ソロで生きる力@荒川和久

独身研究家として、テレビや新聞・雑誌などのメディアに出演しています。著書「結婚滅亡」「ソロエコノミーの襲来」「超ソロ社会」「結婚しない男たち」など。東洋経済オンライン等でコラム執筆しています。執筆・取材・対談・講演のご依頼はFacebookメッセージからお願いします。https://www.facebook.com/profile.php?id=100008895735359

江戸時代もソロ男社会だった?

みなさんがあまりご存知ではない江戸時代のこと。

いや、知ってるよ!侍、岡っ引き、越後屋、花魁…。

それってほとんど時代劇の話ですよね。町人というか、江戸に暮らす庶民のことはみなさんほとんど知らないと思うんですよ。

そもそも武士なんて総人口の7%くらいしかいなかったんです。

 

そんな江戸時代の江戸と現代の東京とはいろいろ酷似しています。

何より、独身男性が多い!

江戸は完全な男余り都市だったんです。享保年間の資料によると町人人口50万人に対し、男性32万人、女性17万人だったそうです。女性の2倍男がいたんですよ。

となると…わかりますよね。

どうあがいても、15万人の男には相手がいないわけです。そういう男は生涯独身で過ごす。そう、江戸の町はソロ男があふれていました。

 

独身男が多いからこそ、江戸では今に続く多くの文化と産業が生まれたとも言えます。

もちろん、吉原とか岡場所とか、そういう性風俗産業も栄えたし、春画のようなアダルト商品も独身男によって反映した部分はありますかぜ、それだけじゃない。

 

一番栄えたのは食文化なんです。

たとえば、「寿司」!

寿司が生まれたのも江戸のソロ男のおかげです。あれは今で言うハンバーガみたいなものでした。ファーストフードですね。

しかも江戸時代の寿司はこんなにも大きかった!

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もはやおにぎりに近い。

蕎麦の屋台も、天ぷらも、江戸期に独身男性の需要によって生まれたようなもんです。

 

それから、江戸時代も今と同じような情報社会だったということも知らない人が多い。ネットはなかったけど、今で言うグルナビみたいなものもあって、お店の番付表みたいなものが瓦版として出回っていました。

火事や地震が起きれば、「どこそこで炊き出しをしている」なんて情報も瞬時に伝わる。今で言うツイッター的な役割を瓦版が果たしていた。

 

アイドルもいたし、アイドルに金をつぎ込むオタクもいた。AKB商法みたいなことも総選挙みたいなことも実は江戸時代からあった。そんな話は以前こちらに書きました。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

そんな「江戸時代と現代の類似点から未来の日本を見つめる」というテーマで、大阪学院大学経済学部の森田健司教授と対談しました。FOR2035連載対談企画第5弾として公開しました。

 

「江戸時代もソロ男社会だった?」

www.hakuhodo.co.jp

 

森田先生は江戸時代の経済・社会思想史を専門に研究するかたわら、瓦版や錦絵から江戸時代の庶民思想を紐解かれています。

夏目三久さんMCのテレビ朝日の番組「シュシュ」にもご出演されているので、ご覧になった方も多いのでは?

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この一番右側の人↓

 

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おもしろいので是非ご覧ください!いや、番組もおしろいですけど対談記事の方ね!

 

てか、「シュシュ」出演したいわ。夏目三久に会いたい。「シュシュ」で江戸時代の恋愛話をテーマにする時は是非「独身研究家」を呼んでください!笑

 

江戸時代の結婚・離婚などについても話は、拙著「超ソロ社会」にも書いてあります。是非ご一読ください。

 

www.amazon.co.jp

 

西野亮廣を科学する②「革命のファンファーレ」を絶対読んだ方がいい人とは?

を科学するキングコング西野さんの「革命のファンファーレ」読了しました!

