ソロ市場が間もなく100兆円市場へと成長する理由
前回の記事で、ソロ度による4象限についてご説明しました。
今回は、今後ソロ社会化が進行する中で、消費市場がどう影響を受けるのか、についてお話します。
かつて、消費市場の鍵を握っていたのは主婦でした。1980年代までは皆婚社会でしたし、専業主婦率も高かった。彼女たちの消費の主戦場はスーパーでした。
しかし、90年代以降、未婚化・単身化が進むとともに、コンビニの隆盛が起きます。下記のグラフでも歴然なように、コンビニの売上は、単身世帯の増加と完全に比例していることがわかります。一方で、夫婦と子世帯の伸び悩みに連動して、90年代以降スーパーの売上も伸びなくなりました。
これこそ、「社会の個人化」に伴う「消費の個人化」への流れです。
大量生産・大量消費時代は、一家に一台の消費体系でした。車、テレビ、エアコン、電話、掃除機など。しかし、今や家族同居であっても、エアコンやテレビは一部屋一台、電話は一人に一台の時代になりつつあります。単身世帯化が進めば、炊飯器や電子レンジ、掃除機、洗濯機、冷蔵庫といった家電領域も一人一台の時代となります。
人口減少によって消費が伸び悩むという考えは浅いのです。実は、単身化が進めば進むほど、消費の個人化によって、需要が拡大すると考えられるわけです。
既に、消費の個人化が大きく進んでいる「食市場」で見られるのは、単身世帯男女の外食費の拡大です。今や、実額で、単身者は一家族分以上外食費をかけています。食費全体で見ても、平均世帯数3.4人の家族より、単身者の単価は高い。それもそのはずで、家族でシェアした内食の方が節約できるからです。出来合いの総菜やコンビニでの加工食品をメインとする単身者の食費が割高になってしまうのは当然です。
消費の個人化によって、主にふたつの市場が生まれます。
続きはこちらから。日経COMEMOへ。無料です。
https://comemo.nikkei.com/n/n8a6e6e694b6a
「社会の個人化」に伴う「消費の個人化」は不可避です。皆婚時代、主婦を中心として家族消費時代は終わり、未既婚問わずソロ消費経済時代がやってきます。この流れを把握できないところは置いて行かれるでしょう。日経COMEMO更新! https://t.co/FfqPLM3NKm
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) March 10, 2019
「ガチソロ」「カゲソロ」「エセソロ」「ノンソロ」あなたはどのタイプ?
独身には、3種類あります。
ひとつは、「未婚だがソロ度が低く、結婚したがっている独身」。そして、もうひとつは、「未婚だがソロ度が高く、結婚意欲が低い独身」、最後に「結婚したが配偶者との離別や死別で独身に戻った者」。統計上、「未婚」は前者のふたつを指し、最後のひとつは「婚歴のある独身」となります。
未婚であっても、ソロ度と結婚意欲の高低によって、実はその価値観も行動特性も大きく異なります。
拙著「超ソロ社会」にも掲載していますが、「結婚できない診断」というものがあります。「結婚できない」と書きましたが、正確には「結婚には向いていない」診断です。本当は12項目ありますが、試しに以下の3設問に回答してみてください。○(そう思う)、△(どちらでもない)、×(全く思わない)の三択で答えてください。
設問①:「束縛されるのは嫌いだ」
設問②:「一人で過ごす時間を確実に確保したい」
設問③:「(何か問題が発生しても)最初は誰かに頼らず、自分でなんとかしようとする」
設問③を補足しますと、最終的に誰かに頼ってもいいんですが、最初は自分でなんとかしようと思うかどうかがポイントです。
結果は以下↓
すべての設問で○の人は「ソロ度の高い人」です。どれかひとつでも、△や×がついた人は「ソロ度の低い人」となります。僕は、2014年から継続的に全国レベルで20~50代の男女のソロ度を調査していますが、この5年間ほぼソロ度の高い人は40-45%の間で統一されています。
「たった3問で分類できるのか?」と思われるかもしれませんが、5年間延べ10万人以上の調査を経て導き出した結果で、この3問と結婚意欲の高低とは、強い相関関係があります。男女でも同等です。
興味深いのは、独身に限らず既婚男女でもその割合はあまり変わらないということです。既婚者でありながら、ソロ度が高いままの状態を保っている人たちが一定数存在します(特に既婚男性に多い)。
そもそも、誰もが独身からスタートしているわけで、独身時代にソロ活動をしてきた人たち男性が、既婚になったからと言ってその瞬間に価値観が全て一変するというわけではありません。結婚しても合コンや夜遊びをやめない旦那、独身時代から続けている趣味を頑なに継続している旦那など、言われてみればみなさんの周りにも思い当たる人がいるのではないでしょうか。
未婚と既婚、及び、ソロ度の高低で4象限を命名し、図にしたものが以下です。
続きは、日経COMEMOにて。無料です。
https://comemo.nikkei.com/n/nf30e0f895605
拙著「超ソロ社会」にも掲載しましたが「結婚できない診断」というものがあります。正確には「結婚には向いていない診断」です。本当は12項目ありますが、試しに以下の3設問に回答してみてください。結果によってあなたのソロ度がわかります。ぜひ。日経COMEMO更新!https://t.co/v6hb4jcfa0
— 荒川和久@「超ソロ社会」著者 (@wildriverpeace) March 3, 2019
己れを慈しみ、心を育てる「慈己肯定力」を鍛えましょう!
