるから本質的なところが見失われる。

そういう視点で書いた記事です。ぜひご一読ください。 

 

toyokeizai.net

 

※タイトルに少子高齢化ってありますが、人口減少がテーマです。

 

今回もいろいろなコメントいただきました。前述したように「能天気すぎる」「楽観的すぎる」という声も多くあります。

人間の脳というものは不思議なもので、ネガティブなことの方が記憶に残りやすいそうです。

事実、"なぜ日本は「少子高齢化」に目を背ける? 老いぼれ国家に若者が殺される現実"とか"2019年から日本国は衰退へ。海外メディアも一斉に警告「少子高齢化という時限爆弾」"とか、そういう不安を煽るような記事はよく読まれるそうです。

でもこういう類は、得てして悲観的にことの羅列に終始して、じゃあどうすんの?じゃあどうなんの?って話は一切出てこない。

なぜなら、不安を煽ることそれ自体が目的だからです。上記にあげたふたつのタイトルの記事は実在の記事です。あえてリンクを貼らないのは、これが広告記事だからです。要するに、不安を煽って「くわしくは有料登録してください」「講演を依頼してください」って持っていき方なんですよ。

このやり口って、詐欺師やカルト宗教と一緒なんです。

もちろん先々の不安に対してリスク対策をとることは大事です。でもよく考えて欲しいのは、老後にはいくら金が必要だから、とかそんな情報に振り回されて、世界一の箪笥貯金国家になってしまったのが現在の日本。ちっとも経済が周らなくなってしまいました。また、子ども1人育てるのにン千万円かかるという情報に過度に反応して、なかなか2人目、3人目を産めなくなっているというのもあると思います。

不安は無意識に行動を抑制します。何もしない。変化を生まない。現状維持がいい、という心理が働くから。でもそういった行動の沈滞こそが、抽象でしかなかった不安を現実に変えてしまうのですよ。

 

相変わらず(言っちゃ悪いけど)クソコメントも来ています。

「対立は不毛だ」は既得権者が「このまま搾取させろ」を言い換えたものにすぎない。少子高齢化が莫大な負担となって跳ね返ってくるのは明らかで、そうなってしまうのは子育ての負担をしないフリーライダーがいるから。
ソロでもいいなどと宣伝する者の罪は重い。
子なし税を負担しろ。

ちゃんと記事読んでるのかね?

なぜ、そうした対立軸でしか物事を考えられないのだろう?子無し税なんて導入したところで、以前も記事書いたけど消費税の0.3%分にも満たない。意味ない。

 

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

人間なんてちゃんとやっているつもりでも、どこがで誰かに助けてもらっているし、今後誰かに迷惑かけるかもしれない。今の状態が未来永劫続くわけじゃない。大事なことは、社会は1対1で周っているわけじゃないってこと。誰かが誰かのためになっている「お互い様」の循環こそが社会ってもんじゃないの?

「対立は不毛だ」は既得権者が保身のために使うものではなく、権力者が敵を作って味方を洗脳するために使う言葉です。過去の宗教戦争然り、ヒトラー然り。

フリーライダーを許さない社会とは、無慈悲な自己責任社会です。果たしてそんな社会は幸せなんでしょうか?

以下、本文からの引用です。

結婚してもしなくても、子があってもなくても、あなたが働けば、あなただけじゃなく、誰かもう1人を支えられると皆が信じられる社会。自分のために働いたり、消費したりすれば、結果として、誰かのために役立つ循環性のある社会。私が言い続けている「ソロ社会は人とつながる社会である」というのは、そういう社会であってほしいと思います。

みんなと一緒という「個人主義」の日本人

世界各国の国民性を表した『沈没船ジョーク』というものがあります。

有名ですよね。

■世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっています。しかし、乗客の数に比べて、脱出ボートの数は足りません。したがって、その船の船長は、乗客を海に飛び込ませようとしますが…。さて、船長が各国の人を飛び込ませるために放った言葉とは何でしょう?

アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローですよ」

ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」

イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」

フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないで下さい」

イギリス人に対して・・・「紳士なら海に飛び込めますね」

ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」

日本人に対して・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」

 

あるあるですか?

特に、日本人に関してはこの「みんなしてますよ」に弱いという意識が、日本人の中にも根強いですよね。日本人は、集団主義というか同調主義意識が高いものだ、と。

実は日本人ほど個人主義で、損得で動く民族もいないんです。ここでいう個人主義というのは西洋でいうところの個人主義とはニュアンスがちょっと違います。

西洋の個人主義とは「国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する」ことであり随分と高尚です。「個人の自立独行、私生活の保全、相互尊重、自分の意見を表明する、周囲の圧力をかわす、チームワーク、男女の平等、自由意志、自由貿易に大きな価値を置いている」そうです。フランスが発祥らしいのですが、かなり理屈っぽいし、個人的にとどうでもいい概念です。

日本人の個人主義とは、もっとシンプルです。

要するに「自分ファースト」ってことです。

 

え?でも日本人は空気読むし、集団で行動するのが好きだし、みんなと一緒であることに安心するんじゃないの?

そう思いますか?

違います。

集団の中で「空気」を読むというのは、心から同調しているのではなく、そっちがメリットだと考えればそうするという個人の損得勘定からなんです。身も蓋もないけど。

社会心理学者の山岸俊男先生によれば、みんなと一緒がいいという集団主義・同調主義は、日本人よりむしろ欧米人の方が高かったという実験結果があるそうです。「裸の王様」が欧米の寓話だということからもそれは明らかですね。

日本人は「みんなと一緒がいい」のではなく「みんなと一緒ならリスクがない」と判断すれば一緒にするし、「みんなと違う方がメリットがある」と考えれば違うものにするという、あくまで個人単位の損得判断が根底にあります。

自分に得だからみんなと一緒にしているだけであって、得にならないなら一緒にする理由はないのです。

たとえば、お昼ご飯に弁当が支給されたとしましょう。弁当は全部で10孤。それを10人で分け合うので数的には問題ありません。しかし、10個のうち1個だけ、特上のウナギ弁当(値段にしたら5000円相当)があって、残り9個は普通ののり弁当(500円相当)だったとします。

さあ、あなたならどっちを選びますか?あなたが最初の選択権を与えられたとします。選択するのは1人ずつで。あなたが何を選んだか、他の人にはわかりません。

これ、日本人だろうとアメリカ人であろうと、うなぎ弁当を選ぶ確率は50%なんだそうですよ。

日本人の5割もうなぎを選ぶの?と思いましたか?それともアメリカ人がたった5割しか選ばないの?って思いましたか?

変わらないんですよ、日本人だろうとアメリカ人だろうと。選ぶ奴は選ぶし、選ばない奴は選ばない。だから実験すれば大体半々に落ち着くんです。

問題は、次です。

あなたが選択するのを他の全員が凝視していたとします。そうすると結果、日本人はほぼ全員がのり弁当を選びます。

なぜか?

それは人の目があって、自分がうなぎを選ぶことによって後で皆から文句や妬みを買うというデメリットがあるからです。美味しいうなぎを食べるメリットより、みんなから嫌われるというデメリットが優先するんです。うなぎを食うことは損になるって考え方なんですよね。

もちろん何も考えずみんなの後ろをついていけばいいという人もいるかもしれませんが、日本人の思考というものは常にそうした損得がうごめいているんです。無意識に。

悪いことではないです。損得で動くというとがめついように思えますが、命に係わることだと考えれば、当たり前の話です。もちろんこれは自分の子どもに対する場合とかは別です。あくまで対他人との関係性においてです。

昔の家は、留守にしていても家に鍵なんかかけていませんでした。村の共同体の中において、盗みに入るという行為は即刻共同体からの排除対象になるからです。盗んでも何の得にもならないどころか損だからしないんです。

