ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

樹木希林さんが教えてくれた「人の役目」

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女優の樹木希林さんが15日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

ツイッターでは、たくさんの彼女の名言が並びました。何個かご紹介します。

あのね、年をとるっていうのは本当におもしろいもの。年をとるっていうのは絶対におもしろい現象がいっぱいあるのよ。だから、若い時には当たり前にできていたものが、できなくなること、ひとつずつをおもしろがってほしいのよ
どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。そうすると成熟していくような気がするのよね。それで死に向かっていくのだろうと思う。でも人間ってだらしないから、あんまりいい奥さん、あんまりいい旦那さん、いい子供で楽だと、成熟する暇がないっていうか
日本は八百万(やおよろず)の国なので幸せです。無宗教さえも1つの平和な状況で幸せです。この神が絶対というのも幸せかもしれないですが、それによって争いという不幸が出てくる。日本はそういう意味で、争いはない。宗教に関してとても幸せでそれは非常にいいことだと思っています。
靴下でもシャツでも最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということだと思う。自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末することが最終目標
病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ

晩年の樹木希林さんは、常に死と向き合いながら、自分の役割というものを最期の最期まで全うしようとされていたのだと思います。彼女の人となりを示すエピソードにはこんなのもあります。

 

樹木希林さんは、事務所にも所属せず、マネージャーも雇わず、すべて一人で対応していました。にも関わらず、多分ですが、ひとつひとつの依頼に対して全部お返事していたんじゃないかと思います。

時間がないのにちゃんとお断りの連絡をするって本当に素晴らしいことだと思う。世の中には、樹木希林さんより全然忙しくないくせに、可否の回答をよこさないまま平気でいられる失礼な人間は多い。

彼女がどれだけ人と向き合うことを大切にしていたかがわかります。

 

 

樹木希林さんが、2015年には、不登校のイベントに参加して、子どもたちに贈った以下の言葉が素敵でした。とてもいい言葉なので全文ご紹介します。

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新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。

 だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。

 私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。

 それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。

 「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。

 ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。

 ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。

 私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。

 だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。

 私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。

 無理して、いま死ななくていいじゃない。

 だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。

出典:2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口/基調講演「私の中の当り前」から

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晩年の樹木希林さんの行動や言葉というものは、すべての老いゆく大人たちが踏襲していくべきことじゃないかと思います。死に行く者だからこそ、若く生きゆく者を生かす責任がある。

そう思います。

 

そして、僕がもっとも印象に残った彼女の言葉はこれです。

人も物も、置き場所を変えると生き返るものよ

 

まさにその通りで、ある場所で活躍できなかったからといって自責する必要はないのです。場所が悪いだけ、周りの人が合わないだけ、ということが多い。あのイチローでさえ、入団当初の土井監督の下では全く不遇でした。

逆に言えば、人は人とのつながりでどうにでも変わることができるということです。

 

 

2年前に、「徹子の部屋」に樹木希林さんと内田裕也さんが夫婦そろって出演された時に書いた記事がこちらです。

二人の愛の形というか、結婚というものの形について書いています。

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内田裕也さんのコメントです。

「最期は穏やかで綺麗な顔でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」

安室奈美恵が生み出してくれたものは歌だけじゃない

明日、9/16に平成の歌姫こと安室奈美恵さんが、平成最後の秋に引退します。

歌に疎い人でも「アムラー」という社会現象が起きたことはご存じでしょう。全身を安室奈美恵ファッションにした女性が街にあふれていた現象です。1996年をピークに大流行しました。ミニスカート・厚底ブーツ・ロングヘアに茶髪・極端な細眉が特徴で、日焼けサロンなどで焼いた浅黒い肌も好まれました。

