ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

吉田松陰を崇拝する人多いけど、あれ盛り過ぎな件

NHK大河ドラマが「西郷どん」でまたぞろ幕末人気があがる予感がしますが、それでなくてもなんか意識高い系の人たちって、事あるごとに「今は幕末と似ている」とかいって興奮してますよね。

気持ちはわからないでもないんですが、大体そういう人たちって幕末の史実をほとんど知らないというか、司馬遼太郎の小説が事実だと勘違いしている人が大半司馬史観も全くの嘘じゃないけど、所詮フィクションだからね。ちゃんと史実は史実として知らないと…。

今回、吉田松陰について語ります。

なんかね、幕末の志士の中で吉田松陰って坂本龍馬と同じくらい人気なんですよ。

 

え?知らないっすか?

 

 

こんな顔の人です

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長州藩(今の山口県)の人で、明治維新につながる活躍する若者(高杉晋作とか伊藤博文とか)を自分の松下村塾というところで教育し、自分自身は井伊直弼による安政の大獄で処刑されちゃった人です。享年29歳。

有名なのはその辞世の句です

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

 

心酔している人によっては、吉田松陰がいなかったら明治維新がなかったというほどの英雄だ、とかいう人いるんですけど…。

 

それ司馬史観に過ぎないんですよ。

 

とにかく司馬遼太郎という人は、好き嫌いの激しい人で、吉田松陰坂本龍馬は大好きなんですよ。一方で井伊直弼とか大嫌いなようで。まあだからこそ「世に棲む日日」や「竜馬がいく」で彼らを主役にしているわけですが…。

松陰好きの人には申し訳ないですけど、本当の松陰は違うよって話をします。

 

そもそもなんで殺されたの?って話なんですけど、これ別に何の罪もなく殺されたわけじゃなくて、当時の幕府の老中間部詮勝暗殺計画をしていたという罪なんです。そりゃあ死刑になるわ。冤罪じゃなく自分で自白していますから。本当のことです。

ひどいのは、この間部暗殺の実行部隊として「死んでも構わない少年3人くらいを早く寄こせ」という手紙を同志の小国融蔵宛てに送っているんです。少年の命なんか使い捨てでいいという考えなんですよ。ひどくないすか?この事実はあまり知られていない。

実は松陰は、その前にも紀州藩家老水野土佐守も暗殺しようとしていました。これに関しては、江戸にいる門下生の松浦某に指示をしている手紙が残っています。実行はされませんでしたが。

まあ、とにかく松陰は幕府の要人を暗殺しようとしています。将軍すら殺しても構わないとまで言っている資料があるくらいです。

 

要するに、吉田松陰は過激なテロリストだったわけです。

 

松陰がイカれているのは、この老中暗殺計画に際して藩に「武器を貸してくれ」とか言ったりするところ。

そんなの公にしたらまずいに決まってるじゃん。バカなの?

って話ですよ。また、老中暗殺に関して久坂玄瑞高杉晋作に反対されると「お前らなんかもう絶交だ! 」と激怒する始末。そういう人なんですよ。

大体ドラマとかにおいては、頭の切れる冷静な男として描かれますけど実像はかなり奇人変人だったらしい。

 

吉田松陰がこれほど幕府要人暗殺にこだわったのは決して幕府嫌いだからではありません。松陰は「国史纂論」などを記した山県太華との論争でも明らかなように、意固地なほどの天皇絶対存在主義者だったんです。彼は「天下は全て天皇のものであり、全ての民は天皇の臣である」とまで主張しているし、資料も残っている。これについても司馬はあまり書いてない話です。松陰が幕府を許せなかったのは勅命なしの条約締結などに激怒したからであるのは明白で、彼が憂えたのは国ではなく天皇の世の行く末なのだ。

だからこそ明治から昭和にかけて皇国史観に支配された若者たちから松陰は絶対的存在として崇拝され、山県有朋が神格化したことも手伝って、今のような松陰像ができあがった。松陰神社として神として祀られていますからね。

ちなみに帝国陸軍の父とも言われ、総理大臣にもなった山県有朋ですが、彼は「俺は松下村塾で松陰先生の教えを受けた」とか言ったかもしれませんが、史実には「たぶん松陰と山県の直接の接点はなく、松陰は山県のことなど知らないだろう」となっています。山県は自分のポジションをあげるために、維新の伝説である松陰を神の領域まで高めて、結果自分も「すげえだろ」と崇拝されたかったんでしょう。