戦国時代の武将は平気で主君を裏切ります。裏切って自分が生き延びる方が得だからです。明智光秀だけじゃない。荒木村重も松永弾正も浅井長政も、信長を裏切っています。ちなみに、僕は戦国武将の中で一番好きなのはこの松永弾正です。生き様が粋です。

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他にも、陶晴賢斎藤道三宇喜多直家穴山梅雪などたくさんいます。関ヶ原で有名な小早川秀秋もそうですね。あの前田利家だって賤ヶ岳で柴田勝家を裏切っていますし、そもそも柴田勝家だって若き信長を一回裏切っている。

何より最大は豊臣を裏切った徳川家康だと言えるでしょう。

すべて損得です

…というと、日本人は随分利己主義なんだな、と思うかもしれませんが、それは利己主義ではなく、自分の得を考えて行動することが結果として集団としての利益にもつながるという考え方に近いのです。

個人の損得という本質を選択することが、実は集団利益を産むというのが日本人的個人主義であり、それが「お互い様」の精神にもつながっていくのです。

 

 

『沈没船ジョーク』には後付けされたこんなオチがあります。

関西人に対して・・・「阪神が優勝しましたよ」

 

 

 

日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点
日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点 山岸 俊男

集英社インターナショナル 2008-02-01
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「超ソロ社会」台湾デビューを果たしました!

拙著「超ソロ社会」の台湾版が発売になりました!

韓国版に続きまして、海外進出2か国目です。

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素敵なデザイン、ありがとうございます!  

 

台湾も未婚化は深刻な問題なんです。

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適齢期の男女の半分が未婚という状況らしいです。

 

拙著の紹介もスライドにしてくれてわかりやすいです(中国語は読めませんが、なんとなく漢字で意味は伝わります)。

2035年、日本の人口の半分は独身者になる。

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「ソロで生きる力」が必要になる! 

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「精神的自立」「自分を愛する」ことを学べば、ソロでも幸福を楽しむことができます。

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家族や地域といった古い共同体から新しいコミュニティへ。

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超ソロ社会~あなたは1人になっても生きていけますか? 

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台湾政治大学の蔡增家さん及び台湾の人気作家の御姊愛さんから推薦文もいただきました。ありがとうございます!

ところで、御姊愛さん、とっても美人です。

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お会いしたことないですが…。

トークショーやりたい! 

中国語しゃべれませんが…。

 

機会があればぜひ台湾にもお伺いしたいと思います。てか、行きます! 勝手に押しかけ路上押し売りサイン会やろうかな。

 

 

未婚者是社會的亂源?
職業女性增加,造成社會走向不婚化?
九成的未婚者想結婚是漫天大謊?
男人失去談戀愛和做愛的能力了嗎?
女人因為金錢選擇結婚,男人因為金錢選擇不婚?
終生「無子率」比終生「未婚率」的問題更嚴重?
比起談真正的戀愛,男人寧願訂做「理想中的VR女友」?
單身經濟時代,將從「物質消費」變成「精神消費」?

隨著未婚、不婚、離婚率逐年上升,加上喪偶造成的高齡單身者不斷增加,根據統計,台灣15歲以上的單身人口已直逼1000萬人!台灣不僅是「超高齡社會」,並且也是「超單身社會」,單身化的種種問題更已成為必須正視的迫切現實!
本書作者是日本兩大廣告公司博報堂」的市場趨勢專家,也是研究單身生活者的權威,他以「單身大國」日本為借鏡,深入分析單身社會的成因,以及「單身經濟」崛起的商機和對應策略,並對未來的兩性關係發展提出大膽的預言。
無論是否結婚、生子、組成家庭,每個人都會面臨可能成為「單身者」的風險。但是單身並不意味著孤立,只要找到可以「獨立生存的能力」,學會好好「愛自己」,即使一個人,也能享受單身生活的幸福。

 

《超單身社會》「單身化」時代來臨!即使一個人,你也能活下去嗎?

