ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

相関関係と因果関係は違うよ。

これなんですけどね…

マツコ・デラックスとAIが“明るい未来”を考えるwww6.nhk.or.jp

本編前に7/17の「ニュースウォッチ9」で番宣が流れたんです。まあ、いろいろ物議をかもしてます。togetter.com

 

そりゃそうです。

 

「40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす」なんてAIは言ってないんですよ。だってこれ相関しか出していないので、そこに因果はない。なのにさも因果関係のように伝えるから誤解を招くんです。

 

「こうした人たち(40代一人暮らし)を減らせば、日本が抱えているあらゆる問題は解決できるんじゃないか」って言ってたしなあ。少子化や貧困化を彼らのせいにされたらたまらない。

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「長雨が多い」と「傘が売れた」は相関だけど、「傘が売れると雨が降る」と言ってしまうようなもんです。

ただ番組ではちゃんと「40代一人暮らしを減らせばいいという単純な話ではなくて、そういった人たちを支える仕組みを作っていけばいいんじゃないか、と」とも言っていて、むしろこっちの方が結論として重要。高齢化社会ばかり気にしているけど、こっちもケアしないといけないよねという気付きだから。

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とはいえ、あれ見た人にはこの言葉は入ってこなかったと思う。

 

40代一人暮らしの人のなんかネガティブ面を出そうとしていたし。

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この人が半額で肉を買っているシーンをなんか貧困とか可哀想的に見せているのもな…。

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むしろ、これは例えば主婦なら賢い買い物なわけじゃないですか。自分で買い物をしなきゃいけない一人暮らし男性なら当たり前の感覚。

主婦は褒められてもソロ男がやると問題なの?

 

実は僕、このNスペには、いろいろ協力してて、専門家としてインタビュー収録もしたんです。その時は、むしろ「40代ひとり暮らしの増加をポジティブにとらえるべき」という見解を示したんだけど…。

録画みたら、僕、ただビール飲みながらバカ笑いしている映像しか使われてなかったでござる泣…

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本編は、22日NHKスペシャルで後7:30から放送予定です。

 

それにしても、こういう「結婚しないとだめだ」みたいな規範の刷り込みの方が問題だと思うんですよね。

結婚してない俺(私)は、何かが欠落しているんじゃないかと自責しがちな40代独身の方たちへ。40代未婚者の不幸度が高いのは、そんな無意識の結婚規範による自己否定感にあります。是非拙著「超ソロ社会」をご一読ください。

結婚ごときで人間の価値は決まらない。

 

 

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創作落語「使わない金はないも同然」

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落語風の創作話をひとつ。

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「なあ、おまいさん。ちょいと変なんだよ」

町はずれの宿場町で居酒屋を営む伊勢屋の女将のお市が旦那の文蔵に言った。なにやら深刻そうだ。

「変って、いったい何が?」

「いえね、帳場箪笥に隠してあった金がなくなっている気がするんだよ」

「気がするっておめえ、金が足生えて家出したとでもいうのかい?」

「冗談じゃないよ、五十両くらいなくなっているんだよ」※1両は大体今の金額換算して20~30両なので、1000万円~1500万円ってところです。

「ご、五十両?ふざけんな!どうして?何に?そんなに使った?」

「あたしじゃないよ。勝手になくなってたんだよ」

「勝手にって…誰かが盗んだってことかい?」

「そうとしか考えられないよ」

「いってえ誰だ、そんな不届きモノは!」

「ねえ。まさか、あんたじゃないでしょうね?」

「ああ?俺が店の金に手つけるわけねえだろ!バカも休み休み言いやがれ!」

「そうね…あんた、金持ってたって何に使うアテもないしねえ」

文蔵は仕事一徹。博打もやらなきゃ、居酒屋やってるくせに下戸とくる。仕事と蓄財が趣味のような堅物人間でした。

伊勢屋は、開店当初は全く閑古鳥の店でした。そもそも客となる人口が圧倒的に不足していたんです。しかし、ある時から周辺に大きな邸宅建築が始まったことを契機に、大工職人が大量に流入し、そのおかげで岡場所といわれる今でいう風俗店も大量開店。人口が増えたことで町に活気が生まれ、唯一の居酒屋だった伊勢屋は、増床するくらい繁盛していました。今も大工たちが二号店を建てている最中です。

