ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

「話を聞く」という職業が生まれる

かつては、ツイッター上の炎上経営者として活躍した「ステーキハウス けん」の井戸実氏ですが、最近はめっきり噂を聞かなくなってしまいました。一時期は、「税金8000万円も納めているんだぞ! 」と鼻息も荒かったのですが、自店の食中毒問題以降いろいろ本業の方も大変そうです。

ところで、彼は「ニート嫌い」で有名で、炎上ネタのほとんどはニートに対する煽りだったわけですが、以前ツイッターでこんなことを言っていました。 

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要するに、「おっさんが説教するために金を払うイベント」であり、「おっさんの説教を聞けば金がもらえる仕事」です。

これ、今更ながらすごくいいアイデアだと思うんですよ。

誰もが経験したと思うんですが、上司とかの説教って本当時間の無駄というか、ウザいことこの上ないですよね。でも、それを「はいはい」と聞いていれば金がもらえるとしたらどうでしょう?まあ、仕事だと思えばいいと思いませんか?

一方、おっさんの側です。昔は、部下や後輩に対して思う存分説教(というか、ストレスのはけ口として、下の人間をマウントしてただけという場合も多い)しても問題ありませんでしたが、今では「説教すらもパワハラ」になる可能性があります。部下を思っての善意の説教でさえ、告発されることだってあります。

そんな時、こういうイベントは、まさに両者にとって「渡りに船」というか「WIN-WIN」の仕組みになりますね。

大昔は、年長者や長老の話というのは、その長い経験や豊富な知識に基づいた貴重な「知的コンテンツ」でしたが、今はそんなものはググれば済む話です。どこの馬の骨かわからない上司や先輩の話より、テレビに出たり本を出したりしている専門家の話を、Peatixでは3000円くらい出せば、直接聞ける時代です。聴くどころか、直接対話だった可能です。

こうして、普通のおっさんたちにとって、自分の承認欲求や達成欲求を満足させられる日常の機会は失われてしまったのです。

若い人は「別にそれでいいじゃん。何か問題でも?くだらねえおっさんの説教なんか無駄だし」と思うかもしれません。しかし、きみたちもいずれおっさんになるんです。

おっさんになるとわかりますが、悲しいかな、「若い人への説教」くらいしか自分の社会的役割を感じられなくなるおっさんも多いんです。

この欲求が満たされないとどうなるかというと、コンビニや飲食店の店員にがなり立てたりしてフラストレーション解消しようとするわけですね。それはそれで、全然関係のない人に迷惑の火の粉がかかります。

そんなおっさんのために、この「金を払えば若者が説教を聞いてくれる」というコンテンツは、まさに「おっさんのためのエモ消費商品」になりえるわけです。

エモ消費とは、承認と達成という精神的価値を満足させ、自己の社会的役割を確認するために人は金を支払うようになるという、僕独自の未来の消費形態です。 

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

例えば、おっさんが1時間説教する様を聴くイベントを、一人「▲3000円」で売り出せば?いいわけですね。参加者は3000円を払うのではなく、3000円を受け取れる。10人呼べば、おっさんは3万円を払って、思う存分若者に対して説教することができる。来たお客さんは、当然仕事ですから、おっさんの話に(内心、クソが! と思っても)うんうんと首がもぎれんばかりにヘドバンするわけです。メモを書きまくるわけです。

おっさんは精神的満足を得るし、若者は金を手に入れる。

いいことづくめじゃないですか。

勿論、すべて無言で聞くだけじゃなくて、おっさんの刺激になるような反論や質問をしてもいい。いい刺激となるようなことを言ったら、おっさんはまたチップを出してください。

幸い金はあるおっさんなら、こうして若者へ所得の再分配をすればいい。経済とはそうやって回していくもんですし、そもそもお金が回ることだけが経済じゃなくて、お金はあくまで共通の記号として使われているだけ。つまりは、気持ちや感情が(お金という形にのせて)回ることこそが経済の基本なんですよ。「情けは人のためならず」ってそういうことだし。

 

