ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

未婚や子無しを自分勝手と言い放つ親の自分勝手について

みなさんもご覧になったと思いますが、このニュース。

this.kiji.is

「3人以上子どもを産み育てていただきたい」と結婚式で発言したことが物議をかもしていまして、ネット上ではそれぞれの立場や価値観でいろんな意見が出ていて、個人的には興味深い。セクハラ扱いや安部倒しのネタにして非難する人、人口減少問題に照らして擁護する人、景気問題にまでは波及させる人…いろいろいていいと思います、別に。

どうでもいいけど、この人子供6人・孫8人いるんですよね。そりゃあ言いたくもなるんでしょう。

まあ個人の価値観は別にして、今のご時世、本当に普通の家庭で3人も子どもを産めるのか?たとえ産めたとしても、ちゃんと育て上げられるのか?って話があると思うんですよ。

そんなことを、いつものように事実を提示して日経COMEMOにコラム書きました。ぜひご一読ください。

comemo.io

 

コラムの末尾に書いたことが本音なんですが、この政治家の発言がどうのこうのというより、この発言に対して、ネットで「未婚者叩き」「子無し叩き」が湧いて出ているのがどうにも気に食わない。

「あなたが結婚しなければ、子どもが生まれないわけですから、人さまの子どもの税金で老人ホームに行くことになります」

これがこの政治家の発言なんですが、それに対して…

その通りで何も間違っていない。結婚もせず自分のためだけに金を使い、遊び歩いてる未婚者は、俺らの子が年金で支える羽目になるんだ。

と。要は、子どもも産まない自分勝手な奴のために自分の子が苦労するのが許せないらしい。

僕から言わせれば、

あんたも十分自分勝手だよ! 

 

自分の子がよそ様のために貢献することは彼の社会的役割を褒めるべきことじゃないのかよ。他人のために自分の子が金を使うのが許せないだけなんじゃないの?自分のために子を尽くすべきだという狭い考え方なんじゃないの?そっちの方がよっぽど自分勝手だよ。

いや、自分勝手でもいい。僕自身は「利他」なんて言葉は大嫌いだし、基本的に人間は自分のために行動することでいいと思っている。自分のためであうが外的に行動することは。巡り巡って誰かの役に立っている。役に立たない行動は犯罪と言われて牢獄に送られるだけだから。

たとえば、消費。このコメント主は、自分が子育てに使っている金を未婚男とかがアイドルだ、アニメだ、フェスだ、ウェーイだ、に使うのがうらやましいのかな?でもね、消費こそ大きな社会貢献なんですよ。資本主義の国家ならね。

消費してお金を使えば、どこかの会社の売上があがるわけ。売上があがって利益が出れば、従業員の給料もあがるわけ。もしかしたら顧客のための還元施策がされるかもしれない。

一事が万事。そういうのが積み重なって、消費が活性化することが景気がいいということなんですよ。経済の基本。金は天下の周りモノっていうでしょ?

高齢者たちが将来の不安で消費もせず、年金を貯蓄ばかりしてどうなりました?貯蓄額が右肩上がりになるのと相関して、景気が悪くなったのが90年代から2000年にかけての不景気ですよ。

金は使ってなんぼ。廻してなんぼです。

 

ため込むなんて、むしろ利己主義の権化だし、世の中の何の役にも立っていないことを貯金オタクの高齢者は知るべきだ。

そう考えれば、自分の自己肯定感のためにエモ消費しているソロ男やソロ女たちは、手段こそ自分たちの自己満足のための消費だけど、十分社会の役に立っているわけですよ。

エモ消費についてはこちらの記事参照

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

自分の子の将来を親が心配するのは当然だし、そこは非難していない。ただ、あんたらの子が労働人口になる時代にはもう年金なんかねえから!消えてなくなっているよ。 つか、いつまで子が親世代の高齢者を支えるなんて昭和脳でいるんだよ。逆ですよ。

昭和の社会保障というのは、人口増加の波によって、いわゆる労働人口が引退した高齢者を年金で支えるというシステムです。高齢酒人口が少ないから機能した。でも、もはや高齢者の人口が増えまくった今、破たんしていのはご存じのとおり。

でもね、なんで発想を転換できないの?