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20-30代の若い子たちは、もちろん読んでほしいですが、個人的には、この本、40-50代のサラリーマンのおじさんたちに是非とも読んでほしいと思います。特に、50代を過ぎて、会社の中での先が見えてしまい、人生の目的を見失っている人とか。

この本は、こんな一節から始まります。

「やりたいことが見つからない」と言うことがいる。これを読んでいるあなたも、もしかしたら、その一人かもしれない。

西野さんは、この言葉を若者向けに言っていますが、実はこれ、50代以上のおっさんたちにも言えることなんです。

人生100年時代だとかいっていますが、仕事に関しては、50代半ばでお役御免というのが大体の企業の常識です。就業構造基本調査を見てもわかるように、サラリーマンの年収は50代前半まで右肩上がりに上昇しますが、55歳を過ぎると急降下します。これはどこの会社でも役職定年という制度があり、55歳を過ぎて役員になれなかった人たちは、それまでの管理職も退いてペーペーの平社員に戻される例が多いからです(給料は下がっても名刺上は、「○○部部長待遇」とかわかのわからん肩書きで、せめてもの対面だけは残すという風潮もあります)。

かつては60歳定年だったですが、寿命が延びて定年自体も65歳に延びるようになりました。年金も後ろ倒しになるわけですから、ほとんどの人はまだまだ働く必要があるわけです。

しかし、そうはいっても、もう昔のように自分のチームも持たせてもらえず、部下もおらず、やりがいのある仕事からも遠ざけられると、人間はモチベーションそのものを消失します。結果、何もしないで平穏無事に定年まで出勤するだけの社員になることも多い。

70歳で死んでしまう昔ならそれでもよかったでしょう。でも今や、仮に60歳でリタイヤしても、男でさえあと20年は生きなければいけないわけです。

そうした時に50代の彼らの脳裏に浮かぶのはまさにこの言葉なんです。

やりたいことが見つからない。

そう。この言葉は、決して若者だけの悩みではないんです。

 

ひとつの会社、ひとつの肩書きにしがみついていては、もう生きていけない世の中になろうとしています。今までの常識を覆すというといろいろ考え込んでしまうかもしれませんが、西野さんが書いている内容は決して常識を逸脱したものでなく、むしろ今の環境への適応力です。

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おじさんたちへ。どうでもいいようなビジネス書や自己啓発本を読むくらいなら、この「革命のファンファーレ」をご一読されたし。すると行動したくなりますよ。どんな行動かは読めばわかります。

ちなみに、西野さん本人が冒頭部分を無料公開していますので、ネット立ち読みしたい方は是非!

lineblog.me

 

もうひとつ。「革命のファンファーレ」は全国の作り手・売り手の方たちにぜひとも読んでいただきたいと思います。

この本では「売り方」とか「お客さん」という言い方で、売り手・作り手側からの物言いをしていますが、西野さんほど買い手の気持ちに寄り添っている作り手はいないと思います。

彼自身が言っているように、作り手は作っただけで終わりじゃなく、お客さんの手元に届けるまで責任を持つというのは、まさにそうで、「どうしたらうれしくなるか」「どうしたら楽しくなるか」という、買い手の感情まで考えているからです。

クラウドファンディングを活用して「お客さん自身を作り手側に巻き込んで共犯者にしてしまう」という発想も単に売るための施策ではなく、消費行動をすること自体に「お客さん自身の達成感」をプラスしているんです。

消費というと「金」の消費としてしか考えない人が多いですが、消費には「時間の消費」も含まれます。人は「自分の金や時間を削る対象として価値があるものに対価を支払うし、時間を費やす」のです。

かつてはモノを所有すればそれで価値があった時代もあった。思い出のような体験が得られればそれで価値があった時代があった。でも今は、それだけでは人は対価を支払い、時間を費やす価値を感じなくなりつつあります。

 

西野さんが、絵本などの作品や数々のクラファンなどを通して提供している価値とは、まさに「お客さん自身の達成感」です。大袈裟に言ってしまうと「お客さん自身の社会的役割の確認と充足」です。そこには、実はこれからの時代に、とても大事なコミュニティの概念も含まれています。