…とここまで書いて気付いたんですが、これってキャバクラやガールズバーと一緒でしたwww。

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でもね、こういうことってすごく大事で、「話を聞いてくれる」ということがこれからは商売になる時代になると思うんですよ。だって、これって機械じゃ代替えではないから。人間が聞いてくれるから、若者が聞いてくれるから、俺の話がどこかの若者の何かの役に立ってくれるとおっさん自身が信じられるなら、これに金を払う意味は大いにある。

言ってしまえば、「話す人を気分よく話させるように聞けるってことは価値がある」ってことなんです。

僕は、いろいろなメディアの取材を今まで受けています。数にしたら100人以上は取材する人にお話していますが、中にはとても気持ちよくお話させてくれて、話をしている途中で次々と話が膨らむ聞き方をする人がいる一方、まったく話をするモチベーションがあがらないような聞き方しかできない人がいることも確かです。

聞く力は能力ですし、才能だと思います。

そのうち「話を聞いてあげる」という商売だって成立するんじゃないかと思うわけです。プロリスナーってやつですね。

2005年頃、日本にもあった「結婚を金で買う」ということ。

中国での結婚事情が悲惨な状況になっています。

日本での結納金にあたる彩礼銭相場が高騰し、給料の3か月分どころか年収の10倍も払うようになってしまったのだとか。

3400万人(ひとつの国家人口並みの規模)もの男余り現象の中国ならでは。
もはや結婚はお金で買わないといけない時代になりました。

そして、かつて日本人も、結婚を金で買った男たちがいます。彼らの切なくも痛ましい末路についても書きました。フィクションではありません。事実です。ぜひご一読ください。

comemo.io

 

 

ちなみに、結婚の話とは変わりますがフィリピンは、セブ島など日本人に人気の観光スポットが多く、旅行客も多いのですが、ぜひ知っておいていただきたい事実があります。

それは、フィリピンは日本人の殺害事件が最も多い国です。過去10年でも、公表されているだけで40件ほどの日本人殺害事件が発生しています。

しかも、そのほとんどが射殺です。

直近の例では、2018年8月、フィリピン中部のセブ島で、市内で車を運転中の日本人男性が、バイクに乗って近づいてきた2人組に突然、銃で撃たれ死亡したという事件もありました。

フィリピンは、銃保持が合法化されていますし、密造の短銃は約2万円程度で簡単に手に入る社会です。そして、プロの殺し屋が存在しているそうです。

といっても高額な報酬は必要なく、記事でふれた20万円の報酬は高い方で、100ドルでも請け負う人がいるくらいです。金目当ての強盗もありますが、日本人が恨んでいる日本人を殺すために、わざわざフィリピン旅行に連れ出して、現地の殺し屋を雇って殺害依頼をするというケースもあります。

フィリピン旅行に行くなという気持ちはありませんが、フィリピンに限らず海外旅行に際しては、日本ではありえない事態があるということ。こういう事実も知った上で、行ってほしいと思います。

「なぜ?」を考えすぎるのもよくないよ

ライオンが水に落っこちてしまう動画がツイッターで話題でした。癒されます。

 

これを見て、落ちたライオンよりも、それを気遣う丘の上のライオンの姿の方に感動してしまった。明らかにこの友達のライオンは心配しています。

当たり前のことですが、言葉を持たない動物も、情動や感情があります。ペットを飼っている人なら体感していることでしょう。哺乳類だけではなく、鳥類も爬虫類でさえ情動や感情があると言われています。

うれしい、かなしい、腹立たしい、楽しい…。そういった瞬間的な反射的な情動だけではなく、記憶に基づく感謝や恨みの感情まであります。

 

だから何年も離れ離れになったとしても、再会した時に元の感情が湧きあがってくるわけです。

11年ぶりに育ての親に再会した引退盲導犬の姿をご覧ください。盲導犬は、引退すると老犬ホームか老犬ボランティアヘ行って余生を過ごすそうですが、希望によっては赤ちゃんから1年程度育ててくれたパピーウォーカーが引き取ることもあるそうです。

www.youtube.com

 

ちなみに、僕はこれ見て涙腺崩壊しました。

 

盲導犬にとって(もしかしたら犬とか猫とか全体的にそうかもしれませんが)居場所が重要なのではなく、一緒に行動を共にする人間との関係性が重要なんです。大好きな人と一緒なら、そこが山だろうと川だろうとコンクリートの中だろうと関係ない。自分を認めてくれる相手がいて、自分が何らかの役割を果たせることが大事。

