「男ならおごるのが当たり前だ」と主張しない女性が結婚している
東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」#26公開しました。
今回のテーマは、ネットでもよく話題になる「デートでは男がおごるのが当たり前か?」論争についてです。
女性は「男がおごるべき」とみんなが考えていると思いますか?
ソロもんラボによる2万人調査の結果、決してそうではないことがわかりました。むしろ「男がおごるべき」にとらわれているのは男の方なんです。
今回は30代のソロ女の座談会での生声をベースに、ソロもんラボの新キャラクター「ソロくん」と「もんちゃん」の漫画でお送りします。
続きは本文でどうぞ!
好評のようでしたら漫画のシリーズ化も検討しますので、ぜひ東洋経済の記事の方にたくさんの「いいね」をお願いします。作画された"くるくる天国"さんも喜ぶと思います。よろしくお願いします!
まあ、でもこの「デートでは男がおごるべき論争」はいつも男女ともに意見がかみ合わないものです。
かつてトイアンナさんが、サイゼや吉野家にデートに誘われたら即効切るというツイートをして話題になりました。
女性はサイゼだろうが吉野家だろうが初デートに誘われたら「うん…」とついていき、それなりに楽しそうに振る舞い、帰ってから「ありえないよね?」と友達に確認して静かにフェイドアウトするので男性はデートの改善点を永久に指摘されないという問題がある。
— トイアンナ (@10anj10) 2017年11月12日
フォロワーの多いこういう方のこういう意見が女性の大多数だと思うのは間違いです。別にトイアンナさんの価値観は否定しないし、こういう女性数多く見てきたし、「ご自由にどうぞ」なんですが、調査すると「絶対に男におごられたくない」という女性や「チェーンの居酒屋だろうがファミレスだろうが全然問題ない」という女性もいます。
どっちが正しいという問題じゃないんです。むしろ噛み合わなくて当然くらいに思っておけばいい。
ただし、そもそも素朴な疑問なんですが、「誰と行くか」が重要であって、「どこに行くか」とか「何を食べるか」ってそんなに重要なんですかね?高級なフランス料理が食べたいなら女子会でもいいのでは?自分で金を払いたくないというだけなら、そもそもそれってただ飯狙いでしかないからデートですらないとも思う。
案の定、ヤフーの記事のコメントは340件以上もきました。ほとんどが「おごり」「おごられ」についての反応です。
たとえば、こんなコメント。
わかってないね。
意識と感情が一致しないのは女性も同じ。座談会のような場で意見として割り勘を主張しても、それは彼女の「意識」。いざ実際に割り勘にされると胸の奥から急にモヤモヤした「感情」が湧き出てしまう。これが女心の難しいところです。それがわかっている男は「絶対に割り勘にしてください」と言われても絶対に真に受けない。女は「私は本当に払いたいんだけれど彼が払わせてくれないの♪」で満足。これで一見落着。
なかなかのポジティブ思考で素敵です。感情と意識が本音と建前のように違うというのもその通りでしょう。
しかし、この男性はそそもそもデート時に女性の方が「絶対に割り勘にしてください」という本質をご理解されているんでしょうか?「お前なんかにおごられて借りを作りたくないんだよ(2度と会うつもりないからな)」と考えているとは露も疑わない純粋な人なんでしょう。仮にこの方のいうように無理やりおごったとしても、それはそれとして、彼女はおごってもらったことすらすぐ忘れています。
こんなコメントもきました。
私も旦那と結婚するまでは割り勘派だったなー。
ラブホ代すら。。^^;
たぶん別れる時にこちら側がアッサリサッパリ別れたかったからだと思う。
化粧代や服代とか言う人いるけど、化粧や服ってあくまで自分好みで自己満の世界だし、男子も車出してくれたり送ってくれたりあるしね。ちなみに奢ってくれると分かってる人とゴハンする時は、その人が一人暮らしなら美味しいパン、実家暮らしなら母受け姉妹受けしそうなお菓子を「おもたせ」的な感じで用意してデートに行ってた。勘がハズレて奢ってくれなかった時は持って帰って自分で食べた。笑
いいですね。ほっこりします。
この方は既婚者です。こういう性格の方だから結婚できたとまで断言しませんが、「お互い様」という意識や「思いやり」意識があるかないかは重要です。
そんな中、とても主旨を理解してくれているコメントもきました。
コメント欄は奢りと割り勘の話で一杯ですが、記事の主旨は「男らしさ規範」が男性を息苦しくさせている、と言う事ですよね。男性が女性より上位であろうと無理をする必要はなく、男女が対等に相手を思いやる関係を築けば、お付き合いや結婚はもっと身近で手が届くものになる、ということですね。
その通りです。わかっていただきありがとうございます。でもいいんです、こうやってコメントが賑わうということ自体が、「問いとしての記事」の価値があるという証明ですから。
よくよくわかったのは、この「おごり」vs「おごられ」論争でわかるのは、それぞれの「他人に対する思いやり意識」の有無だったということ。
そのほかにも、今回突っ込みどころのあるコメント多いので、この「おごり」「おごられ」論争についてまた書くかもしれません。
ノージタバタ ノーライフ!