とはいえ、五十両もの大金は伊勢屋にとっても大金です。当時は銀行なんてものがなかったから、現金は自分たちで管理するものでした。とはいえ、厳重保管ができる蔵を用意する余裕は文蔵にはありません。それらの金は、夫婦の居間の箪笥の中に保管していました。箪笥といっても普通の箪笥ではありません。万が一のことも考え、からくりが施され、中に金が入っているなどとは誰にもわからないようになっていました。

それでなくても、文蔵はケチで有名でした。自分の店で出す酒も客にばれないように水で3倍に薄めて出すくらいです。

「犯人を見つけたらただじゃおかねえ」

文蔵は憤懣やるかたない様子で、さっそく犯人探しを始めます。が、どう考えても身内の犯行としか思えませんでした。数人の奉公人が怪しいとなりましたが、最終的には一人の容疑者に絞り込まれました。

住み込みで働いていた女奉公人で、名前をきりと言います。彼女は、夜は店員として働きますが、昼間は、文蔵たちの居間の掃除などを行っていました。

しかし、文蔵は思います。

「女のきりでは五十両の重さを運べないだろう」

お市の話によると、どうやら一度に五十両なくなったわけじゃないようです。毎日、一両か二両ずつ少しずつなくなったようでした。最初は、お市も気のせいかと思ったのだが、五十枚もなくなってようやく気付いたのです。

証拠はありませんが、犯人はきりで間違いありません。文蔵は断定します。

文蔵とお市は、きりを呼び出し問い詰めようとしました。一度の気の迷いならともかく、継続的に盗みを繰り返すことは江戸時代において死罪に相当する重罪でした。

きりは、問い詰められると観念したように罪を認めました。役人を呼べば、多分きりは死罪になるでしょう。お市は憐れみましたが、文蔵は許しません。「それだけのことをしたのだから仕方があるめい」と。しかし、文蔵はそれ以上に盗んだ五十両を取り返しいという気持ちが強かった。全部は無理としても少しでも取り返したいのです。

文蔵はきりに言います。

「五十両はどこにある。全部とは言わねえ。三十両いや半分でも戻してくれたら、今回の件は許してやる。どうだ?盗んだ金はどこにある?」

文蔵は足りない分は、岡場所にでもきりを売って足しにしてやろうと考えていました。幸いこの界隈には、そうした需要がたくさんあります。

きりは、相変わらずケチなことを言う文蔵を見下したような目で見つめるとこう言いました。

「全部使っちまいました。一文たりとも残っておりません」

「なんと!一体五十両もの大金を何に使ったのだ?」

きりの自白によれば、きりは若衆といわれる美男子につぎ込んだようです。それを聞いて、文蔵は思わず頭を抱えました。

「なんとういう、金の無駄使いを…」

女遊びもしない文蔵からすれば、そうした刹那の欲望に金をつぎ込むなんざ愚の骨頂にしか思えないんです。金を捨てるようなものです。

若衆というのは、今で言うとアイドルやホストみたいなものです。といっても、ちゃんと性サービスもついてくるのが常識でした。聞けば、その若衆はこの界隈で一番売れているらしく、遠方からもファンがわざわざ押し寄せる人気ぶりでした。そう言えば、この町の活気を作った建築ブームの火付けはその若衆の家なんです。もちろん、きりの金だけではないでしょうが、五十両もつぎこんだきりは最大のスポンサーでした。

「いやいや元はといえば俺の金だ」文蔵はそれが癪に障ります。

しかし、これでは金はまったく取り戻せません。

諦めきれない文蔵は、若衆の家に押しかけます。事情を話したところで何とかなるとは思いませんが、一言文句を言いたかったのです。

若衆の家は、まあまあ立派で、家というよりも若衆との逢引部屋、今で言うラブホテルのような使われ方をしていました。客は男女問わずたくさんいました。当時は男色も当たり前で、若衆は両刀が基本でした。繁盛しているらしいのですが、それよりもこの一帯は今も建築ラッシュ。あっちこっちでトンチンカンチンとうるせえのなんの。大工たちが汗水たらして働いていました。

よく見ると、若衆の店に出入りする客も、大工たちも、またそれらを目当てに集まる棒手振りの行商たちも、みな伊勢屋の常連たちでした。文蔵の顔を見るとみんな笑顔で挨拶してくれます。