モノ・コト消費からエモ消費へ。

拙著「超ソロ社会」にも書きましたが、僕はこれからの消費のカギをはお客さんの感情(精神価値)にあると提言しています。消費者がお金や時間を消費する価値があるかどうかは、彼らひとりひとりにとって、「その先のどんな心の価値を提供してくれるか」が見えないとダメだと思います。その心の価値の充足を得られるからこそ、その手段やツールとして人は「モノ」や「コト」を消費するんです。モノやコトはもはや目的ではないんです。

極論すれば、何のモノも手にしなくても、何の体験もなくても、「エモ」という精神価値が満足させられるならば、それで十分人は金と時間を提供します。

僕は、消費というのは「お金と時間を費やしてどう幸せを感じるか」という行動であって、それは人生そのものだと思っています。

そして、西野さんの手掛ける内容は、単なる「承認」や「達成」という人の根源的欲求の満足にとどまらず、帰属意識の満足も視野に入れています。いわゆる「人とのつながり」であり、「コミュニティ」の話です。

「おとぎ町」「プペル展」「しるし書店」「レターポット」「スナック・キャンディ」と次々と彼はコミュニティも作っていっています。時代が変わる時、共同体も変わります。今後は、血縁とか職場とか、親友のような強い結びつきの共同体ではなく、「ゆるいつながり」を複数持つことが大切になります。「ソロで生きる力」で提言している複数依存力です。

西野さんの活動にインスパイヤされて、僕自身も「つながるぼっち」プロジェクトはじめました。そして、「これからのコミュニティ論」について、僕も今原稿を書いています。編集者の方、ご興味あれはぜひお声がけください。

とにかく、西野さんからは目が離せない。とってもエモい存在です。

www.huffingtonpost.jp

 

※追記

なんか「革命のファンファーレ」は「魔法のコンパス」より読む価値がないとディスってる人がいたんだけど(そこそこ有名な人)、なんだかな…。

これは、「読むだけの本」じゃないんだよね。それがわかってない。もっというと、「革命のファンファーレ」という本は単体として存在するものではなく、西野さんが用意した「あらゆる行動の余白」の一部でしかないわけ。西野さんは決して本を買ってほしいわけじゃなく、その先にある「行動」をしてくれさえすればそれでいいんですよ。

読む価値があるとかないとかのレベルを言いだすこと自体、「今の環境に適応していない」んだなって思うわ。

 

 

 

1年前に西野さんについて書いた記事↓

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

西野さんに紹介してもらいました。あざっす!

マイナスを互いに責め合う関係ではなく、プラスを互いに感謝し合える関係性でありたいよね。

突然ですが…

イクメン」とか「イクボス」という言葉が大嫌いです。

 

共働き子育て夫婦のために、職場の制度とか見直して対応しましょう、ってこと自体はいいと思います。むしろ賛成。だけど、昨今の「イクメン」という言葉の使われ方には、「私」の問題を無理やり「公」の問題にねじまげて、一部の誰かが自分の正義を認めさせるための「小賢しいツール」に使われているような気がしてならないからです。

 

そもそも、現在でも専業主婦を望む独身男女は3割います(男31%、女28%「2015年出生動向調査」より)。さらに、同調査では、経済的理由で共働きせざるを得なかったとしても、「子どもが小さいうちは母親は仕事を持たずに家にいる方がいい」と答えているのは男70%、女73%もいます。

7割ですよ!

勘違いしないでほしいのは、だから女性は家に入り専業主婦をすべきだ、なんて言ってませんよ。

夫婦のことなんだから、夫婦で決めりゃあいいじゃん!

…ってこと。

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外野がぐちゃぐちゃ云う事じゃないし、それこそ「当たり前の社会規範」のように無理やり設定して、「みんなこのルールを守れ」と共産主義国家みたいに押し付けるものじゃないってことです。

ちきりんさんもツイッターでこう言っていました。

 

 

ほんとそう思う。

イクメンとかイクボスとか騒ぐ人達って自分が絶対正義と信じまくっているところが一番の問題。

大体「正義」とか「正しい」ということを自分で云う奴にロクや奴はいない!