プレジデントオンラインにあった以下の記事を読んだ。
このお坊さんは、塩沼亮潤(しおぬま・りょうじゅん)さん。慈眼寺のご住職で大阿闍梨(あじゃり/サンスクリットで「軌範」を意味し、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のこと)というとてもとても偉い人らしいです。
プロフィールを見ると、99年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行したとかで、よくわかりませんがすごい人らしいです。
不安や心配、不平不満といった心の動きは、自分の外側からもたらされることに対する反応です。外的環境は、自分ではコントロールすることができません。そんな人生の「どうにもならなさ」を、どうにかしようと思わないことが実は意外と重要です。自分の思いどおりにならないことに対して、どうにかしたいと思う心のとらわれを今すぐ手放しましょう。
なるほど。どうにもならないことをどうにかしようとすることが間違いだと。
それはわかります。その通りです。
実は人生の「幸せ」や「不幸」というのはすべて自分の心の持ち方次第で決まるものなのです。
まあ、そうだよね。
そして最後に日々継続したい4つの心として以下をあげています。
嫌なことはさっぱり忘れる。
取り越し苦労はしない。
置かれた状況を受け入れてベストを尽くす。
そして、結果がどうあっても、それをいつまでも心に残さない。
(´・ω・`)
まあ、その通りだけどさ、それができたら苦労はしないよね。
人間だもの!
嫌なことがあればイライラするし、なかなか頭の中から離れてくれないし、ふと突然思い出してはまたイライラするし…。
あーでもない、こーでもないって心配することだってあるし、むしろ、何も心配しないで突き進むと大けがすることだってあるし…。
置かれた状況を受け入れるっていうけれど、そもそもスタートラインからして公平じゃないことなんて世の中にはたくさんあるし…。
結果がどうあっても…っていうけど、どんな結果でも関係ないっていうんならそれって…
生きてるって言えるの?
「ありのままを受け入れる」とかいえば良さげな言葉に聞こえるけどさ、それって本当に楽しいの?
だったら、生きるって何さ?
生きるって、人生の瞬間瞬間に感情を生み出すことじゃないの?
すべてを「しょうがない」で片づけてしまわれたらそれこそ「しょうがない」のでは?
生きていれば、いろいろ「しょうがなくない」こともたくさんあって、そうした時にジタバタしてしまうのも泣き叫ぶことだって生きている証だし、結果それによって心を強くすることもある。何よりそうやってジタバタした方が人生を面白くするんじゃないのかな?
ノージタバタ ノーライフ!
ペリー来航だけで幕府が開国したわけじゃない「知られざる物語」
学校で学ぶ歴史って本当の話じゃなかったり、はしょられているから事実関係が曖昧になったりしますね。
「幕末、黒船がやってきて日本が大騒ぎになる」というシーンは、僕たちは今までテレビや映画などで何回も見たからそれが事実だと勘違いしてしまう。案外、中学くらいまでの社会科の先生でさえそれが真実だと信じている人多いかもしれませんね。
朝日新聞デジタルに以下のような記事があがって、ちょっと話題になりました。
「黒船」という言葉には、日本人が初めて見た蒸気軍艦への恐れと強い関心が伝わってくる。日本を開国させた歴史的事件として 語られる米国ペリー艦隊の来航。だが、知られていない事実も数ある。1853年7月、ペリー艦隊が姿を現した江戸湾では、 黒煙を吐いて走る異国船をひと目みようと、「黒船」見物ブームが起きたという。艦隊は突然やってきたと多くの人が受け取ったが、実は幕府は1年前に来航を予告されていた。 (2016/11/6 朝日新聞デジタル)
そうです。これは事実。幕府は黒船が来ることを前もって知っていました。
チクったのはこいつ。長崎出島のオランダ商館長のヤン・ドンケル・クルティウス。
アメリカが来る、しかも砲艦外交(軍事力の威嚇的な行使を背景として圧力をかけながらも外交交渉で合法的に政治的目的を達成しようとするという強制外交)で来るってんで、ヤンさん焦った。先に日本とオランダとで通商条約を締結して開国すべきと提案したんですけど、それは拒否されるんですね。結局、ペリーが来て日米和親条約を結んだあとに「おれも、おれも」と言って条約を締結するわけです。
だとしても、ペリーが来て開国したのは間違いないんだから、「来ることを知っていた」くらい些細なことじゃない?そう思いますか?
