多様性の時代とは、違う価値観を持つ人たちがいる社会ではなく、一人の中の多様性が認められる時代なのだ。
臨済宗建長寺派「林香寺」の住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんとの対談記事(後編)が公開されました!
前編では、未来のソロ社会において必要なのは、「セルフコンパッション」と「対話」というお話がなされました。引き続き、後編では、「対話」の場の重要性とともに「アイデンティティ」の話にまで触れていきます。
ぜひご一読ください!
対談ではこんなお話を僕はしています。
とかくみんな、ソロも既婚も一緒ですが、職場や家族だけに人間関係が閉じがちじゃないですか。そうすると、企業人としての自分、親としての自分、そういう単一の自分の殻に自らを追い込んでしまう。それって、自分の中の多様な可能性を自分自身で排除しているのと同じなんですよね。
多様性、多様性といいながら、我々が一番欠けている視点というのは、「自分の中の多様性」に目を向けることじゃないかと思うんです。
拙著
の第6章でこんなことも書いています。多様性社会というのは、簡単に言えば、「ひとりひとり異なる価値観を互いに尊重し合い、受容し合える環境を築く社会」ということになるのだが、実は大事なのは、個々人の多様性ではなく、一人の人間の中にある多様性に気付くことなのだ。
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思えば、大量消費時代は、「十人一色」でした。みんなが同じモノを買い、同じテレビを見て、同じような家庭を築いた時代。それが、自己表現や個性重視の時代には「十人十色」に変化し、それが今や「一人十色」となったのである。なったというより、以前から人間はそうだったのだが、それがやっと認識されるに至ったと言うべきかもしれません。
多様性の時代とは、違う価値観を持つ人たちがいる社会ではなく、一人の中の多様性が認められる時代なのだ。
なぜこれが大事かというと、僕は常々「依存すべきものが一つしかなく、選択肢がない状態が依存である」と言っています。「一人十色」とは、自分の中に自分が十人いるということだ。そうすれば、依存する対象が十倍に増える。つまり、ソロで生きるためにも、この「自己の中の多様性」という考え方が重要になる。
「本当の自分」が、たった一人しかいないと信じ込み、存在するはずのない唯一の「本当の自分」を探しにインドなんかに出かけるよりも、日常の中で相手ごとに違う顔を見せる自分自身がすべて本当の自分だと認めた方が楽ではないですか。
日本人はもともとそうした環境や自己の多様性を受容してきた民族でした。
初詣も除夜の鐘もクリスマスも、それぞれの良い所を都度楽しむのが日本人のいいところですしね。すべてのものに神が宿るという「八百万の神」にもあるように、異質な価値観の存在を認め、多様性を認めて併存してきた社会だったと思うんですよ。そういう柔軟な考え方を、自分のアイデンティティにも当てはめてほしいですね。
アイデンティティは決して唯一無二のものではありません!
前編もあわせてどうぞ。
政府の言う「女性が輝く社会」が進むと、女性の未婚率があがる。
昨日公開された東洋経済オンラインの連載「ソロモンの時代」の記事 は、かなりの反響をいただきました!
タイトルは編集さんが付けたものですが、要するに「政府の言う女性が輝く社会が進むと未婚率があがるぞ!」という話です。
たった1日で、週間ランキング3位にランクイン。月間ランキングでも13位。さらに、その前の記事もつられて14位でした。
「いいね」数も3768件(6/12 18:00)で自己最高。コメントも321件でこれまた自己最高です。まあ、コメントの内容のうち一部は例のアンチによってあらされていますが…。
さらに、NewsPicksでも661picks(6/12 18:00)は、自分の記事としては自己最高!コメントは一部を除いて概ね好意的でした。
さらにさらに、
ヤフーのトップトピックスにも取り上げられました!
ヤフーのコメント数は、2276件!これはカテゴリーランキング1位!この2000を超えるコメントの中で一番「そう思う」ボタンを押して頂いたのが以下のコメントだったからです。
「色々意見はあるだろうけど、この方の考えは割と的を得ていると思う」
これが、8879の「そう思う」を頂きました!