文蔵は考えました。

きりが若衆に貢いだ金で若衆が儲かり、若衆が儲かった金で家を建てるために大工が集まり、大工が集まったおかげで、岡場所ができて女が集まり、女が集まったおかけでさらにそれを目的に男が集まる。そうして増えた人たちが伊勢屋で酒を飲んでくれる。

なんてことはない。文蔵の金が回り巡って文蔵に返ってきているじゃないか。

「金は天下の周りもの」とはよく言ったものです。五十両をきっかけとして、町が活性化したとも言えるんです。箪笥の中にしまったままでは、五十両は五十両のまま変わりません。それは何も生みませんが、きりが使ったことで金が金以上の価値を生んだわけです。もちろん盗みは悪いことですし、きりは自分の欲望のためにしか金を使っていません。きりを褒める筋合いはありません。

しかし、今更ながら文蔵は気付いたのです。これだけ大勢の人たちがいることは認識していましたが、今までそれは客としての数としてしか見ていませんでした。当たり前ですが、ひとりひとりそれぞれに仕事があり、それぞれに喜びや楽しみがあるんです。よく見るとみんな笑っています。

そういう彼らが夜は自分の店に来て、その日稼いだ金を全部飲み代に使ってくれていたわけです。みんなつながっている。感謝して当たり前なんです。

「酒を水で薄めるなんざバチがあたるわ。ケチケチするのはよくねえな」

独り言のように言うと文蔵は踵を返して伊勢屋に戻りました。そして、きりのことは解雇するだけで役所には届け出ませんでした。不問にしたんです。

お市は聞きます。「いいのかい?これで?」

「いいんだ。金っていうのは箪笥の肥やしじゃねえんだ。使ってこそ価値があんだよ。それがわかった。俺も心を入れ替えてケチケチしねえで生きることにするよ」

「ふ~ん、そうかい。じゃあ、酒を水で薄めて出すのはやめにするかい?」

「おうよ、当たりめえだ。今までの水の量を半分にしてくれ」

おわり

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このお話、もちろん僕の創作ですが。元になっている実話があります。それが、こちらのブログにあったアフリカ・モザンビークであった窃盗のお話

この話を読んだ時、すぐ思ったのは「あ、これは落語だ!」ってことなんですね。もちろん窃盗は罪です。ですが、江戸時代の町人は「宵越しの金はもたねえ」という言葉もあるくらい、大体その日暮らしで、稼いだ金はその日のうちに使い切るのが普通でした。それができたのも、あくせく貯金なんかしなくても、「なんとかなる」という毎日だったし、それを実現していたのもコミュニティの人との関係性があったからでしょう。

高齢者が貯蓄して全く使わないという話を聞くたびに思います。不安だから金をためておきたいという気持ちはわかりますが、使わない金はないも同然なんです。それもこれも人のつながりやコミュニティというものを信じられなくなっているからなんでしょう。そのあげくオレオレ詐欺みたいなのに引っ掛かって、どうでもいいところに金が流れるのは本当にもったいない。

 

金しか頼るものがない。

これこそ人間として一番不幸なことなのかもしれません。

同じ独身でも「将来結婚する女」と「生涯結婚しない女」とでは、「水と油」ほど違う。

東洋経済オンライン連載「ソロモンの時代」#18

テーマは、結婚しない女、「ソロ女」です。

独身女性全体の中には、いずれ結婚する女性も含まれます。そのような女性は、現在の状態が独身であっても、考え方や価値観が限りなく既婚女性と似ています。そうした結婚する女性とソロ女とを、単に独身であることだけで一括りにしてしまうと、平均化されて、特徴が曖昧になってしまいます。

同じ独身でも「将来結婚する女」と「生涯結婚しない女」とでは、そもそもその意識や行動が「水と油」ほど違うことがわかります。同じ独身女性だからって一緒くたにしても意味はないんです。

是非ご一読ください!