これは、まさに人間界における「接続するコミュニティ」と同じです。

盲導犬の場合は、その関係性が強制的にかわってしまいます。最初は、育ての親であるパピーウォーカーの人、二番目は盲導犬としての訓練を受ける訓練士の人、そして三番目は盲導犬として仕える主人、最後、引退する時の余生の場所で世話してくれる人。

接続した人ごとに、盲導犬は自分の役割を果たすとともに、それを果たしている自分を認めることができます。そこには、情動や感情だけではなく、多分脳によって働きかけられた意識が強く作用しているのだと思います。

しかし、この盲導犬が最後育ての親に駆け寄った時は、情動だけが行動の原動力だったのではないでしょうか?冒頭のライオンの心配もそうです。脳の指令で駆け寄ったわけではないし、脳の命令で心配をしたわけではない。

情動とは、とかく本能的で原始的で反射的で、高等な行動ではないと言われたりします。だけど、人間をはじめ、すべからく動物なんてものは、行動の原理は情動=エモーションなのです。

情動は言葉ではうまく説明できません。理屈ではないからです。

情動で動くなんてなんて知能の足りない奴だ、とか言う人は何もわかっていません。情動こそが行動の原動力であり、思考なんてものは後付けの理屈にすぎないんです。

泣け! と脳が指令したから涙があふれるのでしょうか?転んだ子どもに手を差し伸べるのは、何か頭の中で損得計算した上のことでしょうか?ゴキブリを見て不快になるのは、かつてゴキブリがあなたにパワハラでもしたからでしょうか?

すべて理由はないんです。

理由がないまま放置することが人間にはできないので、後でもっともらしい理屈を必ずつけようとします。脳の働きとはまさに、解釈することです。

脳が何もかも決めているわけじゃないんです。能のアルゴリズムだけで人間が運用できるのならば、人工知能は完全な人間になれるはずです。理由なき情動とそれに伴う反射的な行動。それこそが人間、いや人間だけじゃなく、温かい血液の流れる生物すべてに共通する原理なのかもしれません。

僕たちは、とかく「なぜ?」と理由を探りたがります。理由を探り、結論を発見させることそれ自体が、脳の機能だからかもしれません。でもそれはあくまで後付けの理屈であって、安心するかもしれないけど、正しいとは限らないし、時代や地域がちがえば、その理屈も全く違うものになる、普遍性なんか何一つないものなんです。

あのブルース・リーの名言を思い出してください。

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「考えるな、感じろ! 」

 

そして、その名言を活用したほのぼのした曲もご紹介しておきます。

www.youtube.com

パワーカップルとプアーカップルという夫婦格差

東洋経済オンライン連載、更新しました!

今回のテーマは、「夫婦の所得格差」についてです。

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年代や子の有無関係なく、夫婦をひとかたまりの類型で見てしまうと気付きませんが、共働きが増えているといっても、その内情は、ほとんどが夫の年収の方が高い「妻の上方婚」で占められています。

婚活で「女性の上方婚志向」=「年収いくら以上じゃないとヤダ」という発言は、ともすれば男性側から非難されますが、現実の夫婦はきっちりそういう状態に収まっているわけです。

30代夫婦だけを取り出してみても、子有りと子無しでは大きく違います。特に、共働き30代子無し夫婦だけを取り出すと、所得の同類婚による夫婦格差が広がっていたことがわかります。いわゆるパワーカップル問題です。

未婚男性がよく「金がないから結婚できない」と嘆きますが、たとえ結婚したとしても、お金の問題はつきまといます。

toyokeizai.net

 

なんと、ヤフーの方ではアクセスランキング2位にもなりました。樹木希林さん、安室ちゃん、貴乃花という記事に交じっての2位! すごくないすか?(笑)

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ぜひご一読ください。

 

今回もたくさん読んでいただき、ヤフコメは250件以上いただきました。東洋経済の方のコメント欄はいつも通り読者層の問題か恨みつらみが多いので読まなくていいと思いますが、ヤフコメで面白かったのはみなさんがご自分の夫婦の状況をご報告してくれていることです。なぜなんでしょうwww

