ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

本当に利己的な人間は、決して蜘蛛の糸を昇ったりはしない

今日はこちらの記事から。

 

 

www.nikkei.com

 

「新型コロナのような感染症への耐性の強い社会をつくるために、市民一人ひとりの行動変容がカギを握る」という記事に主旨には賛成だし、「社会の免疫力を高める」というのはいいキーワードだと思います。

しかし、タイトルにあるように「利他性が行動変化を促す」とか、記事の中で出てくる「自分だけでなく他人のためにもなるという利他性」を称賛するような「利他至上主義」的な話には、賛同できないし大いに反論したい。

ちなみに、先日の4/4土曜日、晴天にも関わらず渋谷のスクランブル交差点はほとんど人出がありませんでした。

 

これ、若者はみんな利他性で動いたんでしょうか?だとすると、通常の渋谷来場者から考えると、600万人以上も利他な人がいるということですね。そんなわけはないのです。

 

日経の記事の中では、以前僕が以下の「人を動かすのは、利益か?恐怖か?」という記事でも引用した大阪大学大竹教授が説明した「ナッジ理論」を引用しています。

comemo.nikkei.com

 

ナッジとは、直訳すると「ひじで優しく押したり、軽くつついたりする」という意味で、ちょっとしたきっかけを与えて、消費者に行動を促すための行動経済学の理論です。

感染症を例にすれば、

A あなたが不要不急の外出を控えれば、多くの人の命を救います

B あなたが不要不急の外出をすると、多くの人の命を奪います

AとBのどちらがより人の行動を抑制する効果があったか?というと、結果はBの方です。記事では、AもBも利他性と一括りにしていますが、それは大きな間違いでしょう。

少なくとも、Bは完全なる利己性です。

拙著「結婚滅亡」の中にも書きましたが、日本人は他人は全員集団主義と思いながら、自分だけは個人主義だと思っている人の集まりです。日本人が客観的に集団主義的行動をしているように見えるのは、「集団で行動した方が自分の得になるから」であり「損をしないから」です。基軸は自己の損得にあります。

なぜ、多くの日本人がBを選ぶかというと、Bの場合に「自分が外出したことで誰かが死んでしまったら、自分の責任にされてしまうことが損だから」です。恐怖だからです。Aで「誰かを救う喜び」より、Bで「誰からも責められない」というリスク回避を優先するわけです。

では、Aは利他性なのか?と言えばそれも違います。

「誰かを助ける」という目的のために俺は動いた。というのは一見、利他的な動機が先で、目的でもあるように思えますが、「誰かを助けるため」とはまだ「誰も助けてはいません」。「誰がを助けた」というのは、すべて結果でしか判断できないものです。にも関わらず、まだ誰も助けてもいないのに(行動すれば確実に助けられるなんて予測してしまう人間は、神かバカです)助けるために動いたというのは矛盾する。それは、自分の行動が正しいものであった(あってほしい)という後付けの理屈によってもたらされているに過ぎません。

つまり、極論すれば、こう動けば「俺は誰かを助けるために動いた良い奴としてみんなからの称賛されるかも」という利己的期待を込めた動機が主であり、利己のために利他の理屈を活用したに過ぎないんです。

「いや、俺は違う」とい言いたい人もいるでしょう、。勿論、純粋に利他的に行動していると信じている人もいるでしょう。勿論、ご本人が何を信じようと自由なのでそれは否定しません。

しかし、残念ながら、

 

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