彼らも口では「多様性だ」とか言うんだけど、自分の信じる「正義」以外の人生の選択を認めないし、あまつさえ悪扱いする。

ちっとも多様性なんか認めちゃいない。

 

「自分がこれだけやっているのに、あなたはこれしかしてくれない」と、自分が果たした義務と同等の義務を相手に求めて、満足できないと相手を責める。そんな夫婦の関係性に意味はあるんだろうかと思う。

「やっていない」ことを互いに責め合う関係ではなく、この漫画のように「やっていること」を互いに感謝し合える関係性でありたいものです。

 

 

自分の考える「べき論」を理想像として相手に押し付けるのは不幸しか産まない。相手が夫でも妻でも子どもでも、上司でも部下でも、友達でもすべて。

お互い相手のダメなところばかり探し合うような「相互監視関係」には、笑いも癒しも幸せもないでしょう。

存在を無視することの方が、本質的には何よりも酷い差別ではないか?

先日、フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年記念のスペシャル番組で石橋貴明氏扮する保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」が登場。これがネットで大炎上。賛否両論の物議を醸し、最終的にフジテレビの宮内正喜社長が謝罪するに至ったという事案がありました。

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LGBTの関連団体がフジテレビに対して行った抗議の主旨は以下の通り。

『ホモ』という単語は男性同性愛者に対する蔑称であるとともに、その存在⾃体を嘲笑の対象として表現することは、今なお⽇本社会に残る性的少数者への差別や偏⾒を助⻑する」

勿論、テレビなどで公共放送として扱う以上「性的少数者を扱う場合はその人権に十分配慮する」ことは当然なんです。当然なんだけれども、今回の件でいろいろ「けしからん」とか叩いた人たちに、なんとなく違和感も感じていた。

違和感とは、こうしたことが炎上して謝罪騒ぎになることは、かえって、LGBTを扱うことをタブー視するような方向にいってしまわないだろうかという感覚である。

同じように思っていた人の記事はこちら。

 

保毛尾田ネタ炎上、鎮火しても残る「違和感」toyokeizai.net

 

あまりに気を使いすぎて、こうした人たちの存在を不透明化してしまうことの方が問題ではないのかと危惧する。

いわゆる存在の無視。

存在を無視することの方が、本質的には何よりも酷い差別であると思うんです。

 

いろんな人がいる。どんな人であれ、それを不快と感じる人もいる。それ自体仕様が無いことであり、それに無理やり蓋をする行為が不自然なのだ。

自分が不快と思うことを正義化して、すべて排除しようとする心の動きの方が不健全だし、それって全然多様性を認めていない。

 

かつてのオタクだって、以前は偏見と嫌悪感で差別された時代があった。嘲笑の対象としてのキャラクターとしてメディアにもいろんな形で登場した。宅八郎なんて人もいた。テレビでオタクとして紹介される場合は、大体みんなが想像するタイプが出た(仕込みも多かった)。

 

今でもオタクというステレオタイプの(キモイ奴等)残像は残ってはいるものの、ある意味では尊敬の対象にもなっている。

それは、彼らが不透明化されなかったからだとも言える。「なんかめんどうくさいから触れないでおこう」ってアンダーグラウンドに押しやってしまえばしまうほど、どんどん本当の姿が隠ぺいされて、かえって偏見や差別を助長することになる。

 

かつての「ぼっち」だってそうだ。一人で昼飯を食べる行為そのものでも偏見があった。それが今では「ソロ充」行動ということで当たり前になっている。

toyokeizai.net

 

いろんなタイプの人がいて当たり前。それは、いろんな人がいろんな感情を持つことも当たり前という世界です。だからといって、いちいち不快なものに蓋したり、いないことにしようと隠したりすることは何の解決にもならない。

厳密に偏見と差別は違います。が、偏見から差別が生まれることは確かです。偏見は知らない(無知、非認知)ことに起因します。まず知ること。それが大事です。理解したり、受容することはその次の問題です。

知ったり理解し合ったりするためには面と向き合うことが必要でしょ?