でも、こういった定性的な情報は参考になります。

夫は結婚が早かったし大卒ではないので、年収は低かった。でも共働きなので気にしてなかったなぁ。お金は生活できて、趣味が楽しめるくらいあれば良い。仕事を頑張ってくれて、いまは所得が高い方になりました。お金云々というより、気配りができる、先を見越して迅速に行動できるところが好きだし、結局そういう人は所得も伸びるんですよね。

→いや、多分こういう奥さんだからこそ旦那の収入が伸びたんだと思います。

自分は高校卒業後、30過ぎまで地方で親と同居の正社員で年収450位あったけど、朝6時に家出て帰宅は夜9時とかなので相手見つける暇も無く休日は独身貴族で自分のやりたい事を好きなだけやりたいまま楽しんでました。家に入れてても余って貯金も1000万円以上になりました。お金が全然無い若年者の意味が解りません。ようやく33歳で12歳年下の妻と出会って結婚しました。自由なお金は無くなったけど楽しい生活です。

→自由=幸福とは限りませんからね。

 

まさに夫婦共働きで年収500万。
働けど働けど税金税金で生活楽にはならないし、4人目が産まれるので不安しかない。育休明け戻らせてもらえる職場があるのはありがたいけど、
お金の悩みは尽きない。だけど、帰る家があって暖かくて子ども達の笑顔を見れるのは幸せだなって思う。その幸せの為に働いてるのは嫌ではない。

→4人目のお子さんとか。幸せそうで何よりです。

 

高校中退の30過ぎ、色んな職種の求人を見てきたが、経験なしにすぐに入れた会社はせいぜい250から350万くらいにベースアップする程度の会社。ボーナスなし、あっても寸志レベル。残業代なし、一日約12時間労働。退職金なし。今まで実際に入った4社は、求人に書いてあることは100%うそ、実際に昇給するのは10人に1人くらい。まったく所得が上がる見込みない会社で年収を上げようと思うと副業するか妻に働いてもらうしかない。しかしそれで収入が上がったとしても、時間はなくなるから、家事、育児の負担ストレスは増える。結婚から約7年やっと妻が正社員になったら世帯収入がやっと450万ほどに、その後家事分担がうまくいかず私は鬱に、妻はストレスで家庭に嫌気がさし家庭崩壊。それぞれ環境によってこの記事の内容より、もっと細かいレベルで各家庭で格差があるだろう。所得格差ある時点で同じ目線で話にならない。

→同じ世帯収入500万円近くでも上の方とは違いがでるようで…。夫婦いろいろですね。

 

一方で、独身上等! というソロ女からのコメントもあります。

独身時代から生活には一切困らない程度には稼いでいたので、少なくとも生活レベルを下げてまで結婚はしたくなかった。
自分より収入の低い男性と結婚する位なら、独身でいた方がいい。
予期せぬ自体で無収入になった時に支える覚悟はあるけど、最初から相手の収入ありきで生活するような結婚は嫌です。
選択子無し共働き夫婦で、生活費等全て折半して、貯金もできる。夫の稼いだお金は自分のものとは思ってないし、自分の欲しいものは自分の稼ぎで全て買います。
私が男性なら、結婚して生活レベルが下がる位なら、絶対結婚なんかしたくない。女性でも最低限稼げる努力能力が必要です。

 

かと思えば、専業主婦妻に対する愚痴を書かれる夫も。

俺の嫁は4年制名門女子大卒で大手銀行勤務だったのに、結婚後24歳で退職して以降一度も働いてくれない。一方の俺は3度目の海外駐在で今は発展途上国に単身赴任中だ。家計は全て俺が支えており日々プレッシャーを感じる。日本は男女平等ではない。実態は女が男をこき使って働かせる不平等社会だと思う。

 

夫婦の世帯を年収などのデータで分析したとしても、同じ世帯収入であったとしても、当たり前ですが夫婦それぞれ異なる物語が存在します。マクロ的な定量調査はそこまでは読み取れません。僕の書いた記事を読んで、それぞれの夫婦(または独身)の人たちが、自分を見つめ直し、幸せを再確認したり、はたまた不満を噴出させたり、いろいろな情動があっていいと思います。

ひとつだけ言いたいことは「他人と比較したところで意味はない」ということです。高年収共働き夫婦だからといって決して幸せとは限らないし、低年収夫婦が不幸だとも言い切れません。