 

子どもたちが年寄を支えるだけがモデルじゃない。逆に、高齢者含めた人数の多い大人たちが束になって少子化で少ない子どもたちを支えればいいんですよ。

子がいようがいまいが、結婚していようがいまいが、全ての大人は子を支える責任があるんです。僕の試算によれば、1人の子ども(未成年)を7人の大人(20歳以上)で支えられる計算になります。両親+赤の他人5人の大人が一人の子どもをサポートできるんです。それでいいじゃねえか。つべこべ言うな。と思います。

拙著「超ソロ社会」にも書いて、海外メディアにもいろいろ取材されましたが、それこそが「拡張家族」という概念です。

この7人のうちの赤の他人5人は互いに面識もないし、どの子どもをサポートしているか不明です。もっと言えば、子どもをサポートしているなんて自覚すらなくなてもいいんです。そんな自覚なしに、アイドルの尻を追っかけまわして、アニメ見まくっていれば、結果として子どもたちが学校に行けるサポートになっている。

それでいいんですよ。

利他のためにあからさまに誰かを助けて、それで承認や賞賛されたいような奴等なんかいらないから。

てめえのために動けば、誰かが助かる。それが社会っつーもんなんですよ。「情けは人のためならず」っていうのもまさにそう。

道徳心や偽善や見栄なんかじゃ誰一人救えないよ。そんな屁の役にも立たない能書きなんかより、たとえ自分のためだろうが「行動というアウトプット」の方が価値がある。貯金するより、金使って消費してくれた方が価値がある。子どもを産まなくても、そうやった行動が間接的に子ども育てることに役立つ場合だってある。

家族が家族だけしはか頼れないような唯一依存は破綻します。どこの誰べえか知らんけど、いや、むしろ、知らなくていいけど、誰かの消費が誰かのためになっている社会こそ、ネットワークでつながった「ゆるいつながりの強さ」であり、これからのコミュニティの形なんです。

私たちを取り巻いていた「安心」はいつの間にか消えつつあるかもしれない。

いよいよ明後日です。

5/12土曜日、トークイベントに登壇します。

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チケットはこちらから。

 

peatix.com

 

イギリスが孤独担当大臣創設というニュースが流れた時、やたら新聞各紙から取材を受けました。「日本でも孤独担当大臣、必要ではないですか?」という結論ありきで来るメディアが多かった。

そんなもん不要ですよ。

そう答えると、書きたかった記事と主旨が違うのか、人の時間を奪って取材しながら記事にもしない失礼なメディアもありました。

まあ、それはいいとして、世間の人は「ひとりでいる」ということは孤独でさびしいものだと決めてかかりたいようなのです。言い方変えると、孤独と孤立を混同している。

これは大きな違いです。

問題なのは、心理的に孤立してしまう方であって、状態としての孤独はたいした問題じゃない。

たとえば、老人向けのシェアハウスというか、世代をまたいだコレクティブハウスでもいいんですが、孤独な高齢者をそういう施設に入れたほうが孤独死を削減できるとか言うじゃないですか。多分、女性の高齢者や男性でも割と強調性や集団生活が苦にならない人はいいと思います。でも、大抵の爺さんは、誰かと一緒に暮らすことがそのものが苦痛の人も多い。

さびしいという感覚を埋めるためなら、別に家の外でつながればいいし、何も同じ屋根の下で暮らす必要もないんです。

むしろ物理的にひとりでいる状態を日常的に確保できないことの方がストレスなんです。

※余談ですが、もし婚活している女性で結婚生活に向いている男をゲットしたいのであれば、迷わずシェアハウスに住んでいる男性を選べと言いたいです。まず間違いなく結婚したがり男です。

 