これがなにより一番うれしい。ありがとうございます。
すべてのコメントに目を通した上でまた書きたいと思いますが、こうした記事に皆さんがこれだけアクセスし、コメントまでよこしてくれるというのは、それだけ関心が高いということだと思います。
「昔から言われていることだ」という指摘もありますが、これだけインパクトのある見せ方でわかりやすく提示してきた人っていますか?いないでしょう(自画自賛)。だからこんなに注目されたんだと思います。
真面目な話…
未婚化の原因を探る場合、男性の貧困とか女性の経済的自立とか、職場結婚を含む社会的お見合いシステムの崩壊とか、そういったある意味マクロ的な視点も必要ですが、ミクロの視点で見てみることも大事だな、と。
「同類婚」「男性の下方婚」「女性の上方婚」など、潜在的に刷り込まれた環境的規範によって、こうした状況が生まれていることは否めないと思います。女性より一足早く、経済的な理由により、ある一定数の男たちは「下方婚」を諦めてしまいはじめています。能力的に「できない」のではなく、環境的に「できない」んです。「できない」というよりマッチングされないと言った方がいいかもしれません。
既に一部の男性たちは、結婚という仕組みから離脱しはじめています。それは、もはや昭和的な「男が養うべし」という規範条件を満足させられないという理由からです。しかし、それはあくまで「年収いくら以上じゃないと結婚できない」というデジタルな情報でしかなくて、男たちは相手の女性を全く見ていません。
女性たちも同様です。今回題材にした高学歴・高収入の女性たちの未婚率が高いというのも、相手の男個人は見ていなくて、「大学どこ?」「年収いくら?」というデジタルな条件しか見ていないことが多いのです。
結婚とは、本来男女のマッチングであるはずなのに、男女とも人間を見ていない。
記事本文にも書きましたが、高年収女性が望むハイスペックな男の絶対数は多くない。するとどうしてもマッチングされない女性があぶれるんです。
レース参加を棄権する男たちと、自己の最適化だけにこだわり続ける女たち。
記事の中では、経済学で言われる「マッチング理論」で説明しています。
お互いが自己の最適化を図ろうとすると、かえって全体のマッチング数は少なくなってしまうのです。お見合い結婚は、情報量が限定されていて個人の選択余地が少なかったのですが、だからこそ当時の驚異的な皆婚が実現できていたといえるのです。
皆婚時代を支えた「お見合い結婚」や、ほぼ社会的なお見合いシステムだった80年代までの「職場結婚」があったからこその100%マッチングが実現していたわけです。
個人の自由があればなんでもいいかという話ではない。
もちろん、経済的に自立した女性であれば、十分ソロで生きる力もあるでしょうし(もともと「人とつながる力もある女性はソロで生きる力が男性より大きい」)、無理して、または、妥協して結婚する必要性もない人も多いでしょう。
そもそも僕自身は、「結婚するのが当たり前」とか「結婚して子どもを育てて一人前」という昭和の価値観の押しつけに反対する立場で活動しているものですから、まったくもって未婚であるという選択や決断に異存はないし、むしろ尊重します。
勘違いしないでほしいのは、働く女性が未婚率高いからといって、「女性は専業主婦になるべし」だなんて全然思っていません。
とはいえ、2010年出生動向調査での年代別女性の結婚意思を見ると、30-34歳はほぼ7割以上が結婚に前向きなんです。結果的に生涯未婚で終わったとしても、女性の大部分はその時期結婚を考えているのです。
結婚したいという意思があり、なおかつ、仕事に対しても意欲があった女性が、どちらかを選ばないといけないという究極の選択を迫られているのだとしたら、やはり何かがおかしいのだと思わざるを得ません。
結婚した女性でも、結婚や出産という理由のために離職を余儀なくされている女性も大勢います。本当はもっと働きたかったかもしれないのに。
だからどうすべきか、という話はまた別の話です。しかし、正しく現状を理解するということが、まずは議論のスタートラインに立つ第一歩ではないでしょうか。今後考えていきたいと思います。
