年末ジャンボ宝くじで思い出した父の話
年末ジャンボ宝くじって、最高賞金10億円にもなっているんですね。
とある資産運用のプロ的な方が「宝くじは貧乏くじだから買うべきじゃない」「構造的に損するようにできている」「寒空の中、わざわざ行列に並んでまで買う価値はない」とかさんざんにこき下ろす記事を挙げていましたが、随分と無粋なことを言うもんだと思います。
「ちょっと頭を働かせて計算すればわかる」とか「宝くじは貧乏人の税金」だとかまで書かれてあって、こういう人を見下す人こそが本当に貧しい人なんだろうなあと思うわけです。
うちの父の話をします。
といっても、もうずいぶんも前に亡くなっていますが…。
父は、毎年年末ジャンボ宝くじだけは欠かさず買っていました。1万円程度ですが。多分20年以上は買い続けていたろうなあ。
結果、大きな当たりは一度もなかったわけですが、思うに、あれって買った瞬間元は取っているんですよね。
当たったらどうしよう、とか思いを巡らせているだけで幸せになれるじゃないですか。宝くじでも貧乏くじでもないです。幸せくじなんですよ。
僕は、一回だけ父親に聞いたことがあります。
「もし、何億も当たったらどうする?」って。
「そりゃあ、おめえ、特上の寿司食ってだな…」
いろいろあげていましたが、大体20万円くらいで済みそうな話でした。
途中で聞くのをやめて、テレビを見てしまいましたが、誰も聞いてないのに一人延々と使い道を語る年末の父でした。
最近、世の中が結果ばかりを求めているような気がして、すさんでいるな、と思います。
どんだけ成功したか?どんだけ金を稼いだか?
結果を出した人は、その結果で人に承認してもらおうとします。それは別に当然だからいいんです。でも、結果ばかり追い求めているうちに、「結果のないあなた」をあなた自身が認められなくなっていませんか?って思うんですよ。
結果を出し続けているうちはいいでしょう。でも、いつまでも続くかはわかりません。結果をだせなくなった時点で、そういう人は自分を見失うでしょう。だって、あなたが認知していたのは、あなた自身じゃなくて、あなたが出した結果になってしまっているから。
結果だけを評価する人間は、大抵他人も結果だけで評価しがち。人を見ず、数字しか見てない。
人間には想像力があります。そして、想像している時って、ものすごく幸せな瞬間だと思うんですよ。「あれしたらどうだろう、こうなったらどうだろう」って。それが、夢であり、希望であり、喜びなんだと思う。
人生はスタートとゴールのふたつしかないわけではないんです。ゴール以外の楽しみがあるってことを忘れてしまった人たちって可哀そうだと思います。
失われた「愛を信じる心」、穴を埋める「金に頼る心」
東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」更新です。
今回のテーマは、「結婚において大切なのは、愛か?金か?」についてです。
よく言われることですし、決して正解のある問いではありません。今回は、日本の昔話「炭焼長者」とムンクの「接吻」という絵から、いろいろ考えてもらえたら、と思っています。
是非ご一読ください。
今回もいろいろコメントいただいています。ありがとうございます。
『恋は人を盲目にするが、 結婚はその視力を戻してくれる』
by リヒテンブルグ 視野が回復した頃に必要になるのがお金なのでは?
これは的を射た名言ですね~。
心にとって「愛」に価値はあるけど「お金」に価値はない。頭にとって「愛」に価値はないけど「お金」に価値はある。どっちを大事にしてるかで、その人の心と頭のバランスが分かる!「幸せ」は心にとって大事だが頭にとってはそうではない。「成功」は心にとって意味がないけど頭にとっては物凄く意味あること。従って、「幸せ」=「成功」ではないので、くれぐれも騙されないようにご注意くだされ!
ふむふむ…なるほど。勉強になります!