いじめでもそうですが、無視の方が、よっぽど残酷なことだと思います。

「エモ消費」とは自らの幸せに直結する行動で、幸せのマイレージを貯める行動だ。

毎度、東洋経済オンラインの連載「ソロモンの時代」の新記事が公開されました。今回のテーマは、「エモ消費」についでです。

toyokeizai.net

「エモい」という言葉の意味、及び「エモ消費」というものが今までの「モノ・コト消費」とどう違うのか、なぜこれからはそれが鍵になるのか?

その辺についてわかりやすく解説しています。企業のマーケティング担当やモノづくりをされている方は必見だと思います。

 

エモ消費については、過去ブログでも何回か取り上げています。

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

ブログやツイッターに書いた記事を元に、ラジオ出演もしました。

 

wildriverpeace.hatenablog.jp

 

「エモい」という言葉が認知流布されたことで、いろんな人がこの言葉を使い始めています。別にそれはいいのですが、「エモ消費」という言葉と概念の発明者は僕なのでお間違いのないように。

「エモい」と消費とを結びつける論説も最近見かけるのですが、大体において、「エモ」を単なる「エモーション」の略として見てない風潮にややいらだちます。

浅い!浅すぎます!

学生やド素人ならいざ知らず、流通コンサルタントとか肩書きをもつてテレビとか出演しているようなプロがそんな浅はかな考えでは困ります。

エモって「感動したい」とか「思い出作りたい」とかそんな表層的なものではありません。詳細は、記事を読んでください。

ひとつだけあえて言わせていただくならば、大量生産・大量消費の時代はとっくに終了しているのに、頭の中はまったく変わっていない人が多すぎるということです。

 

いいモノを作れば売れる、そんな時代は終わった。

広告で認知させれば売れる、そんな時代は終わった。

割引やオトクを提示すれば売れる、そんな時代は終わってるんです。

 

にも関わらず、理屈では「そうだよね~」なんて言っているにも関わらず、やっていることは「終わった時代」の行動の人が多すぎる。そのあげく、うまくいかないもんだから、「若者の○○離れ」とか言いだして、消費者側の問題にしてしまったりしている。

「若者が○○しない」とかいう言説のほぼ全部は嘘です。そんなものはない。草食男子なんていつの時代もいたし、モノを買わない奴もいつもいた。クルマが売れないのとか、アパレルが売れないのは、決してモノ作りの問題ではない。モノ消費の時代は終わったと言ってるくせに、なんで矛盾したことを言っているのか理解に苦しむわけです。

なんでモノ消費をしていたか?それは所有価値があったからです。でも、もう音楽CDにお金を使う人は少なくなったけど、音楽フェスにはみんな行くわけです。それは、そうした刹那の体験に価値があると思うから。所有価値から体験価値へというのが「モノ消費からコト消費へ」という流れです。

ですが、そう言われだしたのは、結構古くて、かれこれ20年近く前の2000年のことです。

そして今、社会の個人化が進行するとともに、消費の世界においても個人化が進行しています。所有や体験はもはや手段と化して、そうした行動の大本にある精神的な安定や充足が目的化されるようになってきているのです。所有価値でもなければ、体験価値でもない、それらはパーツにすぎず、それを通じて得られる「精神価値」に重心が移行していくのです。それが拙著『超ソロ社会』で私が名付けた「エモ消費」であり、群から個の消費の比重が高まるソロ社会化において重要な視点となります。

本文に書いてないけど(講演ではお話しているけど)、モノ消費からコト消費への移行により、モノ消費の所有価値は使用価値に変わりました。どうそのモノを使えるかが価値化した。コト消費からエモ消費に移行すると、コト消費の体験価値は時間価値へと変わります。その体験によってどうあなたの時間が価値を持ったのかが問われる。エモ消費がすべての消費(誤解があるのですが、金だけが消費ではなく、時間もまた消費のひとつ)において精神価値を発揮するということは、簡単に言えば「幸福感を得る」ということになるんです。

その幸福感はどうやって得られるかというと承認・達成・帰属意識の充足です。この最後の帰属意識が大事で、個人化する社会において、コミュニティは社会が用意してくれなくなります。安定安心の家族や地域や職場はなくなります。そうした時に、個人は個人の力によって「ゆるくつながるコミュニティ」をその都度構築する必要があるんです。