テレビ番組の放送作家さん、リサーチャーさん、ニュースネタなどを探している番組関係者の皆さん、これからはこうしたソロ社会ネタの時代ですよ。
ラジオ番組のレギュラーやりたいので、ぜひお声がけくだい。独身者の悩み相談コーナーとかやりたいです。
「多様性を認めよう」と口では言いながら、いざ多様性を主張すると否定する人たちっているよね。
「御祝儀貧乏」という言葉がありました。
かつて、大体みんな20代後半から30代前半にかけて結婚していたので、その頃の6月とか11月は結婚式ラッシュになるんですね。そのたびに、バカにならないのが「ご祝儀」です。加えてお祝いのプレゼント代だったり、二次会三次会の費用。1回や2回ならなんとかなりますが、それが月4回もあったりすると、20代の給料では大変なことになりますよね。
めでたい話ですから、それが不満だというつもりは毛頭ありませんが、いつか結婚する人なら、人にあげたご祝儀も自分の式のときにもどってくるわけですが、ずっと未婚のままは「あげたっきり」になります。
まあ、結婚しない本人のせいですから仕方ないことですが、なんだか腑に落ちない気がすることも確かです。
会社の福利厚生でも、結婚祝い金や出産祝い金などが用意されているところは多いでしょう。これも結婚した人だけが恩恵を受ける制度です。
仕方ありません。1980年代までほぼ100%が結婚した「皆婚社会」だったわけですから。
ん?
でもよくよく考えると不公平じゃね?
そんな中、
という記事を発見しました。日本ではなく、韓国の話です。石鹸などを販売するバス用品メーカーの「LUSHコリア」は6月1日、独身を宣言した勤続5年以上の役職員を対象に、新たな福利厚生制度を導入すると発表した。
要するに、結婚しない独身の人にも会社から祝い金を支給するというもの。
全員が結婚するわけじゃない現代だからこそ、こういう柔軟性のある会社はいいですね。日本でも見習ってほしい。
何より、僕自身がいいと思うのは、これは「結婚」とか「出産」とか、そうした状態に対して祝い金を出すということではなく、本人が「独身でいい」と決めた個人の決断や選択に対して、会社側が承認する態度を示したことです。
結婚することもしないことも個人の決断と選択であり、それを尊重する姿勢があるからです。
つまり、これは「独身でいるという宣言」を祝うとか小さな話ではなく、宣言するもしないも個人の自由なところがよくて、個人の生き方の決断と選択そのものに価値があるという判断なんです。
「多様性を認めよう」と口では言いながら、いざ多様性を主張すると否定する偏屈ガラパゴス野郎どもが多い中で、こうした動きはとってもステキ。
案の定、この記事に対して否定的な意見も多い。
例えば、こんな意見。
結婚は1つのハレのイベントだからお祝いするのはいいとして、独身でいることはハレでもイベントでも何でもない。「何かをしない」ことを祝うって、おかしな話。
独身でいることは「何もしていない」ということなんでしょうか?結婚しないと、何もしていない無為な人生なんでしょうか?結婚しない人間に価値がないとでも言いたいんでしょうか?酷い話。こういう思考回路の人って、何かを達成したり成果をあげていない人間は無価値であるという判断をしそうで怖い。
結婚しているかどうかで人間の価値が決まってたまるか!
一方で、独身側からの意見。
心の中では自分勝手すぎて社会に貢献してないって思ってるので、わざわざ祝われたくない
これこそ、独身者たちが潜在的に社会から植え付けられた欠落感なんだよなあ。背筋が凍ります。
独身者の不幸感について書いた記事がありますので、こちらも参照してください。→
また、こんな意見もある。
結婚、離婚、独身は、個人の自由。企業が大げさに関与する時代は終わった。祝儀や休暇など人事規程で関与するのは昭和の考え方だと思う。
もしこれを言うなら、結婚も出産もなしにして一切のお祝い金制度を廃止するということでしょうね。そういうドライな考え方もあるでしょう。でも、なんでもかんだも昭和と片づけていいんですかね?