いやいや、なぜペリーが来た時に日本が折れたのか?はそれまでに至る経緯を知らないといけないんですよ。黒船に腰を抜かして条約締結するほど幕府の人たちはアホじゃありません。
そもそも、ペリーが日本に来た最初のアメリカ人ではないんですよ。
その前にアメリカ人は何人も何回も日本を訪れています。ペリーが浦賀に来たのは1853年ですが、1797年にアメリカ船がオランダ国旗を掲げて(アメリカだと入れないから)出島に来航、そこで貿易を開始しています。しかも、1809年(文化6年)までに13回も。
そして、一番重要なのは、ペリーが来航以前にロシアがやってきて、ペリーと同じような要求をし、そして戦争になりかけた事実があることはあまり知られていません。
鎌倉時代にモンゴルが攻めてきたことを「元寇」といいますね?この時期ロシアによって日本も襲撃されていて、それを「露寇事件」といいます。
1792年(ペリー来航の60年以上も前!) ロシアのラクスマン、根室に来航。通商を求める。
ラクスマン「ねえねえ、僕、江戸に行きたいんだけど」
当時の幕府の老中は松平定信。寛政の改革真っ最中。そして当然困惑します。
「やべーどうするよ」
結局、定信はラクスマンの通商要求を拒絶するんですね。その代わりに、長崎への入港許可証付与します。要は、時間稼ぎみたいなもんです。当然、ラクスマンは怒るかと思いきや、満足して帰国しちゃいます。
ひれには定信もびっくり。
定信「え?マジ?帰ったの?ラッキー!改革続けようっと!」。
しかし、そんな喜びもつかの間、翌年1793年 松平定信は失脚してしまいます。
そして1804年 その入港許可証持って、ロシアのレザノフというやつが長崎へ来航します。
レザノフ「約束通り、通商しに来たよ(わくわく)」
しかし、幕府はここでも半年もぐじぐじと返事しません。レザノフはほぼ拘束状態です。最終的に、通商拒絶とレザノフたちに国外退去を命じるんです。強気です。
しかし、レザノフはラクスマンと違い、激怒します。
レザノフ「話が違うじゃん!お仕置きだ!」
報復を決意したレザノフは、1806年 ロシア軍艦に指示を出し、樺太を襲撃します。これが、文化露寇事件というやつです。
続いて翌1807年 ロシア軍艦、択捉島も襲撃します。日本の守備隊はただ敗走するのみ。
その報せは江戸にも届きます。幕府は当然うろたえます。当時読まれた歌があります。
「蝦夷の浦に 打出でてみれば うろたへの 武士のたわけの わけもしれつつ」
有名な「田子の浦に」の歌のパロディですね。
しかし、当時の幕府はまだまだ力も意地もありました。即効でロシア船打払令を出すんですね。次、ロシア船が来たらやってしまいなさいという命令です。
「マジ、戦争だ!」
幕府は本気でした。幕府の命令で、津軽、南部、秋田、庄内藩の兵3000名が蝦夷地に派遣されます。次、ロシア軍艦が襲撃してきたら、本当に日露戦争が起きていたはずです。
しかし、その頃、幕府の知らないところで、レザノフ、勝手に病死してた。同時に、襲撃したロシア兵は、ロシア皇帝によって投獄されてた。
「お前ら勝手なことすんな」と。ロシアもただの無法者ではなかった。
そんなことで、もう、いくら待ってもロシア軍艦は来ないんです。でも、そんなこと知らない幕府は来ない敵をずっと待ってた。
そうこうするうちに、悲劇が起きます。津軽藩士殉難事件といわれます。警備の津軽藩の兵たちが厳しい寒さの冬を越えせず死亡してしまうんですね。可哀想に。
明治の日露戦争前にも八甲田山で対ロシア戦に備えた雪中行軍をやって多くの兵隊が死にましたが、あれと同じようなことがすでに起きていたんです。高倉健主演で「八甲田山」という映画にもなっています。
この映画は名作なのでぜひご覧になってください。
江戸時代に戻ります。
そんな事件があっても警備は解除されません。津軽藩だけじやありません。他藩も疲弊します。そりゃあ辛いです。いくら待ったって敵なんか来ないのに、寒いところで耐え忍ぶんですから。
1808年 たまりかねた松前奉行が幕府に上申します。
「もう、つらいっす。やめていいすか?」
