経済学者安田洋祐先生が教えてくれる婚活理論。「自己最適」を目指すと陥る罠
今月から、博報堂のサイトで新たに連載企画始まりました。
タイトルは、
僕が、各界の専門家や有識者の方々と対談していくものです。第1回目は、テレビなどでもお馴染みの大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐先生。
日本が世界に先駆けて直面する「独身5割の社会」とはどんな社会なのか?そのとき社会には何が生まれ、いまとはどう変わるのか?本企画は、ソロ活動系男子研究プロジェクトリーダーである荒川和久が専門家を訪ね、20年後のソロ社会で起こりうる課題に対し、解決のヒントを探っていく対談連載です。第1回のゲストは「ゲーム理論」を専門に研究されている経済学者の安田洋祐先生。独身者が増え続ける現代をどうとらえるか、また20年後のソロ社会に備えて何ができるのかなどについて語りました。
ぜひご覧ください!
男女のマッチングにおける「ゲーム理論」の話が、個人的にはとてもおもしろかったです!
安田 結婚市場でも、個々人が広いプールを見て最適な人を探していくと、自分にとってベストな相手が見つかるかもしれないけど、情報量が増えることによって社会全体でカップルの数は減ってしまう。
安田 結局のところ当事者である男女が相思相愛にならない限りカップルは生まれないじゃないですか。これは、ゲーム理論とも関係するんですが、現実的には、男女間の戦略的な読み合いも発生するし、ライバルも出てくるかもしれない。人と人との相互作用が必ずあるわけです。世の中の多くの分析手法は、そういった相互関係を捨象して単純化しちゃう議論が多いんですよね。社会という人と人との関係性の中ではじめて生じる、こうした相互作用の問題というのが、ゲーム理論がまさに扱っている問題なんです。
世の中の多くの分析手法は、そういった相互関係を捨象して単純化しちゃう
まさにその通りです。恋愛にしても友人関係にしても、それこそ就職活動にしても、すべて相手があっての話なのに、「自分がこう努力すればいい」とか「これだけ頑張ればいい」みたいに、相手不在の議論になることがとても多い。自分の最適化しか眼中にないわけで、むしろそんな男や女、相手の側に立ったら嫌でしょう。
実はそんなこと経験則としてみんな知っているはずなんです。だけど、理屈で考える時、こうした相互作用を忘れがち。
逆の見方をすれば、本人の努力の方向性とは違うところで、人と人との関係性の作用で予期せぬマッチングが偶発的に生まれる可能性もあるわけです。具体的に言えば、何度も婚活パーティー行ってもカップルになれなくても、そういう目的じゃない単なる友達とのバーベキューに行くことで、カップルになってしまうこともあるということ。
男女関係だけじゃなく、人と人とのつながりって、だからこそ重要だし、そういう化学反応が起きるからおもしろいわけです。
後半もお楽しみに。
スナック「ぼっち」。おもしろい人たち同士の縁がつながってめでたしめでたし。
昨日開催の1dayスナック「ぼっち」、おかげさまで大盛況でした。お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。
楽しかったです。
まあ当然です。僕、まったく仕事しないで飲んでばかりいましたから…。お手伝い、サポートいただき、本当に感謝です。後半は安定の酔っ払いモードで記憶があまりありません。
とにかく、ユニークな人たちが大集合でした。そして、「はじめまして」の方もたくさんぼっち参戦いただいてよかったです。なによりうれしいのは、「おもしろい人たちとつながってよかった」という感想でした。
昨日ご参加いただいたみなさんは、年齢も職業も育ってきた環境もバラバラだし、それこそもしかしたら一生出会うことのない間柄だったかもしれません。そうした人たちがこういう場所で出会い、縁がつながるということは、これからのソロ社会においてとっても重要なことだと思います。
つながる場…大事ですよね。職場や地域という今までの強固なコミュニティが溶けて行く中、こうした場がある人とない人では、心理的な孤立感が大きく違います。
また、ぜひ何かの形でやりたいと思います!
それにしても、女子にタロット占い大人気でしたね~。そして、「めちゃ当たってる!」という声続出。ご興味ある方は、絶対彼女に占ってもらった方がいいかもしれません。傍から見ていましたが、占いだけというよりももはや人生相談にも近い感じでした。
今回、ゲストとして占いをしていただいた「恋愛タロットセラピストの蓮水(はすみ)」さん、当日「はじめまして」でしたが、本当に盛り上げていただいてありがとうございました。
蓮水さんのブログは
です。一夜限りの1Dayスナック「ぼっち」、いよいよ明日です!
以前もご案内しました通り、明日、新宿歌舞伎町で1夜限りの1dayスナック「ぼっち」やります!
