日本の男のデブ、急増中!
「デブは結婚できないのか?」
既婚者の「幸せ太り」という言葉はよく聞きますが、そもそも未婚と既婚とで肥満率に違いはあるのでしょうか?
さんざん探しましたが、残念ながら、そんな統計はにはありませんでした。まあ、そうでしょうねえ(笑)。
なので、誰もやろうしなかったそんな調査を大真面目に調べてみました。
ぜひご一読ください。
以降は、元記事をお読みになった上で進んでいただきたいのですが、この記事の最後に成人男性の肥満率経年推移のグラフを出しています。
これを見ると、全体的に日本人の男は順調にデブっています。特に、コーホート別にみると、1985年に20代だった男のデブっぷりがハンパない。
現在50代の男の約4割がデブってことですよ?
太りすぎでしょ?
しかも、2015年の20代のデブさも過去最高なんです。30年前の20代は14%だったのに対して、26%とほぼ倍増。
このままいけば、今20代男が50代になる時はデブ率7割を超えているかもしれません。日本は、アメリカ並みにデブ社会になってしまうかもしれないのです。
気を付けましょう。男性諸君! 中年だけじゃなく、若者もね。
孤立と孤独、日本人と西洋人の感じ方の違いについて
いつも言っていることですが、本来、孤独と孤立とは別だし、孤独は主体的であるのに対して、孤立は受動的なもの。孤独は物理的なものだし、孤立は心理的なもの。孤独と孤立という言葉を混同してしまうのはよくないわけです。
にも関わらず、どうしても孤独=悪という概念が強すぎて、ともすれば「ひとりで快適に過ごす」人たち自体を悪者扱いにもしがちです。今回の特集も「孤独の処方箋」って…。まるで、孤独を病気扱いにしていますしねえ。
死後何日かたった後で発見された孤独死・孤立死の人たちを「可哀そう」と言いますが、その人が一人で死んだからといって果たして不幸だったと決めつけられるものでしょうか?所詮、人間なんて死ぬ時は一人です。誰かを道連れにすることはできないし、皆に看取られて死に行くことが幸せだという決めつけは、残された者の願望でしかないと僕は思います。
イギリスで孤独担当大臣ができた時も、日本国内で話題になりましたが、ホントあんなもん、必要ありませんって話です。
今回のAERAの特集でも、案の定イギリスやフランスでの孤独対策について触れられていました。
よくいわれるのが日本の高齢者は西洋人と比較して、家族以外のつながりが少なく、友達との付き合いがないから孤立感を感じやすいのだという言説があります。
確かにそういう面は否定できないかもしれません。今回の記事でも、職場に唯一依存してきた高齢者は、退職後孤立感に苛まれるという話をしています。
ただ、これを逆の見方にすると、頼りになる友達が50%近くもいるのに孤立感を感じる西洋人ってどうなの?とも思うわけです。どんだけ人に囲まれていないと不安なんだよ、という反面、人に囲まれすぎているからこその心理的孤立感を自分自身でつくってないか?ということ。
ここで、ちょっと考えてほしいのは、日本人と西洋人との孤独というものの捉え方そのものが違うという点です。
有名な松尾芭蕉の句に以下のようなものがあります。
「古池や蛙飛び込む水の音」
日本人であれば、この句を聞いて沸き起こる感情は、割と共通しているでしょう。特に、俳句というものを学ばなくても、この句から得られる「わび」「さび」の感情を想起できるというのが日本人なんだと思います。これこそエモいという感情に通じるものです。
しかし、西洋人はこの句を聞くとほぼ「で、どうしたの?」と聞くそうです。これだけだ、というと「だからなんなの?」と思ってしまう。
この句は別に孤独について歌ったものとは言えませんが、一人でいるからこそ、自然と一人で対峙している瞬間だからこそ、得られる心の豊かさについて詠まれたものであることは確かです。
要するに、日本人は人とだけではなく、自然ともつながりを持てる。一方で、西洋人は自然とは人間が征服すべき対象でしかない。そこは大きな違いです。
さらに、西洋人は、有意識としての自我の確立を最優先します。確固たる自分自身のアイデンティティを形作ることこそが自立であると考えます。日本も明治以降、そういった西洋かぶれの影響を受けたことは間違いないですが、もともとの日本人とは、有意識としての自我というより「無意識の無我」を大事にしていたんだと思うんですよ。
子どもの頃、一人遊びに夢中になって、周りにいるお母さんや友達なんか意識しなくなったことは誰しもあるでしょう。夢中になって虫を追いかけて、気が付いたら迷子になったということもあるでしょう。