結婚生活は経済生活であって「愛がすべて」なんて中二病みたいなこと言うのは、メルヘン脳の人に多いんですが、「金がすべて」というわけでもありません。

お金がなくても結婚はできますが、お金がないと結婚は続けられない。愛があるから結婚したという夫婦も、愛がずっと続いていくとは言い切れない。

そう思います。

 

売れない芸人と歯科女医のカップル。

 

結局さ、男だろうが女だろうが「金を稼いでいる事実」で相手をマウントするものなんだよね。「誰のおかげでうんたらかんたら」って定番の台詞は、言うか言わないかは別にして心の中ではみんなが思っているもんなんだろうね。

 

いずれにしても、結婚とは年齢も学歴も収入も同類婚が増加していることは間違いありません。同類だからこそ出会いの機会もあるし、知識的・金銭的価値観も合うからでしょう。だだ、同類縁がいきすぎることでの弊害もあります。それについては以前ここに書きました。

wildriverpeace.hatenablog.jp

自ら斃すべき壁となってくれる老人こそ素晴らしい

若者に対して高齢者たちが、「選挙に投票しないように」と呼びかけるムービーが、とてもいい! 

 

www.youtube.com

 

英語がわからない人でも、こちらの記事でわかりやすく解説されています。 

 

gigazine.net

 

これの何がいいって、おじいちゃんの役割ってまさにこういうことだよ! って思うからです。おばあちゃんは違うかもしれないけど…。

世代間対立なんてものはいつの時代もあるわけで、若者は常に老人が気に食わないし、老人は若者が気に食わないんです。それが当たり前。

むしろ大事なのは、そうした世代間対立がなぜいつも存在するのかという問いの方なんです。

老人が、常に分からず屋でやかましくて保守的であり続けるのは、そうした老人が若者に嫌われることで、若者の内なる動機を喚起してきたからではないか、と。僕はそう思います。

嫌われて、対抗心を育成するために老人は老人としての存在意義がある。そして、それが長い間の人類の新陳代謝を促してきた。

自ら斃すべき壁となってくれる老人こそ素晴らしいのだと思う。若者に好かれる老人なんて、尊敬に値しないのですよ。

逆に言うと、斃されることを恐れて、若者たちに好かれようとして、物分りのいい爺さんが増えることの方がむしろ害悪かもしれないし、老人やおっさんをダシに使って、若者に「わかるよ~」なんて言いながら、寄り添って(そういう風を装って)うまいこと騙そうとする大人(年齢関係なく)の方こそ、実は真の害悪です。

 

アメリカでは18歳~34歳の投票率が46%と高くないことが問題らしいのですが、日本は10代0.49%、20代33.85%なのでさらに深刻(2017年10月に行われた第48回衆議院議員総選挙)。

僕自身も政治とかには全く興味ないので他人の事はとやかく言えませんが、選挙だけはがんばって行こうとしています。

このムービーの意図は、基本的に「選挙へ行こう」というものですが、ムービー内には、老人からの素敵なメッセージが込められていますよ。

「不平ばかりを言うな!行動しろ! 」と。

ツイッターなど何万字の不平不満を毎日のようにつぶやくのもいいですが、そうした不平不満があるのなら、何か行動したほうがいいってことです。別に選挙じゃなくてもいい。政治的なことじゃなくてもいい。

例えば、「金がないから結婚できない」とか「女性は男の年収しか見てない」とか、そういうことをツイートしている非モテ男もいるんですが、そういう奴に限って何の行動もしていない。まず、街へ出ろよ、美容室行けよ、新しい服買えよ。本当に誰かとお付き合いしたいなら。

出会いなんていくらだって転がっている、マジで。

Peatix見れば、毎日のようにどこかでパーティーあるし、オフ飲み会もたくさんある。声かけられない?7割の男は声なんか掛けられないんだから問題ない。

お膳立てがほしいなら、婚活パーティーとか行けばいいじゃん。多少年収くらい低くたって、案外会って話すと関係ないことがわかるから。

今ならアプリもあるし、歩いているだけで勝手にスマホが相手とのマッチングを教えてくれるんですよ。なんなら良心的な結婚相談所なら親身になって相談に乗ってくれるぞ(但し、年収足切りのある酷いところもあるからご注意)。