お待ちしています!
【開催場所】
Bar Ulu Shanti(ウルシャンティ)/新宿区歌舞伎町1-15-8 ウィングスビル7階/03-3205-4251
【開催時間】
☆19時くらいスタート 24時あたり閉店予定。深い時間帯から盛り上がってきた場合は、1hくらいは延長の可能性アリ。
【料金】
チャージ1,500円(軽食付)、ドリンク500円〜(アルコール類は800円~)、食べ物持ち込みOK。差し入れも大歓迎♡
※もし来店される方は、こちらのFBのイベントページから「参加予定」ボタンを押して頂けると助かります!
※万が一、混み合った場合は、立ち飲みや時間入れ替え制にさせていただく場合もあります。ご了承ください。
※出会い系イベントでもねるとんイベントでもありません。ご注意ください。あくまで、ソロで生きる力のある自立したオトナの男女の交流会です。出会い目的やナンパ目的はご遠慮いただきます。よろしくお願いします。
こちらの記事にも書いたように、人は人と出会い、対話することでしか、新しい自分を生み出せないものです。人と出会うということは、その人を好きになることではなく、生み出した新しい自分自身を好きになるということです。部屋にこもって、自分自身とどんなに向き合ったって何も生まれないし、唯一無二のアイデンティティなんて存在しません。
そんな話を今日、とあるメディアからインタビュー取材受けて、熱く語らせていただきました。明日は、酔っ払うまでなら、まともなことしゃべります。
そして、ソロ男諸君に朗報!
新たな特別ゲストが来ます!もちろん女子です。お楽しみに!
日本人が日本人らしかった江戸時代を日本人が知らないという事実
東洋経済オンライン連載-ソロモンの時代#10が公開されました。
今回のタイトルは…
「夫婦は一生添うべし」が当然ではない理由 江戸時代の日本は「離婚」「再婚」大国だった!
おかげさまで、前回の記事ツイッター上でも「おもしろい」というおホメの言葉たくさん頂きました。ありがとうございます。
に続いて、今回の記事もたくさんの方に読んで頂いているようです。
今回は、日本人が知らない江戸期の結婚意識について書きました。
今の未婚化や離婚上昇を嘆く人に限って、実は日本人の結婚観や結婚生活がそもそもどうだったか、を知りません。明治以降の制度化された結婚制度が、さも古来から続いていたという勘違いをしています。
離婚率の長期推移グラフを見てください。
明治初期の日本の離婚率は、なんと3.38もあったんです。これは、現在の1.8の倍近いし、アメリカの2.8より上です。資料によれば、江戸時代は4.8もあったらしい。現在離婚率世界一位のロシアの4.5よりも多かった。
日本は、世界トップクラスの離婚大国だったわけです。
離婚が多かったからといって、決して不幸だったわけじゃありません。同時に再婚も多かった。
一部、本文から引用
江戸時代の日本は、離婚大国であると同時に、再婚大国でもありました。享保15年(1730年)の史料に「世上に再縁は多く御座候」と記述がありますし、土佐藩には「7回以上離婚することは許さない」という規則がわざわざ設けられていたくらいです。
こんなトリビアなネタが満載の記事なので、ぜひご覧ください。
江戸時代は男尊女卑だったと思っていませんか?
とんでもない誤解です。むしろ、江戸期の方が男女平等意識が強かった。
日本人は、もともとおおらかな性や柔軟な結婚観を持ち、多様な価値観を受容する民族でした。日本だけ一神教ではなく、八百万の神による宗教が生まれているのも、まさに多様性を認められるからです。特に江戸期の日本の庶民は、自由で自立していた人たちだったわけです。
別に、「江戸に回帰しろ」なんてことを言うつもりは毛頭ありませんが、「結婚こそがゴールだ」とか重く考えすぎているより、よっぽど幸せだと思いませんか?
会いたい人がいるなら、会いに行けばいい!
実は、新しい企画がスタートしていまして…。
きたるべきソロ社会に向けて、僕たちはどう生きて行けばいいのか?という点について、各界のいろんな方々と対談をしています。
今週は、ほぼ毎日人と会います。
「人とつながるWEEK」です。
ほぼ全員が初対面です。
昨日もある方と対談させていただきましたが(写メ撮るの忘れたので後ほどご報告)、今日も横浜の禅寺に行って、川野泰周さんと対談してきました。
川野さんは、臨済宗建長寺派林香寺のご住職でありながら、精神科・心療内科医としても現役で働いている方です。
お坊さんでお医者さん!?
もう、このプロフィールだけで会いたくなったんで、即効連絡してすぐに会いに行きました!