とにかく、単身世帯が増えると孤立社会だとか、高齢者の一人暮らしは孤独死リスクを高めるとか、なんでもかんでも状態でしか物事を判断できない人が多すぎる。

孤立の問題の対象とは、未婚者というよりも、一度結婚して配偶者と離別や死別をしてしまった人の方です。

家の中の話だけではない。職場においても心理的に孤立してしまっている人、させられてしまっている人は多い。

人間がもっとも孤立の辛さを感じるのは、周りに大勢の人間がいるにも関わらず、自分のことを誰も気にしていない、透明化してしまっていることを感じた時ではないかと思います。案外山奥や無人島に一人でいさせられても、人間はかえって適応してしまうもんです。

要するに、誰かと一緒にいれば孤独や孤立の問題が解決するなんて短絡的な話ではないんです。

ソロ社会化の問題もまさにそこで、状態として独身が5割、一人暮らしが4割になるから問題なんじゃない。かつて心の安心の拠り所であった地域や家族や職場といった共同体がなくなってしまうことによる、一人ひとりの心の不安感の増大なんです。そうした心の不安は、誰かと一緒に住めば解決するような簡単なものではない。

どうすればいいのか。そんなお話をしたいと思います。

個人化する社会の進行は止まりません。結婚しても家族は家族しか頼れるものがない状態へと自分自身を追い込んでいきます。仕事も収入も心の病もすべて自己責任の名の下で一刀両断されます。今まで私たちを取り巻いていた「安心」というものがいつの間にか消えてしまっていることに気付いているでしょうか?

コルク佐渡島さんの新刊「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE」を読みました。その中に「安心と自由を人は同時にほしがるが同時には手に入れられない」という意味の言葉があります。

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従来の地域・家族・職場といったコミュニティは安心をくれたがその分制約も多く不自由だった。今、私たちは自由に行動できるが代わりに大きな不安に包まれている。どっちが幸せかという二者択一の話ではありませんが、いろいろ考えさせられます。

 

WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. 〜現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ〜 (NewsPicks Book)
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最期に、ひとつだけ言っておきますが、ソロ社会は決して絶望の未来ではない。むしろこれから生きていくために全員に必要な、自己と向き合う力を養うべき機会かもしれないのです。

ぜひお越しください。

独身研究家、遂に『林先生が驚く初耳学』にまで出ました!

※5/7 22:25追記あり(文末)

本日の『林先生が驚く初耳学』に出ました!

といっても、以前の「月曜から夜ふかし」のように、僕の分析したデータ及び論説が名前付きで紹介されましただけですがw

芸能人ではなく、研究家ですから、本人の出演より自分の論説が名前付きで紹介されることはむしろ誉れです。ありがとうございます。

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うれしいので拡大! 

 

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どんな論説かというと、「未婚率と離婚率を上げた要因、つまりソロ社会化の要因は恋愛結婚の増加である」という説です。

簡単に言うと
「恋愛は、結婚できない奴と離婚する奴を増やす」
という話です。

 

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勿論、それが全ての要因じゃないし明確な因果まで証明できませんが、相関はあるよという話です。詳しくは拙著「超ソロ社会」読んでね。

恋愛結婚の増加とともに離婚率があがるというグラフもそのまんま使用してくれています。

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ほとんどがお見合い結婚時代に離婚が少なかったのは、ある意味結婚が家と家との結びつきであり、生活共同体の構築だったからです。そこには恋だの愛だのという感情が入り込む余地は少なく、だからこそ子育てを介しての家族の絆が生まれたとも言えます。

今回の企画に採用されることになった元記事はこちらです。

toyokeizai.net

 

 

追記

番組をお見逃しの方のために、番組で紹介されたデータと論説について日経COMEMOにまとめました。ご覧ください。

 

comemo.io

「エモ消費」を「恋」に例えてご説明しましょう!

昨今ニュースなどでよく「若者の〇〇離れ」が取沙汰されますが、勘違いしてはいけないことは「消費行動は世代で違うのではなく、その時代の社会環境によって変わる」ということです。

いいモノを作れば売れる、そんな時代は終わりました。
広告で認知させれば売れる、そんな時代も終わりました。
割引やオトクを提示すれば売れる、そんな時代は終わっています。

独身がマジョリティとなるソロ社会において、マーケティングにおいて必要な観点とはなんでしょうか?