Paletteさんから受けたインタビュー記事が公開されました。
「自分を愛することができなければ、人を愛することはできない」というお坊さんみたいなこと言ってますが、「恋と愛と孤独」について語っています。
「お前が、恋とか愛とか語るな! 」と言われそうですがw
我ながら、なかなかいい事を言っていると思います。
ぜひご一読ください!
ところで、この中にも出てきますが、万葉集において「恋」とは「孤悲(こひ)」という字があてられていました。まさに、「孤り悲しむ」というのが恋なのです。
「悲」という字は、「心非ず」と書きます。一人片思いの相手を思って、心が失われてしまう様、それが恋です。よって、「恋をする」とは孤独な行動なわけで、彼氏と彼女がウェーイ! するのが恋ではないってことです。
一方、愛とはなんでしょう?
平安時代の和歌には「あう」という言葉がたくさん使われています。「またあいたい」とか「あえなくてさびしい」とかなんとか。あれ、現代風に「会う」とかの意味だと思ったら大間違いです。
「あう」とは「合う」であり、要するにセックスすることです。もともとは。
愛を、別の漢字で当てるならば「合体する行為」=「合為」または「相為」と言えるでしょう。
そもそも愛という言葉は仏教用語で、弘法大師が広めたものとかなんとか言われてます。そして意味合いとしては「どうしようもない」と言う意味を持つマイナスの言葉です。だから昔の和歌には「愛」という言葉はほとんどありませんね。
恋は片思い、愛はセックス、じゃあ、親子愛とか人類愛とかそういうレベルの愛はなんなの?
それは「慈しみ」です。慈悲といってもいいでしょう。
明治に入って、福沢諭吉だか北村透谷だかが、LOVEの翻訳として「恋愛」なんて当てたもんだから、「慈」も「悲」も「恋」も「性愛」も「好き」もすべて含んだ意味になってしまったわけです。
つまり、「自分を愛する」とは「自分を慈しむ」という意味であり、「慈」という漢字が「心を育てる」という意味であることからも、もともとは自己の内面に向かうものでもあるわけです。
自分を愛する=自分の心を育てれば、つまりは、自然や他者に対しても大切に思う心が育まれるということです。
ご自分を慈しみ、ご自分の心を育てる。それこそが「慈己肯定力」TMです。
お金がないと不幸だけど、お金があっても幸福にはならない
「未婚と既婚とでは幸福度が全然違う! 」という話は以前、こちらの記事で解説しました。
https://comemo.nikkei.com/n/nac91dd2ea623
既婚に比べて、未婚は圧倒的に不幸度が高いのですが、では、それは未婚と既婚の収入の違いに起因するものでしょうか?
なんとなく低収入=不幸、高収入=幸福だと思っていませんか?
年収ごとにに幸福度・不幸度を調査してみました。
結果がこちらです。
青いグラフ(幸福)を見てお分かりの通り、年収が高いほど幸福度は増しますし、赤いグラフ(不幸)を見れば、年収が高いほど不幸度が下がっていることがわかります。大きな傾向で言えば、幸福度は収入の多寡で決まると言えるかもしれません。
特にソロ男を見ると、300万未満の年収では、不幸>幸福と不幸の率が幸福を上回ります。同じ300万未満年収の既婚男と比べて、異常に不幸度が高いことがわかります。つまり、ソロ男が不幸である要因とは、「低年収」によってもたらされている可能性が高い。
ところが、その低年収によって不幸度MAXのソロ男も、1000万円以上の年収になると、また不幸度があがります。300万未満の人とは同等にはなりませんが、高年収を得たのに不幸度があがるというのはどういうことでしょうか?