あの夢中とは、ある意味「没頭体験」であり、長じて勉強や仕事でそれを体験したり、その力を発揮することは、大きな精神的充足にもつながるものです。この「無我」の境地こそが、ひとつソロで生きる力の源でもあると思うんです。
物理的に一人であるとか、周りに人がいるとか、というものは孤立とはあまり関係なくて、人が心理的に孤立を感じてしまうのは、心の中の空白部分の面積なんじゃないか、と。
つまり、心の中に有意識としての自我を満たしていないと不安になってしまう西洋人気質というのは、常にその心の隙間を誰かで埋めようとする。しかし、それは結局代用でしかない。隙間をどれだけ人で埋めても、自我の大きさが変わることはないので孤立感がどんどん大きくなってしまう。有限の大きさを持つからこそ、隙間が発生するからです。
一方、心の中は無であるという考えであれば、有限ではないのだから、そもそも隙間なんていうもの自体発生しないし、無我の境地において、それ以外の余計な空白なんてものも存在しない。
器があるから空っぽという概念が発生するのであり、器そのものがなければ、空っぽなんてないし、すべてが満たされているとも言える。むしろ、満たされるという概念そのものもない。無だから。
そう考えれば、一人であるという状態なんてどうでもいいことなんです。心を満たすのではなく、そのままの無であると知ること。そうすれば、心理的な孤立を感じることはないのではないかと僕は思うんです。
心の隙間を誰かというもので埋めようとするからそこに過度な依存が生まれる。埋めるべき誰かがいないと言いようのない欠落感を感じてしまう。それが孤立です。
大事なのは、何もないという無の状態と有意識の中で人と物理的につながって過ごすこととのバランスの問題であって、いつも多くの人に囲まれているかどうかは問題ではないのです。
もはや人間と区別つかないレベルに到達したAIとCG
やばい! これ人間が歌っているんじゃないんだよ。
人の歌い方を学習して、AIが歌っている。言われなきゃ絶対気付かない。どこをどう聴いても、息遣いとかファルセットになる瞬間とか、人間の歌い方にしか聴こえない。
完全に、初音ミクなんかのレベルをはるかに超越している。ぜひ聴いてみてください!
これと映像としてのCG(Sayaとか)組み合わせたらもう立派な人間ですよ。AIは既に、もうここまできてるのかあ…。
ちなみに、CGのSayaはこちら!
これも人間じゃなく、フルCGです。
りんなのようなものの会話版ができたら、もう声優とかはすべてAIで代替えできてしまいそう。アナウンサーだっていらないかも。
そして、Sayaがもっと進化したら、そもそも俳優なんかいらなくて、実写(CGだけど)映画やドラマが作れてしまうかもしれない。
歌の才能やルックスがよくなくても、中の人がスーパースターになれる日が来るかもしれないということ。
それはそれですごいことだし、ワクワクします。
ちなみに、エンタメ的なことではない活用だってあります。
こんなニュースがありました。
こういうニュースの度に、高齢男性を集めたシェアハウスを作ればいいという駄案が出ますが、何回もいうけど人と一緒に暮らしたくない、そういう暮らしが向いてないという人もいることを忘れないでほしい。
真面目な話、こういうコミュ力のない男性たちを救うものこそ、AIとの会話かもしれないんです。ちなみに、孤立感を解消させるには直接人との対面の交流がベストですが、メールなどオンラインのやり取りでも少なからず効果があると認められています。
アレクサみたいな無機質なものではなく、こういう声もビジュアルも人間らしい「AI孫娘」みたいなものがいて、毎日しゃべりかけてくれれば随分違うんじゃないかと思います。
国はくだらない制度に金かけるよりこういうことに注力すべきだと思うんだよね。毎日接していていればAIの呼びかけに応じても人見知りなおじいさんもオフ会にも参加するかもしれない。そういうきっかけになる。
つまり、もはや人間と区別つかないレベルに到達したAIとCGが救うのは、これから増加する高齢者かもしれない。
「ひとりにあらず そらゆくわれは」終戦記念日に寄せて。
独身研究家として、いつも独身や結婚問題についてのコラムを連載している日経COMEMOですが、本日2018年8/15は平成最後の終戦記念日ということで、特別編を書きました。
特攻というと、若者たちが「お国のために」と志願して死んでいったと思っている方もいると思いますが、そもそも特攻なんか「クソくらえ」と出撃を拒否したパイロットたちが大勢いたという事実をご存じでしょうか?