これ普通に書いてますけど、今でいえば、青森の市役所の課長さんが直接総理大臣に直訴するようなもので、当時の幕藩体制からいったらあり得ないことなんです。
幕府も簡単に許します。「好きにしてよし」
まあその後1811年にロシア人ゴローニン捕縛事件があったりもしたので、警備自体は続いていたようですが…。
その後ペリーが1853年に浦賀に来るまでに、1808年にはフェートン号事件、1824年の大津浜事件と宝島事件が起きイギリスと揉めます。遂には、1825年には異国船打払令が出さるんですが、1837年に起きたアメリカ船を砲撃してしまったモリソン号事件をきっかけに異国船打払令は廃止されることになります。なぜなら、モリソン号は日本人の遭難者を日本に送り届けるために来た船だとわかったから。人道的に「異国船打払令ってどうなの?」と思ったわけでしょう。かわりに遭難した船に限り補給を認めるという薪水給与令を出してます。
当時の幕府は老中阿部正弘政権でしたが、それでも外国船の出没が頻繁になったために、打払令の復活の可否も議論されていました。結局、沿岸警備の不十分さを理由に、打払令の復活はなしと決めます。あきらめちゃったわけです。
そんなときにオランダから「来年アメリカが脅しにくるよ」と伝えられてのペリー来航なんです。
いきなりじゃなくて、こういうたくさんの経路を踏んだうえでのペリー来航なので、幕府の本音としては「もう開国しないとおさまらないかもね」と思っていたと思うんですよ。
そんな事実を知った上で、改めて「黒船来航」という事実を見ると違った歴史の一面が見えてきたりしませんか?
正しいと思っていた歴史の真実「ちょっと違うよ」シリーズ
特攻は拒否できなかったはウソ
未来を作る奇跡のコミュニティの形
先週末京都に行きました。
打ち合わせなどいろいろ用事はありましたが、メインはNewsPicksのオフ会に参加するためです。といっても非公式なオフ会なんですが、参加者がなんと140人という大規模なもの。
会場は京都ロイヤルホテル&スパ。
NPでおなじみの牧野正幸さんの講演や、佐山展生さんとムーギーキムさんのトークセッションもありという、もはやオフ会とはいえないレベルの立派な内容です。
ムーギーキムさんの話術は超絶勉強になった。いや、僕自身プレゼンや講演は結構やっているのでトークには自信ありましたが、まだまだ修行が必要です。
また、普段コメント上でしか知らない方と直接交流とお話しすることができて楽しかったです。「いつもコメント見てます」とか言ってくれた人もいて、うれしいもんです。
4次会まで行きました…汗。
へろへろです。
京都のオフ会はこれで3回目?ということで定番化しているようですし、東京、札幌、名古屋、新潟など各地でたくさん開催されているようですね。
こういったオンラインでのつながりが、オフ会を通じて「温もりのあるつながり」に昇華していくのはとっても大切なこと。
みんな普通に暮らしていたら一生会えなかったかもしれない人たちです。
年齢も職業もバラバラだし、学歴も育ってきた環境も違います。だから、考え方や価値観もそれぞれ違うでしょう。ですが、NPという場でコメントやいいねで交流をしているという一点だけで、そういった垣根を一瞬にしてなくしてしまう力があります。それこそが従来のコミュニティとは違う新しいつながりの形なんだと思います。
キンコン西野さんの作った「おとぎ町」というコミュニティもそうですが、さっきまで赤の他人だった者同士が、瞬時に打ち解けられるというのはある意味奇跡のコミュニティだと思います。
それからおとぎ町もそうですが、NPのオフ会もぼっち参加の方が多かった。それでいいんです。ぼっちで参加しても友達になって帰れる場所。それが奇跡のコミュニティたる由縁です。
ちなみに、従来のコミュニティとは、地域・家族・職場による共同体でした。地の縁、血の縁、職の縁によって作られたコミュニティ自体、人々の安定と安心を約束してくれたものでした。しかし、社会学者バウマンは、それらは溶けてなくなると言います。
地域・職場はともかく家族はなくならないだろう?