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「結婚しない女」の行動は限りなく男性的だ
「頼れるのは自分だけ」になっていませんか?

toyokeizai.net

記事を読む前に以下の質問に回答してみてください。記事本文で自分が「ソロ女」かどうかがわかると思います。※ソロ男度もわかります。

1.どっちが充実する?
A誰かと一緒に生活
B一人で生活

2.結婚生活で大事なのは?
A愛
Bお金

3.どちらかというと?
A感情で動く派
B理屈で動く派

4.普段
A泣いたりする
Bめったに泣かない

5.どちらかというと?
A犬が好き
B猫が好き

答え合わせはこちら

toyokeizai.net

まあ、こういう定量調査というのはあくまで大きな傾向の確認ですから、これだけわ捉えてあーだこーだ文句言われても困るし、僕自身は結婚も未婚も否定してないのに相変わらず誤解している人多くて閉口します。

 

そんな中、Yahoo!の方にいいコメントがあったので紹介したいと思います。

そういう(男性的な)行動をするから、「結婚しない女」になったのか、「(別の何らかの動機付けがあって)結婚しない」という流れになったので、結果的にそういう(男性的な)行動をする(思考回路になる)ようになったのか、因果は両方とも考えられる。

そう、順序の問題。これは大きいと思います。こういう気付きのある、返し甲斐のあるコメントは大歓迎です。ありがとうございます。

ただ、これも「人によってマチマチ」なんです。元々男性っぽい意識と行動が先に合った人もいますし、結果的にそういう意識と行動に帰結した人もいる。正規の総合職で働く女性がすべてソロ女か?というとそうでもない。

ひとつだけ言えるのは、職場というか仕事内容との相関性は確実にあるでしょう。つまり、弁護士や会計士、女医などの専門的職種や、デザイナー、編集者、ライター、映像制作業務従事者などの女性の生涯未婚率は圧倒的に高いわけです。これらの職業に従事する女性に共通していることは、「仕事が楽しい」ということです。

逆に、どういう職種の人の結婚が早いかというと、販売業、サービス業、事務職など。

どうしてその仕事を選んだのか?という点と、意識がソロ女かどうかという点は実は密接に関係しているんじゃないかと思うわけです。それについてはまた記事にしたいと思います。

 

また、(それ以前の話として)「結婚したくしたくて仕方なかった。子供だって欲しかった。そのためにあらゆる努力をしたが、縁には恵まれず、いつしか結婚することは断念した」という”ソロ女”の割合だって、結構高いのではないか。

これについては、「結婚したくてがんばったあげく結果未婚に終わったけど、本心ではまだまだ結婚したい」というのは厳密にはソロ女ではありません。結婚したのか、してないのかの状態は関係ないんです。結婚を断念した上で、自分ひとりでも生きていこうという覚悟を決めたかどうかが問われます。

そういう意味で、高齢になって旦那に先立たれた妻が、その「覚悟」を決めてソロ女になるということは大いにありますし、実際に多いです。

記事の本文にも書きましたが、だからこそソロ女は経済的にも精神的にも自立しないといけないと自分を追い込み、自分を強く律するがあまり窮屈に生き方に苦しんでいる方も多いのだと思います。


時には誰かに頼ってもいい。弱音を吐いても、愚痴を言ってもいい。泣いてもいい。もっともっと自分に優しくしてあげてほしいと思います。

この記事で言いたかったことはそれです。

 

 

さらに、それぞれに今まで得た知識とかあるとは思いますが、だからってその知識がいつまでも常識だとは思わない方がいいです。未婚化が進んだ原因は多層的な要因がありますが、こうした意識の面にフォーカスが当てられたことはあまりありません。マクロ分析ではわからない部分もあるんです。いまだに「結婚したいと思う男女は9割」とかいう嘘を信じている方も多いようですが、まず我々は現実を正しく認識すべきでしょう。

wildriverpeace.hatenablog.jp

「超ソロ社会」の取り上げられ方に見る中国・韓国と日本の新聞メディアの差!