また、後半には、そんな愚策によって死ななければならなかったある若いパイロット穴澤大尉(23歳)の遺書も載せました。婚約者にあてた彼の遺書は、彼女を愛するが故の言葉にあふれ、とても切ないです。
ぜひご一読ください。
そして、ここからはぜひ遺書を読んだ上で進んでいただきたいのですが、この遺書の冒頭の方にある「去月十日,楽しみの日を胸に描きながら,池袋の駅で別れてあったのだが」というくだり。これは、昭和20年3月10日のことを指しています。
その日は、東京大空襲があった日です。
穴澤大尉は、その2日前、特別に休暇をもらって福島の実家に帰郷し、両親に智恵子さんとの結婚の許可をもらいました。翌9日、彼は東京の智恵子さんの家を訪ね、その報告をして、その日は自分の親戚のいる目黒に泊まりました。
二人にとってその夜は、結婚が決まったとてもうれしい夜だったはずです。
しかし、その日の未明に大事件が起きます。死者8万人以上、東京の3分の1を焼き尽くした東京大空襲です。
智恵子さんの無事を心配する穴澤さんは、まだ夜が開けないうちに親戚の家を飛び出し、智恵子さんの実家へと向かいます。同じ時、穴澤さんの身を案じる智恵子さんも、夜明けとともに目黒に歩いて向かうのです。
そして二人は、大鳥神社のあたりで、偶然にもバッタリと出会ったそうです。
互いの無事を確認できた二人ですが、穴澤さんはもう飛行場に帰らなければいけません。二人は一緒に国電に乗りこみます。
ところが電車は、空襲のあとで避難する人々があふれかえり、あまりの混雑の息苦しさに、智恵子さんは池袋駅で電車を降り、さこで二人ははぐれてしまったのだとか。
そして、これが二人の最後の別れとなってしまったんです。
そうした背景もあったことを知りつつ、また遺書を読み返すと切ない感情がこみあげてきます。
穴澤大尉は、出撃の際智恵子さんが編んでくれたマフラーを巻いて行きました。特攻の写真であまりにも有名なこの写真。
桜を振って見送る知覧高女の女生徒たちに、手を振り微笑みを返して出撃してゆく隼機こそ、穴澤大尉の飛行機です。
こちらは、昭和17年に撮られた、穴澤さんと智恵子さんの写真です。
とってもやさしい笑顔です。戦争というものがなかっさたら、特攻なんていうバカな作戦がなかったら、二人は結婚していたはずです。
「ひとりとぶも ひとりにあらず ふところに きみをいだきて そらゆくわれは」
穴澤利夫さんの辞世の句です。なんという愛の深さでしょう。
智恵子さんは2013年にお亡くなりになりました。きっと、穴澤さんとの池袋駅以来68年振りの再会を天国で果たしたことと思います。
穴澤大尉と婚約者の智恵子さんのお話に関しては、
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人口減少が不可避な中での適応力ってなんだろ?