日経COMEMOのコラムに書きました。ぜひご覧ください!

comemo.io

 

「エモ消費」については、拙著「超ソロ社会」にも詳しく書きましたし、2017年1月の日経MJにも寄稿しました。2017年10月には東洋経済オンライン「ソロモンの時代」でも記事を書きましたし、同じく佐々木俊尚さんのラジオに呼ばれてこの「エモ消費」についてお話しました。

基本は、既婚者や家族生活者と独身者とは消費に対する考え方が根本的に違うのだというところからきているのですが、どうも最近は独身者だけではなく、一般的に広がりをみせている気がします。それは社会全体が個人化している流れの中では当然なのかもしれません。

消費が「モノからコトへ」なんて言われたのははるか昔の2000年の頃です。いまどき「コト消費」とか「体験が大事」とか言ってるマーケターは周回遅れも甚だしいと思いますが、現実にはたくさんいます。

たとえば、音楽市場です。

かつてCDが何百万枚も売れた時代がありましたが、今ではAKBグループ以外売れません。AKBに関してもあれは「音楽」を買っているのではなく、握手権や投票権などの「体験」を買っているのだ、と指摘する人がいますが大間違いです。握手や投票などという「体験」は所詮手段であって目的ではない。

では、ドルオタたち7がなんでCDを買うのかというと、それこそ自分の「精神的充足」のためです。

アイドルたちを応援しているという立場に自分自身を置くことで、承認と達成が得られるとともに、「ああ、俺はここにいて役に立っているんだ」という社会的役割を感じられるからです。それは人間が根源的に持つ「コミュニティへの帰属意識と同じです。。

つまり、彼らは別にコト消費などという体験を買っているわけじゃない。体験も握手もライブで大騒ぎすることそれ自体は目的ではなく、それによって得られる自己肯定感を買っているのだ。

言い換えると、「瞬間的につながる」そんな刹那のコミュニティを作るために消費しているのです。

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コミュニティと言っても従来のようなものとは全く性質が違います。別に友達とか仲間意識のようなワンピース型コミュニティは求めていない。絆とかうざいだけだから。そうじゃなくて、一瞬一瞬刹那の感情を共有して、その瞬間だけ通じ合えればいい、むしろその刹那のつながりが刹那であればあるほど幸せ感は高まるのです。それはマーク・グラノベッターのいう弱い紐帯の強さ」と同じことです。

人見知りなオタクたちが、今まで一度も会ったことがないのに、同じアイドルを推しているとわかると急に親近感を持つのもそれに近いものがあります。

…とここまで聞いて、「なんて不幸な人たちなんだろう」と思いますか?

その通りです。不幸感があるから、日常に何らかの欠落感があるからこそ、それわエモ消費によって無意識に埋めようとしているのです。既婚者と未婚者とではそもそも幸福感が圧倒的に違うという話もこのコラムに書いています。

comemo.io

 

消費というと、お金を使ってモノを買うことばかりと考えがちですが、時間の消費も同じです。たとえば、時間を忘れるほど仕事に没頭する人もいますね。そういう人も仕事によって時間を「エモ消費=自分の社会的役割を感じている」人と言えます。

 

そもそも所有することに価値があったモノ消費は、自分の外にモノを置けば幸せだった。高いブロンド品の服を身に着けたり、高級車を乗り回したりすることは、自分の外にモノを揃えることです。

続いて、体験することに価値があったコト消費とは、自分の外にある刺激を自分が体験することで部分的に取り入れる行為です。しかし、あくまで外からの刺激が先です。

精神的に充足することに価値があるエモ消費とは、上記ふたつとは異なりもっと内発的なものです。

そういう意味で、モノ消費とは外動性であり、コト消費は中動性、エモ消費は内動性と言えるかもしれません。外の刺激でなんとかなるという時代の論法では内動できないことがわかるでしょう。