でも、やんないんだよ、何言っても。

安全な自分の部屋の中で不平不満だけを言っている、その状況から抜けたくないから。「非モテは金がないから」を言い訳にしたいから。「結婚できないのは非正規だから」を心の鎧にしたいだけなんだよ。

言っちゃなんだが、年収200万以下で結婚している男なんてたくさんいる。非正規で結婚したている奴もたくさんいる。いや、なんなら正規で未婚男の方が絶対数多いから。

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行動しなきゃわからない。行動しないで老人になった人間は、若者から嫌われもせず、ただ透明な存在になるだけだぞ。

無傷の評論家なんかより、泥だらけの馬鹿になった方が笑える人生になると思いますよ。

貴乃花引退会見を見て、まだ傍観者でいられるのか?

貴乃花親方の突然の引退の報。びっくりしました。

こちらに貴乃花親方会見の全文が載っていますのでご覧ください。

 

www.sankei.com

 

簡単に説明すると、例の貴ノ岩傷害事件の真実に関する告発状を貴乃花親方が提出。その後部屋の弟子の暴力問題があり3月28日付で取り下げた。親方は降格処分を受け、一兵卒としてゼロからスタートするとした。しかし、8月、協会が依頼した外部弁護士から「告発状は事実無根」という書面が届く。親方は書面で告発状の内容は事実無根でないと説明したが、その後、認めないと親方を廃業せざるを得ないと有形、無形の要請を受けた。さらに協会理事会において、すべての親方は一門のどこかに所属しないといけない、しないと部屋を持つことができないとの決定がなされた。いずれかの一門に入る条件として、告発の理由は事実無根の内容に基づくものと認めるよう、言われ続けた。

…ということです。

貴乃花親方は言葉を選んで説明していましたが、要するに、「言う通りにしねえとお前廃業させるぞ」という協会の脅迫です。明らかに。

「告発状は事実無根」と認め、そのまま親方として残る道もあったでしょうが、親方の生き方がそれを許さなかった。弟子やスタッフの人生を最優先に考えたあげくの今回の引退の決断だったんでしょう。

これは、もう完全に、組織による個人に対する悪質かつ陰湿ないじめに他ならない。

集団に迎合しない個人を、集団の力で脅し、精神的に追い詰め、最終的にその心まで殺してトドメを刺す。相撲協会がやったことはそういうことです。それが、公益法人のやることでしょうか?

こんなものが許される団体や伝統など今すぐ消えてなくなれと思う。

相撲協会に限らず、こうした事例は一般社会にも横行している。こうした集団に反する単独行動を許さずに排除する行動はひとつのソロハラです。ソロハラとは、独身男女に対する「結婚しなのい?」という配偶関係に関するものだけではなく、組織における単独行動を許さないという部分も含みます。そのあたりについてはこちらの記事に書きました。

toyokeizai.net

 

組織としてのリスク管理のために、個人の身勝手な行動は許さないというのはわかります。そうじゃないと組織は機能しませんから。だけど、それと今回の一連の貴乃花のやったことは違うもの。むしろ隠ぺいしようとしたのは協会側であって、貴乃花は正義の内部告発者だ。

そして、組織を守るための行動と「いじめ」とも大きく違うはずだ。大の大人が、なんでその区別がつかないのか?子どものいじめがなくならないのはそういうところだ。

 

今まで貴乃花親方と行動を共にしてきた寺尾とかの親方衆はこれでいいの?あなたたちは傍観者ツラしているかもしれないけど、いじめにおいて傍観者は加害者と同罪だ。

貴乃花親方の精神状態が心配です。

 

割と真面目に思いますが、貴乃花親方は相撲協会とは別に、新相撲連盟でも作ったらどうかと思います。

それも女相撲で。

変な話「相撲である必要もなくて「SUMOw」でいいじゃない。最後のWはWomanのw。ワールドワイドに展開して、世界的な競技にしましょうよ。

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そういえば、「相撲の土俵に女性をあげるな」とかで一時問題になってましたね。「女相撲は江戸時代から明治の初期にかけてあった」という話が出ると、「あれは見世物としての興業。サーカスみたいなものであって神事としての相撲とは違う」と反論するジジイもいました。