そもそもこの制度をやったのは、LUSHという外資系であり、韓国人です。昭和とかあまり関係ない。むしろ、日本人の昭和的な思考というのは、人は「同じような人生すごろく」を過ごすという考え方です。20代で結婚し、30代で子育てをし、40代で家も持ち、50代で子どもが独立するという、ハンで押したような画一的な生き方。それが昭和です。
むしろ、結婚することも是だし、しないことも是という意思表示を雇用主として従業員に表明することは決して悪いことではないように思います。
なんだろうな…最近、生産性とかの議論でも思うんだけど、効率とかいう人に限って人間性を失っているような気がする。
こういう手当を一切廃止して、その分給料あげればいいじゃんという指摘は筋違い。給料はあくまで対価としての正当なもの。それと一緒にしないでほしい。手当や祝い金はそれ以外の気持ちの問題じゃないですか。なんでもかんでも対価とか契約とかそういうものがいいわけじゃない。
ロジカルでばかり考えるから、そんな窮屈になるんですよ。
自己愛とは決してマイナスなものではなく、むしろ自己愛がない人間の方がヤバい。
臨済宗建長寺派「林香寺」の住職でありながら、精神科医でもある川野泰周さんとの対談記事(前編)がアップされました!
「FOR2035」連載対談第三回目です(一回目は経済学の安田洋祐先生、二回目は社会学の水無田気流先生でした)。いつも対談し始めると、予定とは違う話で盛り上がるのですが、今回もみっちりお話してきました。
何が興味深いかというと、単なる禅寺のご住職というだけではなく、現役の精神科医としても活躍されているマルチな視点を川野さんがお持ちだからです。
是非ご一読ください。
googleなど世界的な企業が取り入れたことで話題となった「マインドフルネス」ですが、禅や坐禅との違いを理解している人は少ないと思います。僕自身もそうでした。
個人化する「超ソロ社会」において、必要となってくる「ひとりひとりの生き方」について、いろいろと深いお話を伺ってきました。
女子会でありがちな「わかる~」っていうのは対話ではない。誰かの悩みや苦しみを聞いた時に、一緒に泣いちゃったり悲しんだりしてしまう女子がいるが、それだと相談した相手の悲しみは深まってしまう。
これ大事です。対話とは何か?について語っています。
ビジネスマンに自己啓発本が流行っている歪み。現代人は心の中の根底にある自我が安定しておらず、自分の心幹が養われていない。だからこそ、定型化されたハウツーを欲したがる。でも生き方って、哲学や思想であって知識ではない。
僕自身はあまりこうした自己啓発本は読まないのですが、大体書店で売れるのはビジネス的な観点の自己啓発本です。よくあるのが「○○するやつは成功する」とか「○○しないやつは二流」とかそんなタイトルのもんですね。
そんなの、ぶっちゃけ「人による」。
ハウツー的なものとかテクニック的なものをいくら吸収したところで、それを実践する人と合っているかどうかとは別の話。かつて、HotDogPressとかポパイとかの雑誌で、よく「恋愛ハウツー」的な記事が人気でしたが、あんなもの真に受けてモテた試しないから。
自信のなさを「知識」や「教養」で穴埋めをして安心するという心理です。ですが、実はこれこそがソロ男・ソロ女たちの欠落感を刺激する「エモ消費」の一種でもあるんですが…。その話はまた別で。
よく悪いものとして扱われますが、“自己愛”は、自分を支えるための自信や自分の存在価値への信頼度であり「あって然るべきもの」。慈悲は他人に向かうものですが、根底に自分への慈悲や思いやりがないといけない。そうじゃないと、無意識に見返りを求めてしまう。
拙著「超ソロ社会」の中でも、「まずは自分を愛するようになること」ということを書きました。自己愛とは決してマイナスなものではなく、むしろ自己愛がない人間の方がヤバいです。
ただし、自己愛が悪い印象を与えているのは「自己愛性パーソナリティ障害」との混同があるからです。自己愛性パーソナリティ障害は後天的な病気でもあるんですが、10人に1人は存在するようです。案外、数が多い。
以下の質問をチェックしてみてください。
1.十分な業績がないにもかかわらず優れていると周りから認められたい。
2.自分の成功した姿や理想的な愛を獲得した空想をよくする。
3.自分が “特別” であり、だから、凡人とは違う特別な人達と親しくなれるべきだ、と思っている。
4.他者からの賛美や称賛を求める。
5.自分がお願いすれば、相手は自分のために動いてくれるものだと信じて疑わない。
6.自分の目的を達成するために他人を利用することが悪いと思っていない。
7.親戚や友人の親などの訃報を聞いても、正直あまりなんとも思わない。
8.誰かがうまいことやって成功すると嫉妬する。
9.態度が尊大で傲慢になりがちである。
5つ以上であなたは自己愛性パーソナリティだそうですよ。アメリカ精神医学会、DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアルより。
自己有能感と自己肯定感でいうと、自己有能感だけ高くて(実績が伴っていなくても)自己肯定感が低いのが病気。「本気出せばできるはず」とか言う奴ですね。よくいる。自己肯定が低いからこそ、その欠落感を他者の承認で埋めようとするし、称賛してこない他者は「自分のことを理解できない敵」であると認知するようになります。
う~ん、なんか、周りそこらじゅうにたくさんいそう。
一時期叩かれた「意識高い系」も同じじゃない?