6/28にフォーリンプレスセンターにて、外国人プレス向け講演をやらせていただきました。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

その後、以下の海外メディアで紹介されました。中国が5つ、韓国が1つです。中国で人気者になれるかもしれない荒川です。

韓国・京郷新聞 6/28

「2035년엔 인구 절반이 싱글…‘확장가족’ 필요」

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中国・新浪財経 6/29

「2035年日本将有一半人口单身 专家称不一定是坏事」※450件以上ものコメントが寄せられています。

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中国・国际在线新聞 6/29

「日本成为单身大国 专家支招改变家庭观念」

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中国・新民网 7/7

「懒得脱单”急坏政府 日本“脱单”靠“扩张家庭”?」

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中国・汉丰网 7/10

「日本走向“超单身社会” 男女原因大不同」

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中国・浙江在线 7/10

「到2035年约一半日本人单身 女性收入越高越不婚」

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中国語でも名前表記は「荒川和久」なのでわかりやすい。

中国の方の関心の高さに驚かされますが、逆に日本の大手新聞メディアが全く取材に来ないってどういうこと?って思いますよね。今まで取材された大手新聞って毎日新聞と読売新聞だけ。あと日経MJ

相変わらず「少子高齢化が問題だ」とかって言ってますけど、論点ぼけているし、とっくに周回遅れです。

海外のメディアの方がこれだけ取り上げてくれるのは、「もはや少子化も人口減少も不可避」だけど、「世界に先駆けてソロ社会になる日本は、8000万人でも6000万人でも滅びない仕組み作りに向かっていくべきだ」という私の提言に賛同してくれているわけです。海外の人の方が、よっぽど問題の本質を理解できている。

海外にとって日本は自国の未来のための実験台だから。

そういえばフランスのル・モンド紙の記者もそういうことを言っていた。

wpb.shueisha.co.jp

 

日本の新聞記者だけがそれについてこれない(のか、ついてこないような老害がたくさんいるのか)。

少子化や高齢化も人口はもはや問題ではない。コミュニティの問題なんですよ。

そして、新たにドイツのメディアからも取材を受ける予定があります。

「男らしさ」とか「女らしさ」とかで区別することの無意味さと偏見に気付きましょう。

僕は、結婚しない女=ソロ女のことを研究して、もはや本になるくらいいろいろ書きためていることがあるのですが、ある偉い女性からこう言われました。

 

「男が女のことを語るんじゃない!」

 

 

 

はあ?

彼女曰く、「男が女を語ると、大体において偏見に満ちたものになる」んだとよ。

 

 

はあ?

それこそ偏見じゃん。

 

 

言いたいことは山ほどあるが、そういう「男が女を語るな」とか偏見に満ちた人とは話が合わないので、無視するとして、そもそもフェミの人とかも意味がわかんないんですよ、正直。

いや、別にどんな活動しようと自由だからいいんですけど、彼女たちの言うことを聞けば聞くほど、むしろ男と女を区別して差別しようとしているのは自分たちじゃないのか?と。

 

男と女に違いなんてそもそもあるのか?と。

 

いや、バカじゃないんで、生物学的な男女の違いとかはわかっていますが、そもそも考え方に男女の違いなんて明確にあるんだろうかって話です。

よく男脳とか女脳とかいうじゃないですか。あれって、脳研究者に言わせれば「そんなものはない」らしいですよ。

よく「女は感情で動く」「男は理屈で動く」とかいうじゃないですか。こんなのも女が理屈で動く場合もあるし、感情に流される男だってたくさんいる。

ベストセラーになった、「話を聞かない男、地図が読めない女」って本ありますが、あれも「ふむふむ」って読む人って、多分血液型占いに納得しちゃう人と変わらない。

血液型で性格なんて変わらないから!

話を聞く男もいるし、地図を読める女もいる。

 

同様に、安倍政権の「女性活躍社会」っていうのも違和感がある。そうやって、前提から男女を分けること自体がもはやダメでしょ、って話。

「そうは言っても歴史的に男尊女卑だったんだから」って言われるんですけど、人類有史以来ずっとそうだったわけじゃないですよ。

歴史上女性の偉人も芸術家もいないじゃないか、と指摘する人もいるんですが、そういう人は歴史を勉強してもらいたいですわ。世界史はクレオパトラくらいしかよう知らんが、日本史なんて女性はたくさんいましたよ。

政治面で言えば、そもそも卑弥呼がいた。飛鳥時代とかの天皇推古天皇はじめ女帝が多かった。源平合戦の時、木曽義仲の相方だった巴御前なんかは、男勝りの武将でした。続く鎌倉時代北条政子なんてすごい政治家です。室町時代日野富子もそうです。秀吉の側室淀の方も政治家といえば政治家です。大体において、「古事記」などの神話を紐解いても、天照大神(あまてらすおおみかみ)からして女性です。