愛もお金も裏切る時は裏切るもんだ。どっちも過信するものでは無い。最も、世の中が盲目的に愛に価値を見出しすぎているせいで、世の中に愛という名のパチものが増えすぎている今の世の中、愛を信じられなくなるのは当然といえば当然。愛というものは人ひとりの力でも人を騙せるぐらいのパチものは作れるし、人ひとりの力量によっては人を壊すこともできる。とても脆弱なもの。そして人の価値観によって価値も大きく変質する酷く相対的なもの。虚構と欺瞞をいくらでも作れる世の中においては、もはやどれが本物でどれが偽物なのか、誰にも分からないものになっている。これで金より愛を信じろという方が難しいと思うのだけど。
哲学的です!
今回の記事の目的はみなさん個人でいろいろ考えていただくことでした。そういう意味で、長文のコメント数が多いのはうれしい限りです。
ツイッターなんかで見ると、圧倒的に「金が大事」という人が多いですね。
金金金金!どいつもこいつも金金金金言いやがって!私も愛より金を信じます!💸
— 血煙のしのあき🇫🇷 (@shinoakiSGR) November 19, 2018
未婚者が「愛」より「金」を圧倒的に信じる理由 はたして結婚において大事なのはどちらか | ソロモンの時代―結婚しない人々の実像― - 東洋経済オンライン https://t.co/rFLOt9tluy #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより
これくらい言われると清々しさすら感じます。
その他のコメント
男は金を気にせずに私と結婚して養え!それを主婦目線では「愛」と呼びますw
うん。まあ、そういう考えもあっていいです。
そもそも働くこと(稼ぐこと)が愛だろう
おれは愛がないので収入全部おれのもんだけど
こういうオチコメント、好きですwww
知らないものをどう信じればいいというのか
お、おう…。愛のことですね?それはそうかもしれません。
お金の力は知っているけど、愛の力は知らないから。
そういう人が多いんでしょう。というより、愛なんて本当に知っている人がいるんでしょうか?知ってるつもりになっているだけでは?
いざ言葉にして書こうとすると、漠然とした愛の概念に気付かされるのではないでしょうか。
さて、高橋留美子さんのマンガ「めぞん一刻」にはこんな言葉があります。
「お金じゃ愛は買えないけれど、お金があったほうが愛が潤います」
お金というのは自分というエンジンを回す燃料であり、愛というのはオイルのようなものではないでしょうか(エロい意味ではないオイル)。燃料とオイルがあってはじめて、あなたのエンジンは動き、そこに誰かを乗せて連れて行ってあげられるのです。
愛はなくても金があれば生きていける(燃料さえあればとりあえずエンジンは動く)も真実ですが、愛がない生活を続けているといつか心がオーバーヒートしちゃうのでは?
ちなみに、ここでいう愛とは、男女の愛とは限らない。
幸せな結婚相手を見つける公式はあるのか?
婚活中のみなさまへ
幸せな結婚相手を見つけるためには、何人の相手と出会って、何人目の人と結ばれるべきか、ご存じですか?
たとえば、こんなお見合いがあったとします。
あなたは、総勢10人の相手とお見合いができます。お見合いは一人ずつ順番です。ただし、一人のお見合いが終了した時点で、あなたは相手にYESかNOの返事をその場で下さないといけません。一度NOと言った相手は復活できません。
ここで具体的に顔写真とか例を出した方がわかりやすいのですが、いろいろ支障もあるので、脳内妄想してください。
そりゃ出てくる相手と順番によるだろう。と言われるかもしれませんが、これにはえらい学者の先生が計算した鉄壁の公式があります。
答えは、4番目の人です。
これは、マーティン・ガードナーさんという偉い学者さんが、小難しい計算式を使って導き出した「36.8%の法則」によるものです。
要するに、
ベストな戦略は、候補全体の36.8%に達するまではお見合い続けることです。ただし、この割合を越えるまで(つまり3人目までは)、結婚する人を決めてはいけません。
つまり、最初の3人は、4人目以降の決断のための基準ということです。3人の中で一番は決めておきます。その人を仮にAさんとしましょう。
そして、4人目以降の中で、Aさんを上回る人がいたらその場で即決する。それが、計算上の確率では、一番ベストな選択になるんだそうですよ。
え?でもさ、そもそも3人の中に一番いいのがいたらどうすんのよ?