互いに顔は知らなくても「ありがとう」が飛び交う社会がいいよね

 東洋経済オンライン連載、公開しました。

今回のテーマは「可視化されない独身税問題」についてです。

独身男性の家計を圧迫しているものは何か?について、家計調査から明らかにしています。

ぜひ、ご一読ください!  

toyokeizai.net

 

 

かつて「独身には独身税を課すべきだ」なんてとんでもない議論もありましたが、既に独身税は課せられているようなものです。

言い方を変えれば、生涯独身であろうと、無子夫婦であろうと、働いて税金を納めているならば、何らかの形で次世代の子どもたちのための支援を国庫に支払っているわけです。

そういう意味では、国の税制はよくできているw

なので、生涯独身だからとか、子どもを産まないから、とかそういうことで自分自身を否定する必要はないし、既婚者も彼らをフリーライダーのようにみなして攻撃することがなくなる気付きになれば、と思います。

そして、最後にちょろっと書きましたが、所得増なき消費増税は、ほんとに日本中の独身(特に男たち)にトドメ刺すことになるので勘弁してください。消費増税に反対しているのではないです。特に300万円未満の低収入層の年収が今のままあがらない状態での増税は、結果生活保護受給の増加など、政府の首を絞めることになると思います。

今回もたくさんの方に読まれています。

ヤフーニュースでは雑誌総合アクセスランキング1位です! コメントも現在950件。1000件を超える勢いで、ランキングも2位! セルジオ越後はあちゅうネタより上です。

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東洋経済の方でもランキング上位になりました! 

 

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ありがとうございます! 

 

そして、これだけバズると、毎度のことながら、いろんな人が湧いてきます。読解力がないのか単に知識がないのか、頓珍漢なコメントも寄せられます。

いや、いや。
独身税」なるものが、たとえ、10%・20%になっても、子どもを大学卒業まで育てる事を考慮すれば、独身のほうが経済的に有利なのは間違い無い。私の場合、3人の子どもは、全て私立大学、長男は大学院まで行かせた。30年前、景気の良い時代に、共稼ぎだったから、なんとか乗り切れた。

あなたのいう独身税が20%というのは、今の状態が3%程度換算なので、+17%の負担ということですよね。ざっくりと試算すると、2017年負担が32%なので、計算式とすると32-3+20=49%の負担という計算になります。独身者が収入の半分を税金でもっていかれたら確実に餓死します。有利とかのレベルを超えて死にます。コメントするのは結構ですが、ちゃんと考えてからにしてほしいと思います。

多分、この方は、ご自分が3人ものお子さんを育て上げたということを誇りたいのでしょう。それ自体はそうだと思います。素敵です。

ですが、だからと言ってご自分の生存者バイアスのために、未婚者や無子夫婦を叩いたり、さげすんだりしていいというものではありません。

ソロだとか家族だとかを対立構造にしたがるのは、往々にして既婚者の方です。要するに、自分の子どもたちが働いた分が、そういうソロや無子夫婦の老後の年金に充当されるのが嫌なんでしょう。

気持ちは分かりますが、でも、それが嫌だということを言い始めたら、社会も国家も喪失します。それこそ、家族が自分の家族だけしか頼れない、完全なる「家族自己責任社会」になることを意味するんですよ。なぜそれがわからないんだろう。

完全なるフリーライダーもいるでしょう。でも、それは病気だったり致し方ない理由の人も含まれます。少なくとも、自分で働いている人たちは、何らかの形で次世代の子どもたちの役に立っているんです。独身だろうと、無子夫婦だろうと。

お父さんお母さんたちは、直接子どもを産み育ててくれました。ありがとう。独身者や無子の人たちも、働いて間接的に子どもたちを支援しました。ありがとう。お互い言うべきは「ありがとう」でいいじゃないですか。

そういう気持ちこそが、お互い様という社会を作るんじゃないですか?