拙著「超ソロ社会」の中で、「ソロで生きるには自分を愛すること」と書きましたが、今日の対談のテーマはまさにそこです。
「自己愛」という言葉は割と悪い方の意味で使われることが多いんですが、決してそんなことなくて、川野さんはそれを「自己への慈しみ」という言い方をしていました。
いや~、興味深いお話がたくさん聞けました。
この対談の様子は、4月~5月あたりで公開される予定です。多分相当おもしろいです!
川野さんについてはコチラ↓
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5/25に慶応大学の夕学で講演もされます↓
ところで…
会いたい人がいれば、会いにいけばいい。
これは、僕の行動信条です。
もちろん、ちゃんとアポをとってですよ。相手がいることなので、こっちが会いたいと言ったって向こうが会いたくないと言われたら終わりですけどね。会いたくないって言われているのに押しかけたらご迷惑です。
今までも…岡田斗司夫さん、VANQUISHの石川涼さん、キングコングの西野さん、脳科学者の中野信子さん、ユカイ工学の青木俊介さん、ロバート・キャンベルさん、角田陽一郎さんなどなど…会いたい人には自ら行動して会いに行きました。
それでもその裏には100人くらいに断られていますからね。打率でいえば相当低いもんです。でもそれでもいいんです。
僕に会ってくれた人たちに共通しているのは、僕からのオファーを「おもしろそう」と言ってくれた人たちです。そういう「感情の合致」がなにより大事で、だからこそ会った時に「新しい自分」が生まれる起爆剤になりえるんです。自分の中の多様性を生みだすのは、まさにそこでしかないんです。本を読むのも結構ですが、人との対話には勝てない。
先日、福岡でその石川涼さんと西野さんのトークイベントがありました。残念ながら僕は行けなかったのですが、そこで奇しくもお二人がこんな会話をしています。
インプットなんか意識しない。アウトプットする方がインプットされている。
インプットなんか
— 神崎のり子 (@barbara0876) 2017年3月20日
意識しない
毎日ありふれたものから
インプットされている
アウトプットする方が
インプットされている
by西野亮廣×石川涼 pic.twitter.com/ONVj7HGXgx
人と会うことなんてありふれた日常のひとつ。会うことでメリットがあめかどうかで判断するなんてつまらなく考えるんじゃなく、少しでもおもしろそうと思えば「会えばいいじゃん」というのがこのお二方の素晴らしいところです。
人と会い、対話することはひとつの行動であり、アウトプットでもあるんですが、同時にインプットもされているわけです。インプットされたことで、さらにまた新しい自分自身がアウトプットされるというエンドレスな化学反応が起きます。
人と会い、対話することは、インプット行動でもありつつ、新しい自分をどんどん生み出すアウトプット行動でもあるんです。
これからもたくさんの人たちとお話をしていきたいものです。
才能や覚悟はなくても子作りは可能だけど、才能と覚悟がなければ子育てはできない。
という記事が話題になってました。
堀江貴文氏が自身のNewsPicks上で、日本の出生数が初めて100万人を割ったことに言及。「本当に子育てをしたいと思ってる人はもっと少ない」と断言し、それを踏まえた社会制度の必要性を訴えた。
まだまだ子供は減っていきますね。本当に子育てをしたいと思ってる人はもっと少ないと思うから。みんなが本音で生きると半減どころじゃないと思う。そしてそれを前提に社会制度を構築し直さないといけない。だれ...
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2016年12月22日
出生数、初の100万人... https://t.co/1l2QkY412a
才能や覚悟はなくても子作りは可能だけど、才能と覚悟がなければ子育てはできない。
誰もが親になったら子育てできるとは限らない。あれってやはり向き不向きがあると思うから。努力だけじゃ無理で、ある意味才能が必要なんです。才能がない親が生半可な子育てをするから、虐待やなんかが起きるんですよ。
だから、堀江さんの言うことに賛成です。
そもそも、「子どもを産むことより、育てることの方が価値がある」と思っているタチなんで…。
こういう話になると、「子育てしたことがないくせに何がわかる?」という言い方する人が必ずいるんだけど、そういう子有と子無という状態による分断って、本質的に何も生まないからやめたほうがいいと思いますよ。
少子化なのにどうすんだ?っていうおっさんも多いけど、ホント国のために子どもを産めと言ってるようなもんで、昔「産む機械」発言したどっこの議員と同じこと言っていることに気付けと言いたい。
GDPが下がる?下がっちゃいけないの?