モノ消費もコト消費も動機はロジカルなものですが、エモ消費は理屈は関係ない部分があります。

どうしてこれを買うのかわからないが買ってしまう。

そんな行動をみなさんもすると思います。それは衝動買いとは違います。エモ消費は衝動買いのように後で理屈付けをしてその買い物を正当化したりはしないし、後悔もしません。

そういう意味では、エモ消費は恋の感情にも似ているのかもしれません。

かつてマスマーケティングの時代はいい商品を作って認知させれば売れた。たとえていうなら、美人がいてそれを知ればみんなが恋した時代です。クラスのマドンナとかいて、男子はみんな同じ女の子に恋していましたよね。

でも、そんな美人に恋したところで叶うはずがない(自分の幸せにつながらない)ことがみんなわかってきた。だからそもそも恋をしなくなったりしたわけですが、容姿は別にして困っている女子から「あなたの助けが必要なの」と訴えられたらよほど最低な男じゃない限り助けますよね?で、助けるとこう思うわけです。

「あれ?なんかうれしいぞ」と。

そうすると、そんな感情を抱かせてくれた元の彼女に対して特別な感情を持ってしまいます。それを恋心というのかもしれませんが、本質的にはそれこそが自分の社会的役割を感じることであり、帰属意識の充足であり、自己肯定感です。彼女の存在によって自分を肯定することが可能なんだから、彼女が必要なのです。というか、いないと困るのです。

そこまで思ってしまえば、もうある意味彼女の虜のようなものです。それを傍から見ている人は「あいつなんであんな女に入れ込んで」って思うかもしれませんが、当の本人は幸せだからいいんです。

作り手・売り手はとかく完成品を提供したがりますが、そうじゃなくて、未完成での提示こそが動かすのです。消費者がなんらか加担できる余地、助けてと巻き込む仕組みが重要なんです。未完成で提示することこそがこれからのマーケティングのキモになるでしょう。

「お母さんの請求書」に思う「ブラック主婦業」と「家族の自己責任論」

夫婦において「夫が外で働き、妻が家を守る」という意識。まあ、いわゆる専業主婦規範ですね。

現在もかなり根強く残っていることをご存じでしょうか?

実際は、もう共働き夫婦が専業主婦世帯の2倍いるにも関わらず、です。

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今回、内閣府が調査したデータを基に、都道府県別の男女の意識の違いをグラフ化してみました。見えてくるのは意識と生活との大きなズレです。とても興味深い結果です。

ぜひご一読ください。comemo.io

 

ところで、NHKの「クローズアップ現代+」でこんなのが流れてツイッターで話題になっていました。

 

 

 

このツイートでは、小学生の多様な意見を押さえつける日本の道徳教育の在り方について一石を投じているのだけど、この授業で使われている「お母さんの請求書」っていう物語もまたいろいろ問題があるような気がする。

「お母さんの請求書」で検索するといろいろ出てきますが、要はこんな話。もともとは「ブラッドレーの請求書」というらしいですが、日本では「たかし」という名前になってたりするらしいです。

★ ★ ★ ★ ★ ★

『日曜日の朝、たかしが二階から降りてきて朝食の食卓に付いた時のこと。たかしはお母さんのお皿の横に丁寧にたたんだ一枚の紙を置きました。お母さんはそれを呼んで不思議そうな顔をしましたが、すぐにいつもの優しそうな顔に戻って繰り返しその紙を読みました。

たかしの置いた紙は次のような内容だったのです。

「お母さんへのせいきゅう書

 お使い代 100円

 おそうじ代 200円

 おるす番代 200円

 合計 500円」

読み終わった後、お母さんは何も言いませんでしたがにっこり笑いました。

お昼の食事の時になって、お母さんはたかしのお皿の脇に500円をそっと置きました。

たかしはそれを見て、上手くいった!と嬉しくなりました。 ところが、お金と一緒に小さな紙切れが置かれていました。

たかしが取り上げてみるとそれはお母さんからの請求書でした。 その紙には次のような内容が書かれていました。

 「たかしさんへのせいきゅう書

 親切にしてあげた代 0円
 
 病気の時に看病してあげた代 0円

 洋服や靴やおもちゃ代 0円

 食事代や部屋代 0円

 合計 0円」

たかしははっとしました。

一回、二回…。たかしは繰り返し読むうちに涙があふれてきました。(ぼくは自分のことしか考えずにお母さんに請求書を出してしまった。なのにお母さんは…)