神事ねえ。

あのね…、そもそも、日本の歴史上、最初の相撲というのは、女相撲だったんですよ。

日本書紀によると、当時決して刃先を誤らない工匠の木工にして黒縄職人の猪名部真根が「あっしはどんなことがあってもミスしません」という言葉にむかついた雄略天皇が、采女を呼び集めて、服を脱いで褌にさせ相撲を取らせたことがはじめ。それを見た猪名部真根が思わず刃先を誤ってしまう。雄略天皇はそれを見て、「でかい口叩きやがって、死ね」と猪名部真根を死罪にしようとしてったいう…なんともゲスい話です(結局、いろんな人が取り持ってくれて職人は赦免された)。

ちなみに、雄略天皇とは、政軍共に優れた能力を発揮してヤマト王権の力を拡大した英雄ではあるが、気性の激しい暴君的な所業も多く見られた。肉親すら容赦なく殺害し、反抗的な豪族を徹底的に誅伐するなど、自らの権勢のためには苛烈な行いも躊躇しない暴君だったと言われています。

イノシシも自ら狩ってしまう肉体派。

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神事とか堅苦しいことはどうでもよくて、そもそも相撲なんてそんなもんでいいんじゃないの?

伝統とか言いながら、こんな非人道的なことをやるくらいなら、雄略天皇のした女相撲の方がよっぽど人間味がある。

まあ、女相撲はともかくとして、もし貴乃花新相撲連盟をクラファンで立ち上げたら、応援する人間でありたい。そうなった時に、雪崩をうつように、親方衆が一斉に相撲協会に退職届を出し、心ある力士も共感する日本人であってほしい。このままの相撲協会なんて消えてなくなればいい。

 

咲くとは笑うこと。咲かせるとは笑顔を作ること。

「花咲か爺さん」って昔話、知らない人はいないと思いますが、詳細なストーリーまで覚えていない人も多いんじゃないかと思います。

ある山里に2組の老夫婦がいた。1組は心優しい老夫婦で、その隣人は欲張りで乱暴な老夫婦であった。
優しい夫婦が傷ついた子犬を見つけて飼うことにし、わが子のように大切に育てる。
あるとき犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始める。
驚いた老人が鍬で畑を掘ったところ、金貨(大判・小判)が掘り出され、老夫婦は喜んで近所にも振る舞い物をする。
それをねたんだ隣の老夫婦は、無理やり犬を連れ去り、財宝を探させようと虐待する。
しかし、指し示した場所から出てきたのは、期待はずれのガラクタ(ゲテモノ・妖怪・欠けた瀬戸物)だったため、隣の老夫婦は激怒して犬を殺害し、飼い主夫婦にも悪態をついた。
わが子同然の犬を失って悲しみにくれる夫婦は、死んだ犬を引き取って庭に墓を作って埋め、雨風から犬の墓を守るため、傍らに木を植えた。
植えられた木は短い年月で大木に成長し、やがて夢に犬が現れてその木を伐り倒して臼を作るように助言する。
夫婦が助言どおりに臼を作り、それで餅を搗くと、財宝があふれ出た。
それを知った老夫婦は再び難癖をつけて臼を借り受けるが、出てくるのは汚物ばかりだったため、激怒して斧で臼を打ち割って薪にして燃やしてしまう。
優しい老夫婦は灰を返してもらって大事に供養しようとするが、再び犬が夢に出てきて桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼む。
その言葉に従ったところ花が満開になり、たまたま通りがかった大名が感動し、老爺をほめて褒美を与えた(このときの台詞が「枯れ木に花を咲かせましょう」である)。
羨ましく思った隣の老夫婦がまねをするが、花が咲くどころか大名の目に灰が入ってしまい、隣の老夫婦は無礼をとがめられて罰を受ける(捕縛・投獄されるなど)。wikiより引用。

このお話で悪役の爺さんは、犬を虐殺したり、臼を叩き壊したり、まあ酷いことをするわけですが、案外この外道なジジイと同じようなことをやっている人も多いと思うんですよ。