人口減少は不可避です。避けられません。
誰が首相になろうとも、どんな施策を打ったとしても変わりません。その前提で、未来をどうしていくかを考えるべきステージに来ていると、何度も僕は言い続けているのですが、相変わらず「人口減少が問題だ。国難だ。結婚しろ。子どもを産め」と興奮する人がたくさんいます。
人口減少で問題になるひとつに労働力不足が言われます。昨今の人手不足は深刻ですし、それを移民によって賄うべしという言説も盛んです。ですが、そもそもそれはあくまで高齢者をすべて支えられる側としてしまう昭和的な発想から脱却できていないからなんですよね。
所謂、15-64歳の現役世代が65歳以上の高齢者を支えないといけないとすると、1人で〇人の老人を背負わなきゃいけない。だからその負担を少なくするために人口を増やせという理屈です。
でもね、あの指標は本当に意味ない。だって年齢で区切ったところで本当に現役世代全員が働いているのか?って言ったらそうじゃない。もちろん、物理的な理由や健康上の理由で働けない人もいるけど、働けるのに働いていない人もたくさんいます。逆に70歳でも元気に働いている高齢者もたくさんいます。
視点を変える。働く人が働いていない人を支える社会という視点でみれば、何もそれほど悲観する話ではないんです。というか、この問題を悲観とか楽刊とかで語るべきじゃないし、粛々と現実を受け止めて対応できるかという問題なんです。
ひとつだけ言うと、人口総数が減ることは何の問題もない。総数の問題ではなく、要はバランス(均衡)の問題なんです。にも関わらず、単純に数だけであーだこーだ考えるから本質的なところが見失われる。
そういう視点で書いた記事です。ぜひご一読ください。
※タイトルに少子高齢化ってありますが、人口減少がテーマです。
今回もいろいろなコメントいただきました。前述したように「能天気すぎる」「楽観的すぎる」という声も多くあります。
人間の脳というものは不思議なもので、ネガティブなことの方が記憶に残りやすいそうです。
事実、"なぜ日本は「少子高齢化」に目を背ける? 老いぼれ国家に若者が殺される現実"とか"2019年から日本国は衰退へ。海外メディアも一斉に警告「少子高齢化という時限爆弾」"とか、そういう不安を煽るような記事はよく読まれるそうです。
でもこういう類は、得てして悲観的にことの羅列に終始して、じゃあどうすんの?じゃあどうなんの?って話は一切出てこない。
なぜなら、不安を煽ることそれ自体が目的だからです。上記にあげたふたつのタイトルの記事は実在の記事です。あえてリンクを貼らないのは、これが広告記事だからです。要するに、不安を煽って「くわしくは有料登録してください」「講演を依頼してください」って持っていき方なんですよ。
このやり口って、詐欺師やカルト宗教と一緒なんです。
もちろん先々の不安に対してリスク対策をとることは大事です。でもよく考えて欲しいのは、老後にはいくら金が必要だから、とかそんな情報に振り回されて、世界一の箪笥貯金国家になってしまったのが現在の日本。ちっとも経済が周らなくなってしまいました。また、子ども1人育てるのにン千万円かかるという情報に過度に反応して、なかなか2人目、3人目を産めなくなっているというのもあると思います。
不安は無意識に行動を抑制します。何もしない。変化を生まない。現状維持がいい、という心理が働くから。でもそういった行動の沈滞こそが、抽象でしかなかった不安を現実に変えてしまうのですよ。
相変わらず(言っちゃ悪いけど)クソコメントも来ています。
「対立は不毛だ」は既得権者が「このまま搾取させろ」を言い換えたものにすぎない。少子高齢化が莫大な負担となって跳ね返ってくるのは明らかで、そうなってしまうのは子育ての負担をしないフリーライダーがいるから。
ソロでもいいなどと宣伝する者の罪は重い。
子なし税を負担しろ。
ちゃんと記事読んでるのかね?
なぜ、そうした対立軸でしか物事を考えられないのだろう?子無し税なんて導入したところで、以前も記事書いたけど消費税の0.3%分にも満たない。意味ない。
人間なんてちゃんとやっているつもりでも、どこがで誰かに助けてもらっているし、今後誰かに迷惑かけるかもしれない。今の状態が未来永劫続くわけじゃない。大事なことは、社会は1対1で周っているわけじゃないってこと。誰かが誰かのためになっている「お互い様」の循環こそが社会ってもんじゃないの?
「対立は不毛だ」は既得権者が保身のために使うものではなく、権力者が敵を作って味方を洗脳するために使う言葉です。過去の宗教戦争然り、ヒトラー然り。
フリーライダーを許さない社会とは、無慈悲な自己責任社会です。果たしてそんな社会は幸せなんでしょうか?
