結婚が社会的アイデンティティではなかった江戸時代と現代の類似点
テレビ番組「スッキリ!!」のコメンテーターとしても有名なロバートキャンベルさんと対談させて頂きました。
ご存知の通り、キャンベルさんは近世~近代、特に江戸中期以降の日本文学が専門の東大大学院教授です。かねてより、現代と東京と江戸時代中期の江戸が似ていると考えており、そういったお話もいろいろ伺いました。江戸時代というとテレビの時代劇ぐらいしか知らない方も多いと思いますが、あの時代も女性より男性の多い「男余り現象」が起きており、未婚者も多かった。江戸時代にもソロ男がたくさんがいたんです。
こちらから↓
荒川:そもそも江戸時代の人々は恋愛自体も自由でしたよね。
キャンベル:恋愛というのは、明治時代以降に “LOVE=ROMANCE”という概念が持ち込まれてからですよね。江戸時代まではそういう感覚はなかった。もちろん好き、嫌いといった気持ちはありましたが、それは“恋愛”ではなく“愛おしみ”という感じなんですね。 “LOVE”を、人間関係を規定する概念としては捉えていなかった。
当時、女性も男性も離縁率が高く再婚のハードルも低かったので、その意味では人とくっついたり離れたりするのは自由でした。特に江戸時代は明治時代と違って、男性からだけでなく女性からも離縁することができ、さらに資産の継承や処分などもできました。
家=家業でもあり、血を絶やしてはいけないので結婚はしていたわけですが、養子縁組は一般に行われていたので、明治以降に比べて負担感は軽い。男性はどこかで折り合っていて、自分自身ががんじがらめになることはなかったんですね。家の中に血縁関係ではない番頭や女中がいて彼らも働いていたので、力が網の目のように分散していた。
今は夫婦二人が狭いマンションの一室で角を突き合わせて「お金がないね。育児どうしよう」と話す。でもその狭い関係性が近代的な“LOVE”の考え方なわけです。
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荒川:世界的に見て、現代の日本人男性の幸福度はかなり低いんですが、さらに既婚男性と未婚男性で比較すると圧倒的に未婚男性の幸福度が低いというデータがあります。そういうデータが出ると「やっぱり結婚しないと不幸だ」と思われがちなんですが、本人たちは自由な生活を謳歌していて割と幸せそうなんですよ。
それでも既婚男性の多くはソロ男たちの生き方を決して認めないんですね。少子化問題も相まって、こういう「一生独身でいるのは人間的におかしい」「こんな男たちが増えてはいけない」という考えが根底にあるんですね。
キャンベル:僕は、そういう既婚、未婚という二項対立的なプロファイリングも疑うべきだと思いますね。
アメリカもヨーロッパも顕著ですけど、多様なセクシュアリティが認められる中で、たとえば婚姻の有無についても、どちらか「こうあらねば」というのは薄まっているのではないでしょうか。ラベル貼りはしない、いずれにも当てはまらないことを肯定していこうという流れですが、つまり、独身男性たちから見れば「既婚者からお前たちはダメだと言われるのは論外だけど、自分たちを『ソロ男』と規定されるのもフィットしないよね」と。
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