って思いますよね。
違うんですよ。3人は候補じゃなくて基準と割り切る。この中にはいないと信じることが大事なんですってよ。
現実に、そんなお見合いはありえませんけど、リアルに考えるのであれば、4人目以降にお付き合いする人は、その時点で過去3人よりよいと感じたら、その後はそれ以上の相手はでてこない可能性が高いってことです。
残り物には福はないのです。
つーか、基準となる3人ですら付き合えてない場合はどうすんの?
いやいや、それ以前にこっちが付き合いたいゆうても、相手からNOくらいことだってあるよね?
そもそも、こんな理屈とか理論とか言ってる頭でっかちの時点で終わってね?
ソロが長くなると、理論の話をしても、ネガティブな返しが多くなってしまって困ります。まあ、この理論はあくまで恋愛強者のためのものであって、恋愛凡人はあてにしない方がいいかもしれません。
そもそも結婚された方は、何番目に付き合った人と結婚したんですかね?
図星付かれると人は攻撃的になるよね
書きました。
「所属感のない孤独」を感じている多くの人達に読んでいただきたいと思います。未婚者とか狭い範囲の話ではありません。若者も高齢者も、結婚している人もすべての人に当てはまることだと思います。
大事なのは、「安心な場所を探す」ということではなく、「いつでもつながれる誰かがいるって信じられる」ってことじゃないか、と。
孤独を悪とか病気扱いする一部の人たちがいますが、そう思えてしまうあなたこそが孤独なんではないのか?と思うわけです。
以前「週刊東洋経済」に取材され、インタビュー掲載されましたが、言いたいことの1割も掲載されていなかったので自分で記事にしました。
ぜひご一読ください。
おかげさまで凄い読まれてます! 東洋経済でもヤフーのランキングでも1位です! ありがとうございます!
実際ツイッター上では「元気になった」とか「モヤモヤしていたものが言語化されてすっきりした」とか、少しでも「孤独は悪者」みたいな言説に苦しめられていた人の救いになったようでうれしいです。
1人でも「寂しくない」未婚者が増える背景 はたして孤独は全員に共通する悪なのか | - 東洋経済オンライン https://t.co/sJC1PP8F1N #東洋経済オンライン @Toyokeizaiから
— レアチーズケーキ (@pedonokusa) November 6, 2018
共感しすぎて爆発した
私もずっと居場所がないと感じて生きてきたけど、どこかに無理に所属することで、もっと孤独になった気がする。
— Reiko@Toya (@reikotoya33) November 6, 2018
孤独は悪いことじゃない。
1人でも「寂しくない」未婚者が増える背景(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース https://t.co/GUOnSYeFQk @YahooNewsTopics
1人でも「寂しくない」未婚者が増える背景(東洋経済オンライン) https://t.co/3uP16PEo10
— さかいもも (@sakai_go_go) November 6, 2018
とても良い記事だああああ 自分が考えていたことにヒントを与えてくれたかのよう
タイトルはアレだけど
— まる (@Maru127Younx) November 6, 2018
自分が思ってることを少し肯定してもらえた気分
1人でも「寂しくない」未婚者が増える背景(東洋経済オンライン) https://t.co/96pazlHxxa
それにしても東洋経済のコメント欄は毎度酷いのですが、今回はまた輪をかけて凄まじいカオス。しかも160件も来た。
全コメント読みました。周りからはコメントなんか読まなくていいよと言われますが、僕は基本全部読みます。中にはとても考えさせられるコメントもあり勉強になるからです。ヤフコメは1000件来たので読むの大変でしたが。
ですが、大抵そうしたまともなコメントは一部で、大多数はよくわからない。ホント~に何言ってるのかわからないコメント多くて、今回は特に酷い。
そして、一体何に対して憤慨しているんだろうか?別に個々人がどんな価値観もとうが、意見もとうがいいんですけどね…、
なぜああいう分断するような物言いしかできないんだろうか?
なぜ自分が正しいといわないと気が済まないんだろうか?
なぜ相手は間違っていると決めつけるんだろうか?