自己愛性パーソナリティ障害って、自己愛とはついているけど、ちっとも自己を愛せていないだけのような気がするんだよな。
だって、外から見た(他人から見た)自分の姿しか見てないじゃん。だから称賛を求めるんだろうし、自分の姿を盛るわけですよ。むしろ、自分自身が嫌いなんじゃないかと思うくらい。こうした障害や病気としての自己愛と健全な自己愛は違います。
健全な自己愛とは、「ありのままの自分を客観的に把握する能力があり、その上で、ありのままの自分を肯定できる」ことです。欠点や自信のないこともちゃんとわかった上で、それを自虐ネタにして茶化したりせず、肯定できること。案外難しいことです。
誰もが承認されたい気持ちは持っているし、否定や批判されたら気分悪いはず。否定や批判をありままに受け入れるって、実は相当難しいこと。ツイッターとかで叩かれたりすれば、皆ブロックするわけじゃないですか。
まあ、でも、だからこそマインドフルネスが注目されるわけですね。マインドフルネスとは、川野さん曰く、「今この瞬間に感じているこの感覚をそのままに受け止める」ということ。否定も評価も価値判断もしないということなんだそうです。
まさに、あるがまま…。
難しい。
ちなみに、川野さんと対談して早々に書いたこちらの記事「会いたい人がいるなら、会いに行けばいい!」も割といいこと書いてますので、あわせてどうぞ。
拙著「超ソロ社会」、遂に中国進出か?
なんか驚いた!
遂に、僕も中国進出か?
中国っていっても広島や岡山地方のことじゃないです。中華人民共和国ですよ。CHINAですよ。
しかも、ちゃんと論説付で丁寧に紹介されています。
なんとなく漢字だけでも意味わかるね。
荒川勸他的讀者,主要是日本的讀者需要摒棄「只有結婚才能幸福」的想法,避免變成「親密的單獨依存」,即「我的人生只需要有丈夫和孩子,甚麼都不需要」的狀態。
荒川は、「結婚さえすれば幸せになるはず」という発想をなくすべきだと読者にアドバイスしている。
その通りです。
ぜひ、中国語版、出してください!中国的翻译“超獨身社会”、请把出书。
なんてったって、日本の10倍、3000万人もの未婚男性が余っている国なんですから。中国のソロ男対策に一役買いますよ!
お願いします!
超ソロ社会 「独身大国・日本」の衝撃 (PHP新書) | |
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ひとりで生きることが強さではないし、誰かを頼ることも弱さではない。
ハフポストのインタビュー記事公開されました!
ものすご~く長いですが、ものすご~く濃い内容となっています。久しぶりにマーケター的なお話もしていますwww
ぜひお時間ある時にご一読ください!