それから20年以上、14歳で沖縄から出てきた少女が、明日、その沖縄へ最後のライブのために帰っていきます。

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安室奈美恵さんのファンの方達の言葉をいろいろ聞くにつけ、これから日本が直面する「超ソロ社会」における「人のつながり」の重要性を再確認しました。「人のつながり」というものを誤解している人が多いのですが、友達になることだけが「つながり」ではないんです。近頃「孤独=悪」とか「孤独は死に至る病」とか、未婚や一人ぼっちであることがやり玉にあげられていますが、今回は安室さんとファンとのつながりを通して「人とのつながり」とは何か?を書きたいと思います。

※以前書いた"NHK「つながり孤独」は「つながってもいない」し「孤独」でもない"という記事と多少ダブる部分もありますが、再整理して書き直しました。

note.mu

 

 7/29、日本テレビ系番組『世界の果てまでイッテQ!』の中で、イモトアヤコさんが、長年ファンだった安室奈美恵さんと初対面した模様が放送されました。

アーティストとファンとの間には、AKBグループは別にして、原則直接の交流(直接話し合ったり、どこかに出かけたり)はありません。友達ではないのですから。ファンクラブという場に所属したって、安室さんとは直接はつながらない。そもそも、自分がファンでいること自体、本人には知られていないだろうし、自分の顔も認識してもらえてはいません。にも関わらず、ファンの心の中にはアーティスト自身が、さも一番仲のいい親友のように存在していることがあります。

それは、安室さんが心の中にいるのではなく、彼女の歌やステージを見ることで「安室奈美恵とつながったことで別の新しいあなたが生まれた」のです。

人には自分の外側にあるアウトサイドコミュニティとは別に、自分の内面にインサイドコミュニティがあります。アウトサイドコミュニティとは、文字通り外の世界にいる他人とのつながりです。インサイドコミュニティとは、自分の内面にある、多数の自分自身が存在しているコミュニティを指します。人は誰かとつながることで、無意識に「その人によって生まれた新しい自分」を生み出しています。たくさんの人とつながれば、それだけ多くの新しい自分が自分の中に芽生えるんです。それを僕は「自分の中の多様性」といっています(拙著「超ソロ社会」に詳しく書きました)。

安室奈美恵というアーティストに出会い、その曲を聴き、そのパフォーマンスに酔いしれ、そのファッションを真似すること。それもまた、人とのつながりのひとつの形態です。例えば、「安室ちゃんを好きだって気持ちの自分」が新しく生まれると、その自分が自分本体をものすごく楽しくさせてしまうんですね。誰かを好きになった時、毎日が楽しくワクワクするのはそういうことです。

特に、音楽アーティストの場合は、歌によって元気づけられたという経験をした人は多いんじゃないでしょうか?人それぞれ、好きなポイントは違うかもしれませんが、僕自身は、『必ず誰かはやさしい』(a walk in the park)という言葉や『誰も見たことのない顔 誰かに見せるかもしれない』(SWEET 19 BLUES)などが好きです。今でも結婚式では(CAN YOU CELEBRATE?)は定番ですからね。 

news.nifty.com

 

 

この続きは、拙著「ソロエコノミーの襲来」に書きました。ぜひよろしくお願いします。

 

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名刺交換でしか人とのつながり持てない人はヤバいという話

 

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イベントの交流会などで、よく束になった名刺を片手に、誰彼構わず名刺交換だけを延々と続けている名刺デリバーを見かけます。名刺を交換すると安心するのか、ロクに話もせずに、また違う誰かと名刺交換へ。それ本当に意味ないよなあと思っています。

名刺交換というビジネス文化は、いい面もありますが、それはあくまでビジネスマナー上のことであって機能的にそれが意味あるのかな?と疑問なんですよ。

eightとかのサービスの人たちをdisるつもりも毛頭ありませんが、所詮名刺というものは、その人の情報の一部でしかなくて、そんなものに支配されていること人が多いこと自体、これからの世の中大丈夫なのかなと余計な心配をします。

そんなことを書きました。ぜひ読んでください! 

comemo.io

 