そして、それこそが「接続するコミュニティ」が作り出す安心のひとつです。

wildriverpeace.hatenablog.jp

ところで、こんなコメントも来ました。

独身だけでなくコナシ夫婦とかにも、お前らの年金は誰が払うと思ってるんだ!と言う意見をよく聞くけど、その分いっぱい税金を国や地方に納めてるんだよね。
しかも、かなり多く税金を納めているにもかかわらず、給付金や義務教育費や高校無償の教育関連社会保障の還元は一円も受けない。
さらに、大手企業や公務員に普通にある家族手当なども受け取れない。
子あり家族よりもすごくたくさん税金払って、還元はほとんどなく、手当も受け取れない。
相当重い独身税を払ってる。
結婚した方がいいぞ。

最後wwww

いいオチです。

 

結婚したいけどできない人が大半なんですけどね。独身の方に言いたいのは、結婚ごときであなたの価値は決まらないし、自己否定する必要なんか微塵もないってことです。ちゃんと働いているならば、それだけであなたは、どこかの誰かから「ありがとう」を言われる存在なのです。

結婚という状態に過度に固執せず、ひとりひとりが社会的役割を果たしましょう、自分のために働いて、遊んで、消費しましょう。たくさんの人と交流しましょう。それが巡り巡って誰かのためになっているんですから。

 

宇多田ヒカルの孤独と「安心な居場所探し」からの脱却

6月30日に放送された、宇多田ヒカルNHK『SONGSスペシャル』は、とてもよかった。

ピース又吉との対談の中で話されたのは、彼女にとって「家族」というコミュニティが普通の人とは違ったものであったということ。

特に母親である藤圭子が本人曰く全く「油断ならない」というか、予測のつかない人だったらしく、彼女にとって、家族とは決して「安心なコミュニティ」ではなかった(だろうね~とは思ったw)。

「明日、ニューヨークに行くから」→即引っ越し

「もうお父さんとは会えないから」→即離婚

そんなことの繰り返しな日常は、彼女には絶えず緊張と驚きのある毎日だったろう。それに振り回されないようと必死に生きてきた少女宇多田ヒカルが辿りついた境地がこれだった。

「安心したら傷つく」「何も信じないようにしよう」

 

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だからといって絶望しかないわけではない。

そう思うことは、彼女なりのリスク回避であって、決して「安心したくない」「誰も信じたくない」というわけではない。だからこそ、彼女が作り出す歌には「願い・祈り・希望」が込められているという話は、鳥肌が立った。

なぜなら、この宇多田ヒカルの言う「安心できない社会」「信じてはいけない社会」がまさにこれからやってくる「個人化する社会」でもあり、私たち全員が今後生きるために必要な考え方でもあるからだ。

勘違いしないでほしいのは、ここでいう「安心できない」「信じられないい」のがディストピアなんじゃなくて、そうしたリスクを前提に考えることこそが自立への第一歩という意味です。

親に安心しきっていたり、学校や会社にまかせっきりだったらそんな考えは出てこない。かつての強固な共同体に支えられていた安心社会はそうでした。でも、それって完全なる親依存・学校依存・会社依存なんですよ。それはもはや自立とは言えない。

親依存が悪いわけではありません。子どもの頃はそれでいい。しかし、彼女の場合は、既に子どもの頃からそういう考えに達する環境に置かれていたということです。

それはアメリカ生活という環境もあるだろうし、他人の目を気にしない同調とは無縁の母親と一緒だったことも影響しているでしょう。そうした環境が、図らずも彼女の「ソロで生きる力」を誰よりも早く目覚めさせたのではないかと思う。

 

もう一人の対談相手は、ライターの若林恵さん。そこでも、彼女の抱える孤独感が吐露される。

「常に外部者だった。どこにも属していない」

 

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学校においても、デビュー後多くのスタッフに囲まれていても、彼女は「どこに行っても所属感のない孤独」という感覚だったのかもしれない。

しかし、また、この孤独感も、今後多くの一般の人たちが感じるものなんです。それは、個人の問題ではなく、もはやコミュニティというものが所属によって成立し得なくなるからです。