てか、人口増加とか公務員の給料でしかあがらないGDPとかの指標にいつまでしがみついてんのよ。
堀江さんの言うように「みんなが本音で生きる」世の中にはなかなかならないでしょうけど、なったらなったで面倒くさいんですけど、自分の子だろうと、他人の子だろうと、オトナは全員子育てをする責任がある。それは本音で嫌だろうがなんだろうが、そういうこと。実際に子育てをするだけが責任を果たすことじゃないから。とゃんと働いて税金を納めて、間接的に子どもを育てる。そういう社会の仕組み作りを政治家という人たちはちゃんと考えてほしい。
意味のない百条委員会とか、百万円の寄付問題とか、本当どうでもいいわ!
「生産性」をあげると、本当に人は幸せになるのか?
「生産性」って言葉、流行ってますね~。
人口減少が不可避で、借金だらけの日本は、この「生産性」をあげないと立ち行かなくなると警鐘を鳴らす人が多いわけです。
要するに、「金と時間の無駄をなくせ」ってことですね。
になってますし、みなさんの関心は高いのかもしれません。
生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの | |
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まさに、その「生産性」という本をお書きになった伊賀泰代さんことちきりんさんがこんなブログを書いています。
ま、僕みたいな雑魚と違って、さすがにぺストセラー作家のいうことですから、納得性高いこと書いています。内容は、そちらを読んでいただくとして、この「生産性をあげる=無駄をなくす」ことが、果たして本質的に是なのか?について考えてみたいと思います。
生産性もそうなんだけど、効率化や合理化については、人類は長い歴史の中でそれを解決し続けていると思うんですよ。農業革命しかり、産業革命しかり、いま進行している情報革命もそう。
にも関わらず、無駄なモノや時間ってなくなりましたか?
なくなってないですよね。
効率化や合理化が失敗したわけじゃないんです。課題は一旦は解決されたと思うんです。でも、俯瞰して見たら、無駄はなくなっていない。
これをキチンと認識すべきでは?
これって、無駄がなくならないというより、効率化されると、それまでになかった無駄が新たに創出されるという構造になっているからなんです。
例えば、かつて、文書は手書きでした。一文字間違ったら下手すれば全部やり直しとか、今から考えたら相当な無駄でしたよね。それがワープロやパソコンにより、文字校正とかは随分効率化されたはずなんです。だけど、だからといって仕事面の生産性があがったかというと意外にそうでもない。むしろ、いつでも、直前になっても直せるということから、ぎりぎりまで仕事をするっていう弊害も生んだことてじょう。
昔、会議資料とかプレゼン資料の作成なんて、その日の2日前くらいには完成していないといけなかった。なぜなら、コピー機だって普及していない時代は、それを外部に依頼しなきゃいけないし、その作業日分1日は必ずあけておく必要があった。だから、大事な会議の前の日は、案外早く帰れたわけです。
ところが、パワポなりで資料を自前で作成することができるようになると、前の日徹夜して作ることも可能になった。そうなると、結果、人間とはぎりぎりまで作業してしまったりするもんなんですよ。だって物理的にいつまでも修正できてしまうから。
単純に比較はできないけれど、テクノロジーで便利になったからといって、無駄がすべて排除されるなんて簡単な問題じゃない。むしろ、効率化・合理化を図ったがゆえに、新たな作業時間増という無駄を生んでしまった、とも言えるんです。
コンビニの24時間営業だってそうです。なまじ24時間開いているからこそ、実は時間当たりの生産性は悪くなっているんじゃないですか?限られた時間の中で売る、限られた時間の中で配送する。そういう制限があった方が、無駄が少なかったのかもしれない。
無駄をなくす
一見、よさげに見えるんですけど、これって実は人間の生き方に対して逆らっていることなんじゃないの?
無駄をなくそうとしても、どこかに新たな無駄が生まれる。いたちごっこです。それは、無駄をなくせない人間の限界のせいじゃなくて、無駄をなくすことそのものが人間として向いていないんですよ。
大体において、「無駄をなくす」っていう言い方自体が上から目線だよな。資本家の論理。労働者に対して「無駄なく働きやがれ」ってことでしょ?
そうなんです。無駄をなくすってことには、無理があるんです。
要するに、人間が生きるには無駄が必要なんです。
無駄という言い方が悪いなら、「余白」ね。余白のない絵、余白のない音楽、余白のない会話…。それってつまらなくない?そして、疲れない?
特に、「時間の無駄」ってやつ。あれこそ実は人が人らしく生きて行く上で必要なもんじゃないのかな、って思いますよ。
ドラえもんの「どこでもドア」があったら、一瞬便利かなって思うけど、あれによって、人は旅をするという喜びを喪失します。旅なんて壮大な時間の無駄使いですから。でも、その無駄な時間が心を豊かにしてくれているんじゃないですか?