自分が家族を持ったり、仕事や趣味の所属するコミュニティの中で、孤独じゃないならそれでいいじゃん?なぜ、所属じゃなく接続したいだけの人や、一人で過ごしたい人をDisる必要があるわけ?誰かが一人の時間を過ごしたいという気持ちを持つことが、あなたになんか迷惑かけたわけ?
わかりますよ。本文に書いた僕の言葉が図星すぎて、頭にきちゃったんですよね、おじいちゃんたち。
はっきり言うけど、
孤独なのはあんたらだよ! 結婚していようが、家族がいようが、孤独に怯えているのはあなたたちだ。
1000件を超えたヤフコメの中から、僕が言いたいことを代弁してくれた素敵なコメントがありましたので引用させていただきます。
この記事は「だから一人でいいんだ」と独りを積極的に推進してる訳ではなく、孤独に苦しんでる人に「無理に何かに所属しなくても幸せになれるよ」という意味。むしろ孤独に苦しむ人が増えるのは流れとして当たり前と言っている。それぞれメリットデメリットがあって当然。
孤独は病ではない。病と考えてしまう人が孤独なのだ。
週刊東洋経済11/3号「孤独という病」という特集にて、インタビューが掲載されました。
それにしてもインパクトのある表紙だ!
以前ここでも書きましたが、歌手安室奈美恵さんのファンを事例にして「インサイドコミュニティの充実が大事だ」というお話をしました。
よろしかったら(立ち読みでいいので)ご覧ください!
人には自分の外側にあるアウトサイドコミュニティとは別に、自分の内面にインサイドコミュニティがあります。
アウトサイドコミュニティとは、文字通り外の世界にいる他人とのつながりです。インサイドコミュニティとは、自分の内面にある、多数の自分自身が存在しているコミュニティを指します。
人は誰かとつながることで、無意識に「その人によって生まれた新しい自分」を生み出しています。たくさんの人とつながれば、それだけ多くの新しい自分が自分の中に芽生えるんです。それを僕は「自分の中の多様性」といっています(拙著「超ソロ社会」に詳しく書きました)。
インサイドコミュニティについてはこちらの記事を参照ください。
孤独対策とかでよく「友達を作るべき」とか「趣味を持つべき」とかよく言う人いるんですが、まったくわかっちゃいないなと思うわけです。友達も趣味も、努力して見つけ出したりするものではなく、気付いたらそこにいる/あるものです。
大体、簡単に友達が作れるくらいなら孤独に苦しんだりしないよ。
趣味なんてものは内面から沸き起こる気持ちによってやるものであって、義務感とかでやったところで何も楽しくないし、むしろむなしいだけだよ。
友達なんかいらないし、無理やり趣味を作る必要もない。
友達を作るために人とつながねんじゃないんですよ。すべては自分の中のインサイドコミュニティを充実させるために人とつながるんです。そして、それが充実してくれば自然と友達なんてものは周りにいるもんです。
心の空虚感を埋めるために無理やり趣味なんか見つけなくてもいいんですよ。人とコミュニケーションとるのが苦手なら、本や映画とつながりましょう。散歩をしましょう。どこでもいいから一人で店に入ってみましょう。ひとり旅をしてみましょう。そういう行動を積み重ねていけばいいんです。
時間を忘れて没頭できるものが趣味です。だったら生きることを趣味にしましょう。それでいいんです。
僕は、孤独を悪扱いしたり、病気扱いをする人間をとことん軽蔑します。孤独じゃない状態と孤独である状態とを善悪にするような二項対立論も大嫌いです。
白と黒しかないわけじゃないんですよ。「孤独じゃない人間」と「孤独な人間」なんて二種類に分けられるはずもない。誰だって孤独でさびしいと感じる時もあるし、逆に一人になりたい時だってあるんです。
孤独を病気とか悪とか、必要以上に恐れ、嫌悪する奴こそが本当は孤独なんだと思うよ。
孤独は病なんかではありません。病だと考えしまう人が孤独なのだ。
状態として一人でいることと心が孤立してしまうこととを混同させてはいけない。本当に苦しいのは、周りにたくさんの人たちがいるのに疎外感を感じてしまうことだ。
状態として一人であることを極度に怖れて、無理やり群れようとしてしまうことの方が病気じゃないかと思う。