以下、本文からの引用です。
結婚してもしなくても、子があってもなくても、あなたが働けば、あなただけじゃなく、誰かもう1人を支えられると皆が信じられる社会。自分のために働いたり、消費したりすれば、結果として、誰かのために役立つ循環性のある社会。私が言い続けている「ソロ社会は人とつながる社会である」というのは、そういう社会であってほしいと思います。
みんなと一緒という「個人主義」の日本人
世界各国の国民性を表した『沈没船ジョーク』というものがあります。
有名ですよね。
■世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかかっています。しかし、乗客の数に比べて、脱出ボートの数は足りません。したがって、その船の船長は、乗客を海に飛び込ませようとしますが…。さて、船長が各国の人を飛び込ませるために放った言葉とは何でしょう?
アメリカ人に対して・・・「飛び込めばヒーローですよ」
ロシア人に対して・・・「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人に対して・・・「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人に対して・・・「決して海には飛び込まないで下さい」
イギリス人に対して・・・「紳士なら海に飛び込めますね」
ドイツ人に対して・・・「規則ですので海に飛び込んでください」
日本人に対して・・・「みなさんはもう飛び込みましたよ」
あるあるですか?
特に、日本人に関してはこの「みんなしてますよ」に弱いという意識が、日本人の中にも根強いですよね。日本人は、集団主義というか同調主義意識が高いものだ、と。
実は日本人ほど個人主義で、損得で動く民族もいないんです。ここでいう個人主義というのは西洋でいうところの個人主義とはニュアンスがちょっと違います。
西洋の個人主義とは「国家や社会の権威に対して個人の権利と自由を尊重することを主張する」ことであり随分と高尚です。「個人の自立独行、私生活の保全、相互尊重、自分の意見を表明する、周囲の圧力をかわす、チームワーク、男女の平等、自由意志、自由貿易に大きな価値を置いている」そうです。フランスが発祥らしいのですが、かなり理屈っぽいし、個人的にとどうでもいい概念です。
日本人の個人主義とは、もっとシンプルです。
要するに「自分ファースト」ってことです。
え?でも日本人は空気読むし、集団で行動するのが好きだし、みんなと一緒であることに安心するんじゃないの?
そう思いますか?
違います。
集団の中で「空気」を読むというのは、心から同調しているのではなく、そっちがメリットだと考えればそうするという個人の損得勘定からなんです。身も蓋もないけど。
社会心理学者の山岸俊男先生によれば、みんなと一緒がいいという集団主義・同調主義は、日本人よりむしろ欧米人の方が高かったという実験結果があるそうです。「裸の王様」が欧米の寓話だということからもそれは明らかですね。
日本人は「みんなと一緒がいい」のではなく「みんなと一緒ならリスクがない」と判断すれば一緒にするし、「みんなと違う方がメリットがある」と考えれば違うものにするという、あくまで個人単位の損得判断が根底にあります。
自分に得だからみんなと一緒にしているだけであって、得にならないなら一緒にする理由はないのです。
たとえば、お昼ご飯に弁当が支給されたとしましょう。弁当は全部で10孤。それを10人で分け合うので数的には問題ありません。しかし、10個のうち1個だけ、特上のウナギ弁当(値段にしたら5000円相当)があって、残り9個は普通ののり弁当(500円相当)だったとします。
さあ、あなたならどっちを選びますか?あなたが最初の選択権を与えられたとします。選択するのは1人ずつで。あなたが何を選んだか、他の人にはわかりません。
これ、日本人だろうとアメリカ人であろうと、うなぎ弁当を選ぶ確率は50%なんだそうですよ。
日本人の5割もうなぎを選ぶの?と思いましたか?それともアメリカ人がたった5割しか選ばないの?って思いましたか?
変わらないんですよ、日本人だろうとアメリカ人だろうと。選ぶ奴は選ぶし、選ばない奴は選ばない。だから実験すれば大体半々に落ち着くんです。
問題は、次です。
あなたが選択するのを他の全員が凝視していたとします。そうすると結果、日本人はほぼ全員がのり弁当を選びます。
なぜか?