名刺交換したおっさん同士が、相手の名刺を手に持ちながら会話している内容を聞くと、どうも名刺同士の会話にしか聞こえない。そこに本人の情報なんてなにひとつない。そんな会話って、人とのつながりもつくれていないし、真の意味の交流にもなっていない。

そんな中身のない会話をしたあとで「では、なにかありましたから…」なんつって別れるわけですが、大体一生二度と何もないわな。

 

じゃあ、どうすればいいか、って話ですけど。

名刺なんか出さずに「5秒以内で自己紹介」してほしいんですよね。その時に出てくる内容が、今の自分を一番よく表す記号なんですよ。仕事の話である必要もなくて、「マラソンやってます」とかで全然いい。それなのにその5秒で会社名しか出てこないのは辛くないですか?

それはあなたの所属の紹介であってあなたの紹介じゃない。ちなみに僕の場合、「独身研究家です」って言えばそれで済みます。

「なんですか、それ?」ってなるから、そこから話を広げられる。話の流れから、ご本人の配偶関係なんかも聞いても失礼にならないし。会話がはずんだら、一緒に写メ撮って「あとでSNSに送ります」と連絡先交換できれば、大抵必ず次どこか飲みに行ったり、つながりが継続します。名刺なんか必要ないし、そもそもその人がどんな会社か知らないまま友達になる場合も多い。

人とのつながりのきっかけなんて、そんなもんです。

韓国のテレビ番組に出演しました!

韓国のテレビ番組tvN「外界通信」に出演しました。拙著「超ソロ社会」の韓国語翻訳版も出版された関係で、取材を受けました。

8月末頃放送されたようです。

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 インタビューに加え、ソロたちが飲んでいる様も撮りたいとのことだったので、それも放映されました。

 

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別途、東大卒47歳独身のバイト生活男性(年収100万以下)の取材もしていたらしい。自発的に結婚しないソロもいる反面、したくても経済的に無理な男も多いこと、女性が経済的自立をすると男たちは結婚できなくなること、などかなり本に沿った内容で真面目に伝えてくれています。

 

韓国も結婚しない問題は深刻らしく、「未婚」ではなく「非婚」という言い方をするそうです。

この番組が、韓国のネットニュースにもなっていました。

www.topstarnews.net

 

 

 

「超ソロ社会」韓国版が出た時の記事はこちらです。

 

wildriverpeace.hatenablog.jp

誰かと一緒という「つながり」を感じられること。

とってもほっこりする漫画です。

日記を書いているこぐまくんの顔がどんどん満面の笑みに変わっている。

 

 

多分、こぐまくんは最初はケーキを作れる喜びでいっぱいだったでしょう。作ることに没頭できれば、それはそれで人は精神的充足感を得られます。

でも、自分が作ったケーキ、うまくできたという達成感を共に分かち合うこの「てんいんさん」の登場で大きく感情が変わります。

日記の中では「一緒→うれしかった→楽しかった→しあわせ」という風に感情が変わっていきます。それと同時に日記を書くこぐまさんの顔が、それを思い出してニコニコしてしまうわけです。

誰かと一緒という「つながり」を感じられること。それだけでも人間は満ち足りた気持ちになります。さらに、例えばそのケーキをてんいんさんに褒められたり、一緒に試食したり、時にはあーでもない、こーでもないと言い合ったり、そういう行動をすることは、うれしいことだし、楽しいことだと感じるんですね。そして、瞬間瞬間のうれしさや楽しさだけではなく、その積み重ねが「しあわせ」という感覚になるのです。

しあわせというものは、きわめて日常的なものです。

サプライズプレゼントだったり、夢の国などでの非日常な空間で遊ぶことは楽しいことであるけど、実はしあわせというものとはちょっと違います。

何気ない日常の中で、心が満ち足りた気持ちになる。それこそがしあわせであり、だからこそ、子どもが産まれたばかりの夫婦は、特に何のイベントがなくたって、毎日の生活にとってもしあわせを感じるものなんです。

では、子どものいない、結婚していないソロの皆さんは、どうすればいいんでしょうか?