ハフポストでは、先週から
という特集シリーズが始まっています。 すでにたくさんの記事があがっていますので、そちらも是非ご覧ください。
少子化や出生率のニュースがでるたびに、未婚や独身は肩身が狭い思いをしている人も多いでしょう。
「なぜ結婚しないんだ?」「なぜ子どもを産まないんだ?」
ソロと家族とを「状態」で分断して「どっちが正しい」論争はホント不毛です。
ひとりで生きることが強さではないし、誰かを頼ることも弱さではない。
多分、この「#だからひとりが好き」という特集は、ひとりでいることの良さを提示したいというコンセプトだと思います。だから、記者さんからもこういう質問を受けました。
「『ソロ』の良さ」というのは何かありますか?
それに対して、僕の答えはこう。
ソロは、単なる状態です。ソロがいいとか悪いとか、ソロでいることのメリットとか、ソロはこんなに楽しいとかって言うことは、結婚はいいよって押し付けてくる人と全く一緒。人間の本質は独身とか既婚とかの状態で左右されるもんじゃありません。
そもそも、結婚している人と結婚していない人とがお互いにそれぞれの生き方を受容できないで、分断していることの方が不健全なのです。互いに相手の義務や自己責任を押し付け合っても何も解決しませんから。そうした「状態」に依存した分断はなくすべきだと思います。
地域・職場・家族という今まで絶対的安全地帯だった共同体が失われていく中で、新しい未来のコミュニティを作っていくには、精神的に自立したひとりひとりがつながることによってこそ可能になるのではないでしょうか。
こうした特集によって「ひとりが好き」という人たちが集まって、いろいろな記事に共感したり、納得したりすることはとても大事です。ただ、ひとつだけ言いたいことは、記事を読んだだけではなく、ぜひ「行動」してもらいたいと思います。行動とは、人とつながり、人と対話するということです。
「ひとりが好き」ということと「ひとりで生きていく」ことはイコールではありませんから。
120キロまでデブったやつが、たった1キロ減っただけで「死ぬ~!」って言ってるような少子化の話
1人の女性が産む子どもの数の指標となる去年の出生率は1.44となり、前の年よりわずかに低下したことが厚生労働省の調査でわかりました。また、出生数はおよそ97万7000人と初めて100万人を下回って、少子化が進んでいる現状が浮き彫りとなっています。
要するに、「子どもが生まれね~」って話です。
ですが、そんなことは、もう何十年も前からわかってたし、マスコミも報道してきたことで、「今更感満載」なわけですよ。1970年代から合計特殊出生率は2.0を切っていたんですから。
もっと言うと、国立社会保障・人口問題研究所が出している将来人口推計だって、ずっと前からそう推計してます。つなみに、人口予測は一番確度の高い予測です。まあ、はずれません。
こういうニュースが出ると、毎度のように「少子化は国難です。放置すれば国が滅びます」なんてことを、コピペのように言うガラパゴスな学者がいるが、あなたがどんなに叫んだって、少子化で人口減少という事実の流れは変わらない。嘆きや愚痴は、いたずらに皆の不安を煽るだけでそれこそ害でしかない。
同じように、こういうニュースが出るたびに、「国が悪い」「政府が悪い」「官僚が悪い」ととにかく他人のせいにしたくてしょうがない人たちもたくさんいる。
何度もいうけど、合計特殊出生率が2を切り続けるきっかけの年は、1975年です。その年生まれた人は今や42歳になっています。もう一巡以上しているんですよ。何も最近始まった異常事態じゃない。
それから、この合計特殊出生率ですが、何も今年最低値を出したわけじゃないですからね。最低値は2005年の1.26です。むしろ、そこから毎年のようにじわじわ上がって、昨年の1.45に次ぐ1.44という最近20年間では二番目に高い数字なわけです。
だから、ニュースの見出しとしてはこうも言えるわけです。
「出生率この20年間で2位の好成績!」
どうです?こう言われればイメージも違うでしょ?実数として100万人切ったのは、そもそも夫婦の人口が減っているからであって仕方ない。
いずれにしても、出生数が減るのは不可避だし、人口は減るんです。それを、ガタガタ言う時点でおかしい。
大体、人口減少の何が問題なわけ?
むしろ、戦後高度経済成長期の皆婚とベビーブーム自体が異常値なんです。下のグラフを見てください。
明治維新以降の人口増加のカーブ!