だから、無理に属さなくてもいい。属することでの安心というのは、それと引き換えに、空気を読んだり、納得しないながらも同調するという行動を伴います。所属とは、みんなと同じなら安心だ、という錯覚に陥ることですから。

今後ポイントになるのは、無理に属さなくても、私が私じゃない誰かと一瞬接続することだけでも得られる、そんな刹那の安心があると気付ける事だと思う。

僕は、それを「接続するコミュニティ」と表現しています。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

所属ではなく、接続する。人との関係性とは、同じ場所や同じ枠におさまっていることが重要なのではなく、いかに必要な時に接続することができるかが問われてくる。その接続はリアルでもネットでもいいし、直接でも間接でもいい。

学校に居場所がない、職場に居場所がない、社会に居場所がない。そんな場所に所属することにしか安心できない呪縛から解き放たれよう。友達がいない、恋人がいない、愛すべき子がない。自分の外側に何もないからといって自分そのものまで無くしてしまわなくていい。

 

この続きは、拙著「ソロエコノミーの襲来」をご覧ください。

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「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ

コミュニティについていろいろ考えています。

拙著「超ソロ社会」にも書いたように、地域・家族・職場といったかつての安心・安定した共同体がどんどん消滅しつつあります。社会学者バウマンやベックが予言した通り、「個人化する社会」が間近に迫りつつあるわけです。

では、そんな「個人化する社会」にはコミュニティというものは存在しなくなるのか?と言えば、そんなことはないのです。

コミュニティがなくなるのではなく、コミュニティのあり方が変わる。

かつては家族、地域、職場といった確固たるコミュニティがよかったのは、そこに所属している人々は、「自分はこのコミュニティの一員だ」という安心感が得られたからです。だからこそ「ウチとソト」の線を明確に引いていました。もちろん、そうした安心感と同時に不自由さはあったかもしれませんが…。

コミュニティとは安心でした。

ところが、現在では所属が安心を約束してくれるものではなくなっています。地域のコミュニティはほぼ消滅していますし、職場のコミュニティもかつての安心は提供してくれません。

昭和的な大家族形態も少なくなり、そもそも結婚をせず家族のコミュニティを持つ人も減っています。

しかし世の中から、コミュニティがなくなったわけではありません。最近では、職場以外の、趣味や自己研鑽でつながるコミュニティが勃興しています。繰り返しますが、コミュニティ自体がなくなるのではなく、コミュニティのあり方が変わるのです。

「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ。

かつての家族、地域、職場は「所属するコミュニティ」でした。しかしこれからは、枠の中に自分を置いて群の一員になるのではなく、個人と個人とがさまざまな形でゆるやかに接続する形になっていくと思います。

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趣味のコミュニティなら、趣味を行うときだけそのメンバーと接続する。自己研鑽や学びなら、そういうときだけ協力し合う。場面場面に応じて、柔軟に接続するコミュニティを組み替えていくイメージです。

コミュニティとは、ニューロンネットワークにおけるシナプスのような役割を果たします。その場所が重要なのではなく、あくまで人と接続するための手段としての役割が求められるんです。

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そうすると、一つのコミュニティが仮になくなっても、自分自身を見失うことはありません。むしろ時間が経つにつれて、接続するコミュニティが全て入れ替わることもあるでしょう。所属に依存しない分、一人ひとりに個人としての精神的自立が生まれます。

接続するコミュニティでは、所属による安心は目的とはなりません。どちらかというと、スポーツの「練習場」のような、自己鍛錬の場に近いです。

しかし、こうしたコミュニティでも活動によって、メンバーからの承認や達成感を得ることができる。それが自己肯定感や自己の社会的役割の確認につながります。オンラインサロンなどで、メンバーが自主的に動くのはそのためです。