あなたにとっての「てんいんさん」を見つけてください。「てんいんさん」は一人とは限らないし、むしろ、一人に限定しなくてもいいんです。異性である必要もありません。親友じゃなくてもいい。

一緒に何かを分かち合える人。それが刹那的なものではなく、リピートされること(違う人でもいいんです、そういう心の充足機会がリピートされることが重要)。

そういう人がいたら、ぜひ、自撮りでいいから必ず写真を撮りましょう。別にインスタにアップしなくてもいいです。でも、そうした写真はこぐまくんの日記のように、後であなたに満面の笑みをもたらしてくれると思いますよ。

 

どこにいったらそんな人に出会えるかわからない?

どこだっていいんです。今ならそれこそオンラインサロンに参加して、オフ会に行くのでもいいじゃないですか?

僕は人見知りだし、ひとりで浮かないかな?

一回そういう会に行ってみてください。びっくりするくらいみんなぼっち参加しています。あなたと同じように「つながり」に来ている「人見知り」が多い。

みんな一緒なんです。一緒だから。

正しいだの間違いだのと、思考の蟻地獄に陥っていませんか?

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」更新です!

今回のテーマは、「東京の蟻地獄化」についてです。

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江戸時代の江戸は、地方からの出稼ぎ男性の集中化で男余り現象が起き、結果として男の有配偶率が極端に低下、結婚もせずそのまま江戸で死んでいくという状況が生まれました。

それは、「江戸の蟻地獄」と呼ばれています。

一方現代、若い層を中心に東京への人口集中が深刻化しています。働く女性にとって東京は、「東京砂漠」どころか、未婚化への道を突き進む「東京蟻地獄」になりつつある、という話を書きました。

勿論低収入未婚男にとっても同様ですが、記事内に掲載した年収別未婚率の散布図が非常にわかりやすい(ある意味、美しい)ので、ぜひご覧ください。

toyokeizai.net

 

ただ、だからといって別に女性は働くべきじゃないとも思わないし、そもそも結婚なんかしなくたっていいというスタンスなんですけどね、どうもコメント欄とか見ると、勘違いしている人が多いようです(もしくは、読解力がないのか、はたまた、単に簿が嫌われているだけなのかwww)。

あと「高所得女性が男性的規範に縛られがち」という話をすると、決まって「そんなことはない! 」「間違っている! 」とヒステリックに騒ぎだてる人もいるんですが、男性的規範というのは性差のことを述べているのではなく、誰しもが心の中に内在している「父性原理」(河合隼雄氏による)のことを言っています。

「父性原理」とは、主体と客体、善と悪、上と下など物事や事象を分断して判断しようとする性質のことです。一方で「母性原理」とは、分断はせずにすべてを包摂してとらえようとする性質です。

たなみに、前者はデジタルで、後者はアナログだ、という風に感がる人は父性原理の人です。

往々にして、父性原理は男性に多いと言われますが、男性=父性原理100%ではなく、父性と母性をあわせもっています。それは女性も同じです。

いわゆる「男らしさ規範」というものがあります。男は弱音を吐いてはいけない、とか、男は強くあるべきだ、みたいなもの。一方で、「女らしさ規範」というものもありますね。おしとやかにする、とかいろいろ。

これ、規範というものによって縛られることはすべて父性原理になります。女らしさという規範に従って、「女はこうあるべき」みたいな生き方をしている女性は、立ち居振る舞いがどんなに女性的であっても父性原理の構成比が高い人です。