それは人の目があって、自分がうなぎを選ぶことによって後で皆から文句や妬みを買うというデメリットがあるからです。美味しいうなぎを食べるメリットより、みんなから嫌われるというデメリットが優先するんです。うなぎを食うことは損になるって考え方なんですよね。
もちろん何も考えずみんなの後ろをついていけばいいという人もいるかもしれませんが、日本人の思考というものは常にそうした損得がうごめいているんです。無意識に。
悪いことではないです。損得で動くというとがめついように思えますが、命に係わることだと考えれば、当たり前の話です。もちろんこれは自分の子どもに対する場合とかは別です。あくまで対他人との関係性においてです。
昔の家は、留守にしていても家に鍵なんかかけていませんでした。村の共同体の中において、盗みに入るという行為は即刻共同体からの排除対象になるからです。盗んでも何の得にもならないどころか損だからしないんです。
戦国時代の武将は平気で主君を裏切ります。裏切って自分が生き延びる方が得だからです。明智光秀だけじゃない。荒木村重も松永弾正も浅井長政も、信長を裏切っています。ちなみに、僕は戦国武将の中で一番好きなのはこの松永弾正です。生き様が粋です。
他にも、陶晴賢、斎藤道三、宇喜多直家、穴山梅雪などたくさんいます。関ヶ原で有名な小早川秀秋もそうですね。あの前田利家だって賤ヶ岳で柴田勝家を裏切っていますし、そもそも柴田勝家だって若き信長を一回裏切っている。
何より最大は豊臣を裏切った徳川家康だと言えるでしょう。
すべて損得です
…というと、日本人は随分利己主義なんだな、と思うかもしれませんが、それは利己主義ではなく、自分の得を考えて行動することが結果として集団としての利益にもつながるという考え方に近いのです。
個人の損得という本質を選択することが、実は集団利益を産むというのが日本人的個人主義であり、それが「お互い様」の精神にもつながっていくのです。
『沈没船ジョーク』には後付けされたこんなオチがあります。
関西人に対して・・・「阪神が優勝しましたよ」
日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点 | |
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「超ソロ社会」台湾デビューを果たしました!
拙著「超ソロ社会」の台湾版が発売になりました!
韓国版に続きまして、海外進出2か国目です。
素敵なデザイン、ありがとうございます!
台湾も未婚化は深刻な問題なんです。
適齢期の男女の半分が未婚という状況らしいです。
拙著の紹介もスライドにしてくれてわかりやすいです(中国語は読めませんが、なんとなく漢字で意味は伝わります)。
2035年、日本の人口の半分は独身者になる。
「ソロで生きる力」が必要になる!
「精神的自立」「自分を愛する」ことを学べば、ソロでも幸福を楽しむことができます。
家族や地域といった古い共同体から新しいコミュニティへ。
超ソロ社会~あなたは1人になっても生きていけますか?
台湾政治大学の蔡增家さん及び台湾の人気作家の御姊愛さんから推薦文もいただきました。ありがとうございます!
ところで、御姊愛さん、とっても美人です。
お会いしたことないですが…。
トークショーやりたい!
中国語しゃべれませんが…。
機会があればぜひ台湾にもお伺いしたいと思います。てか、行きます! 勝手に押しかけ路上押し売りサイン会やろうかな。
未婚者是社會的亂源?
職業女性增加,造成社會走向不婚化?
九成的未婚者想結婚是漫天大謊?
男人失去談戀愛和做愛的能力了嗎?
女人因為金錢選擇結婚,男人因為金錢選擇不婚?
終生「無子率」比終生「未婚率」的問題更嚴重?
比起談真正的戀愛,男人寧願訂做「理想中的VR女友」?
單身經濟時代,將從「物質消費」變成「精神消費」?
隨著未婚、不婚、離婚率逐年上升,加上喪偶造成的高齡單身者不斷增加,根據統計,台灣15歲以上的單身人口已直逼1000萬人!台灣不僅是「超高齡社會」,並且也是「超單身社會」,單身化的種種問題更已成為必須正視的迫切現實!
本書作者是日本兩大廣告公司「博報堂」的市場趨勢專家,也是研究單身生活者的權威,他以「單身大國」日本為借鏡,深入分析單身社會的成因,以及「單身經濟」崛起的商機和對應策略,並對未來的兩性關係發展提出大膽的預言。
無論是否結婚、生子、組成家庭,每個人都會面臨可能成為「單身者」的風險。但是單身並不意味著孤立,只要找到可以「獨立生存的能力」,學會好好「愛自己」,即使一個人,也能享受單身生活的幸福。