推測ですけど、人類はそもそもミツバチと同じように女王によって集団の規律を統治されていたような気もするんですよ。狩猟していた男たちは働きバチ。もともと人類は女性に支配されていたと考える方が合点がいく。

政治家だけじゃないですよ。芸術家だってたくさんいる。小野小町清少納言紫式部和泉式部…みんな女性。源義経と付き合っていた白拍子静御前も今でいえばダンスアーティスト。戦国時代に歌舞伎踊りの創始者といわれた出雲の阿国もそうでしょう。

江戸時代に入っても、女流浮世絵師がたくさんいたことをご存知ですか?歌麿の門人であり妻といわれる喜多川千代女北斎の三女である葛飾応為北斎の門人の女流浮世絵師は他に葛飾北明がいる。MOA美術館に飾られている「傘持ち美人図」も女流浮世絵師の山崎龍の作品。菱川師房の娘の菱川さんという人もいた。

女流浮世絵師はもっといて、寛政年間の窪はつ安政年間には木村幾年。浮世絵師以外にも、歌人として知られる祇園梶子がいるし、彼女の孫は、画家である池大雅と結婚し自らも画家として知られる池玉蘭です。『宇津保物語考』で知られる国文学者の桑原やよ子もいる。その孫が国文学者の藤あや子(只野真葛)である。

あげはじめたらきりが無い。

認知度がないだけで、日本には歴史上多くの女性が、政治上も芸術面でも活躍してきたんです。

以前にも書きましたが、むしろ江戸時代までの日本人は、特に町人は男女平等でした。時代劇とか見て、武家しか見ていないからそういう誤解が生まれるんです。

 

話がそれましたが、要は、男と女に考え方の違いなんてないし、もっと言ったら「男らしさ」「女らしさ」だってない。それはいわば後付けの理屈であって、そういうものに縛られて合わせているだけなんですよ。

ちなみに、今に続く「女らしさ」や「良妻賢母」のバイブルともなり、後の男尊女卑の走りとなったのが江戸時代の寺子屋で女子に習わせた「女大学」という書物です。その内容はまたあとで書きますが、なぜそんなものを女子に習わせなきゃいけなかったかというと、それくらい女の力が強くて押さえないといけなかったからです。だけど、その「女らしさ」を規定したのは男の作者ですからね。

可笑しいと思いません?

「女について男が語るな」って言うけど、そもそもその「女としての女らしさ」を規定したのは男なんですよ。 

もともと女性はそうじゃなかった。

というか、男らしさとか女らしさというもの自体が無意味なんです。

 

大体、最大のクリエイティビティって女性しか発揮できない。そう子どもを産むこと、育てることですよ。それに勝る創造性なんて存在しない。

 

とはいえ、現代社会は男社会だ?

 

はあ?

 

呆れかえります。政治家でも会社で出世する奴を見ても、大体がいわゆる「女らしさ」のある男が上に行くんです。周囲の空気を読めて、周りに配慮ができて、やさしさと厳しさを備えて、自分で動くより人を動かせる奴。それは決して「男らしさ」とは違う。

男らしさとは、一匹狼で、孤高で、人との関係性がぎくしゃくしちゃう奴です。そして過度な男らしさによって、男は自殺に追い込まれるんです。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

この世を支配しているのは、まぎれもなく「女(らしさ)」なんです。

 

だから、生物学的な男と女で二項対立を論じるのはアホ。男も女もふたつの要素を抱えて生きている。それが人間なんです。男が女を語ってもいいし、女が男を語ってもいい。だって、それは自分のことを語るのと大差ないんだから。

糞みたいな偏見はやめましょう。

自分の居場所を探している高校生に伝えたいこと。

僕もインタビュー掲載してもらっている、ハフポストの#だからひとりが好きという特集。

projects.huffingtonpost.jp

 

この中に気になる記事を見つけました。

私はいつもピエロ役。高校3年生、文化祭がつらいです。

www.huffingtonpost.jp

 

文化祭の準備で、学校の友達といる時間が辛いということらしいです。彼女にとって、自分が笑顔で、正直になれる場所は3つだそうです。それは一人と家族と、大好きな幼馴染。