これこそ異常値ですよ。てか、これを体重のグラフだと思ってくださいよ。こんなに急激に太るなんて病気か力士でしょ?
むしろ今は、正常な状態に補正されているという見方をしたっていいんですよ。
これをね、「国が滅びる~!」とかうるさい爺さんは、体重で言ったら、こういうことです。120キロまでデブった自分の体重が、たった1キロ減っただけで「死ぬ~!」って言ってるようなもんです。
死なねえから!
その前に120キロにまでデブったこと自体を問題にしろ、と言いたい。
とにかく、誰が何と言ったって、日本の人口は7000万とか8000万まで減るんです。もうね、ジタバタしたって意味ないの。
よく考えてくだいよ。
少子化対策で「子育て支援するから今から制度作ります」とかいって、万一それが奏功したとして、子どもを産もうと決めて妊娠して、その子が成人するまで21年(妊娠期間込み)もかかるんです。2038年の話ですよ。
もっとおかしいのは、少子化の原因は未婚化だから婚活支援しようっていって、カップルを作る支援なんかしている。23億だかいくらか使って成約したカップルが7000組?それはいいてじょう。めでたいことです。でも、そのカップル全員が子どもを生むわけじゃないし(結婚しても子無夫婦が全体人口の10%いる)、それもまた最短で21年後の話なんですよ。
国の政策とは中長期的に見なければいけない、だぁ?
だったら、1970年代からやっとけっつーんだよ。
あ、なんか国や政府を批判したかったわけじゃないです。こんなもの、政府の施策だけでなんとかできる問題じゃないんですよ。
やれ、フランスの施策に学べとかうるさいこと言う人いますが、フランスの税金は日本のほぼ2倍ですけど、払いますか?
少子化対策を一生懸命考えている人たちは頑張ってください。岡山県のどこかの村では出生率が2.8にもなったという話もあります。それは素晴らしいことです。しかし、一番出生率が低いのは日本の人口の1割以上占める東京なんです。地方がどんだけ頑張ってもそれは賄いきれない。
だけど、本当に今注目しなければいけないことは、出生率をあげることじゃない。
日本でもっとも出生率の高いのは沖縄です。いっぱい子ども産んでますよ。そんな沖縄で、今何が起きているのかご存知ですか?
離婚率とシングルマザーの増加と子ども貧困率の上昇です。
生めばいいなんて短絡的な話じゃありませんよ。
今いる子どもたちをちゃんと育てる。話はそこからだ。と、僕は思います。
そうでなくとも、児童虐待の件数はすごい上昇しています。
とても残念なことですが、産んだ子どもをちゃんと育てられない親が大勢いることも事実です。それはいろいろな要因があるでしょう。しかし、どんな理由があるにせよ、生まれてきた子どもには罪はありません。
産みの親が育てられないなら、育てられる経済基盤と人格を持つ、子どものない夫婦が親になるべきです。養子縁組や里親制度をちゃんと見直すべきです。
産んだらそれですべてハッピーエンドじゃないんだから。
産むことより、今生きている子どもたちをちゃんと育てること。もはや、そっちに舵を切るべきじゃないでしょうか?
話はそれからだ。
ちなみに、将来人口推計によると、2065年には14歳以下の子どもの人口は約800万人、15歳以上のいわゆる大人の人口が8000万人です。つまり、大人10人に対して子どもが一人という社会になるんです。
それは、逆に考えれば、大人10人が協力して1人の子どもを育てる社会にならなければいけないんです。これと同じような提言は、先日話題になった経産省若手のペーパーにも書いてありましたが、まったく同感です。
血縁だけが家族とか言ってる場合じゃないんです。誰の子であろうと、我々大人は子どもたちを育てる義務がある。家族だけに自己責任を負わせるような社会は破綻します。
つまり、もう「今までの家族」という概念に縛られてちゃいけないんです。
家族の概念を拡張しましょう。
独身だろうと子無夫婦だろうと、引退したおじいちゃんやおばあちゃんだろうと、大人はみんな子どもたちの親にならなきゃいけないんです。