結局、この悪い爺さんというのは、他人と自分とを比較して、いい思いをしている他人を妬み、自分もあやかろうと、ずるい行動をするってこと。しかし、それが実現できないとわかると、その他人の足を引っ張り、なんとか悲しい目や苦しい目にあわせて、それで溜飲を下げようとするシャーデンフロイデ(ざまあ、めしうまの心理)の気持ち。

そういうのでいくら刹那の満足感を味わったところで、いつまでたっても本当の精神的充足感は得られないのですよ。それどころか、そうやって行動すればするほど、自分の心の中に欠落感を生み出してしまう。むしろ、大きな不幸感を生み出す行動に過ぎない。

自分も得をしようと努力することは、別に悪くない。

ただし、人の物を横取りしたりして(現代でいえば、パクッたりすること)、何かを得ようとしたって、そんなもので周囲に承認されるはずもないし、自分の中で達成感も感じられない。あまっさえ、気に入らないからと他人の大事なものを壊したり(現代で言えば、他人の大切にしている価値観をけなしたりすること)して、「ざまあみろ」とほくそ笑んだところで、それで心が満足したと思うのは錯覚にすぎない。

みんな、この悪い爺さんほど酷くないにしても、似たようなことをやっていたりするわけです。

 

僕は、このストーリーの後半部分に注目したい。

枯れ木に花を咲かせましょう。といって良い方の爺さんは、灰を巻いてきれいな花を咲かせます。灰というのは、誰かに意地悪によって生み出された、苦しみや悲しみです。傷ついた心といってもいいかもしれません。

でも、この爺さんは、そうした痛みにちゃんと向き合って(灰だから何の役にも立たないと捨て去るのではなく)、この灰もまた人生の経験だと大事に使おうとするわけです。

灰を撒くって行動は一見無駄なわけです。生産性とかいいたがる意識高い系の横文字コンサルのジジイとかババアにすれば「全く意味のない行為」かもしれませんね。

 

でもね…

灰を撒いて花を咲かせる

 

これってどういうことかというと、失敗したことをネガにとらえずに、笑い話にしてみんなに聞かせて、みんなの笑顔を作ったってことじゃないかと思うんですよ。

花を咲かせる=誰かの笑顔を作ること。

 

「咲」という字は、もともと「笑」という字と同じ意味の漢字なんです。だから咲ふと書いて「わらう」と読み、咲みと書いて「えみ」と読む。そもそも口偏ですから。女優の武井咲さんの読み方もそうです。

 

花って笑っているように咲くって思いませんか?花が咲いている様(春の桜とか)を見るとみんな笑顔になるしね。

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咲くとは笑うこと。咲かせるとは笑顔を作ること。

 

一日中ツイッターに張り付いて、自分の価値観と違う連中を無理やり探し出してきて、屁理屈でこねて相手を詰めて「やってやったぜ! 」と一人部屋で笑う暇があるなら、外に出て誰かを笑顔にしたれよ。金を使ってもいいからさ。

人生なんてどんだけ多くの人の笑顔を作ったかで決まる。人を論破するだけの論理力と語彙があるなら、その力で誰かの「花を咲かせて」みなよ。

どうせ笑うなら、誰かを泣かして笑うより、自分の行動や言動によって生まれた誰かの笑顔を見て笑えよ。

そういう意味では、アイドルを応援するオタクとか立派。ちゃんと笑顔という花を咲かせている。

 

ちなみに、そうした本来の意味で「花が咲ふ」という表現が、万葉集にあります。

"道の辺の 草深百合の 花咲みに 咲まししからに 妻といふべしや"

意味は「道のほとりの繁みに咲く百合の花のように、私がちょっと微笑みかけたからって、舞い上がっちゃってなれなれしいんだけど、旦那。笑いかけただけであって、それで自分の女だと思うんじゃねえぞ。ゴルア! 」。

 

今でも通用する男あるある。女性からちょっと笑いかけられたりすると「俺に気があるんじゃねえか」と勘違いしがち。笑いかけられただけで、男はその気になってしまうもの。

この歌からもわかるが、つくづく昔から男は受け身だった。男はいつも女によって「花を咲かせてもらった」のかもしれません。日本最初のプロポーズは、女神のイザナミノミコトの方から言い出したことっていうのは拙著「超ソロ社会」にも書きました。ご興味あればぜひ! 

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