これについて、勝手ながらアンサー投稿します。

 

 

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高校生、大学生くらいの時って、みんな「自分の居場所」を探そうとしますよね。この彼女の場合は「今は」それがひとりと家族と幼馴染というだけのことでしょう。でもそれって、あくまで「今は…」です。

家族と学校という狭い世界の中で生きている以上、そう思ってしまうのもそれは当然だし、実はあなたの学校の友達だって同じように思っているかもしれません。案外、みんな同じです。自分の気持ちに正直に生きている奴なんて少ない。せいぜい多くて3割くらいしかいない。

あなたが文化祭の準備が辛いのは、友達との関係性の問題ではなくて、本心から文化祭自体がつまらないと思っているからだけかもしれません。何の目的も達成感もないなら、そう思っても不思議はないです。

勉強が好きな人は授業中、教室の時計なんか一度も気にしないでしょう。それだけ没頭しているから。時計ばかり気になるのはつまらないからです。そしてその時間自体が苦痛です。

だから、単に友達との関係性ではなく、文化祭自体がつまらないということかもしれませんよね。

仮に、「いや違う。私はひとのが好きなんだ。友達といると本当の自分になれないから嫌なんだ」というのが本心だとしましょう。

では、本当の自分ってなんでしょう?

高校生で「本当の自分」なんか、少なくとも僕はわかりませんでした。

 

それくらいの年頃だと、自分の気持ちを言語化できなくてもどかしい思いをすると思います。ちょっとしたことで居心地が悪くなることもあるでしょう。だから、何の努力もなく、自然体でいられる関係が「よい関係」だと思うんですね。ひとりだったり、家族だったり、幼馴染だったり。

それは決して間違っていません。

でもだからこそ「私は他の人とは違う、私はピエロ役だ」という考えって、そうした居心地の悪さを正当化する後付けの理屈かもしれませんよ。無意識にね、人は後付けの理屈をつけては安心する生き物ですから。

 

なんでもかんでもツーカーの相手なんて、そんなにいないです。

そして、なんでもかんでもツーカーの相手は、実はそんなにおもしろくないです。

だって人なんて、全員違って当たり前なんだから。

これから社会に出て、自分と違う考えの人にもたくさん会うことでしょう。これまでは、「考えが違う人とは馴染めない」と頭っから拒絶していたかもしれませんが、あなたの中の新しい自分を生み出してくれるのは、そうした「今までの自分と違った考え方をする人」です。「違和感のある人」です。

友達になれるかどうかはまた別問題。

ですが、そうした違った考え、違和感のある人こそが、あなたの可能性を広げてくれる人なんだと、思います。

 

大事なのは、自分の中の多様性を活性化すること。

そうすれば世界が広がる。居場所なんて無限にあることに気付く。大事なのは、固定の居場所なんかじゃなく、動き回ることだと気付きます。

 

ま、今は「共感できない」「意味不明」「うるせーよ」と思ってもらっていいです。そういうもんです。

 

でも気になったら、以下の本読んでみてください。

 

 

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アリのように生きて、本当に幸せですか?

6/29付けの北海道新聞に載りました!今日掲載紙が送られてきました。

生活面の「くらし探り隊番外編」の特集として、見開きでかなり大きな扱いです。写真はなんか…「ちょっと待ってくださいよ~」と言ってる芸人みたいですが…www

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そもそも、なんでわざわざ北海道新聞から取材の話が来たのかは謎です。GWにプぺル展で札幌に行ったからでしょうか?

なんにしても、ありがたいことです。

北海道にお住まいで、北海道新聞購読している方は、ぜひ先週の新聞引っ張り出してご覧ください。

割と良い事云っていると思います。

 

せっかくなので、内容の一部について書きます。

メインは「ソロで生きる力」について語っています。だからこそ「人とつながる力」が大切だ、と。

それ以外に、『アリとキリギリス』というイソップ寓話についてしゃべりました。

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そもそも『アリとキリギリス』の本当のお話って、ご存知ですか?

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとする。アリは「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げた上で、食べ物を恵んでくれる。それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになった。めでたしめでたし…。

だと思っていませんか?