甘いです。
もちろん家族という単位自体はなくならないでしょう。しかし、家族の単位がどんどん縮小され、子の数も減れば、一単位としては弱いものになっていきます。かつては大家族だったり、地域の結びつきがそれをサポートしてくれたり、戦後日本の高度経済成長期は会社がある意味「家族」のような役割を果たしてくれました。
でもそんな時代は過ぎ去りました。
家族が家族だけを頼りにしていては立ち行かなくなるんです。
ちなみに、安倍政権は憲法の条文を改正してまで、「家族のことは家族の自己責任」にしたがっていますが、あれはとんでもないことです。一部の高所得夫婦による家族は別にそれでもいいでしょうけどね。家族の大半は世帯年収300-400万で切り盛りしている人たちてです。その所得で子ども1~2人を育て上げているんです。無理じゃないけど大変です。
独身税だとか子無し税だとか、やたらと批判にさらされる独身者や子無し夫婦ですが、そういった人たちと家族が分断してしまってはいけない。
ご近所付き合いだけじゃなく、職場の仲間だけじゃなく、もって広い範囲でゆるいつながりの拡充が必要になります。個人個人で。
米国の社会学者マーク・グラノヴェッターは「弱い紐帯の強さ」を提言しています。
「弱い紐帯の強み」とは、社会的つながりが緊密な人より、弱い社会的つながりを持つ人のほうが、有益で新規性の高い情報をもたらしてくれる可能性が高い。
「弱い紐帯」に対する「強い紐帯」とは、従来の家族や職場という強い絆のコミュニティのことです。それ自体を否定しませんが、「弱い紐帯」は従来の強い絆を結び付ける役割を果たし、結果自分自身や自分の家族にもメリットをもたらすことになるのです。
これからのコミュニティとは、安心や安定のための居場所ではなく、自己を活性化するためのフィールドになっていくのだと考えます。コミュニティを活用し、自分の中の多様性をいかに活性化できるか。それこそが未来にとっての個人の力になると考えています。手前味噌ですが、それは拙著「超ソロ社会」で提言して「人とつながることで自立をする=ソロで生きる力」と通じるものがあります。
絆が強くなくていいんです。しょっちゅう会える間柄でなくてもいいんです。こうした、ゆるくつながる形がどんどん広がっていけばいいと思います。
※一筆書きなので後で見なおして加筆修正するかもしれません…
あと、せっかく紅葉の時期に京都に来たので、南禅寺や永観堂、東寺などの紅葉も楽しみました!さすが京都の紅葉はやばい。道理で普段5000円のビジネスホテルが250000円にも高騰するわけです。
東寺↓
「嫌な仕事はしない」じゃなくて「嫌な人間とは仕事しない」
"現代においては「嫌な仕事はしない」は圧倒的に正しい"という記事があってバズっているのだが、この人、いつもこういう煽りタイトルでPVを稼ぐマネをしているのであえてリンクは貼らない。
検索していってもいいですけど読む価値はありません。
要するに、
結局、終身雇用ではなく、仕事にクリエイティビティが求められる現代においては「嫌な仕事はしない」は圧倒的に正しいという結論に至る。
らしいです。
多分、
や、昨今の「嫌な仕事はやらなくていい」みたいな風潮に乗っかりたいだけなんでしょう。
まず、前提として昔の丁稚奉公のような仕事の仕方や徒弟制度みたいに「3年は見て覚えろ」みたいなことは全く意味ないし、否定します。
その上で、「嫌な仕事は本当にしなくていいか?」について考えます。
人間だから、嫌だと思う仕事もあるでしょう。でも、そういう仕事に対して、なんで嫌だと思うのか、とか、なんで価値がないと思うのか、とまず、考えることが大事なんじゃないかと思うわけです。
嫌なら嫌にならないようにするにはどうすべきか、というようにそこからアイデアが生まれてくるもんだと思うけどね。
今までのイノベーションなんて、みんな「面倒くさい」とか「やりたくない」ということから生まれてきた。
たとえば単純作業とかをやらないようにするために、オートメーションの機械が発明されたわけでしょう?長時間歩きくないから自動車が生まれてきたわけでしょう?いちいちそろばんで計算しなくてもいいようにコンピューターが生まれりてきたわけでしょう?