 

山県だけじゃなく、国全体として特に大正~昭和にかけては皇国史観が強烈に支持されていたし、そもそもあの時代は、吉田松陰をテロリストとしてみんな崇拝していたんですよ。あの時代、別にテロリスト=悪という風潮ではなかった。2.26事件の首謀者である安藤大尉は処刑の瞬間まで松陰神社のお札を身に着けていたそうです。

太平洋戦争まではテロリストとしてあがめられていた吉田松陰ですが、それがいつのまにか思想家・教育者として崇拝されるようになったのは、やっぱりひとえに司馬遼太郎のおかげですよね。

司馬遼太郎は松陰を革命家として論じていますし、松下村塾を礼賛しています。

松陰は革命のなにものかを知っていたにちがいない。革命の初動期には詩人的な予言者があらわれ、「偏癖」の言動をとって世の中から追いつめられ、かならず非業に死ぬ。松陰がそれにあたるだろう。革命の中期には卓抜な行動家があらわれ、奇策縦横の行動をもって雷電風雨のような行動をとる。高杉晋作坂本竜馬らがそれに相当し、この危険な事業家もまた多くは死ぬ。それらの果実を採って先駆者の理想を容赦なくすて、処理可能なかたちで革命の世をつくり、大いに栄達するのが、処理家たちの仕事である。伊藤博文がそれにあたる。松陰の松下村塾は世界史的な例からみてもきわめてまれなことに、その三種類の人間群を備えることができた。

これ別に史料ではなくあくまで司馬の言葉ですよ。竜馬(司馬のは龍馬を竜馬と書く)は松下村塾とは関係ないんですけどね。もっというと高杉晋作も門下生というよりはダチに近い存在なんですけどね。

でも大体の人は、松陰、晋作、竜馬に対して上記のようなイメージを持っていると思う。死んでしまったからなおさらです。

まあそもそも明治維新が革命だったのか?についても個人的には疑問ですけどね。

 

しかし、その松下村塾すら情報が間違っているんです。

 

あれは松陰が創設したのではなく彼の叔父の玉木文之進が1842年に開いた私塾。松陰はその門下生。1857年頃松陰が塾頭らしき役割を果たしたが、あれは教育の場というより議論のコミュニティとして機能していたものといったほうがいい。

ただ、僕が松陰を唯一認められるのは松下村塾「ゆるやかに個でつながるコミュニティ」として機能させた点なんです。そこはすごいと思う。

松下村塾というあの居場所がコミュニティであったわけではなく、そこに集う人及びそのつながりがコミュニティになっていた点だ。そのつながりが結果松陰の知らない第三者に広がった点が興味深い。

でもね所詮「ねえ、高杉ぃ、久坂ぁ、なんかおもしろいことしよーよ」って感じで、当時流行の尊王攘夷論を語っていたに過ぎなくて、極論すれば地方のヤンキーが「次どこのルートを爆走する?」「誰しめちゃう?」という相談しているのと大差なかったのでは?と思うんですよね。知らんけど。

 

そういえば、大河ドラマの「花燃ゆ」の中で松陰と井伊大老が直接対決するシーンがありました。

えらい捏造というか虚構ですよね。直接対面なんかあり得ない。あれこそ松陰を大人物として演出したい意図が見え隠れする。

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井伊大老は、たかが長州の一下級武士の松陰なんか知らなかったろうと思うし、彼が松陰の死刑を決めたわけじゃない。そもそも幕府は長州藩に対して「死刑にしてもいいかな?」って一応確認とってます。長州藩はそれに対して「斬首やむなし」と回答しているから処刑されたのであって、よく言われるように極悪非道の井伊大老によって無残に殺されたわけではない。

長州藩にしてみれば、厄介者を早く斬ってくれというのが本音だったろうし、幕府にしてみれば大勢死刑にした中の一人にすぎない。

別に松陰をディスりたいわけではないですが、事実以上に脚色されて、本物以上に大人物にしたてあげられて、松陰本人も困っているんじゃないでしょうかね。

同様なことは坂本龍馬にも言えますが、それはまた別の機会に。

 

 

 

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