しばらくじっとしていたたかしはお母さんの元へ駆け寄り、さっきお母さんからもらった500円を返してこう言いました。

「お母さんごめんなさい。このお金は返します。そしてこれからはせいきゅう書なんかはなしで、何でも手伝わせてください。」 』

★ ★ ★ ★ ★ ★

要するに、「家族への愛はプライスレス」であることを言いたいのだろうけど、そうやって家族は、夫婦は、親子は無償の間柄で、何やってもタダなんだよ、って感覚が本当に正しいのだろうか?(正しいか正しくないかという基準がいいかは別にして)

それってブラック企業のやりがい搾取と何も変わらない。

だからって、「夫が家事や育児をやるのが当たり前」と声をあげたって、ちっとも夫はやらないし、むしろ育児に至っては、夫が協力すればするほど妻の育児時間が増えてしまうという結果も出ている。

邪魔なんだよね。素人が手出ししても。

 

別に専業主婦がいいとか正しいとかも思わないけど、夫婦それぞれ意識として「専業主婦がいい」「共働きがいい」と思っていたとしても、現実にはそうできない経済事情があるし、昔のような三世代同居でもないから、どうしても育児には夫婦のどちらかが時間を割く必要がある。

それを「家族だから無償でやるのが当たり前」っていうのは、あまりに家族の自己責任に押し付けすぎてはいないだろうか?

 

共働きが増えているから女性活躍が実現?
M字カーブが解消されたからいい方向?

なんか違うんじゃないかなあ。…って話です。そうしたデータの影にある個人の辛さを無視してはいけないと思う。

キャスターデビュー?

CS放送の収録でした。

 

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遂にニュースキャスターとしてデビューか?

詳細は後ほど。5月から放送されると思います。

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なかなかサマになっていると思いませんか?(自画自賛

 

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お相手は、ビジネスタレントとして活躍中の田原彩香さんです!

 

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家族以外に頼れる相手がいますか?助けてと声を出せますか?

東洋経済の連載、公開しました。今回のテーマは「親元未婚」です。

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「未婚化が進んでいる」「単身世帯化が進んでいる」というふたつの事実を重ねて、「未婚の単身世帯が増えている」という誤認をしがちですが、実は親元にいながらの未婚=親元未婚が激増しているという事実を提示しています。

未婚とか少子化とかを個人の価値観の問題にすり替える人も多いですが、これらの問題及びソロ社会化は経済問題でもあると思います。8050問題は未既婚問わず全員に降りかかるリスクでもあります。

※8050問題とは、80代の親と50代の子が暮らす世帯が経済的に困窮し、社会から孤立してしまう問題を指します。

少し長いけど是非読んでいただきたいと思います。toyokeizai.net

 

言いたいことは以下の通りです。

 

家族以外に頼れる人はいますか?
本当に困った時「助けて」と言える勇気はありますか?
「助けて」と言われた時手を差し伸べる優しさを持っていますか?

 

今回もたくさんの反響いただきましてありがとうございます。ヤフーの記事ではコメントが1000件に達しています。ランキングも、例の次官のセクハラ問題の記事を抜いて5位です(国内ランキングでは3位でした! )。

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…と思ったら、なんとアクセスランキングでは総合で1位! 

 

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あまたあるヤフーの記事で一番読まれています! ありがとうございます! 