別に発明家になる必要はないけど、そういった「面倒くせえ」とかの感情がエネルギーになって何かが革新されていったと思うんです。
そして、実は本質はそこじゃなくて、
「嫌な仕事」よりも「嫌な人間と仕事」する方を避けた方がいいんです。
そっちの方がよっぽどストレスになるし、自身の成長の妨げになる。
さっきの「面倒な仕事ほど工夫が生まれる」っていうのも、周りの人間関係に左右されます。例えば「面倒くせえな」とか「つまんねえな」というネガティブなことばかりいう先輩社員だらけだとモチベーションあがるわけがない。パワハラしたり職場いじめするような奴は論外です。
そこまでいかなくても、人間なんで「馬が合わない」奴っているじゃないですか。
最悪なのは、「自分は仕事ができると思い込んでいる奴」ですよ。
事実、できるかもしれないけど、やたら人の仕事に対して「それはかくかくしかじかでこうだから違わないか?」とロジカルに責め立ててくるやつとかもう…
めんどくせー!
あと、自分の経験の中だけでの正しいとか正しくないとかで追及してくる奴ね。いや、本当に正しいならいいんだけど、よくよく論理的に考えると、そいつのただの思い込みにすぎない場合が多い。ロジカルにやってるつもりで、感情論なんだよ。そういう自己矛盾に気付いてない奴。
そういう奴って、言葉で言わないでやたら長文のメールで指示や駄目だししてきたりする。自分の文才があるとでも思ってんのかね?
「俺じゃなくて上が…」とか人のせいにする奴もいる。同じ会社じゃなくて、会社同士の元請け下請けの方がよくありがちだけど、「会社の方の方針で…」とかすぐ言う奴ね。
いやいや、会社じゃなくてお前(だけ)の意見だろ!
さらには、感謝や謝罪ができない奴。これ致命的。どんだけ自分が正義なんだろって思う。失敗しない人間なんていない。だったら「自分はパーフェクトだ」とかの態度はとらない方がいい。可愛げがない。
そういう奴って自分のせいじゃないところだけは「申し訳ない」とか言えるけど、自分のミスとかでは絶対言わないんだ。
思うに、人間なんて優秀か優秀じゃないかとかどうでもよくて、馬が合うかどうかの方が重要。
例えば修正依頼とかでも、嫌いな奴に言われると「誰が直すか!」って思うけど、同じことを馬が合う人から言われると「まあ、修正するか」ってなったりする。
僕たちは人間と仕事をしているんです。嫌な仕事云々よりも、嫌な人間との仕事はしない方がいいです。嫌な仕事の中に好きを見つけられることは自分自身の努力で可能ですが、嫌な人間を変えられることはないです。人の意見で変わる人ならそもそも嫌な人間ではないから。
イチローも土井監督のままだったら二軍のまま野球をやめていたかもしれない。能力が開花するかどうかって実は本人の問題ではないんだよね。それくらい付き合う周囲の人間って重要。
LINEり田端氏のツイッターに、彼の過去の上司の語録がのっていて、それ自体もすごく素晴らしいんだけど、田端氏にとってこの上司との出会いこそが最高の財産だと思うんですよね。
私は新卒でNTTデータで2年ほどお世話になり、厳しく鍛えて頂いたのですが、その時の課長の大谷さんがこの度、早期リタイアされて世界一周PTになると聞いて当時の皆で集まり壮行会をしました。大谷語録の鬼十則がこちら。今見ても面白いし結構、影響受けてるかも。ホント自分は上司運には恵まれた。 pic.twitter.com/hct0N0zqgy
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年11月23日
それにしても、この語録はためになる。保存版。
嫌な人とは一緒に仕事しちゃダメ。これは間違いない。
現代の宗教戦争。結婚教vs避婚教
東大の赤川学先生に拙著 取り上げていただきました。
先生の解説がめちゃくちゃ的確でわかりやすいです。ありがとうございます!是非ご一読ください。
赤川学 1967年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授。専門は社会問題の社会学、歴史社会学、セクシュアリティ研究、人口減少社会論。著書に『子どもが減って何が悪いか!』『これが答えだ! 少子化問題』(ちくま新書)、『明治の「性典」を作った男: 謎の医学者・千葉繁を追う』(筑摩選書)、『セクシュアリティの歴史社会学』(勁草書房)、『社会問題の社会学』(弘文堂)など多数。