エモ消費は、いうならばラノベッターの言う「弱い紐帯を生みだすきっかけとなるわけです。この話は詳しくいうと長くなる(本当の自分なんていないという話と関連するので)ので割愛しますが、要は、エモ消費というのは「感動したい」とかの浅い話ではなく、それを通じて「生きる意味」や「社会の中の自分の役割」を実感するための動機なんです。だからこそ既婚の家族の人たちより独身者が響きやすい。そうした欠落感による不幸感を抱えているから。

だから、本文の中にこう書きました。

「エモ消費」とは彼らの幸せに直結する行動でもあり、幸せのマイレージを貯める行動でもあるのです。

 

「エモとは、もののあはれである」と定義したのは落合陽一さんですが、まさにその境地の話であり、深いんです。自分の中の多様性とエモ消費との関係性についてはまた後日書きます。

ちなみに下の写真、僕が屋久島行った時に撮った写真です。野生のサルです。どこを見ているんでしょう?この写真には、「もののあはれ」感じませんか?

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年をとることが老いではない。失敗や恥を恐れて前に動かない奴のことを老人というんだ。

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とある転職コンサルの人が書いた記事

転職か否か「仕事余命」で決断、40歳からの働き方

style.nikkei.com

 

読んでいただければわかりますが、要するに65歳までしか働けないんだから、逆算して仕事余命という考え方で

●限られた仕事人生で、自分がなすべきことは何か?
●どうせ働くならやり遂げておきたいことは何か?
●仕事の上で、どんな足跡を残しておきたいのか?

を考えろ、ということらしいのですが…

 

まったく共感できないし、何言ってんだ?こいつって感じ(怒)

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ああ…こういう御託をありがたく聞いちゃう40代の転職希望者がいるから、転職コンサルなんて仕事が成り立つのだな、とつくづく思った。もちろん、需要があるから成立しているんでしょうし、転職コンサルという仕事も立派な職業だと思うので非難はしないけど(しとるけど…)。

 

要は、古いんですよ!

65歳までしか働かないなんて決めつけること自体古すぎて…甘えんな、と。

年齢なんか関係ないし、働けるうちは働くんだよって思います。65歳までしか働かないという、なんというか、この企業に依存しきっている態度も気にくわない。

大体「仕事余命」という言葉自体嫌い。そんな気持ちで仕事されたら顧客に迷惑だと思いませんか?

それから10年後の未来なんて誰も予想つかないことを求めても仕方ないと思います。そんなこと言う人に限って「今何が起きているのか」さえ把握していない場合多い。

インスタやってんのか?Valuやってんのか?ビットコインやってんのか?クラウドファンディングやったことあんのか?日本は高齢者より独身者の人口の方が多いって知ってんのか?安心安定の共同体が融解して、液状化している社会のことを把握しているのか?

何も知らないし、何も体験していないんですよ。

今ここで起きていることすら知らない奴が未来のこと語るんなって思う。

まず「今ここ」を知れと思いますよ。

 

年齢があがれば自然に給料が増えて、定年まで会社が給料を保証してくれた昭和の安定社会はもう終わったんです。こうした意識は年代の問題ではないんですよね。50-60代でもちゃんとわかっている人はわかっているし、20代でも「就職するなら安定した大企業かな」なんてい昭和みたいな奴もいる。

年関係ない!

 

そんな中、是非読んでほしいブログがあります。

いつの時代も人の記憶に残るのは評論家ではなくプレイヤーだ!

isoppmen.com

 

とっても素敵!

何歳だろうが、何かにチャレンジしようとする人は尊いチャレンジしない人の共通する特徴は、言いわけが先に来るってことです。「年だから」とか「どうせ今からやっても…」とかね。

それから変なプライド。失敗したくないとかね。

チャレンジするってことは新しい世界に足を踏み入れることなんだから、失敗があって当然なんです。だけど、ある程度経験を積んだ人は、その失敗を恐れる。かつて自分だって失敗をしたから今あることを忘れて、失敗をすることでの恥を恐れる。

 

でもね…それこそが老いなんです!