 

ヤフコメでは「いい年して実家暮らしなんて気持ち悪い」という声が多いのですが、実数は7割の未婚が親元暮らしですからね。マジョリティは実家暮らしなんですよ。

 

また、東洋経済の方に気になるコメントがありました。

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僕のスタンスを確認したいのでしょうか?そんなの拙著「超ソロ社会」を読めばわかるはずですなんだけどなあ。

 

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でも、まあ、せっかくなのでお答えすると、(1)でも(2)でもないです。

(1)に関しては、全く正反対の意見です。

そもそも今更どんな政策をしたところでこの流れは止まりませんし、もともと「少子化の何がいけないのか?」と思っている方だし、現在の1億2千万人の人口そのものが異常だと考えているので。というか、政治に何ができるの?って話ですよ。何もできません。たとえ政治家の首をすげ替えても、政党が変わっても、そんなもので何かが変わりましたか?変わりませんよ。

(2)に関しては、前半部分の「独身者がこれから増えるのは不可避であり、こうした独身者が卑屈になることがないよう」まではその通りです。ですが、別に「独身者の権利を主張していこう」なんてこれっぽっちも思っていません。つか、誰に主張をして、誰に認められたいのでしょうか?主張して誰かに認められたら、独身者たちの自己肯定感があがるんでしょうか?そんなわけはない。

 

未婚化、少子化、人口減少、離婚の増加も含めたソロ社会化は不可避です。だからといって、「移民を入れろ」とかも思いませんし、現役世代の減少で生産性が下がるとも思っていません。仮になんらかの人口増加政策が奏功したところで、それが機能するには100年かかります。

 

10年先の未来のテクノロジーすら予測できないのに、100年先の何がわかるっていうんですか?

 

現時点で、未婚化や人口減少によって起きる未来のリスクを大げさにのたまっている「訳知り顔」の学者とか有識者なんて、過去の流れの中でしか未来を予測できていない。人口でしか労働生産性が担保できないなんてそれこそ20世紀の考え方にすぎない。

それこそ、50年後は人類が「有史以来続いてきた妊娠と出産」というイベントから解放されるかもしれないんです→人工子宮が導入されれば、女性は自分のお腹を傷めずに子を作ることができます。それの道義的な是非はともかく、そういう未来が来る可能性だってある。今ある仕事のほとんど9割はAIとロボットによって代替可能だったりする。

だから人間は働かなくていいとかそういうことじゃない。今の尺度で物事を考えたってしょーがないでしょ?って話。

 

今考えるべきは今の話です。

 

社会が個人化していく中にあって、我々はひとりひとりが個人として自立していく必要があるし、それは結婚しようが独身のままだろうが、正社員で働こうがフリーランスで働こうが、カネをたくさん稼ごうが、あまり稼げなかろうが、そういう「状態とは関係ない」んです。それこそイデオロギーとか社会の体制とかもどうでもいいわ。

どんな状態かどうかは関係なく、ひとりひとが精神的に自立する社会が作れるということは、公務員も官僚も政治家もそういう自立心を持つ個人になるということです。

 

誰かに認められようとする前に、自分で自分を認められるようにしましょうよ! 

 

そのためには、個人が個人の枠の中だけに閉じこもることなく、人とつながり、自分の中の多様性を生み出すことが必要です。自分を変えるのではなく、新しい自分を生み出すのです。

それは、それができる人とできない人とで区別する自己責任論ではない。できる人もできない人も直接的ではなく間接的にどこがでつながることができるからこそ「ゆるいつながりは強い」のです。

 

「自己責任でなんとかする」or「国の社会保障に頼る」の二者択一じゃないんですよ。

 

そうして個人が「ソロで生きる力」という精神的自立心を身に着けた時、みんなが…

家族以外に頼れる人がるし
本当に困った時「助けて」と言えるようになっているし
「助けて」と言われた時手を差し伸べる優しさを持つようになっている

のだと思います。

そんなことできるのか?わかりません。

しかし、社会が変わらなければ何も始まらないと受け身でいるより、まずは自分の行動を変えて、新しい自分を生み出すことはやりようがあるでしょ?

社会全体を変える必要なんてないんです。自分と自分の周りを変えれば。それが連続した時、社会も自然と変わってる。

そう思います。