同じことが、既婚男性・既婚女性にも見られます。
既婚男性も1000万円以上で不幸度があがりますし、既婚女性も不幸度があがると同時に、幸福度まで下がっています。
お金を得れば幸福になるというわけではないのです。
お金がなければ、何かと困ることもあるし、それによって不幸を感じることもあるでしょうが、お金があったらあったで、別の不幸のタネが生まれてくる。
アメリカの経済学者ダニエル・カーネマンは、人間の「感情的幸福」は年収7万5千ドルまでは収入増に比例して増加するのに対し、7万5千ドル以上になると比例しなくなる、という研究結果を報告しています。日本円で換算すると年収800万円あたりがその分岐点で、まさに上記のグラフの結果と一致します。
なぜ、そのあたりの金額を境に幸福度があがらなくなるのか、については諸説あります。それについてはまた別の機会に。
それでも、唯一、ソロ女だけは年収の上昇と幸福度の上昇がきれいに比例相関しています。さすが「愛より金」意識の強いソロ女。清々しいほどに終始一貫しています。
2月25日17時からNHK「ニュースシブ5時」に出ます!
3月18日、宣伝会議で講座を行います!
宣伝会議で講座をやります!
3月18日、「男性消費を掴むメンズ・マーケティング講座」です。
これからのマーケティング、従来の世代論やデモグラ論が通用しない時代になります。ますます個人化する社会、個人化する消費にどう対応するかが鍵。
一般に、「女性は感情で動き、男性は理屈で動く」「男性は、スペックや機能性を重視する」と言われますが、果たしてそれは本当でしょうか?
彼らの消費行動を行動心理学的に分析すると、従来の固定観念とは違った男性消費者像が浮かび上がります。
「他者とは違った存在でありたい」という承認欲求と「自分の成し遂げたことを誇りたい」という達成欲求の奥底にある彼らの「男心」の本質とはなんでしょう?
彼らは、自分の興味関心のないものについては、1円1秒も惜しむくせに、一度価値を認めると惜しみなくお金も時間も注ぎ込むという傾向があります。そんな彼らを動かす消費行動のメカニズム(感情と理屈と環境の相互作用)を明らかにしていきます。
そんな目ウロコなお話をしたいと思います。
企業の商品企画部、マーケティング部、販売促進部の担当者。広告関連会社の方、会社に行って経費出していただいて、ぜひご参加ください!
こちらから当日の概要の詳細資料が見られます。
https://www.sendenkaigi.com/upload/save_image/02131533_5c63ba303c369.pdf
「まず自分を愛せよ」話はそれからだ!
「忘己利他」という言葉があります。
かの高名な最澄先生の言葉です。
意味は『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』、つまり自分の事より他者のことだけ考えよっつー内容ですが、あえて言わせていただきます!
そんなこと絶対しない方がいい。ただ搾取されるだけです。
他人に対して思いやりなど提供できる権利と能力があるのは、大前提として「自分を愛している人」だけです。一番身近な自分すら愛せない人間がどうして他人に対して何かしてあげることができるでしょうか?
自分を愛せない人間が利他行動すると見返りを求めがちです。それは、表層的な利他で利己を埋めようとしてるだけだからです。言い換えるならば、利他の行動でしか、自分を感じられない空虚な人ってことです。
純粋な利他精神なんて不要です。
こういうこと言うと、「寂しい人だ」とかやたらと上から目線で言ってくる人いるんだけど、利他を他人に薦めてくる人のほぼ大多数が利他してねえからな。本当に利他行動している人は、人に「利他行動しなよ」なんて押し付けてこねえからな!
利他を人に薦めてくる人は大抵こう言います。
あなたのためだから!
詐欺師や新興宗教勧誘員の常套句です。「あなたのためだから」という台詞を吐く奴のほぼ100%が、「お前なんかどうなってもいいけど、俺の為に尽くせよ」って思っています。これを利己といいます。
じゃあ利己は悪なのか?
いいえ、利己でいいんです。なまじ利他みたいな人が混じっているから利己が単なる自己中心的わがままに成長しちゃうんです。利他の人は搾取し放題だからです。
全員利己だとしましょう。誰からも搾取できません。そうなると利己は利己のためには、100%搾取を諦めて、半々の取り分で妥協するようになります。お互いWIN-WINを目指します。目指します、というかそうせざるを得ないのです。
全員が利己なら、一人勝ちする利己は存在しえないからです。それ、逆の言い方をすると、全員利己だと全員利他になるってことですよ。
考えてみてください。
誰かに何かをしてあげたことで自分の肯定感を得ようとしても、それはまやかしでしかない。自分の中のの欠落感や空虚感は、自分が自分に何かを施すことでしか満たされない。つまり、自分を愛することであり、自分を認めること。※ここの部分、テストに出ます。拙著「超ソロ社会」を読んで勉強してくださいwww
自分を愛せた人間だけが心の穴を埋めることができるし、それは穴を埋めるどころか、次から次へと湧き出てくる。だから、その湧き出た分を他者におすそわけすることができるんです。
利他とは、利己をしまくった奴だけができる結果論でしかない。
「情けは人のためならず」という言葉はまさにそういうことです。
ちなみに、「忘己利他」とは「もうこりた」と読みます。我を忘れて他人の為に尽くすなんて、結局そうなります。
以前も同じようなこと書きましたけど、こちらもどうぞ。