規範というものは、まさに「正しい」と「間違い」を明確に分断するものですから。

何が言いたいかというと、「高所得女性が男性的規範に縛られがち」という話をすると、決まって「そんなことはない! 」「間違っている! 」とヒステリックに騒ぎだてる人とは、まさに「正しい」と「間違い」を明確に分断ちたがる人であり、父性原理そのものなんです。便宜上、男性的規範としましたが、規範はすべて男性的(父性原理)なものであって、こうした記事だけではなく、「男がー」「女がー」とか二項対立論で、常に正しい・間違いを論じている人は、すべて父性原理の人たち。

言い換えると、西洋的論理観の強い人たちです。

中国とか韓国のような儒教的規範が強い国は別として、東アジアの諸国はどちらかというと母性原理の人たちです。日本人も元来は(明治維新までは)そうでした。

母性原理によれば、正しい・間違いという二元論にはせず、こっちも正しいし、あっちも正しい、という中空という間をとろうとします。日本人のファジーさとはまさに母性原理に基づくものだったりします。

それは住居にも表れます。西洋ではしっかりと壁で仕切り、「室」というもので空間を分断します。しかし、日本の場合は、障子や襖というとても仕切りとは言えないようなもので、「間」を作ります。分断せずに、その中に新たな空間を生み出します。それが母性原理的思考です。

「女性が男性的思考をする」とかいう(ごく当たり前の話。女性だからといって女性的思考しかしないわけがない)のを極端に嫌悪する女性がいるんですが、その嫌悪の大元というのが、その人自身の男性的思考(父性原理に基づく分断的論理志向)なんですよ。

今回の記事も、高収入女性の生涯未婚者が東京に集中しているという事実をありのままにお伝えしただけであり、結婚がいいとか悪いとか、そういう話じゃないのに、「結婚しなくても何が悪い! 」とか「結婚しないと人間失格だ! 」とか、いちいち善悪に分けようとしてしまう脳そのものが「男」っぽいし、それこそ「思考の蟻地獄に陥ってる」と思います。

こういうこと書くと、また炎上しますけど。

SNS上で、「正しい」だの「間違い」だのがなりたててる暇があるんなら、一度「古事記」を読んで、日本人の原点でもある「母性原理」に触れてみてはいかがでしょうか?

日本は母性によって成り立っている民族なんです。

クリエイターなんて職業は、AIに簡単に代替えされてしまう。

こないだの朝生は、久しぶりに面白かった。

テーマは「AIで人は幸せになれるか?」的なものだったのだが、東大の松尾教授や落合陽一さんの話がなかなか込み入った話までしててよかった(いちいち、田原さんが「全然わからない! 」とか口をはさんでくるのがウザかったけど…)。

ところで、番組の中でAIやロボットによって代替可能な職業とそうじゃない職業という表がありましたが、これ右側のやつもほとんど代替可能ですよ。

大体、アナウンサーなんて一番最初にAIに代わられてしまうよ。

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他にも、たとえば、広告ディレクターとかアートディレクター(デザイナー含む)とか、ここには書いてないけどコピーライターなんて職業は、むしろAIの方が優秀かもしれない。

なぜなら、これだけグローバル化されて、広告表現のパクリとか類似性とかが問題視されてきます。東京五輪のパクリ問題なんてまさにそうだったわけで。

そうなると、むしろ類似性チェックなんてものはAIがやるべきだし、類似性チェックとともに独自性を深層学習すれば、表現案なんて人間が考えるよりも数十倍も多くアイデアが出る。

広告周りの人の中には、いわゆる野球界におけるイチロー的な人もいるけども、あれ、すべて自分の中からアイデアをひねり出しているというより、出されたアイデアディレクションだから。広告クリエイターというものを外部の人は大きく勘違いしているけど、小説家や漫画家が白紙から創造していくものとは大きく違う。

与件があるし、目指す目的も提示されているし、やるべき予算もあるし、実施の目標も達成しなきゃいけない。そうした中、むしろAIの方が最適解ほ出す可能性が大きいと思うんですよね。勿論、AIのレベルにもよるけど。