とんでもない。

これは、ディズニーによる改変です。

本当のお話はこうです。

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとする【ここまでは一緒】。だが、アリは食べ物を分けることを拒否する。そして、その上でキリギリスにこう言い放つ。「お前さ…夏は歌っていたんだろ?冬は踊ったらどうだい?」と。キリギリスは絶望の中、飢え死んでしまう。

 

なんて酷い仕打ちでしょうか?

ですが、このアリの仕打ちって、現代の社会を映す鏡だと思いませんか?

そうです、自己責任ってやつです。

 

「俺たちは暑い夏の間一生懸命せっせと働いていたんだ。だから冬を越すことができる。それがどうだ?お前は夏の間ずっと遊び呆けていたじゃないか!自己責任だ。自業自得だ。死ね!」

と言っているんですよ、アリは。

自分たちさえよければそれでいい。自分たちの家族さえよければそれでいい。例えば、「保育園落ちた、死ね」と言った親とか、「子どもの声がうるさいから、公園に保育園つくるな」と言った老人とか、「マンション内では挨拶禁止にしましよう」と言いだした母親とか、みんな自分のことだけ。自分さえよければ知ったことじゃない。

どうです?アリに似てるでしょ?

加えて、アリは集団での規律を守り、がむしゃらに文句言わず働いていました。かつての社会ではそれが美徳とされていました。逆にいえば、それは組織に従わない「ハミダシ者」は許さないとう規範を生みます。

キリギリスを見殺しにしたアリの行為は、協調性のない、同調しない奴をつまはじき者にする「いじめの構図」と一緒です。

どうです?ますます現代社会に似ているでしょ?

 

集団行動こそが正義、ルールを守ることが正義、みんなと一緒に我慢することが正義。働くことが正義。

でもよくよく考えたら、これって…

つべこべ言わずに働けや!ってこと。働かねえと死ぬぞ!と脅しているのに等しい。

要するに資本主義の奴隷的な扱いなんですよ。

 

農業や工業という産業の中で、人間が集団となってまとまって働く必要があった時代なにらともかく、未来もこれが続くでしょうか?

そもそもキリギリスの生き方は否定されるべき悪いことなんでしょうか?

今まで同様冬が来ると決まっているんでしょうか?

 

冬が来るからアリはせっせと食糧をため込んでいたわけです。だけど、テクノロジーの発達でそもそも冬なんてリスクはなくなるかもしれない。だったら、夏の間過労死しそうなほど働く必要もない。

いや、そもそもこの「貯め込む」ってやつ。今の高齢者がリスクを考えすぎたあげく、タンス貯金で貯め込んでいる状況とも似てます

 

ソリッド社会からリキッド・モダニティへと社会は変わりました。安心・安定していたかつての共同体(地域・職場・家族)は消えつつあります。しかし、一方で、AIやテクノロジーの進歩は、いままでの延長線上ではない想定外の未来を実現するかもしれません。

いってしまえば、未来では、アリのような仕事はAIやロボットに取って代わられるでしょう。むしろ、キリギリスのように人生を心豊かに楽しみながらすごす生き方の方が重要なんです。

いやいや仕事を我慢してやる必要はないし、そういう時間拘束の対価でしか報酬を得られないアリのようなタイプの方が職を失うリスクが高い。キリギリスには、音楽を奏でるという腕があるし、その音楽はみんなを楽しくさせる力だってある。何より自分自身が楽しんでいる。

そっちの方がよっぽど幸せです。

 

アリはどうですか?

食うためだけに(金のためだけに)いろんなことを犠牲にして、長時間働いて、自分が働いているのに遊んでいる奴等のことを嫉妬して、そいつらが失敗したら一斉に「ざまあwww」と叩く。

それって幸せですか?

そんな不寛容な生き方って楽しいですか?

 

真面目にこつこつ努力することが善なんだからうるせえよ、と言いたいお年寄りもいるでしょうねえ。でもそれこそが、長時間労働によるブラック企業を生み出し、いじめによる自殺者を生み出し、「人はこうあるべし」という規範によってかえって人を苦しめていることに気付いたほうがいいです。

 

本当の『アリとキリギリス』の教訓はこうです。

富豪というものは、餓死寸前のものにさえ手を差し伸べないほど冷酷で、独善的なけちである。だから、そういった者に助けを求めてもムダだ。というもの。

物語が生まれた時代背景を表しているとはいえ、まあ救いのない話です。