所属することでの安心の代わりに、今後は接続するコミュニティ単位での「自己の社会的役割の多重化」が求められていくはずです。

僕は常々「ソロで生きる力」とは「人とつながる力」だと言い続けていますが、「人とつながる力」とは「友達を作る力」ではありません。

友達である必要はないのです。むしろ、友達であるがゆえに、表面上の取り繕ったことしか言い合えない関係よりも、全く利害関係のない赤の他人とのつながりが結果として自分にメリットをもたらす場合も多いのです。

米国の社会学者マーク・グラノヴェッターは「弱い紐帯の強さ」を提唱しています。有益で新規性の高い情報や刺激は、いつも一緒の強い絆の間柄より、いつものメンバーとは違う弱いつながりの人たちのほうだという考え方です。

これからは、これまでのどの時代よりも、人が「弱い紐帯」をたくさん持つ必要がでてきます。その中で、常に複数のコミュニティに接続しながら、新しい刺激を得て、自分をアップデートする動き方が主流になるでしょう。

自分をアップデートする=自分を変えるということではありません。

むしろ、新しい自分を生み出していくということ。つまり自己の多重化であり、自分の中の多様性を生みだしていくということです。

人とつながるということは、それだけ、その人によってあなたの中の多様性が活性化されます。それは、人とのつながりによって自分の中に新しい自分が生まれるということです。

「人とつながるという外的接続の拡充こそが、自己の内面の多様性を育む」については、こちらの記事に詳しく書きました。

toyokeizai.net

 

「独身こそ身につけるべき」とか個人的にやや不本意なタイトルつけられていますがそこは気にしないでください(記事のタイトルは著者に権限がないので)。独身かどうかは関係ありません。すべての人間にとって必要なのは、この自分の中の多様性を意識するということです。

「超ソロ社会」にも書きましたが、これは芥川賞作家平野啓一郎さんの提唱する「分人」という考え方とも通じます。

 

コミュニティも同じです。

唯一の拠り所としてコミュニティがひとつだけという考え方はむしろ危険。

自分の外に居場所としてのアウトサイドコミュニティを置くとともに、人と接続して自分の内面に拠り所としての「多様な自分の世界」をたくさん生みだすというインサイドコミュニティを同時に作る、そんな考え方を僕は提唱しています。

コミュニティとは、自分の外にあるものだけではないんです。自分の内側にもコミュニティは作られる。

「どこにも所属していない」「みんなと一緒にいない」という状態を極度に不安がる必要はありません。いつも一緒にいなくても、いざとなったらあの人と接続できる。そう思えて安心できることこそが精神的な自立です。

孤独と孤立とは違います。

たとえ状態としては一人で孤独であったとしても、誰かと共有できる何かがあると感じれば、心理的孤立は感じないのです。逆にいえば、たとえ集団の中に所属していても、誰とも何も共有できていないのなら、それが孤立の苦しみを産むのです。

ソロであるとか、一人暮らしであるとか、単独で仕事をしているとか、そういう状態が孤立とは関係ありません。むしろ、「所属さえしていれば」「みんなと一緒にいれば」という「状態に支配されてしまう思考」こそが、心理的孤立という深い闇への助走なのです。

人とつながり、自分の中に拠り所となる「多様な自分」を生み出し、自己の社会的役割の多重化を感じること。それこそが安心につながるのではないでしょうか。

※本稿は、2018/5/27にNewsPicksに寄稿した内容を一部修正加筆してお送りしました。あれ、インタビュー記事体裁となっていますが、全面的に加筆修正しているのでほぼ寄稿です。

「超ソロ社会」がテレビ番組になりました!

CS放送スカパーの757Ch「ビジネスブレークスルーチャンネル」にて「超ソロ社会・ニッポンの未来」という番組が放映されます。

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スカパーに入ってらっしゃる方はぜひご覧ください。

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放送予定は以下の通りです。

SkyPerfecTV 757Ch
2018年07月09日 (月) 22:00~24:00 
2018年07月11日 (火) 11:00~13:00(再放送)
キャスター 荒川和久/田原彩香
※ふたつとも同じ内容となります。

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