同様に、作詞・作曲だってAIに向いている気がする。いわゆるヒット曲のコード進行を解析したら、そんなにパターンないんですよ。

多少、音楽をかじったことある人ならわかるけど、山下達郎風とかサザン風とか小田和正風のコード進行は大体決まっていて、そのコード進行をパクってメロディを変えて、さらにメロディに合わせて、コード自体を分解コードとか、ナインスに振ったりとかするだけでも全く別のイメージの曲になってしまう。

人間がやってるレベルを遥かに超えたAIの情報量なら、もっと複雑なことができると思います。

歌うことすら、先日記事化した「りんな」のようなことになったら、人間じゃなくてもいいかもしれない。

wildriverpeace.hatenablog.jp

クリエイティブな職業は代替不可能とかいうけど、はっきり言って、不可能な職業があるのか?と思ったりもしますけどね。教員だって別にAIでいいよ。なまじ人間がやっているから問題が起きるんじゃないの?

伝統工芸の匠の職人技だって、完璧にコピーするロボットだって可能になります。

 

すべての職業は代替可能になるんだけど、だからといってそこに人間の仕事がなくなるわけじゃないと思う。

逆説的だけど、AIが仕事を代替えするからこそ、一層人間の仕事が重要になると思います。

 

ひとつ言えるのは、祭りです。

阿波踊りだろうが、ねぶた祭りだろうが、スーパーよさこいだろうが、ああいう場に必要なのは人間の熱量であり、それは決して機械では代替えできない。ハロウィンや日本代表後の渋谷スクランブル交差点も似たようなもの。

コミケにおけるコスプレだって、あれは人間だからこその楽しさ。

音楽もそれ自体祭りになる。聴くものというより身体で感じるものになっている。

熱狂だけが祭りじゃない。癒しやあはれを感じるものもあるでしょう。

つまり、どんなものであれ、人間が何かを感じることのためには、人間が動く余地が必要だし、人間が介在するという部分は変わらない。そこは機械だけじゃ、やっぱり無理なんです。

音楽も作るにあたってAIの比重が高くなっても、なんだろう、1フレーズの歌詞だったり、ちょっとした歌い方だったり、踊り方だったり、というライブの魅力は増長していくはず。

確かにAIでもいい曲は作れるかもしれないけど、私たちは曲というものを曲単体として受け入れているわけじゃなく、作る人や歌う人のストーリーにかぶせて聴いている。孤独に苦しむ人が宇多田ヒカルの書く「孤独」という言葉に救われるのは、宇多田ヒカル自身の孤独が背景にあることをみんな知っているからだ。AIに孤独とか言われてもあまり響かないでしょ?

 

何より、人と人が触れ合うこと、直接的に肌が触れ合うことも大事だけど、人が人と面と向かって会話することのエネルギーは凄まじいものがあります。

誰しも感じたことがあるでしょう?電話やメールとかじゃ得られない、直接対面交流による心の充足感というものを。

いわゆる今ある領域の職業の大部分が代替えされたとしても、人間が生きていく上に必要なのは、人間同士の交流であり、映画「マトリクス」のように人間が単なる電流配給装置にならない限り、そこには新しい職業が生まれてくるもんだと思いますよ。

 

そんなことをいろいろ考えながら番組を朝まで見てしまった。なんで面白かったのかな?と考えてみたら、あの回は政治家が一人もいなかったからだと気付いた。政治家こそAIでいいわ。

AIの話しているのに、途中で田原さんが全然関係ない安倍政権の話とかし出して、「おいおい、おじいちゃん、ごはんはさっき食べたでしょ! 」と言いたくもなったけど、ああいうのこそ人間じゃないと出ない味なのかもしれない。

プラットフォール効果というものがあります。人間は、間違いを犯したり、弱みを見せると、そういう人をより魅力的と感じるようにできているのです。

逆に言えば、完璧な人間なんていけ好かないわけですよ。

突っ込み、突っ込まれ。それの相互のやりとりこそが、コミュニケーションなんですよ。