この記事に対するツイッター、ヤフー、NewsPicks上でのコメントが、まさに現代の宗教戦争の体裁を示していておもしろい。
つまり、結婚教と避婚教との価値観の戦いなんですね。避婚教とは、非婚でも嫌婚でもなく、もはや結婚を避ける人たちという意味です。
結婚教の方は、どうも「結婚をコスパで考える」ことにものすごい嫌悪感を抱いているようです。
「結婚はコスパ」と言うと大体炎上します。今回のこれも、 トップトピックスにも載っていないのに相当な数字です。headlines.yahoo.co.jp
僕の連載「ソロモンの時代」で書いたこの記事も炎上したなあ。
コストって別に金だけじゃなく、時間も精神的負担もコストです。何を大切にするかは人それぞれですし、無理やり改宗を迫ったりする必要性はないと考えます。にも関わらず、既婚教の人たちは避婚教の人たちをどうしても改宗させたいらしく、うるさく言ってくるわけです。
こういうのにいつも出てくるのがこれ。
「愛はお金では買えない!」とか「愛こそすべて」ってやつ。
ちょーだせえ!
大体、「愛こそすべて」とか言ってる奴に限って、「愛とは何か」なんて実はわかってないんですよ。そのあたりはウートピのインタビュー取材でお話しているのでこちらをご覧ください。wotopi.jp
今回の記事のRTの中におもしろいものがありました。イギリス人の先生が、日本の高校生が結婚の話題で「愛についてちっとも触れない」と嘆いている話。
「僕は君たちに結婚について聞いているんだ。どうしてみんな金のことばかり言う?どうして一人も愛について言わないんだ?」
— zakkey@闘う介護士児童指導員 (@zakkey5) 2017年11月23日
高校時代の先生の言葉だ。イギリス人だった。
/家族はコスパが悪すぎる?結婚しない若者たち、結婚教の信者たち https://t.co/c4mky1pJMn
当然ですよ。イギリス人にすれば、愛はあるんでしょう。ですが、日本人にとってイギリス人のいうLOVEとかROMANCEは明治以降に翻訳された輸入品ですから。キリスト教の方はいいですけど、ほぼほとんどの人が違うし、もともと日本人の奥底で培われてきた「結婚観」というのは西洋とは異質のものです。
そこには愛よりも「生活」があった。それが日本人の結婚観です。そもそも論を言ってしまうと、男女の結びつき及び結婚的なものなんていうのは、生きていくためのコスパが高い形態だったから選択したわけ。生きるための手段。愛なんかよりコスパが先にあったんですよ。それを知らない人多すぎる。
※この話をするとそれだけで書籍一冊書けるのでまた別の機会に。
ところで、結婚教と避婚教とのいざこざですが、まだ勧誘レベルでおさまっているうちはいいんです。そのうち「こいつ改宗しないな(結婚しないな、子ども産まないな)」と思うと、一転異端扱いし、批判し、排除し、下手すれば(社会的に)抹殺しようとします。まさに魔女狩りです。
考え方の違いを論じるのは大いに結構ですが、自分と違う考え方の人間を異端扱いし、その人格を否定する言い方にならないよう気を付けていただきたいものです。
何を信じるかは自由です。私たちは八百万の神の国の人たちなんですから。
というわけで、赤川先生も推薦していただく
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葛飾北斎の眼力が最先端テクノロジーすぎて震える。
これを見ると、葛飾北斎の波の表現がいかにリアリティ豊かなものだったかが改めてわかって、震撼する。よくこんなハイスピードカメラみたいな眼力していたな。
波の中身ってこうなってるんか。
— 笑ッターwwwww (@waratta_www) 2017年11月17日
すげえなwww
https://t.co/YAlTsIMOs2
北斎が最期の描いたとされる、信州小布施上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち『怒涛図』。
北斎、恐るべし。