 

この記事の印象的な部分引用します。

新しいチャレンジをしなくなる事ほど怖い事はありません
新しい経験をまるっと全部捨てるようなものです
ある程度の地位になってくると安定したリズムに慣れてしまい
失敗することを避けようとします
いい大人になって人から怒鳴られる事に耐えられないのです
こうなるともう成長はありません。果てしなく下る一方です。
子供は失敗して転んでも立ち上がり
また前に進もうとします、だから伸びます

その通りです。

だけど、言いわけを考えて行動しない人は、それを正当化しようとしてしまいます。

自分は挑戦せず
まるで評論家のように口だけでモノを言います
だけどいつの時代も
記録を生み出したり人の記憶に残るのは
プレイヤーであり、評論家ではありません

 

「今ここ」でやるべきことにチャレンジする。したり顔で、やったこともないことを批判的に論じることの方がよっぽど恥ずかしいこと。

これからの時代、男だって80年以上生きるわけです。65歳で引退とかって何を考えているんですか?もうね60代なんて高齢者でもないし、扶養される立場でもないんです。

いいですか?

高齢者が高齢者面して、現役の労働人口に扶養されようと思うと、2人に1人が高齢者を支えなきゃいけなくなるんです。そんなの無理ゲーなんですよ。

でも、視点を変えて、20歳未満の子どもたちを20歳以上の大人たちが支えるという視点で考えるならば、子ども1人を6-7人の大人で支えられるんです。

両親プラス4-5人の大人が一人の子どもをサポートできる。

そっちの方がよっぽど前向きな未来だと思いませんか?

少子化だからとただ産めというアホはよく考えてほしい。現在の状態でさえ、生まれてきた子どもたちの貧困率は高い。虐待されている子どもの数は右肩あがりだ。今生きている子どもたちを幸せにできもしないで、何産めとか言ってんだ!って話です。

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今生きている子どもたちをまず大人たちが支えて幸せにすることが先でしょう?

このあたりの意識は、家族が家族だけしか頼れない唯一依存の危機に冒されていることに気付いていない人が多いからなんですよね。ぜひ拙著「超ソロ社会」を読んで勉強してください。

www.amazon.co.jp

 

大人たちよ。65歳で引退とか寝ぼけたこと言ってんじゃないよ。

働ける大人は何歳になろうが働くんです。仕事に余命なんて存在しない。生涯現役プレーヤーなんです。

そう考えた時、40歳だろうが50歳だろうが、今何をすべきなのか、自ずとわかるはず。企業の雇用によりかかって依存してもいいけど、それで本当に75歳や80歳まで仕事ができますか?

よーく考えてほしい。

できないのだったら、もしかしたら今のうちにもう一度大学に通って勉強し直すという道もある。遅いなんてことはないんです。勉強するために会社辞める必要もない。働きながら勉強している人なんたたくさんいる。

何も大学じゃなくても、堀江さんやキングコング西野さんのオンラインサロンとか入れば、いくらでも刺激的な勉強になる。

今起きていることを把握して、前に動けばなんだってできるんです。

 

もう一度言います。

 

年齢は関係ない。失敗や恥を恐れて前に動かない奴のことを老人というんだ。

一週間で3回もヤフーニュースに取り上げられました!

発売中の週刊朝日9/29号(西野七瀬が表紙)のやつ。

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その中の「未婚・独身男が増えている裏事情」という記事で取材を受けてコメントしています。

 

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孤独は能動的な選択ですが孤立は受動的なもの。「一人が好き」というのと「心理的に孤立」するのは別物という意識が大事だという話をしています。

 

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…と思ったら、この記事もヤフーニュースになってました。

「結婚しない男」急増は「やせ我慢」が理由?〈週刊朝日headlines.yahoo.co.jp

コメント数なんと921件!

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なんだかんだ今週3件もヤフーニュースになりました!

 

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 

しかもこの記事、mixiニュースでは、投稿数が2781件!

すごいことです!

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news.mixi.jp